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  ピクシーの女王 Vol.1 
ピクシーの女王



phrase one





 コボルトの村より更に西北奥に、「黒の森」と呼ばれる一帯があった。
 一年を通して暗く湿っており、獣もろくに住み着かない。だが、時折何やら人間か、人外の者の笑い声やら嬌声やらに似た風音が、森から村までも響いてくるという。
 その不気味さに、村の人間を始めその周辺に住む民族達は、誰もその森に近づかないのだ。
 だが特にこれといった被害も無いために、その森は「黒の森」と名付けられ誰も近づかない事でそこら一帯の平穏は守られていた。
 しかしその森にも、異変が起こり始めているという。
 本来ならばそこに生息しないはずの北方から移動してきた獣や魔物が、黒の森に住みつき始めたのだという。
 家畜をあらされるなどの被害が周辺村で起こり始めていた。
 このままでは人的被害も時間の問題。
 コボルト村長がゲンゲンを通して新同盟軍に「黒の森」捜査を依頼してきたのは、そんな折。
「コボルト民族は優秀な戦士一族。我が軍にとっても大きな戦力をもたらしてくれましょう。ここは恩を売っておくべきです」
 軍師シュウの提案により、軍主リューは新同盟軍からマチルダ騎士団の一部を「黒の森」に派遣する事とした。
「留守番とは、つまらないな」
 カミューは不機嫌そうに足を組んだ。
「留守番ではない。待機だ」
「それを留守番、というんだ」
 シュウとリューに呼ばれたマイクロトフが団長室に戻って来ると、彼は早々に出軍のための身支度をし始めた。小声で文句を漏らすカミューを彼は忙しなく準備を進める手を動かしながら宥めるが、カミューの機嫌は治りそうにもない。
 今回黒の森には、「偵察隊」として青騎士団の一小隊が向かっていた。そこから送られてきた情報によると、確かに黒の森に土着ではない獣が多数、棲みつくようになっていたという。早馬が詳細な資料などを送ってよこしてきた。それを元に、本格的な捜査、討伐隊として、マイクロトフ率いる青騎士の数隊が出軍する事となったのだ。
「北方方面の獣は強暴な奴が多い。くれぐれも気をつけろよ?」
「大丈夫だ」
「どうだか…」
 自らを省みない性格の親友の身を、こうしてカミューは毎回のように案じなければならない。彼がマチルダ一の剣豪であった事を、不本意だが神に感謝するしかなかった。
「そんな事よりも、ここだっていつ何が起こるか分らん。しっかり軍主殿や皆をお守りするのが今回のお前の役目だ。お前こそ、きちんと身の持ちまわりに気をつけろよ」
 やはりここでも人の心配ばかりしている。
 生真面目な彼らしい。
 マイクロトフは荷造りする手を止めてカミューを振りかえる。毎日耳にする説教にカミューは笑みを作りながら肩を軽く竦めた。
「はいはい、ありがとう」
「返事は一回だ」
「は~い」
「伸ばすな」
「アイ・サー」
「ふざけるな」
 三巡りしたところで、お互いが顔を見合わせて笑い出す。軽い口喧嘩なども、大抵はこのパターンでお互いが妥協して許容しあえてしまうのだ。結局はカミューも、笑って送り出す他なくなる。
 部下達がひそかに称するところの「団長三段活用」のやり取りはしばし、騎士団内で耳にする事ができるのだ。
 ちなみに、偶然これを耳にした事のある軍主リューの義姉ナナミは、これを「ボケとツッコミ夫婦漫才」と呼んでいる。
 そんな彼女にも見送られて、マイクロトフ率いる青騎士達一行は、ビッキーの瞬間移動魔法によりコボルトの村へと出立していった。
「魔物討伐任務はマイクロトフ様のお得意とされる所ではないですか。きっとご無事にお戻りになりましょう」
 机の上に山積みにされた書類と向き合っていたカミューに、団長室へと印を貰いにやってきた部下、赤騎士団第三騎馬隊長が、書類を手渡しながらそう言う。
「……何故そのような事を?カル」
 書類を捲るカミューの手が止まり、琥珀色の目が下から見上げてくる。
 通称カル、本名カイロス第三騎馬隊長は「さあ」と意地悪な子供のような笑みを見せた。ようやく印を押し終えた書類を受け取り、
「ご自分のお顔を鏡でご覧下さい」
 カミューの背中へ沢山の陽光を注ぐ硝子窓を指差した。
「………」
 片眉を訝しげに顰めてカミューはそれに従い背後を振り返る。ちょうど陽が高く上った時間の今、硝子は鏡のように鮮やかな紅色の衣装を纏ったカミューの姿を鮮やかに映していた。
「…………」
「どうです?」
「相変わらずの良い男ぶりじゃないか」
「うわ、そう来たか」
 思わず同僚時代と同じの言葉で呟いてカイロスは苦笑いを吐き出した。カミューは硝子に手を当て、そこに映る自分の顔の向こうに広がる風景に視線を移していた。天気は良好だ。
「分かりましたよ。いつも通り、という事ですね」
 硝子に映る、既に印の押された書類を確認するカルの姿。そこに向けてカミューは「そういう事だよ」と返す。そしてまた視線を外界の景色に映そうとした時…、

 くすくす

「……」
 硝子に映るカルのすぐ隣に、
 先ほどまで存在していなかったはずの人影が現れていた。
 髪の長い、瞳の大きな、少女…?
「…!?」
 肩に羽織ったマントが大きく翻るほどに、
 カミューは勢いよくカルを振り向いた。
「………どうしました?」
「……」
 そこには、書類を捲る手を止めて目を丸くし顔を上げたカルと、先ほど入室してきた補佐官ヴァラシュの姿だけ。
「カミュー様?」
 様子が訝しいカミューに、ヴァラシュの声が後方からかかる。
「……」
 素早く瞳だけで室内を見渡すが、そこにはカルとヴァラシュ以外の人間は当然いない。
「なんでもない。大丈夫だ」
 気のせい。
 瞬時にそう答えを出してカミューは再び執務机前の椅子に腰掛けた。

 くすくす

 それでもまだ、
 耳の奥で少女の笑い声が響く。






NEXT
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2006.07.02.Sun/09:48
  ピクシーの女王 Vol.2 
ピクシーの女王



phrase two





 コボルト村の村人数人に案内され、マイクロトフ率いる青騎士隊は黒の森入り口を見下ろす丘陵まで来ていた。
「森の中へ流れていく川に沿って上っていくと良いでしょう」
 そう指し示された先には、徐々に幅を狭めていくゆるやかな川の流れが黒い森へと吸い込まれていくようにつながっている様子が見えて取れた。
「なるほど…」
 済んだ水の穏やかなせせらぎの元を辿ってマイクロトフは丘陵の頂から森を見渡した。常春である一帯の気候を象徴するように濃緑の木々が黒いほどに鮮やかな緑を茂らせている。

