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  貔嫌來冥 


貔嫌來冥 ~虎ト豹ニ似シ獣、冥界ヨリ来タルノコト~



 貔(ヒ)  猛獣ノ名。豹ニ似ル

 嫌(チュ) 猛獣ノ名。虎ニ似ル

  イズレモ昔、戦ニ用イタ事カラ、勇敢ナ兵士、勇猛ナ軍隊、将卒ニ例エラレル



血芥編

 

 戦任務の為、里を出た二十人ばかりの木の葉小隊。

 それを率いるは、上忍猿飛アスマ。

 戦任務においては戦歴輝かしい剛の者。



 政府軍と独立を叫ぶ革命軍による民族浄化の虐殺内紛が続く藜国、そして民族的に縁の深い百済儀国。

 革命軍偵察の為に先に木の葉を出立したが、その数週間後には行方を絶った木の葉の諜報部隊。

 火影から命を受け、アスマはその行方を追っていた。



命を受け藜の国境付近まで一隊を近づけたアスマ。

 隊を二つに分け、一つを藜国内にて現状情報の取得と伝達を任せ、アスマを含む一隊は国境付近の渓谷を抜け、藜国内にいる一隊からの情報を受けつつ、最後に連絡が来たという木の葉先発隊の陣跡を目指して進んでいた。

 消息を絶った木の葉の影を掴む事が出きるはず。



 だがその直後には、

 藜国内の一隊から訃報が届けられる事となる。

「………」

 伝書鳥がもたらした書簡を広げたアスマの眉目に深い皺がよる。

 くわえ煙草が、噛み潰された。

「アスマ上忍……何と?」

 周囲で見守る部下達は、悲報を覚悟に耳を傾ける。

 口端から煙草をはき捨て、アスマは苦々しく、だが静かに言う。

「……藜の中心街で、木の葉の忍びと思われる遺骸が数体、晒されていたそうだ」

「なっ!」

「それじゃあつまり…」

 部下達の反応に、アスマは一言、

「やられたな………」と頷くのみ。

 戦において切り札といえる忍びをどれだけ雇い、用いられるか。その財力があるか。

忍び隠れ里を持たぬ国にとってそれが、勝敗を左右する大要素となっていた。

 だが、そんな事を一蹴し嘲笑う、革命軍によるそれは、「見せしめ」だろう。

「……どうしますか。里への報告は?」

「俺が確かめた訳じゃねぇしなぁ…とにかく…東へ進みつづけて、先発隊の軌跡を追う。今出きるのは其れだけだ」

「そうですね……敵の大隊にぶち当たったら、どうしますか」

「ケツを尾けて、情報を探るさ」

「……ですが、先の一隊が殲滅という事になると……二の舞を踏みかねますが」

「仕方無ぇだろうが。嫌な事考えるな」

 アスマは懐の煙草入れから新しい一本を取り出すと、口に放り投げてくわえる。

「では先発隊は……」

「捨てるさ。当たり前だ。もう誰も生きちゃいねぇ。革命派は捕虜なんぞとらないだろうからな」

 ましてや他国からの、しかも忍びだ。人質にもなりゃしない。

 そう、アスマは付け加える。



 敗北は死。

 忍びにとってそれは常。

 だからこそ、使い勝手があるというものだろう。



 優秀といえど、

所詮は

 捨て駒なのだ。



「…………」

 行使力提示の為に無残に殺された木の葉先発隊。

 考えられた結末の一つである故、アスマは冷静に無駄な感情を切り捨てる。

 とにかく、一隊を東に進める事が、今のアスマの使命だった。

 藜国内に潜入させた忍びはそこに据え置き、引き続き情報を送らせると決める。



 地図に添えていた指先で東への道を辿る。

 ある場所で、アスマの指が止まった。

「……もう幾里が進んだところに、先発隊が陣を張っていた裾原野がある」

 急ごう。

 休ませていた部下を奮い立たせ、アスマは再び、歩を進め始めた。



 空を覆うばかりの渓谷の底は、

 通り抜ける風がやけに強く冷たい。

 時折その風に錆の匂いが残る。

 冷たく、そして湿った風が肌に纏わりつき、不快な汗となって滴る。



 渓谷の秋は、

 寒い。

 だがこの先に待ち構える血の闇は、

 

