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  Over the Wall vol.4 


病院・同日夜中

 緊急の呼び出しに家を飛び出した彰人は、五分後には既に電車に揺られていた。
 発車し始めた電車の窓から、住宅の明かりが灯る街を眺める。駅周辺の建物の光が、大きく目立って眩しい。ここ周辺には三軒も大手スーパーがある。無意味に向かい合って建ち、熾烈な価格競争と企画争いをしている。
 この街は二十年年ほど前から人気住宅街として人口が増え始め、都心まで三十分、その他交通の便良し、というメリットを掲げた分譲マンション、一軒家が私鉄駅周辺二キロを取り囲むように建っている。何せ国道が街を貫くように通っており、高速道路のインターチェンジもあるのだ。その住人をターゲットに、今年に入ってから商店街が姿を消し、大手フランチャイズ、チェーン店などが、都心から触手を伸ばして来た。私鉄の駅といっても、ローカルな、快速も停まらない小さな駅で、踏み切りも無ければ駅ビルも無い。国道に稀に現れる暴走族を除けば(最近減っているらしい)、ここ辺り一帯は都心まで三十分とは思えない静かな田舎町とも言える。
 それもいつまで保たれるかは疑問である。姿を変えつつある街の光を眺めて、彰人は気だるく感じる体の重みを扉に預けていた。

 自宅近くの私営電車でほんの十五分ほどの距離に、ここ周辺では比較的大規模な大学病院がある。尚人も入院した病院でもある。
「こんばんは。ご苦労様です」
 病院の裏口、守衛の窓口前を通ると初老の守衛が愛想よく声を掛けてくる。
「おつかれさまです」
 と例え一言でも彰人が返事をすると、深い皺に隠れるように守衛の瞳と口が微笑む。彰人もつい微笑み返す。
 守衛室の前を通りすぎると彰人は足早になった。
 浩浩と明かりが照る裏口に比べその先の廊下、階上へのエレベータがあるロビーを照らす明かりといえば外の街灯による薄明かりのみで、足下が確認できる程度だ。漂う薬品の匂いとその無機質で白い建物の造りが相俟って、さながらホラー映画の舞台だ。暗がりが恐怖などと軟弱な事を言うつもりは無いが、出来れば長居したくないものだ。早々に通り過ぎてしまいたい。 
 彰人の場合、当直の内科医師達が集まる治療室の前を通りすぎ、渡り廊下の向こうに立つこの病院最後の建物まで長い道程を歩かなければならない。三棟からなる大学病院の第三号館には裏口が無い為、当直の医師や看護婦は二号館を経由するのだ。
 外科医が勤務する一号館。
 内科、小児科、産婦人科を有する二号館。
 そして、彰人が行く先は心療内科や精神科を一郭に持つ三号館である。
 両親を早くに亡くし尚人と兄弟で叔父夫婦に引き取られていた彰人は、彼らの温情ある計らいにより、元大学助教授であった亡き父親に似て成績も優秀だった事も評価され、医大に進学した。
 その際彰人が興味を示したのは、精神医学。この分野に進級を決断した時は叔父夫婦やその他近い親戚の反感をかった。彰人が大学に入学した頃といえば犯罪の凶悪化、低年齢化が社会問題になり始めた時である。
 「こころの教育」「こころの治療」など、メディアは「心」を「こころ」「ココロ」と書いて表現し、人間の内面の見直しを社会に浸透させた。比較的若い年代においてはこのメディア効果もあり、「カウンセリング」や「診療内科」といったものに対する認識が深まっているのだが、彰人の両親世代から上の年代にとって、こういったものは「甘え」や「病的」な物として捉えられる傾向がある。
 何も自分は流行に釣られた分けでは無い。世間一般における人間の内面、深層心理ではなく、彰人の関心は、ただ一人の人間の内部のみに向けられていたのだ。その執着心が、彰人の勉学意欲と職業意識を長い間支えていた。
 もっともそれは未だに叶えられておらず、目処もたっていないのだが。