 穏やかな風。
 川の水は澄み、透明。
 肌に心地よい気温。
 そして静かな空気。

 それは、人を寄せ付けない森が放つ拒絶の空気なのだろうか。

「………」
「………」
 しばし頂から微動だにせず森を見下ろし眺めるマイクロトフの背中を、部下達も無言で待った。
 戦場で、任務で、
 よくこうしてマイクロトフは一点を見つめて立ち尽くす。
 団長は今何を考え、思っているのだろう。
 若い騎士達はそんな好奇心を現した瞳でマイクロトフを眺めている。何か策を講じていらっしゃるのだろうか…などと。
 だが年を重ねる騎士ほど、こうして無言で一点を見つめている時のマイクロトフが、何も考えていない事を知っている。
 かつて上司として同じ小隊に所属していた副長のセタも、それを知る者の一人だ。じっと、我慢強く彼もマイクロトフの背を見つめて待つ。
(違う…)
 そして内心で、若い騎士達の言葉を否定する。
 彼は考えているのではない。
(感じているのだ……)
 と。
 マイクロトフの直感は天性だ。
 緻密な計算と打算と心理術の集大成であるはずの軍略事も、この団長の前には無駄な労力。彼が肌で感じる空気と直接的に脳裏に過ぎる感覚に素直に従った時が、結果的に青騎士団にとって最も良い結果をもたらすのだ。それが適切であるか否かはまた別の次元として。
 この点において赤騎士団長カミューはマイクロトフと極対にある。緻密な計算、幾重にも考慮された先読み、先見性。カミューの軍略は常に確実性の元にある。それはやはり赤騎士団にとって最良の功績をもたらす。
 人間誰しも命が惜しい。
 確実な根拠の元に成り立つ策を案じるカミューの配下にいればどんなに気が楽か、とセタは思う。しかしそれでもやはり自分は、マイクロトフと共に極地を渡りきった先で得る奇跡を追い求める事に生きがいを感じてしまうのだ。彼を敬愛する青騎士ら誰もがきっと、自分と同じなのだろうと、思う。
「………?」
 突然、微動だにしなかったマイクロトフが眉根を顰めて振り向いた。
「………」
 最初に視線がぶつかったセタ、そしてそこから若い騎士達を見回して背後を見渡す。誰かを捜しているように。
「どうかされましたか?」
 口火を切ってセタが青騎士を代表して尋ねる。
「ん…?……なんでもない」
 言葉とは裏腹にどこか納得いかない面持ちで首をかしげてマイクロトフは再び視線を森へと向けなおした。

 くすくすくす……

(まただ…)
 耳元を通り過ぎて行った、笑い声に似た風。マイクロトフは右手で右耳を覆った。否、これは風ではない。明らかに人の笑い声だ。しかも、まだ幼い恐らくは少女の。
 だが背後に控えているのは青騎士達。
 案内人のコボルトは帰っていってしまっている。
 だとすればこれは、森に潜む魔物なのか。
 あまり良い予感はしない。
 むしろ、近寄りたくない気分だ。
 しかし彼には責務がある。
「準備は良いか」
 再び、今度は改まってマイクロトフは背後を振り向いた。
 セタの頷き。
「よし」
 杖のように前に突きたてて手を置いていた剣を手にとり、マイクロトフは森を指し示した。
「全隊、森を目指すぞ!」
「応!!」
 一斉に足が揃い、声が上がる。

 くすくすくす…
 おいで…?

 マイクロトフの耳元ではまだ、少女の声が木霊していた。


2006.07.06.Thu/00:24
第五書庫の刺客




 ロストリア王国騎士団の騎士舎には、五つの書庫が存在する。
 第一書庫が最も大きく、これは主に軍事、戦略などに関する書籍、閲覧可能書類などがファイルされている。
 第二書庫から第四書庫は、歴史書、実学書、文学など、その他様々なジャンルの世界中の本があるかと思われるほどに所蔵されている。
 そして第五書庫。
 別名、団長書庫。
 この書庫は、歴代団長が私的に使用する特別書庫だ。歴代団長が好意で残していった書籍も大量に残っており、各代団長の趣味が垣間見れる騎士らにとっては好奇心が刺激される部屋なのだ。
 だが残念なことに、この部屋に入室が許されているのは団長から直々に発行された入室証を所持する者だけ。
 よって、その第五書庫は騎士達の間で「秘密の書庫」との異名もつけられているのである。

 城内巡回で時々その部屋の前を通る見習騎士アレウスは、秘密の書庫の扉の前を通りすぎる度に、深緑の扉の向こうの景色を想像していた。
 扉は片開きの、簡素な作りだ。騎士舎の構造からもこの区域は北の城壁側の「隅」であり、騎士舎の中で最も人口比率が低い一帯だ。それでもやはり団長が利用する私的書庫という事もあり、簡素な扉の上には「第五書庫」とゴシック調で彫られた装飾プレートが飾られており、ドアノブも金をあしらった彫り物が施されている。
 質素ながらも、どことなく上品だ。
 アレウスは一度だけ、この部屋へと入っていく獅子騎士団長ノーマンと出くわした事がある。その時に部屋の中がちらりと見えたが、薄暗い部屋を遠くから眺めたのみで様子を伺う事ができなかった。それでも、部屋にドミノのように並ぶ天井に届くかという高さの書架と、壁も同じように書棚に埋められている様子は分かった。森林地方出身のアレウスは、夜目が利くことが自慢だった。
(あれで、どんな本があるのかが分かれば面白いのにな…)
 と思いつつ、今日もアレウスは城内巡回のために廊下を歩いていた。