 どこまでも息苦しい。





 渓谷を抜け、山に入り、そして、

 河岸に出た。

 クジャクシダやウラジロが足元を埋める叢を踏み越えると、蒲が生える川べりに出る。

 上流からの水が空虚な音を立てて、所々に淀みを作って流れていく。

 谷山中において陣を張るとき、河岸際に張る場合が多い。地図をみれば、この川沿いに沿った場所が、目的地。

「ここからは河に沿って上がるぞ」

「了解」

 ちょっくら休むかなぁ…、とアスマは額当てを外し、汗を拭って一言。

 その言葉に、数人が喉を潤そうと水辺に歩み寄った。

 手ごろな岩に腰を下ろし、アスマは懐から香草を一枚取り出すと、それを口に放り込み噛み潰した。

 流石に、敵から姿を隠しながらの移動に煙草は禁物。これはほんの、慰みものだ。

 水辺では、くの一達が顔を洗い、汗を流してはなにやら談笑。それを後ろから眺めて「やれやれ」と苦笑しつつ、アスマは大きく深い息をした。



 と、

 風がそよぐ。



「………?」



 匂い。

 アスマは立ち上がる。



「アスマ隊長…?」

 急に瞳の色を変えたアスマの様子に、側の部下が眉間に皺を作って問う。

 頬を撫でる程度であった風は、渓谷で浴びた風のように強いものに変わり、横殴りにアスマの全身にぶつかって通り過ぎる。

「血の匂い…」

 軽い舌打ちと共に、アスマは河に視線を向けた。

 同時に、

「きゃっ!」

 小さな悲鳴。水辺にて水を手ですくっていたくの一が、牽制するようにその場から後ろに一歩飛びずさった。

「どうした」

 とその場に集まる忍び達。

 そして、

 一様に眉を潜め、奥歯で呻きを噛み砕く。



「あ~あ…こりゃぁ……」

 水辺を覗き込んだアスマの声。

 蒲や葦が生える、さほど水深の無い清流は、

 突然

 血の河と化していた。

 