 彰人がナースステーションで夜勤の看護婦に指示された病室の前に来ると、急患の「保護者」達が廊下に並ぶベンチに三人並んで腰掛けてしな垂れていた。二人は眠っていた。先に一人が彰人の足音に気がつく。残り二人も目を覚ました。重力に揺れていた首が小さな痙攣と共に持ち上がる。
「ああ、先生」
 暗がりの廊下の隅からでも、彰人にはその三人が認識出来た。紺色の制服を着ているその三人を、知っていた。病室内のまだ見ぬ急患も、誰だか想像が出来た。
「……やはり…庵原さん…?」
 手にした懐中電灯で病室の札を照らし、急患の名前を確認する。
 第三号館特有の厚い病室のドア越しに、認識つかぬ言葉を発する声が微かに蠢いてきた。
「睡眠薬は投与していないんですね」
「ええ、常用していると言ったら看護婦さんが、鎮静剤だけにしときましょう…と」
「その方が良いでしょう」
 彰人はドアノブを回した。背後に立つ三人も、重い扉の向こうに続く病室に彰人に続いて入って行った。
 救急患者の名前は「庵原孜」、五十三歳。四十歳の時に三つの殺人事件を起こし、現在東京都内S拘置所に収監されている。病室で庵原はベッドにベルトで体を固定されていた。運び込まれた時点では、制服の三人や金北医師から逃れようと暴れていたらしい。今は疲れたのか顔を左に力無く倒し、目は開いていたが脱力感に沈んでいた。
 部屋の明かりは小さな豆電球のみ。眩い光は患者を刺激するからだ。彰人はベッドの側に腰掛けた。
「庵原さん」
 以前に呼んでいた呼び方で、彰人は静かに患者の名前を口にした。
反応を待ったが、意志のある返事が無い。意識はある。半開きの口から「声」が洩れてくる。
「庵原さん」
 もう一度、呼ぶ。
 やはり返事は無く、読解不能な呻き声だけが相変わらず口から洩れてくるだけだ。庵原との会話を諦めて、彰人は背後に並んで立つ三人に体を向けた。一つ頷き、揃って病室を出る。背後からまだ壊れた呻き声が届いてきた。
 病室前から少し離れた階段近くの踊り場の明かりの下に彰人と三人は移動した。明りの下でようやく確認できた三人の顔は、眠気と疲れで青白かった。彰人が到着するまでの一悶着が目に浮かぶよう。
 三人は元々、東京A拘置所の看守だった。だが庵原の移送と共に、揃ってS拘置所に職場が変わった。A拘置所に収監されていた時から精神状態の不安定さを懸念されていた庵原を考慮し、庵原を良く知る三人も一時的に移る事になったのだ。
 S拘置所は、懲役十数年から無期刑までの囚人が収監される所である。
 一方A拘置所は、ゼロ番囚、つまり、死刑囚が収監されるところである。
 庵原は十年前に死刑を宣告されたが先月、酌量が認められ無期刑囚となった。死刑囚としての生活の中で、彼は次第に正常な判断をしうる精神を亡くしてしまったのだ。
 そんな彼を、彰人は彼が死刑囚であった頃から知っていた。精神状態が異常であった彼の病状、その経過も知っていた。
 庵原だけでは無い。その他多くの死刑囚を、彰人は患者に持っていた。
 東京A拘置所。そこは彰人の第二の職場であるからだ。
 親戚は勿論、尚人にさえ明らかにしていない彰人の第二の肩書き、それは『東京A死刑囚拘置所所属カウンセラー』だった。
「若い者が選びたがる職場じゃないのにね」
 職場のベテラン、老齢の医師にそう言われた事がある。彰人とて向上的情熱をもって選んだわけではない。彼の「目的」に最も近い第一歩だったからに過ぎないのだ。


