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  Over the Wall vol.1 


 白濁夢・二〇〇〇年 九月二十七日

 真っ白くて広い部屋に、女の子がいる。
 机とか、椅子とか、他に何かがあって、他にも誰かがいた気がしたが、良く見えない。
 尚人の視線は今、その娘しか見ていない。
 尚人とその娘は、部屋の対角に向かい合っていた。
 広い部屋だから、二人の距離は遠い。誰かが尚人の腕を強く両側から引いて、尚人を壁の中に引き込もうとする。その娘と引き離そうとする。
 尚人は、自分の置かれている状況が理解できなかったが、取り敢えずささやかに抵抗を見せる。少しずつ離れていく女の子が、尚人に向かって何かを言っているからだ。それを、聞き取ろうとしたのだ。少女は泣いて、泣きながら、何かを尚人に一生懸命に言っている。何を言っているのか、尚人は聞き取れないけれど、その子が尚人の心を強く引っ張り、尚人を呼び戻そうとしている。
 だが、白い壁に尚人の足が、腰が、腕が、徐々に飲み込まれて行く。その娘との距離が更に広げる。そして、後頭部、耳の後ろ、頬が、右目、最後に鼻が、尚人の全てが壁の中に吸い込まれていった。
 壁の中は真っ暗で―。
「尚人、尚人」
 代沢尚人。
 そう、自分の名前を、何度も聞いた尚人自身の名前を、何度も聞いた声が呼んでいる。
「尚人!」
 意識が揺れる。尚人は目を開けた。
「………?」
 今度もまた真っ白だ。
「尚人?」
 声はまた尚人を呼ぶ。真っ白な視界にかすんで浮かぶ黒い人影がいる。
「兄貴…?」
 と尚人が小さく口を開くと、その人影は何度も頷いたように見えた。
「分かるか、聞こえるか?」
「…うん……」
 記憶を手繰り寄せながら、生返事をする。何となく現状況を理解出来た。その時初めて、白い包帯が目を覆って薄く巻かれている事に気付いた。動かすと痛む腕を何とか顔まで持ち上げ、指先で乾いた感触の包帯に触れる。
「何?これ…」
 包帯の向こうに揺れる人影が三人に増えた。
「痛くはないかい?」
 増えた影の一つ、多分医者の、兄貴とは別の男の声が尚人に話し掛けて来た。尚人はそれに頷いた。
「では、包帯を取ってみましょうか」
今度は若い女の人の声。看護婦だろう。
「……そうだな……尚人君、実はね」
 医者の低い声が、尚人の顔に近づいた。そして、言い聞かす様に、努めて柔らかい口調で医師は、両目の手術を行った事を尚人に簡単に説明した。手術後初めて今包帯を取るのだが、それまで結果は分からないのだという。
(さっきから見えるよ…)
 と尚人が本音を飲み込んでいる内に、包帯は取り除かれた。瞬きを繰り返す尚人を、ベッドを取り囲む数人の看護婦や医者達、そして兄貴が、固唾を飲んで尚人を眺めている。
「どうだ、尚人?」
「…ちゃんと見えるよ」
 むしろ、前より視力が良くなったくらいだ。
 そう、日常に眼鏡をかけていた尚人は、両目の視力が〇.二。三メートル先の人の顔が分からない。それが今、眼鏡無しで病室の隅、五メートル先の壁の張り紙が読める。
「本当か!」
 包帯を取って初めて顔を見た兄貴が、声を震わせてしがみ付いてきた。その感動の場面に、医者達は感無量と瞳を潤ませていた。だが落ち着く間もなく、今度は警察が部屋に押しかけてきた。場も白けてしまう。
「尚人君は、事故を覚えているかな?」
 説明と質問が降りかかる。人をやたら子供扱いする警察の態度が気に食わない。だが話を聞いて、ようやく尚人は状況を整理出来た。やはり交通事故だった。下校途中にバンが突っ込んできて、全身打撲の重傷。その上、飛び散ったブロックの破片で目をやられた。一週間意識不明だったそうだ。
 その後も尚人の狭い病室は、職務に励む警察関係者、ひたすら平謝りする加害者家族、そして彼らをたしなめる医者でごった返し、尚人に息つく暇を与えなかった。やっと平穏が戻った時にはもう陽が落ちるところだった。
「はー……っ」
 一度に多くの人間と接し、精神的に疲れた。
 今は面会時間が過ぎ、病院関係者以外の人間が全て病院から消えた。そうなると、急に建物全体が静寂に包まれ、夕暮れ独特のぬるま湯の様な空気が薬品の匂いとともに病院中に充満している。落ち着かないほど、静かだ。
 ドアがノックされた。
「起きてるか」
 兄貴だ。感動の名場面中に引き剥がされてから、初めて顔を合わせる。そう思うと、実感が湧かないくせに妙な感慨をおぼえる。扉が開き、西日の中に兄、彰人が現れた。
 彰人は、白衣を着ている。この病院は、医者である彰人が勤めている大学病院でもあった。
「お前、今日は疲れただろ……?」
「うん…」
 尚人は正直に応えた。彰人は軽く笑った。
 尚人以上に疲れた顔をした彰人は、窓から強烈に射す紅い光を浴びて、まるでその濁りに浮遊しているように見えた。
 お互いそれから言葉が見つからない。紅い濁りが徐々にその光力を失い、窓から闇が裾をひろげてきた。部屋の静寂―自然が見せるその無音の現象に、会話も、夕闇に溶けてしまったのだろうか。
「もう…俺を悲しませないでくれよ…」
 波紋一つ無い静寂の水面に、彰人の呟きが浮かび上がってきた。尚人は彰人に視線をやるが、俯く彰人の表情は、たれる前髪に隠されて確認する事が出来ない。だが、力無いくぐもった声は、彰人の心底の安堵とそれまでの焦燥を表していた。その気持ちにどう応えて良いか分からず、ただ尚人は彰人を見つめるしか出来なかった。気の利いた言葉の一つも思い付くほど、自分がまだ大人でない…そんな事がここで気付かされた。

 こんな一日目から入院生活が始まり、尚人が学校に戻ったのは三週間経ってからだった。
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2006.05.15.Mon/19:33
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Author:北野ふゆ子
> 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。 得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。

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