 匂いの正体。



 始めは薄い血の色。

 それが濃さを増し、粘り気をおび始め、そして仕舞いには……

「アスマ隊長、あれは……」

 上流から流れ、アスマらのすぐ足元に栄える葦にせき止められたのは、



 贓物。



 紅い贓物が、尾を引きずって後から後から、

流れ着く。

流れが淀んだ溜りに、それはせき止められ、そして吐き気をよぶ匂いを撒き散らす。

 顔を青くする面々の前で、アスマは右手を流れに突っ込んだ。

「………」

 見守る面々の瞳に影が落ちる。

 アスマは、贓物の一つを鷲掴みに拾い上げると、すぐにそれを再び流れに捨てた。

 そして、苦々しく、絶望的に呟く。

「まだ暖かい……」

「っ!」

「なんてこった…」

 顔を上げ、アスマは上流を見据える。

 だがすぐに決断したように振り返ると、居並ぶ部下に向けて命令を下した。

「小暮、御崎、瀧野、茅の四名は此処に残り、封陣術を施して待機だ」

「は、はいっ!」

「蘇我江、鐶、設楽の三名は、河岸を避け、北廻りで目的地まで来い!合図があるまで姿を隠して待機だ」

 次々と出される指示に沿い、部下達が隊列を並べ替える。

「後の奴は俺についてこい」と最後の命令を言い終わると、

アスマはその場から踵を返して荷物を背負い、「急ぐぞ!」と自らが先頭にたって上流方向に歩き出した。

 部下達もすぐさま、その後を追う。

 そして残りは、命令に従い四方に散った。



 アスマらは腰からくないを引き抜き、それを手に気を張りながら進む。

 極力に気配を殺し、足音を消し、息を殺し。

近づく夕暮れの独特な淡い木漏れ日に紛れて、叢に影を隠す。

「………」

 人一人分の体重はあろうかという荷物も気にならない。アスマの足取りは速く、強く、岩を越え、叢を越えて上へ上へと向かう。

 額当ての下では、冷たい汗が滲んでいた。

 楽観的な事は、何一つ思い浮かばない。

 だが、

 あまり細かく考えたくも無かった。



 歩を進めるにつれ、風が強い錆の匂いを運んでくる。

 空気は次第に生暖かさを増し、淀む。



 誰の嗅覚にも明らかな、

 鉄錆びの匂い。

 むせ返る、嘔吐の気。



 どれだけ歩いただろう。



 そして、



 焦げた肉の匂いがした。



 アスマは身を沈める。

 幕が引かれているように、目の前を遮る羊歯の葉と、そして欅の大木。そこを抜ければ…。

「…………」

 気配は、無い。

 この向こうに、

 待ち受けるのは、悲劇か惨劇か、

(むしろ喜劇かもしれねぇな…………)

 口端に冷酷な笑みを一度浮かべ、アスマはくないを構えて立ち上がった。

 大木を抜け、羊歯を潜り抜けて開けた河岸の盆地に脚を踏み入れた。

 

 急に開ける視界。



「ちっ…!」



 そこは、

 うつつならぬ地の果てと思えた。



 見慣れないわけでは無い光景だが、

 流石に、気分が悪かった。



 引き裂かれ破れた陣営幕が、残骸となってあたりに転がっては風にはためいている。

 湿った土質の大地に残された所々焦げ跡は、すでに朽ちかけており、武器庫等の仮屋も無残にガラクタと化していた。

 これは恐らく、戦った跡。奇襲を、受けたのだろう。

 そして、

 アスマの視線が捉えた物は、

 地に転がった人の残骸。



「………凄まじいですね…」

 背後から、部下が呟く。

 腕、脚、そして首。

 中には腐れかけ、土と共に朽ち果てようとしていた遺骸もあった。

 かと思えば、血の色もまだ鮮やかな、比較的「新しい」ものもあり…。

「………」

 アスマは無言で、陣営の中に歩を進めた。

 川沿いを見れば、腹から贓物をはみ出して水につかる遺骸が数体。

 流れてきた血と贓物の持ち主だろう。腹に刃物が突き立てられ、手が無いもの、脚が無いものもある。

「………」

 先ほどにアスマが触れた贓物は、

 まだ生の温度を持っていた。



 さすれば、

 つい先ほどまで、ここに敵か何者かがここで血祭りに興じていた…という事になろう。



 だが、先ほどから味方は元より、気配は無い。

 

 八方を見渡す。

 酷い拷問を受けた末に殺されたであろう人の名残が、あたりに散らばっている。

 女も男も、輩には問う事では無かったらしい。

 足元に転がるくの一らしき遺骸に、アスマは悲痛そうに目端をゆがめた。

 陵辱を受けたのか、露な白い肌のまま、贓物や汚物にまみれて芥の如く地に転がっている。

「………畜生が……」

 そんな怒りを噛み潰した言葉も、今は空しく消えていく。



 部下達はそれぞれ、陣営内を歩き回り様子を伺っていた。

 片手にくないを構えた、警戒の姿勢のままで。

「先発隊…全滅……か」

 火影への報告書の文面が、苦々しくも思い浮かぶ。



 しかし同時に、疑問が生まれる。

(………ここまで酷く無残にする必要がどこにあった…………)