 ちょうどその頃、
「『有酸素運動の有効性』『サバイバル術』『東方軍事異聞録』見事に軍事バカが現れているね。おや、珍しい。サイロス・クーパーのベストセラーじゃないか。好きなのかい?」
 東口から帰城した獅子騎士団長ノーマンと虎騎士団長キースの姿があった。この二人は士官学校時代からの友人の同期入隊同士であり、こうして二人で並ぶ姿がよく見られる。
「…まあな。悪いか。それにしても、『健康維持に役立つ薬草辞典』『花言葉』『世界の民族舞踊』『花火職人への道』『童謡歌集』……。見事に好奇心が支離滅裂に拡散しているな。お前らしい」
 両者とも両手一杯に本を抱えている。団長執務室の本棚から溢れてしまった本を第五書庫に移動すべく。ちなみに、前者のセリフはキースのもので、後者のセリフはノーマンのものだ。お互いが持つ本の背表紙を読み上げてそれを揶揄しあって笑う。
「そう言うなよ。雑学を集めるのが生きがいの一つなんでね。サイロス・クーパー、今度貸してもらおうかな。推奨はあるかい」
 ノーマンの本棚にその名前が連なっているのを見たことがあると、キースは思い出す。サイロス・クーパーとはロストリアでは有名な古典文学の大家の一角である。人間の本質を詩的表現を用いて直接語りかけるように描くのが特徴だ。軍事関係の物々しいノーマンの本棚の一角を占めるそれが、異質に映ったのを覚えている。だが、ある意味彼らしいとも言えた。
 一方でキースの本棚は、全くもってテーマを見出す事ができないジャンルの広さで、しかも部屋を訪れる度に並ぶタイトルの顔ぶれが変わっているのでノーマンはいまだにキースの「趣味」が分からないでいる。余談だが、「世界の肉料理百選」という本が妙に気になったのは言うまでも無い。
「推奨か。幾つか選んで今度持っていこう」
「頼むよ。俺も推奨本を献上しようか。「肉料理百選」がいいかな?写真が豊富で見ているだけで満腹になるよ」
「馬鹿言え」
 そんな両団長が通りすぎていくのを、若い騎士達は微笑ましく見眺めていった。

「ご歓談中のところ、申し訳ありません」
 背後から早足に向かってくる足音が、本を抱えた両団長を呼びとめた。赤い騎士服の若者だ。
「キース様、東門付近の城壁路近辺にて、城下の者が不審な人影を複数目撃したとの証言をしておりまして、現在赤騎士が数名急遽その付近の偵察に出ております」
「何だと?」
 城内、城付近の警備は赤騎士団の役目だ。
「本は俺が仕舞っておこう。行って来い。剣も部屋に置いたままだろう」
 キースの手から本をとり自分のに重ねてノーマンが廊下の先を目で示した。
「悪い。頼むよ」
「騒ぎが大きいようなら、後で俺も行こう」
「そうならないことを願うよ」
 本をノーマンに渡しキースは赤騎士と共に廊下を駆け出していった。
「さて」
 大量の本を抱えたまま、廊下の真中に取り残されたノーマン。
「このままでは崩れるな…」
 バランス悪く腕の中に積み上げられた本は、一歩でも動けば総崩れを起こしそうだ。持ち方を変えるべく、ノーマンは慎重に一度それらを床に置いた。

 ちょうどそこへ、見習い騎士アレウスが丁字路を曲がってやってきた。廊下の真中、つみあがった大量の本と、獅子騎士団長がそこにいる。滅多に目撃する事の出来ない団長の姿を間近に、アレウスは緊張した面持ちながらも何やら困った様子のその背中に声をかけた。
「ノーマン様」
「?」
 振り向いたそこにいた虎騎士団の見習い騎士にノーマンは笑みと労いを向ける。
「巡回ご苦労」
「いいえ。あの、それ」
 背筋を伸ばしはにかむ若い騎士の視線が本に向いている。
「どこかへ運ぶ途中だったのですか?お手伝い致します」
「悪いな、頼む」
「いいえ」
 床に置かれた本のうちの七割をノーマンが持ち上げ、残り三割をアレウスが手に取った。歩き始めたノーマンのやや後方、アレウスが遠慮がちに距離を置いて歩く。青を纏った長身を見上げる。颯爽と歩く背中がそれだけで精悍だ。
「君、名前は?」
「は、はい!虎騎士団少年部隊に所属しています。アレウス・クラウディンと申します!」
 背中に一瞬見惚れていたアレウスは弾けるように背筋を伸ばして団長の質問に答えた。過敏で初心な反応を肩越しに一視して、ノーマンは小さく笑った。
「頼みついでに悪いのだが…、もう一つ頼まれてくれるか?」
「はい!何なりと!」
 外の天気の雲行きは愚図り気味だが、今日は何て良い日だろう。アレウスは心からそう思った。


 どこへ行くのだろうと着いて行ってみれば、辿りついたところは「第五書庫」の前だった。ノーマンは胸の内ポケットから取り出した鍵で扉を開け、戸惑うアレウスを余所に部屋の中へと入っていった。
 廊下側でたち尽くしたままのアレウスに、ノーマンは手招きをする。
「?どうした?入っていいんだぞ」
「で、でもここは……私などが…」
「構わんよ。どうせ娯楽書庫みたいなものだ。大して貴重なものがあるわけでもなし」
 と獅子騎士団長は苦笑して肩を竦める。
 これは千載一遇のチャンス。
「し、失礼します…」声を振るわせつつアレウスは、抱えた本と共に「秘密の部屋」へと足を踏み入れた。
「………」
 ひんやりと、冷たい空気にまず驚く。
 北側の部屋の上、ここには恐らく暖房器具などは備えられていないのだろう。「いつもより寒いな…」とノーマンの独言。日の当たらない部屋は暗く、背の高い書架の落とす陰もあいまって夜のような闇に包まれていた。廊下の明かりも、部屋の中へ二歩進んでしまえば届かない。
「灯りは……どこだったか…」
 暗闇の中、手探りで本を棚に置いてノーマンが灯りを探る。その後ろからアレウスが歩み出る。
「左手の棚の、ちょうど上にあります」と言いながら自ら天井から吊るされたランプの灯りを灯した。
「この暗がりでよく見えたな」
 仄かに灯りが点った室内に、まず感心した面持ちのノーマンがアレウスの瞳に映し出された。
「夜目には自信があります。北方の森林山岳地方出身なものですから」
「月読みの目か。いいな」
 長身のノーマンがわずかに腰をかがめてアレウスの瞳を覗き込む。
「月読み…ですか?」
「梟のことだ。夜目が効き頭が良く、かつ勇敢な狩人だ。闇の森で敵う者はいまい」
(カッコイイ……)
 まるで霞の中に浮かび上がった自然現象であるかのように、少ない灯りに照らされたノーマンの面持ちが、その語り口と相俟って若いアレウスにはこの上なく凛々しく感動的だった。
「アレウスも、そのような将を目指せ」
「はい!お言葉、ありがとうございます!」
 薄闇でも分かるほどに顔を紅潮させたアレウスに、ノーマンはまた柔らかく笑みを向けた。
「…さて…」
 ようやく暗闇に目が慣れて来た。この部屋には三つの吊りランプが備え付けてある。ノーマンが二つ目に手を伸ばしかけた。

 次の瞬間、

 ガシャッ!!