 庵原の入院手続きをする為に、彰人は三人を待合室に残しステーションに戻ってきた。ステーションでは、看護婦達が大量のカルテと奮闘中だった。戻った彰人に気付き、「どうでした」と顔を上げる。
「大丈夫みたいだよ」と答えると「そうですか」と再び書類に視線を戻した。
 彰人は暫しその看護婦の姿を無意識に見つめていた。バインダーのリーフに文字を書き込んでいく看護婦の右手が動くさまを見ていた。
 人が書き物をしているのは、眺めていて心地よい。ペン先が机の上で硬いリズムを打ち、その不思議なリズムの中、紙の上を這う視線が憂いに俯いた様な散文的な表情を作り出し、静かな息遣いに緩やかに上半身が揺れる。
 その看護婦という個人の存在を余所に、彰人は漠然とそうした事象を彼女を介して見ていた。
 視線に気付いた看護婦が、視線だけ上げて軽く首を傾げる仕種をした。
「…何ですか?」
「え」
 言葉を持つ事により個を取り戻した、彼女という事象は崩れ去った。
「あ、いや…何でも」
「ちょっと考え事してたんだ」と付け加えて、彰人はもの憂げな微笑を見せた。若い看護婦は、また首を軽く傾げた。
 その時、ステーション内に電子音が鳴り響いた。ナースコールではなく、電話だった。電話機本体の緑のランプが点滅している。内線だ。看護婦が受話器に手を伸ばした。
「はい、第三病棟、心療内科、看護婦の高梨です。」
「はい」と受話器に看護婦は何度も相槌をうつ。その間彰人はもそもそと白衣を脱ぐ。薬品の匂いが私服にまとわりついていた。病院は何科であろうと薬品の匂いがするものだなと、新人の頃はそれが印象的だった。
 看護婦が彰人を一瞥した。
「はい、あ、代沢先生でしたらいらっしゃいますが……」
 名前が会話に出たものの、ついでのような言われ方だ。
「じゃあ、替わりますね」
 と言うや否や看護婦が彰人に受話器を「外科の横川先生です」と、差し出した。
「代沢です」
 代わるや否や、受話器の向こうから、甲高い男の声がした。
『代沢先生、確か「あちら」でもお仕事してましたよね、まだしてらっしゃるんですか?』
 彰人は一瞬言葉をなくした。
「え?」
 開口一発、何故この時間にここでその様な事を訊かれるのか、瞬時に理解出来なかった。
「あちら」とは彰人の、もう一つの職場の事である。精神科医師の場合、カウンセラーとして出張先や第二の職場を持つのは珍しい事では無い。
「ええ……勿論ですよ。どうしてですか?」
『ああ、すみません、突然。外科で入院している患者の精神状態が不安定でしてね…まあ、怪我の仕方も仕方でして…。今夜も、眠れないだとか気分が悪いだとか色々言ってきましてね…精神科の先生にちょっとカウンセリング面でのアドバイスでもと思いまして』
「そうですか」
 この様な事はよくある。怪我人、病人は精神状態に大いに左右されるとして、欧米の猿真似でここの大学病院でも、積極的にメンタルケアをフィジカルケアに導入している。
『でも良かった。代沢先生が夜勤とはラッキーですよ』
 横川という外科医の陽気な声が、気になる。
「私が…何故ですか?」
『その患者、前科者なんですよ。そっちの。分かりますでしょ?』
「………」
 静かな面持ちのまま、よほど電話を叩き切ろうかと思った。
 話によると、その五十半ばの入院患者は元極道関係の人間であり、遠い昔、殺傷事件の類を数件起こした前科四犯の男だという。今回は昔の人間関係が絡んだ揉め事から傷害事件の被害者として入院している。
『いやー、経歴を見ましたらね…うん』
 横川はそう言って笑っていた。彰人は押し黙っていた。
『だから扱いが難しくて』
 その患者を猛獣扱いしているのは明白だった。健常者と障害者を、差別のつもりが無くとも意識のどこかで区別しているのと同じ、いや、悪びれさえ無い。
「……今、どのような状態なんですか?」
 電話の相手はその事に全く気がついていないが、ステーション内の看護婦は、書類書きの手を止めて電話口の彰人を見上げていた。
『眠れないようで、先程から医者や看護婦を何度もナースコールで呼ぶんですよ。ちょっと興奮気味ですね。暗闇が怖いらしくて。鎮静剤や睡眠薬を常用しているようなので、そう何度も入院中にも使用する訳には…ねえ、いかないでしょう?』
 横川は一人で喋りつづけた。彰人が途中で相槌を止めた事も気にせず、隆々と言葉が後を断たない。逆に看護婦が、受話器を片手に俯きかげんに押し黙る彰人の姿に奇異を感じていたようだ。
『ぷるるるるるるるる』
 横川の息継ぎの隙をつき、受話器の向こうで電子音のナースコールが鳴った。