 特に川辺に転がり腹を裂かれた遺骸。

 まるで腹の中を手づかみで探っているような執拗さ。

「………………」

 血の水溜りを踏み越えて、アスマは河に向かって歩を進めた。

 すると、

 河岸とは反対方向から、「アスマ隊長!」と部下の声が上がった。







「生存者発見!」







「!!!」

「何っ!」

 考えるより先に、体が声の方に向かっていた。

 同じように、残りの部下達も血相を変えて駆け出す。

 だが誰も、その面持ちに楽観的な光を携えてはいなかった。

「本当かっ!」

 死体や瓦礫を飛び越えた処は、森の入り口付近。

 通常の陣営であれば、この中心に火をくべて憩いの場とする広まった場所なのだが、今は血と贓物にまみれた屠殺場だった。

「……っ…」

 ここでまた、アスマは怒りを奥歯で噛み潰す。

 杭に鎖で繋がれたまま果てて朽ちかけた遺骸が数体並んでいる光景が、そこにあったのだ。

 神経を握りつぶす悪臭が漂う。

 その中で、

「アスマ隊長……」

 部下の消え入りそうな声。

 半ば呆然と、立ち尽くしているその足元を見れば、

「………生きてる…のか……?」

 死骸を拘束して並ぶ木杭。その端に同じく杭が打ちつけられており、そこに繋がれた人間がいる。

 地面に腰を下ろし、両腕と体を鎖で杭に戒められ、首を力無く垂らしてうな垂れている。

 木の葉隠れの忍びが着用する黒い上下。

 そして、結われた黒髪の

 男。

 

 肩、腕、脚など数箇所に、拷問の跡だろうか。くないが突き立てられていた。

 傷口や口から流れる血が、その男の周囲を濡らして汚している。

 まだ、新しい鮮やかな紅の血は、色あせて地に染み込んだ血痕の上にまた新たな血溜りを作っていた。



 もうどのくらい、

 ここにこうしていたのか。



「………」

 見れば、肩が僅かに、長い間隔をあけながら静かに、緩慢と上下している。

「………………」

 誰もが、声を殺して立ち尽くし、目の前の光景を見つめる。

 

 消え入りそうな吐息が





 微かに聞こえた。







「生きてやがる……」

 語尾が震えたアスマの声。

 部下達の表情が変わる。

 自らの声に我に返ったアスマは、男の側にしゃがみ込んだ。

「おい…」

 まず、小声で耳元に呼びかける。

 反応は無い。

「おいっ…」

 語尾を若干荒げ、再び耳元に呼びかける。

 反応は無い。

 掠れた吐息が、アスマの耳に届くだけ。

「…おいっ!起きろ!」

 溢れた何らかの感情が、アスマに怒声を上げさせた。

 男の肩を掴み、一度揺すって意識を引き上げさせようとする。

「アスマ隊長……」

 そんな無茶を…と部下が咎め掛けるが、アスマは意にも介さない。

 掴んだ肩は、体温を感じない。

 このまま引きずり上げなければ、

 この命はどこまでも沈んでしまい、もう戻る事は出来ない…。

 アスマはそんな、思いにかられる。



「……っ…ゴホ……」

 軽い咳き込み。

 それと同時に、男の吐血がアスマの膝を汚した。

 喉を塞いでいた血反吐が、吐き出されたのだ。

「鎖をほどけ!」

 すぐ側に立ち尽くす部下に、アスマは一喝。

 肩を一度震わせ部下らは、男を拘束する血で錆びた鎖をくないで削り切り離す。

 ガシャリという音と共に鎖が外れ、男の体が揺らいだ。

 アスマは両腕でそれを受け止める。背中を支え、抱きとめた。



 また、軽い咳。



「………………」

 アスマは男の顔を覗き込む。

 男の口元は血と反吐で汚れ、そればかりか顔中は血を浴びたのか、乾いた赤黒い血で汚れていた。

 傷だらけの額当てが、男の両目を覆って隠している。

「……下らんな………」

 短く吐き出されたアスマの呟き。





 処刑寸前の、最後の情けのつもりか……?

 こうして最後まで残され……ありとあらゆる惨劇を見せ付けられただろうに………





 眉間に苦々しい皺を寄せ、

 アスマは男の額当てを外す。

 鼻筋を横に通る一本傷と、閉じられた両目が現れた。



 忍びにはあまり見かけない、

 戦を知らなさそうな童顔があった。



 まだ若い。



「刃物を抜くぞ」

 肩から脚にかけて数箇所につき立てられたくないや小刀。

 薬師の忍びが隣から白布を手に駆け寄る。

 アスマは、もう既に痛みなど感じていないであろう男の体から、素早く次々と刃物を引き抜いた。

 せき止められていた血が溢れ出す傷もあれば、もう乾ききった傷もあった。

 傷口を白布で固く結ぶ。

 