「!」
「!?」

 頭上でガラスが激しく割れる音がした。
 仄かに点っていた明かりが消える。
 再び書庫内は暗闇に包まれた。
 突如の暗闇に、またノーマンは瞬時盲目となる。
 目が慣れる間もなくすぐ隣の書棚を始め、次々と棚が倒れ始めた。
「こちらへ!」
「っ!」
 アレウスに袖を引かれ、そのすぐ脇を重い書棚が掠めて倒れていった。あれに押しつぶされては只では済まない。舞いあがる埃と鼓膜を刺激する轟音の中、アレウスの夜目は嫌な物を見てしまった。
「扉が…!」
「何!?」
 倒れた書棚が折り重なるようにして入り口の扉を塞いでしまったのだ。
 つまりは、閉じ込められた。
 
 しかも、今まさに、この部屋にいる何者かの手により。

「誰かいるのか!何者だ!」
 目が見えないながらも、ノーマンはアレウスを背中に庇い壁際に寄せる。そして見えない闇に向かい声を張る。

「…………」

 暗闇からの返答は無い。
 書庫内は折り重なった書棚と散らばった本で埋め尽くされ、その物陰に隠れているのか、他の人影は夜目の効くアレウスからも見ることが出来なかった。

「獅子騎士団長ノーマン・グレンヴィルか」

 どこからか、声がかかる。
「………」
 無意識に自分の腰の辺りを手で探ってノーマンは内心で舌打ちする。
 本を運ぶのに邪魔になるからと、帯剣していなかった。
(なんたる油断……)
 帯剣を怠っていた自分と、北側の人員手薄を突かれて侵入者を許した事に対しての憤り。
 恐らくは屋根裏の空白構造の中を破って侵入したのだろう。外の冷たい空気が侵入しているのだ。入室した時に感じた常より冷たく感じた空気を、もっと疑うべきだった。
「…………」
 アレウスは懸命にノーマンの背後から目を凝らし、侵入者の姿を探す。
 背後の壁越しに、廊下の向こうから数人が駆け寄ってくる気配がする。
「何事ですか!?」
「今の音は!」
「団長!?」
 ちょうど第五書庫の前付近で立ち止まった人の気配がドアノブを回す。開かない。次にドアが叩かれる。

 次の瞬間、
 アレウスの夜目は折り重なった書棚の影から現れた人影を捕らえていた。

 その手の刃の輝きも。

「ノーマン様!」
「!」
 本能的に殺気を感じ取ったのだろう。
 ノーマンがアレウスの腕を掴み横に倒し、自らも襲い来る刃を避けようと動く。
「つ…ぅっ」
「ノーマン様!」
 だが人影が薙ぎった刃の先がノーマンの腕を掠る。アレウスの夜目は、それをも捕らえていた。ノーマンは変わらず見えていないようで、怪我した腕をそのままに手がアレウスを探していた。
 自分の身よりも若い騎士の安否を気にしている。アレウスは自分からノーマンの腕を取って壁際に引き寄せた。
「ああ、そこか」
 手探りでアレウスの肩に手を添えて再びノーマンは自分の背後に庇う。だがその直前、闇の中から打ち出されてくる刃の閃きにアレウスが反応する。
「あぶな…っ!」
 言いきる前にアレウスは強引にノーマンの腕を引いた。ノーマンの頬を掠めるほどの距離に、刺客が投げた小刀が金属音をたてて石造りの壁に当たった。
「!」
 瞬間、火花が飛んだ。
 ノーマンの視界に一瞬、青白い光が点り、本棚の影に再び隠れる人影が映った。
「……これだ……」
「?」
 短い独り言の後、ノーマンは背後の少年騎士に
「今のナイフを拾ってくれ!」
 と命令した。
「は、はい!」
 暗がりの中、アレウスがナイフを拾いノーマンに手渡す。すばやくその感触を確かめ、空いた方の手で壁を触り、
「…?」
 何をするつもりだろうと不思議がるアレウスに「少し離れていろ」と指示を出した。
「………」
 静寂が訪れ、部屋の中に充満する埃だけが漂う。
「!」
 本棚の影から再び、何かが動いた。
「っ!」
 危ない、とアレウスが声をかけようとする前に、ノーマンが動いた。
 右手に持っていたナイフを壁に突き立て、腕を振り切って横に引いたのだ。
 金切音をたてて盛大に火花が上がった。
 室内が青白く点り、ノーマンの目には鮮明に、本棚の影から身を躍りだそうとしていた刺客の姿が映し出された。
「そこか!!」
 距離感と感覚だけを頼りに、ノーマンは人影を狙いその動きからナイフを投げ撃った。
「ぐあぁ!」
 再び訪れた暗闇の中で、刺客の叫びがくぐもる。
(すごい!)とアレウスがノーマンの咄嗟の知己に目を輝かせたのも束の間、隣でノーマンの舌打ちが聞こえる。
「急所を外したか…」
 投げた感覚と相手の反応だけで分かるのか。
 まさかとアレウスは疑ったが、しかしノーマンの言葉が示すとおり、人影は肩を抑えてよろめきながらも、再び体を起こした。
「やれ!」
 壁際から声が上がる。と同時に、部屋の奥の壁が轟音を上げた。どうやら廊下側から騎士達が壁を破壊しようとしているらしい。
 古い作りの部屋全体が、みしりと軋んで埃がまた舞いあがった。
「手間取らせやがって…」
 独言と共に刺客の影がまた動く。
 闇の中、アレウスの夜目は、剣を構えた刺客の姿をとらえた。壁からの轟音に、聴覚だけを頼りにしていたノーマンにはその微かな抜刀音を聞き取る事ができなかった。
「おのれ……っ!」
 刺客の動きを目でとらえていたアレウスが抜刀する。見習が全員持たされている簡易な短剣だったが、無いよりマシだ。
「!?やめろアレウス!」
 すぐ近くの抜刀音を聞いてノーマンがそれを制する。
 体制を立て直した人影が再びノーマンを狙う。
 アレウスの体は衝動的に、獅子騎士団長とそれを狙う刺客の間に躍り出ていた。
「アレウス!」
 獅子騎士団長の声は、廊下にいる騎士達の耳にも轟いた。
 刃と刃がぶつかり、一瞬そこに火花が生まれた。
 ノーマンの目に刹那、自分の目の前に飛び出し刺客に刃を向ける少年騎士の姿が映る。次の瞬間には再びあたりは闇となるが、それを切欠にノーマンの眼球が闇の中で視力を取り戻し始めた。
 輪郭だけが微かに浮かび上がる光景の中、
 それでも小さな体が自分の足元に倒れ付す様子は鮮明に理解できた。
「貴…様っ!!!」
 一気に沸騰点に達した怒りが、獅子騎士団長を鬼にした。
「なんてことを!!!」
 前後省みずに目の前の人影に体当たりを食らわした。
「ぐぁ!」
 寸詰まりな声を上げて刺客は倒れた本や書棚の中に吹っ飛ぶ。すかさずその上に飛び乗り、手当たり次第に顔や体に拳を叩き込んだ。どこが顔で体で急所かなど、この目の効かぬ状態で構ってはいられない。とにかくこの刺客を倒す事だけ。ノーマンの体はそのためだけに動いていた。
「っが……」
 まともに鼻っ柱を殴りつけられ男は血を吹いて気を失った。それと同時に、
「団長!!」
 壁の一部が破壊され、そこから大量の光が差し込んだ。
 廊下側から騒ぎを聞き駆けつけた騎士達が壁を崩したのだ。
「……だ……」
 彼らが見た光景。
 それは瓦礫のように積み重なる書棚の丘陵で、血に汚れた姿で気を失った刺客の襟を掴み上げている団長の姿。
 そして、腹部の辺りから血溜まりを作り倒れる幼い騎士。
「アレウス!」
 刺客をその場に投げ捨て、ノーマンは踵を返し床に倒れたアレウスに駆け寄る。刺客の物と思われる剣を腹に抱え込むような形で体を丸めていた。そこから、血が流れて水溜りを作っていた。
「すぐに医者を!!!それからあの男を捕らえろ!」
 ノーマンの怒号が響き渡った。

