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  Over the Wall vol.6 


白濁夢、再び・二〇〇〇年 十月二十三日

 世界史の授業中に起こった出来事から三日経った。誰もがあの事を忘れて行く頃だ。
 尚人は、人から心配される事が、こそばゆくてたまらない。自分が何よりも弱く、心配される事がその弱者である自分への哀れみの様にも感じてしまわれる時があるのだ。
 だが今朝は、緊張しながら登校する必要はなかった。面白くないホームルームが無意味に進行している間も尚人は、日常の姿を見せるクラスの様子を眺めて、安堵感にうとうとしていた。
「これでホームルームを終わります」
 そこでようやく我に返った尚人に、
「行こうぜ」
 と小河原から声が掛かった。一時間目は生物だが、ビデオ鑑賞があるので視聴覚室への移動があるのだ。「ああ」と尚人は鞄から出した教材を小脇に抱え、両手をポケットに突っ込む。両手の包帯はまだ取れていない。外傷があるわけではないが、紫に変色した痣が両手の甲に鮮やかに残っている。
「他には傷とか、残ってんの?」
 教室を出る際、坂井に言わせると「無神経だ」という発言も小河原の思考と探求心の定規ではそれを「無礼」だとみなされないらしく、そう何気ない問いが向けられた。
「大きな傷は無いな、全身打撲だったから。あ、でも失明寸前だったって話は聞いた」
 飛び散ったブロックの破片が両眼を掠ったらしい、と指で目を突く仕種をすると、
「え、マジ?」
 と小河原はさすがに口調を変えた。
「目の手術っていうと…角膜手術とか…?」
「……さぁ」
「お前なぁ…自分の事だろが」
 小河原は呆れた表情をする。この表情で尚人は何度も馬鹿にされて来た。もう慣れた。
「詳しくは聞かなかった」
 入院中の治療経過、怪我の程度について、尚人が知っているのは医師や看護婦の会話から聞き取ったほんの一部分である事に、今気がついた。
「バーカ、普通、医者から説明とかあんだろ?」
「だよな……・あったかな…・?」
 言われてみれば、目を覚ました時に「目の手術をした」と言われただけで、記憶に無い。
「お前の場合、命に別状は無かったんだから本人に話しても良いはずなんだよな」
 癌など、完治不可能と診断された患者の場合、まず保護者が告知されるというのはよくあるパターンだ。だが、確かに、尚人の場合、結果的にこうして完治の方向に進んでいる。
「兄貴に話したんじゃないかな?俺は、一週間くらい寝てたみたいだから」
「そうか?聞いてみろ、ちゃんとな」
 三階の視聴覚室へ向かう階段の二段上から、小河原が尚人を見下ろし、指を指して強くそう言った。その口振りに、尚人は何かの含みを感じ取った。
「やけにこだわるな?」
 尚人の疑問に、小河原はこう続けた。
「だって本当にそうなら手術なんて出来る訳ないんだよ」
「え、何で?」
 小河原はなおも、呆けた様子を見せる尚人を非難する。
「お前は物を知らない奴だな。一体全国にどれだけの人たちがドナー待ちしてると思うんだ?」
 自分から言い出した事を棚に上げ、小河原は声のトーンをワンピッチ上げた。
「どれくらいだよ?」
「…詳しい数は知らない。でも、とにかくたくさんだ。お前が一週間くらい待ったからって順番が回ってくるような状態ではない事は確かだ」
「じゃあ、角膜手術じゃないんだろうな」
「だから確認しとけって。後遺症が後になって出てきた時に「知りません」じゃまずいぞ」
 遠まわしに尚人の世間知らず振りを批判し、合理的結論に落ち着く。
 最後の三、四段を大股で駆け上がり、三階の踊り場にいる小河原に追いつくと、二人は並んで廊下を右折した。その右折した長い廊下の突き当たりが、視聴覚室だ。突き当たりの壁が、小さなコンピューターチップの様に見える。数人の生徒がまだ廊下で屯していた。
「………・・」
 尚人は立ち止まった。
「他に目の手術っていったら…・・」
 それに気付くのに遅れた小川原は、まるで独り言を言っているように一人で数歩先を歩いていた。
「おいっ」
 それに気付き、気まずそうに背後の尚人に勢い良く振り向く。