 本来であれば、そうとうな痛みを伴う。

 だが、

 男は反応を見せない。



 神経が焼ききれているのではないだろうか……。



また、男が軽い咳。



喉の奥で、空気がつまったような。



 アスマは男の肩を左手で抱き寄せると、右手で顎を持ち上げた。

「……ここまで来て、死ぬなよ……」

 そう男の耳元に強く言い聞かせると、アスマは男の唇に自らのを重ねた。

 口の中、喉を塞ぐ血塊を吸い上げ、

 吐き出す。

 そして息を送り、そしてまた血反吐を吐き出す。



 何度もそれを、

 繰り返す。



 一度唇を重ねるたびに、



 死ぬなと言い聞かせ…。



「………」

 それを上から、ただ見守るしか出来ない忍び達。

 意識を揺らがす血臭の中で。



「……っ……がはっ…ごほ………」



「!やった!」

 くの一が思わず声を上げる。

 何度目かの人工呼吸の後、男は急激に大きく咳き込み始めた。

「よしっ…!」

 男の体をアスマはいっそうに引き寄せる。

 幾度かの咳のあと、喘ぐように男は自ら深い呼吸をするようになった。



 そして

 瞼が開かれる。



 曇りの無い黒い瞳が、現れた。



「…………」

 黒い瞳は、覚醒して目の前にある状況をただちに理解出来ないらしく、まだまどろんだ様な色でアスマを見つめている。

「………」

 アスマはしばし、男の意識がはっきりと目覚めるまで、無言で見つめる。

「…………ぁ……?」

 瞳を動かし、やっとうごく首を擡げて、アスマの前に並ぶ部下達を見やる。

 そしてまた、アスマに視線を戻した。

「……ぁ……う……」

 声を出そうにも恐らく薬で喉を潰されたのだろう、掠れた声にならない声。

 男は動かない腕を必死に持ち上げ、力ない指先をアスマに向ける。

 その指先は、

 アスマの額当てに…。

 額当てに彫られた紋章の形を、

 探っている。



 木の葉の印。



 男のその手を、アスマがとらえて包み込むように握る。

 その大きな掌で。

 そして男の体を包み込むように抱きしめて、アスマは静かに、告げる。



「………もう大丈夫だ。俺達は、木の葉の忍びだ……」

 

「……………」

 力無く垂れていた男の左手が、さぐるようにしてアスマの広い背中をたどる。

 そして、残った限りの力で上着の背を握り締めた。

 腕が、そして肩が震えていた。

「っう………」

 胸の下から聞こえる、声にならない嗚咽に、アスマはいっそう男を強く抱きしめる。

「………ぁ……っ…」

 アスマの胸元を濡らす男の涙が、

 熱い。



 生の温度。



「………」

 小さく震える男を包むアスマの温度。

 それに縋りつくように、求めるように、男はアスマの背に回した手を握る。引き寄せるように、抱きしめる。





 けぶるような血の臭いと

 眩暈のするような赤



 

 この哀れな生存者が、

 どこまでも 愛しい。





 アスマは、血に濡れた男の体を抱きながら、

 冷たい手を握りながら





 安堵と疲れで男が気を失うまで

「大丈夫だ」と言葉を続けた。











続編




虎豹冥來 弐



人芥編







「様子はどうだ」

 四人を待機させてあった河岸まで引き返した猿飛アスマ一隊。

 仮陣屋に寝かせた黒髪の忍び。その様子を伺いに、アスマが訪れる。

 男の側についていた薬師のくの一は「呼吸は大分落ち着いてきました」と、擂鉢で薬草を擂りながら静かに応えた。水のせせらぎと、擂鉢の音に紛れて、男の呼吸は聞こえてこない。