 
 キースが報告を受けて医務室に駆けつけると、寝台に横たわり眠る若い見習い騎士と、その側に立ち無言で見下ろすノーマンの姿があった。
 ドアの向こうから姿を現したキースに、その場にいた数人の騎士達も視線を向ける。
「………キース…………」
 ゆるりと、ノーマンの首がキースを向いた。
 彼自信も、左腕に傷を被い三角巾をあてがわれている。
「ノーマン」
「すまないキース………お前の部下を俺は……」
 歩み寄るキースから瞳を伏せる。
「彼の様態は」
 出来るだけ優しく、キースは問う。
「出血量が多く、傷は浅いものではありませんでしたが、急所からはずれていました。心配はいりません」
 代わりに軍医が答えた。洗浄を終えた手を清潔な布で拭きながら、まるで貧血でも起こしたように顔色を悪くする獅子騎士団長を見やる。
 その視線の意味を知り、キースが「お前も休め」と声をかけようとしたところに、
「失礼します」
 とノックの音が妨げた。
「何だ」
「アレウス・クラウディンの母君がお越しです」
 キースが目端を細めて「どうする」という視線をノーマンに向ける。
「お通ししろ」
 答えたのは、ノーマン自身だった。
 即答。
「失礼致します」
 控えめな声に導かれて扉が開かれ、急いで駆けつけたのだろう、まだ肩で呼吸をするまだ若い女性がそこに立っていた。上流家系の出身だと感じさせる質素なだが上品な黒い召物に、頭髪を頭部の高い位置で纏めている。
 母親は視界の中に横たわる息子の姿を見とめると、居並ぶ両騎士団長に深々と頭を垂れながら寝台に駆け寄った。
「アレウス…」
 麻酔薬で眠っている息子を何度も呼びかけて、額や頬を撫でる。
「…………」
 その背中に向けて、ノーマンは片膝を折った。
「ノーマン様…!?」
「団長…」
「……」
 驚く騎士達の声に母親が振り向くと、そこには自分に向かい片膝と右手をつき、深く俯く獅子騎士団長の姿。彼女も酷く驚いて、温和そうな瞳を見開いた。
「ノーマン様……」
「……」
 誰もが驚く中で、キースは静かに、ただ静かに情景を見つめていた。
 低く、静かなノーマンの言葉が流れる。
「己の愚かな油断と慢心、そして未熟さから、子息殿をこのような目に合わせてしまった事…、どのように詫びたら良いのか分かりません」
「…………」
 母親はしばし驚きに包まれていたが、やがてその面持ちを緩和させると、ノーマンの腕を被う包帯と三角巾に視をやり、そこにやんわりと手を添えた。
「お顔をお上げ下さい。ノーマン様」
「…………」
 顔を上げようとしないノーマンに、アレウスの母親は柔らかい笑みを湛え、俯く騎士団長を覗き込んだ。
「部下一人の事で、騎士団長様がこのようでどう致しますか」
「……!」
 ノーマンが黒い両眼を驚きに見開いて顔を上げる。
 周囲の騎士達も、彼女の言葉に息を飲んだようだ。
 ただ一人、表情を変えなかったのはキース。
「……」
 どう応えて良いから分からずただ彼女を見つめるしかないノーマン。
 しばし、その柔らかい笑みだけがそこにあった。
「アレウスは、勇敢でしたか?」
「え…」
「アレウスは、ノーマン様をお守りする事ができましたでしょうか?」
「…………」
 彼女は、「騎士」の母親なのだ。
 なんと気高く、力強いことか。
 ならばそれに、騎士団長として応えなければならない。
「騎士の鑑たる働きでした」
 ノーマンの口から出た言葉は、彼女を満足させたようだ。
 その答えを受けてアレウスの母親は、また寝台に横たわり眠る息子に向き直り、今度はそのまま幾ばくかの間動く様子を見せなかった。