『あ、ほら、またコールです。聞きます?』
 どうやら横川は口元から受話器を離し、ナースコールの受話器の押し当てているらしい。ガサガサと音がする。
『ガンガンガンガンガンガン―…・』
 聞こえるのは金属が金属を打ち響く音だけだった。ナースコールしたその患者が出している音らしい。何かでパイプベッドのパイプ部分を叩いている音のようだ。
『どうしました?』
 横川が面倒くさそうな口調でそのコールに応える。だが、金属音は鳴り響く。
【ガタッ】
 ナースコールの受話器が切られた音だ。
『とまあ、こんな様子ですよ』
 再び横川が溜め息交じりに電話に出た。
『行って診てやってくれませんかね』
 今度は人を猛獣使い扱いしている。
「すみません…こちらにも急患がおりまして。夜勤の医師は私しかいないので、持ち場を離れるわけにはいきません」
 そう応える彰人の口調は非常に事務的で一点のぶれも焦りも無かった。怒りを通り越えて呆れている彰人には、もう平静さを装う努力は必要なかったのだ。
『えー…そうですか…?ではどうすれば良いでしょうね』
「二、三日、夜は放っておく事です」
『それで良いんですか?』
「ええ。いちいち構っているから、それで付け上がるんです。暫くすれば患者さんも冷静になります。結局、不安なんですよ」
『はあ…そうですか。じゃあ、暫く様子を見ます。すいませんでした、お忙しいのに』
「いえ。また何かあったら呼んで下さい」
 と締めくくると、彰人の方から電話を切った。辛うじて叩き切る事は無かったものの、その直後に流れた静けさが、ステーションの雰囲気を硬く凍らせた。
「………」
 彰人は暫く切った電話の前で立ち尽くして電話機を眺めていた。その様子を、背後から看護婦がまだ見つめているのが視線で感じられる。彼女は、彰人が何かを口にするのを待っていた。だが同時に彰人と共に仕事をする機会の多いその看護婦は、以前にも前科者の入院で起こったトラブルに彼が駆り出された事を思い出した。
「あ……また、「そういった」患者さんの面倒を見てくれ…と?」
 患者が前科者の場合に限らない。彰人以外の精神科医師達も、しばし問題患者の世話を押し付けられてきた。
 その時彼らは、仕事の後、「人を何だと思っているんだ」とステーション内で外科や内科の医師達を罵る事もある。
 フィジカルケアとメンタルケアの融合、と銘打てば聞こえは良いが実際に精神科医師は外科や内科に患者のお守役にされる現状があった。
「本当に、失礼しちゃいますよね」
 その出来事を顧みて、看護婦は彰人に共感を求めた。確かに、その事に腹を立てていた事もあった。だが、
「それは…別に良いんだ。彼らに私達の知識が必要なのは仕方が無いし、患者も私達を必要としている。この際そんな事で腹を立てるのは止めようと思う。だけど…」
 精神科医師や看護婦の多くが、彰人の第二の職場を知っていた。それは罪を犯し、罰を宣告された人々が収容されている場所だ。そればかりでなく、そこは死刑囚という生きる者としての最低限与えられる権利さえ公的に奪われた人々のいる場所だ。社会にとってそこは隔絶された別世界。横川医師の類が考えている事はすぐに分かった。
「……あ、そっか………そうですね、すみません……」
 頭の良いその看護婦は、彰人の立場と実状を察していた。
「うん…」
 彰人が微笑を返す。看護婦も安心したように目を細める。だが、事務作業には戻らず立ち上がった。
「代沢先生も、何か飲みます?」
「頂くよ」
 給湯室に向かう看護婦の背中に彰人はそう応えた。「はーい」と看護婦は、一度振り返って給湯室へ消えた。
 ステーションで一人きりになった。巡回中のもう一人の看護婦はまだ帰らない。話し声が消えたフロアに、電子機器のファンだけが、途切れの無いかすかな羽音を立てていた。

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2006.05.19.Fri/15:27
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> 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。 得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。

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