 が、胸の上まで掛かった白布が微かに上下しているのを見て、アスマも小さく安堵の息をつく。

「そうか」

 と呟き、そして

「ただ…」と付け加えた薬師の言葉に「ん?」と僅かに眉を潜めた。

「怪我による発熱があって、時々うなされています。まあ、熱だけの所為では無いのでしょうけれど…」

 語尾を遠慮がちにすぼめた薬師は、手を止めて男を見やる。

 額には濡れ布巾が載せられているが、頬は紅潮しており、うっすらと汗ばんでいる。

 入り口に立ったまま、アスマも同じく視線をそこに合わせる。

「ん?もう一人の、男の薬師はどうした?」

「河の方で、汚れた包帯を洗いに…」

「そうか」

「・・・…」

 くの一は、短い間の後に、報告を続ける。

「くないや刃物による怪我は、あばらを傷つけていた二本を除き、あとは軽症で済みました」

「喉を潰していた薬は?」

「おそらく、水銀を調合した毒…ですね。時の経過と、治療と共に声は戻るでしょう」

「他には」

「・…・・…もうひとかたの薬師によれば……酷い陵辱の跡も見受けられたそうです」

 言いにくそうに、くの一は目を伏せる。

 性的行為に男女を問わないのは、忍びの戦世界ではそう、珍しく無い。

だが、くの一薬師が目元を細めた理由は、他にある。

あえて、アスマはそれ以上詳しくは尋ねない。

「そうか…」

「あ…いけない…」

 擂鉢に付け足す薬草が切れているのに気付き、薬師は軽く声をあげた。どうした、と目線で問うアスマに「薬草が…」とだけ応えた。

「行って来な。俺がここにいる」

 返事を待たずに、寝台に横になる男の隣に腰を下ろし、アスマは親指で出口を指した。

 お願いします、と言い残して薬師は、薬袋を手に外へと姿を消していった。

 続いて、外で微かな話し声がしたが、それはすぐに遠ざかっていった。

 男を寝かせてある仮陣屋には、人除けを命じてあるのだ。

「・・…・…」

 深い溜息をついて、アスマは男の横顔を見る。

 先ほどより多少、呼吸が荒くなっていた。

「・・・…何があったんだ・・・…あそこで…」

 誰に問うでもなく、アスマは血が滲む包帯が痛々しい男を痛切な瞳で見据える。

 隊の一部を、あの血芥の現場に残して調査を進めさせている。

 去って行った敵の痕跡、その他手懸りを探させるためだ。

 惨殺…虐殺…

 いかなる言葉でも形容しがたいあの惨状には、何か意図がある気がしてならないのだ。

 河をも染め上げる夥しい人肉と臓腑と血の芥…。

「・・・…・・・…」

「ん・・・…」

「?」

 上掛けが擦れる音に重なって、くぐもった微声が漏れた。

 我に返ってアスマが声の方に目を向けると、

「……目が覚めたか……」

 額に乗せられた濡れ布巾の下で、黒い瞳が僅かに開かれているのが見えた。

 男の両瞳は暫し天井を見つめたまま、傍らのアスマに気付かぬ様子で固まっていた。

 喉から、ひゅーひゅーと、詰まったような息苦しい呼吸が聞こえてくる。

「・…?・・・…おい」

 意識ここに在らずといった男の様子に、アスマは眉目を僅かに顰めて腰を浮かせた。

 上から覗き込むようにして。

「・・…・…・・・…ぁ……」

 ようやくアスマに気がついた男の瞳が、アスマの視線をとらえる。

 熱に浮かされたような、薬で潰された為の掠れた声。

「痛むか?」

 アスマの質問に、男は首を横に一度振る。

「熱があるな。熱いか?」

 今度は、頷く。

「俺の言っている事が聞こえるな?」

 また、頷く。

「よっしゃ」

 発熱の為に潤んだ瞳が、何だか子馬を思い出させる。

 子供を相手にしているようだな、とアスマは内心がむずかるのを隠して豪快に笑みを浮かべた。

 男の右手をとると、自分の掌に押し付ける。

「オマエ、名前は?」と言って。

「・・・・・・・・・…」

 熱い呼吸をしながら、男は首を傾げてアスマの瞳を見やった。

 そして何かを確かめたかのように一度頷くと、ゆっくりとその指先を動かす。

 忍び文字で、アスマの掌に