「………」
「………」
 医務室から廊下に出た両騎士団長は、始終無言だった。
 その後ろを追随する数名の部下達も、静かな背中をみつめて同じく無言。
「ノーマン」
「………」
 キースの呼びかけに、誰ともなく足を止めた。
 丁字路の前。
 右に曲がれば獅子騎士団長の執務室。
 左に曲がれば虎騎士団長の執務室。
 ここは丁度、分かれ道だ。
「こう言ってはお前に殴られるかと思って言わなかったが」
「……」
「でもやはり言ってやらないと気が済まないので、言わせてもらおうと思う」
 虎騎士団長の声は低く、そして冷ややかだった。
 喧嘩でも始まるのかと背後の部下達はなるべく目を合わせぬよう口をつぐんで両団長の様子を見守る。
 ノーマンは無言でキースの言葉を待った。
 ただまっすぐ、そのブルーの瞳を見つめ。
 何を罵られてもかまわない。それ相応の覚悟はしている。
 だがキースの言葉は、
「お前が無事で良かった」
 どこまでも冷たい声調で、
「…………」
「お前を一番最初に心配すると怒るだろうと思って、黙っていた。でも私はお前が、お前が無事で良かったと、思っているんだ」
 だがどこまでも優しい。
「…キースそれは」
「それだけだ。じゃあな」
 獅子騎士団長の批判交じりの声をきっぱり拒否してキースは左方向へと進んでいった。そのまま背中を向けたまま振り向かず、キースは足早に執務室へと姿を消した。
「……」
 丁字路の真中に、獅子騎士団長の長身が迷い子のように取り残される。
 

 獅子騎士団長を襲った刺客は、同日に目撃された怪しい人影の正体であると判明。厳しい取り調べを現在も受けている。
 アレウスが怪我から復帰したのは、刺客襲撃事件から二週間後だった。見習騎士達の寄宿舎に戻り、訓練などにも徐々に加わるようになった。
 復帰してみると、彼は見習い騎士の間でちょっとした英雄になっていた。第一に、アレウスは獅子騎士団長の命を守ったのだ。それも勿論の事だが、同級の見習達にとっての多大な好奇心は、アレウスが獅子騎士団長の見舞いを数度受けた人物であり、そして、見習騎士の中で恐らく唯一、あの秘密書庫へと足を踏み入れた人物でもある所にも向けられているのだ。
 周囲からの質問攻めの日々が続く。
「『花言葉』とかいうタイトルの本があったような」
「本当か?キース様の本かな」
「似合い過ぎるよ」
 本を運んだ際に見た背表紙のタイトル一つで、見習騎士達の会話が盛り上がる。見習達の訓練場の片隅で、休憩時間はその話で持ちきりだった。
 噂をすれば何とやら。
 その集団に向けて声をかける人物がいた。
「月読みの英将、アレウス・クラウディンはここかな?」
 この独特に軽快な語り口は、この騎士団でこの人物くらいしか思いつかない。
「か、キース様!」
 虎騎士団長、キースだ。
 楽な姿勢で段差に腰掛けていた騎士達は一斉に姿勢を正して立ちあがる。
「あ、いいよ。傷に響くだろう」
 少し遅れて立ちあがるアレウスを、キースが制した。
「すみません…」
「若い時に作った傷は、完全に治しておいた方が良い。体が弱った時などに、後になって辛い時がある。どこかの馬鹿者みたいにね」
「馬鹿者…?」
「決まっているだろう。獅子騎士団長のことさ」
「ノ…」
 若い見習達はキースの言葉に唖然とする。怒らせると手がつけられないというあの直情騎士団長を制御出来るのは虎騎士団長だけだという話は本当だったのだ。無論、彼でさえ抑える事の出来ない事態というのもあるらしいのだが、できればそんな状況には出くわしたくない。
 見習達の心情を完全に無視してキースはマイペースに話を進める。
「アレウス・クラウディン」
「はい」
 改めて名前を呼ばれ、アレウスは背筋を伸ばした。
 アレウスが段差に腰を下ろしているため、その下に立つキースとちょうど、視線位置が合う形となる。キースの目が、真っ直ぐ鋭く、アレウスの両眼を捕らえていた。
 それだけで何かの術に陥ったような気圧がある。
「月読みの勇将」
「え…?」
「獅子騎士団長が君につけた称だ。これに恥じぬよう今後、精進に励んでくれる事を願う」
「月読みの……。ノーマン様が……?」
 夢の中に漂う感覚がアレウスを包む。
 虎騎士団長が真摯な瞳を向けてくる。それが整った顔立ちもありまるで絵画のごとき神々しささえあるように思えた。
 あまりの荘厳さにアレウスは息を呑む。
「そうだ。私も、君の武勲を高く評価したい。君はこのロストリアで最も美しい宝を守ったのだからね」
「…………」
「ノーマンの友として、私は君にこれ以上ない程に感謝している。私の命も救ってくれたと同じだ」
 惚然と見開かれるアレウスの目を、キースも腰を屈めて覗き込む。美しいブルーの直接的な視線が、痛いほど熱く感じる。
「その瞳を大事にしたまえ。いつか再び、ロストリアを救う時が来よう」
 アレウスに向けられた虎騎士団長の賛辞。周囲の友人達が羨望にも嫉妬にも呆惹とも言える視線で様子を見守っていた。
「後者は、虎騎士団長としての感謝の言葉だよ」
 一歩下がり顔を離して、キースは笑んだ。
「では、失礼する。憩を邪魔して悪かったな」
 また二歩ほど後ろに下がり踵を返してマントを翻し、
 キースは去っていった。
「あ、あのキース様!」
 高い天井に響く長靴の音にようやく我に返ったアレウスが咄嗟にキースを呼び止める。首だけで肩越しに振り返るキース。アレウスはぎこちない仕草で段差から立ち上がった。
 頬が、更に紅潮する。
「ありがとうございます!!」
 よく通る若い声。
 最後にまた一つ笑みを溢して、キースはまた歩き出した。
 


 アレウス・クラウディン。
 後に練狼騎士団特殊武器隊第一部隊隊長に就任。
 森林、山岳地帯、夜間など不利条件での戦いにおいて圧倒的強さを誇る「月読みの勇将」として、名を馳せる事となる。

 

 

END
2006.07.06.Thu/14:28
 



恋人の名前





「レオナ!」

 よく通る朗々とした男の声に名前を呼ばれて、騎士宿舎内に酒場を開く女主人、レオナは振り向いた。
 太陽が真上に昇った気持ちの良い日和、ちょうど中庭を横切ろうと渡り廊下から外に出た時だった。
 それにしても、騎士団内で敵うものはいないといわれる酒場の女主人を堂々と呼び捨てにするとは、如何な人物か。酒場の常連で大酒豪の猛者達でさえ彼女を「レオナの姉御」や「姐さん」と呼ぶのだ。
 中庭でその場に出くわした騎士団の面々は、恐る恐る、だが好奇心に勝てずにその声の主の方へと視線をやった。
 この声は確か…、
「………」
 レオナが振り向いたそこ、中庭から通じる裏門の前に、鮮やかな青が翻っていた。
 長身に纏われたその清清しくも深い蒼は、嫌でも騎士団の中で常に目立っている。同じ色を縁にあしらった騎士の制服の若者達の中にいる彼の名は、ノーマン。ロストリアの獅子騎士団長である。