「どうした?」
 廊下の先を見つめたまま立ちすくむ尚人の様子に、小河原は珍しく、他人を心配する言葉を口にした。先日の事もあるからだだろう。
「……―――」
 尚人の目は、目前に長く続く廊下の突き当たりの壁、あるいはその奥を突き通して見つめるように、見開かれていた。
「?」
 尚人の視線を辿り、小河原も廊下の突き当たりを見る。廊下で談笑する生徒達、尚人達を追い越して視聴覚室へ向かう級友達、先に見える視聴覚室の扉が見えるだけだ。
「おい、尚人!」
 瞬きさえもしないその様子に、小河原の口調は焦りも交じり、荒くなる。
「……・くな…・」
 微かに開いた尚人の口から、言葉にならない言葉が洩れてくる。小河原は、壊れたスピーカーから音を聞き取るように、尚人の顔に耳を近づけた。
「何だ?」
「…・行きたくな……・」
 辛うじて、「行きたくない」という意思表示が聞き取れた。
「何言ってんだよ。どうして」
「また授業放棄か?」と、言いたいところだが、尚人の表情から小河原は、修辞的に尚人のその意思表示は意味が違う事を読み取った。小河原は耳を尚人の顔から離し、目線を合わせて向かい合った。
「行きたくない…・・」
 と尚人は繰り返す。
「俺は何でかって訊いてんだよ」
 端から見れば、二人の様子が口喧嘩に見えるのだろう。階段を上ってきた生徒達が二人の様子を一瞥して追い越して行く。
「行きたくない…恐い…」
 そう口走る尚人の目は、小河原を見ていない。廊下の先にいる怪物でも見ている様に、表情を強張らせて、ただ一点を見つめている。
「恐い…」
「何でだよ」
 苛立ちと焦りに、小河原の声は半ば弱々しさも見せはじめた。
 尚人の目は、小河原を見ていない。先に長く続く廊下の突き当たりが、暗く、闇に溶けて行くように見える。その先に待っているのは破滅だけの、死の世界だ。いや、分かっている。この先にあるのは視聴覚室だ。大型スクリーンやその他OA機器が並ぶ部屋。そこでこれから自分達は生物のビデオ鑑賞をする。
 何が恐いのだ。恐いものがあるはずが無い。ここはほぼ毎日通う学校で、目の前にいるのは友人だ。自分に危害を加える事は無い。
 退院して最も望んだ日常という安全が、ここにあったのではなかったのか。
「あ……」
 行かなくてはいけない…
 でも……・行きたくない……
 その葛藤が猛烈な速度で尚人の思考回路を駆け巡る。だがその動きも やがては鈍くなり、そして、意識が薄らいで来た。視界が揺れる。膝の筋肉が、肢体を支える力を徐々に失う。両腕を掴む小河原の手に力が入る。小河原の、遂には叫んでいる声も届かない。
 尚人の膝が折れた。尚人の体重を支えきれない小河原も一緒に、廊下に膝をついた。
 そのまま体全ての重みを、冷たく硬い廊下の床に預ける。

 ――死なないで……

 意識が完全に途切れる瞬間、目の前に人影が鮮やかに映った。小河原ではなく、それは、
 小柄な少女だった。
 学校の廊下の景色も、白濁とした何も無い風景に変わっていた。その中に横たわる自分の目の前に、少女が立って、自分を見つめている。ビー玉みたいな涙が足元に落ちては壊れて消えて行く。肩までの髪が、しゃくりあげる度に揺れる。恐怖に混乱する尚人の胸に、切なさも込み上げてきた。

 そんなに悲しい顔を見せないで……
 苦しいから……
 だから…
 ―――…泣かないで……志穂

「志穂…………」
 白濁色は次第に闇色に変わって行った。

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2006.05.25.Thu/00:27
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北野ふゆ子

Author:北野ふゆ子
> 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。 得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。

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