 名前を刻む。

「・・・・・・…イルカ…だな」

 アスマがそれを読むと、黒髪の男、イルカは頷いた。

「俺は、猿飛アスマだ。便宜上、第二偵察隊の隊長をしている」

 今度はアスマが自らを名乗る。

 その一言一言に、イルカと名乗った黒髪の忍びは荒い呼吸と共に頷く。

 衰弱した身体には、一つ一つの呼吸さえも苦痛のように感じられる。それを気遣い、アスマはその場から腰を浮かせた。

「もう少し寝てろ。今、薬師が薬を調合してるところだ。諸々の事情は、体と喉が治ってから訊くか…」

 と立ち上がりかけたところで、強く裾を引っ張られる。

「…おい…」

 急に上半身を浮かせて、イルカがアスマの裾を引いて引きとめようとしているのだ。

 縋るような、否、むしろ鬼気迫った様子。

 何かを訴えようとしていた。

「・・・…今は寝ていろ」

 その腕を静かに離して、アスマはイルカの瞳に直接、言い聞かせる。寝具に押し付けるようにして、イルカの上半身を押し戻す。

 だが、強く首を振ってイルカは再び上半身を起こす。

 荒い呼吸を隠すように唇を強く噛み、アスマを見据える。

「一体何を…」とアスマが言いかけると、弾かれるようにイルカはアスマに背を向けると激しく咳き込んだ。

「がはっ……っ」

 苦しげに胸元を抑えている。

 外から、内側を覗く気配が幾つかあった。

 中からの声に気がついたアスマの部下らだ。

「おいっ…大丈夫か」

 肩甲骨にそって背中を擦ってやるが、イルカの咳は止まらない。

 ついには、

「っう…」と口元を抑えた手の指の間から、血液がボタリと寝具に朱紋を作った.

「薬師を呼べ!」

 イルカの両肩を掴んだまま、アスマは背後に怒鳴る。

「はっ!」と焦燥した声が一つ遠ざかり、もう一人が中に入って布を引っ張り出してアスマに手渡す。

「……っ…」

 口元から離したイルカの掌は、血液が大量に混ざった胃液でぬれていた。

 なおも口端からは、ぱたぱたと音をたてて寝具に朱色が滴り落ちる。



 だが…



「――……待て……」



 と、

 慌てて布を差し出した部下の手を差し止め、

 アスマは血にぬれたイルカの掌を見据えた。

「……」

 イルカが掌に吐いた血。

 そこに混ざった「何か」が、

 イルカの掌にある。

「…これ・・・・・・…」

 アスマの呟きに、顔を伏せたままイルカは頷いた。

 指先で、アスマは「それ」を拾い上げる。

 血と胃液に汚れたそれは、

 ごく

 微小な、豆粒ほどの「巻物」。

「・・・・・・…」

 幾重にも札が貼られ、血に汚れているが、中身が「巻物」であることは一目瞭然だった。







 忍びが任務において、

 巻物その他重要証拠物などを持ち出して遁走する際、

 術札を幾重にも貼り付け術をかけ、飲み込めるほどの大きさに形を変化させるという方法がある。







「・・・…『隠書札の術』・・・・・・…」

 瞬時に脳裏を過ぎった、様々に不吉な思案。

 アスマは低く呟き、指先で拾い上げた巻物の札を、はがした。

 すると、

 術が解け、巻物は本来の姿を見せる。

 書簡大の巻物が二つ。

 これらが、姿を豆粒大に変えてイルカの胃の中にあったのだ…。



一つは紅織が施してあり、重要書類を表していた。

そしてもう一つは、木の葉の紋章が掘り込まれた、貴重書類巻。



「・・・・・・……」



 渡された布で口元を拭い、深く、荒い呼吸をしながらイルカは、アスマにそれを読めと視線で促す。

 一巻き目、紅織の巻物をを紐解いたところで、アスマの眼は見開かれた。

「こいつは…」

 そして慌てて、二巻き目、木の葉の紋章が掘り込まれた方をひも解く。

 投げ捨てるようにそれらを膝元に放り、アスマは醒めた視線でイルカを振り向いた。





 

 切り裂かれた、腹。

 引き出された贓物。

 

 染まる、河。





 何かを探るように…







「まさか…」



 「これ」を探していたのか…?