 皆、レオナの反応を伺っている。中庭にいた人々のみならず、中庭を覗ける建物の窓からも、いくつか見知った顔がこちらを伺っていた。
 とにかく、名前を呼ばれたからには要件を聞かねばと、レオナが返事をしようと口を開きかける。

 ブルルルルゥゥ

 馬の嘶きがそれを遮った。
「よーしよし。レオナ」
 馬舎の方から部下が連れてきた馬に手を差し伸べて、噂の男、ノーマンは再びその名前を愛しそうに呼んだ。鼻面を撫で、擦り寄ってくる愛馬に自らも頬を寄せて首筋を軽くたたいてやる。
「馬の名前?」
「なんだー」
 拍子抜けした誰かの声に、部下の一人が気がついた。
「だ、団長」
「何だ」
「あそこにいらっしゃるのは確か…」
 酒場の女主人が驚いたように目を丸くしてこちらを見ている事に気づいた部下がノーマンに進注し、そしてすぐに彼女の名前と団長の愛馬の名が同じ事に気がつく。
「…あのご婦人は確か……」
 下戸故に酒場に出入りする事があまり無いノーマンだが、
「酒場のご主人、レオナ殿かと…」
 酒を好む者にとっては絶対的な存在であるとして、少なからず認知しているようだった。
「何…」
 愛馬と同じ名前をもつ女主人の姿を見止め、ノーマンは馬から手を離して居住まいを正した。
「ごきげんよう。青い騎士団長殿」
 カウンターで見せる笑みをたたえながら歩み寄るレオナにノーマンが几帳面に一礼すると、部下達もそれに倣い頭を垂れた。
 一糸乱れぬ堅真な態礼にレオナは若干の驚きと照れを隠しつつ、軽く膝を折って礼を返す。
 堅くて真面目な騎士団。
 若い騎士達は一糸乱れぬ忠誠心を騎士団長に捧げ、また騎士団以外の人間にも儀礼と敬意をもって接する。
「これはとんだご無礼を。レオナ殿」
 知らなかったとはいえ、一人の女性を呼び捨ててしまった非礼を、ノーマンは詫びる。
「いいのよ。それより、良い馬ね。私と同じ名前で呼んでもらって、光栄だわ」
 ノーマンに寄り添うように立つその馬は、主人と同じ黒いに近い栗毛の牝馬だ。陽光を受けてかがやく黒栗毛は艶が美しく波光を発している。
 牝馬独特の優雅さと、その主人に似つかわしい雄々しさも併せ持っている。
 素人目にも、名馬と分かった。
「ありがとうございます」
 愛馬を誉めてもらった主人が、柔らかく笑んだ。常に生真面目に口を堅く結んだ表情しか見かけない彼の笑顔に、遠くから眺めていた人間達も目を丸くする。
「貴方専属の恋人なの?」
 騎士にとって馬は自らの半身。
 ここでの「恋人」は、馬を差した。
「ええ。号名はマリーレイティオーナです。私はずっとレオナという愛称で呼んでおります」
「お付き合いは長いのかしら」
「隊長時代からですから…もう五年以上です。幾度も命を助けてもらい、武勲を私に齎してくれました」
 主人が誉めてくれているのを感じ取ったのだろうか。愛馬レオナがノーマンの頬に鼻面を寄せてブルブルと鳴いた。純真な黒い瞳が全幅の信頼と愛情を、主人に向けている。
「よしよし、レオナ」とノーマンが顔を撫でてやる。無意識に再び名前を呼んだことには気づいていないようだ。
 一瞬、レオナの心臓が大きく鼓動した。
(あれと同じ仕草と顔で女の子に接してやれば、落ちない娘はいないだろうに)
 思いがけず自らの胸奥で起こった動揺に、レオナは苦笑を漏らす。
 馬の名前であったとはいえ、見てくれの良い男に名前を呼ばれるのは悪い気はしない。
 真面目すぎる故に悪友たちが密かに「朴念仁」と揶揄していたが、彼がそうであったのは他の男連中にとっては幸いと言えそうだ。
「しかし、やはり名前の呼び方に留意するように致します」
 真面目な彼らしい言葉。
「いいわよ。私は気にしないわ」
 さばさばとした口調でレオナはそう笑ったが、それからノーマンが極力、騎士団以外の人間の耳に届く所で愛馬の名を呼ばなくなったのを、後になってレオナは兵士や騎士達の噂で聞く事になる。