 奴らは





「・・…・…」



 アスマの背後で、幾人かの部下が立ちすくんだように身動きを止めた。

 仮陣屋の外で微かに聞こえていた人の気配や声も、消えている。



「……・…・・…っ…なかっ……た」

 うな垂れ、寝具を握り掴むイルカの喉から、喘ぎのような嗚咽が漏れる。

 搾り出すような言葉と共に。



「も……う・…・・…………」

「もういい」

 顔面を、血と涙で汚すイルカ。

 その肩を掴み、アスマはイルカを振り向かせる。

 顔を背けようとするイルカの目の前に、片手で掴んだ日本の巻物を突きつける。

 驚動を瞳に浮かべて、怯える様に肩を竦めて身を引こうとするイルカの胸元に、アスマはそれらを押し当てた。

「よく守った・・・…」



 血に汚れた巻物を両手で抱き、イルカは顔を伏せて肩を震るわせる。

 何度も、何度も首を横に振って…。



 奪われれば、戦の行く末とあまつさえ木の葉の運命をも変えかねない、

 二つの巻物。



  説明を聞かなくとも、アスマにとって想像に容易だった。



 巻物を手渡したところで皆殺しにされるであろう状況。

 ならば、忍びであれば、

 最後までそれを守り隠す方を選ぶ。



 敵が、腹を裂く程に執拗とあれば、

 舌を噛み切り自害する事なく、最期まで時を稼ぐ方法を探る。



 里という名の主に従ずる、

 忍びならば。





「う…・・・…っ・・・……」

 悲しみと怒りと恐怖と…

 狂うほどに、様々な感情がイルカを襲う。

 二つの巻物を強く抱いたまま、イルカは塞き止め様とも溢れ出る涙と嗚咽に、唇を強く噛んで耐えていた。

 肩が震える。





 死ぬ事も出来ない状況の中で、目の前で繰り広げられる生き地獄の中で、

 肉薄する激烈な死の隣で



 狂う事も出来ない血芥の中で・・・…





 最後の一人になった時……







 戦慣れしている身とはいえ、

 アスマは首筋に寒気を感じた。





 震えてなく子供のようなイルカの肩を抱きとめようとして、

 アスマの手が止まる。

 思い直して、俯くイルカの顔面を両手で掴んだ。



「!?」

 突飛な動きに寸分驚く部下を余所に、アスマはイルカと真っ直ぐ視線を合わせる。

 触れるほどに近い距離で、真っ直ぐ。



「もう泣くな」

「・・・……」

「泣いて偲ぶより…」





 報復を考えろ。





「・…・・…・・・…」

「・・・・・・・・・…」

 

 ―――…強い



 アスマの掌の中で、イルカの黒い瞳が見開いた。

 太く、精悍な眉目が、まっすぐに、突き刺すようにイルカの瞳を射る。

 意識が引き込まれる感覚に、ぐらりと眩暈を覚えながらもイルカは胸内で滾る何かを感じた。



 ―報復



 殺してやる





 イルカは唇を強く噛む。

 胸内に沸き起こった熱が、今は涙となって流れる。

 悲しみではない涙が、アスマに包まれた両頬に止め処なく伝う。

 熱い。



「そうだ…殺すんだ・・・…」



 声の出ないイルカの内心をまるで代弁するように、

 静かに、低く、アスマが呟いた。

 

 同胞を引き裂き

 友を切り刻み

 何もかもを血で染め上げ

 自分を傷つけ、そして犯した奴らを



 決して許すな



 無言で、

 アスマはそう促す。



 そして





 「生きろ」





と。









 火影から、

 一度里へ帰還せよとの指令が来たのは、それから数日経ってからだった。





 終

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2005.10.25.Tue/14:22
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北野ふゆ子

Author:北野ふゆ子
> 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。 得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。

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