 魔物の群に占拠された衛星村の奪回に、キース率いる虎騎士の一隊と、ノーマン率いる獅子騎士の一隊、第二隊長ラングレー率いる練狼騎士団一隊が赴いた。
 かつて獣と同義であった魔物達はいまや一部の知能が高い種族が台頭し、強力な力と魔力や生命力のみならず、組織力まで増している。騎士団にとって余程、人間相手の戦争をするよりも厄介だった。
 視察隊がロストリアを経ちニ週間。
 ある夕刻、留守番と待機を任された騎士達の姿がレオナの酒場にあった。
「レオナの姐さん、そういえばあの青い騎士団長さんの恋人と同じ名前だって?」
「あら。もうそんなに噂が広がっているの?」
「狭い城内だからな。何でもその恋人も、黒髪が美しい美人だとか?」
「ふふ…まあね」
 珍しくカウンターではなく、騎士達と向かい合う相席に座って、レオナはグラスに赤い液体を揺らす。
「とっても素直で、キスが上手な可愛い恋人よ」
「へぇ…意外だなぁ」
 あの真面目な騎士団長の恋人が?と若い騎士は青い瞳を丸くする。どうやらその恋人が騎馬である事までは知らないようだ。
 噂の末端とはそんなものだろうと、レオナの赤い唇が苦笑を象る。イタズラ心に火が点ったようだ。
「私も見たことがあるのだけど、あの二人の熱愛ぶりにはそれはもう、見てるこちらが火照っちゃうわ」
 酒で紅潮した頬に手を添えたレオナの視線が、若干の恍惚感を漂わせる。妖艶な色香に若い騎士達はグラスを傾けかけた手を止めた。
「人が見ている前で堂々と頬を寄せ合ってキスをして…。あてられちゃうったら無いのよ。彼女の全幅の愛情は全てあの獅子騎士団長さんに注がれて、獅子騎士団長さんの全幅の信頼は全てあの可愛い恋人に向けられているの」
 そこへ、ちょうど背後を通りかかったのが獅子騎士団の第三隊長レセスト。。レオナの良き酒呑み友人の一人である。目を真ん丸くする若い騎士達の表情に状況を読み取ったようで、レオナの隣に空いた席に軽く腰掛けた。
「ああ、ノーマン団長の恋人なぁ。羨ましい美人だぜ」
「あら、レセストも黒髪の美人がお好み?」
 レオナが上手い具合に呼吸を合わせる。
「まあな。しっかしあの二人、本当にお似合いだぜ。こう、体を寄せ合って日当たりの良い場所でくつろいでるところなんか、羨ましいねぇ…」
「俺は水辺でみかけた事があったぜ」
 そこに更にレセストの友人が加わってきた。
「二人してずぶ濡れになってはしゃいでよ。肌と肌のふれあいがこれまたお熱かったぜ」
「キース様が嫉妬するほどの仲なんですよね」
 いつのまにかメイドまで席に加わる。
「ねー」と若い騎士達を除く皆が声を合わせて頷き合う。
「えぇ、待って下さいよ。皆な団長の恋人を見たことがあるのですか?同じ所で暮らしていてなんで俺だけ…」
 慌てたように若い騎士が苦笑する。
 酒場中の人間が自分の鈍感さを笑っているように思えて仕方がないのだ。
「アナタが鈍いのよ」
 レオナがグラスを持った手で騎士の鼻先を指差す。
「騎士様の最愛の恋人といえば……。分らない?」
「ん?それって……」
 口をつけかけたグラスを一旦離して、騎士は目を細める。
「あ~あ、もうばらしちゃうの?レオナさん」
 メイドの小悪魔的な笑み。若い騎士はが「ああ、」と完全に気がついたようだ。
「黒髪の美女って……黒毛の雌馬のことですか!?」
 あたり~
 と女性陣の声が揃ったところで、騙されていた騎士達は肩を竦めた。
 酒場に、やんわりと笑いが広がった。



 そんな酒場から騎士宿舎中に広がる平和なの空気は、翌日に一変する事となる。



「早く!リュー先生を!!」
 城の凱旋門口から響いてきた第一声は、それだった。
 酒場にいたレオナにも、その声は届いた。
 喧騒に似た人間のざわめきと、興奮した馬の嘶きとが混在した音が城を緊張感に包み込む。
 隊が戻ってきたのだ。

―リュー先生を

 その言葉を持つ意味は瞭然だ。
 リューとは軍医長の名。
 それでなくてもここまで漂ってくる錆び臭い匂いが、戻ってきた彼らの様子を表している。
「……」
 悪寒を感じながらレオナが門の方を覗くと、一層に強い錆匂が鼻腔をついた。不快に眉根を顰めながらも眼を凝らして窺った光景は、レオナの双眸を驚動に見開かせた。
「水と、それから清潔な布を!重傷者はこっちに運べ!」
「はい!」
 凱旋門口には、出迎えた看護士らに指示を送るリュー軍医長と慌てた様子で指示に沿って動く若い騎士や兵士達の姿が流れて行く。
 上階から駆け下りてきた待機組の騎士らもその場に加わり、怪我人の振り分けを始める。人の流れをざっと見渡すと、どうやら最も深手を負ったのは獅子騎士団の面々のようだ。彼らはよく戦任務において「決行部隊」「突撃隊」「殿隊」など、いわゆる最も実戦的な役割を担う事がほとんどだ。それは慣習として続く性質をそのまま活かす軍師らの計らいであり、最も正しく効率的な戦略だ。
 戦場と無縁である筈の、酒場の主人のレオナでさえ、何度も彼らが満身創痍となって帰城する姿を目撃していた。
 そして今も、最後に城へと足を踏み入れたのは、虎騎士団長キースに肩を担がれた獅子騎士団長ノーマン。
「怪我の具合は」
 歩み寄るリュー軍医長が両騎士団長に声をかけるが、
「部下を先に………」
 とノーマンがやんわりと退けた。
「強がりならば訊き入れませぬぞ」
 短く低声でそれを更に拒否したリューが無傷な騎士を呼びつけた。
 指先でようやく意識を摘み上げたように朦朧とした状態のノーマンは、レオナの眼からも彼が立っているのも苦痛である様子が理解できた。
「ノーマン様を集中治療室へ」
 リューはそう指示を残すと次なる指示を出すために踵を返した。まるでそれを合図にしたように途端、ノーマンの体が傾き、重さに耐えきれずキースもろともその場に崩れ落ちた。
 慌しい凱旋口が、さらに人の悲鳴で埋め尽くされる。


 散々な有様で凱旋したにも関わらず、奇跡的に死者はいなかったという。参謀総会にもたらされた報告は人の口を伝って翌々日には騎士団中に広がっていた。
 理由はやはり、退去の際の獅子騎士による決死の殿(しんがり)のおかげだと、キースは言う。
「それもそうだけど、あんたもよく頑張ったじゃないか」
「………」
 レオナの言葉に、キースはだが浮かぬ顔で俯く。
 人気の無い酒場。カウンターの向こうにはレオナ、そして客席にはキースと虎獅子団副長ユベルの姿があった。
 無人の時間を見計らい、キースは時々副長を伴い酒場にやってくる。同期の友人であるノーマンが下戸なので、もっぱら酒の相手は副長のユベルだった。
 ユベルもまた同期生の一人であり気心が知れている人間。
「どうしたのさ?」
 レオナは静かに問いかけた。薄暗い酒場に沈黙が再び走るが、答えを急かさないで、静かに待つ。
「報告では『死者無し』なんだが…」
 ぽつりぽつりと、キースが切り出す。
「レオナが…」
「え………」
 突然自分の名前が出てきてレオナの胸郭が大きく鼓動した。
「あ、申し訳ない。ノーマンの騎馬が」
 慌てて言い直したキースの言葉に、黒いたてがみを思い浮かべて「ああ、」と納得したものの、レオナは不吉な予感に眉を顰めかけた。
「奇襲をかけて退却しようとした時に」
 俯いたまま彼は、オレンジ色のグラスを両手で握り締めていた。
 氷がカラカラと音を立てていた。
「軍の真横に偶然でくわした群に脇をつかれたんです。それで、虎騎士団の一隊が狙われ」
 順を追って話さなければ、彼自身が混乱してしまうのだろう。
 それを感じ取りレオナはただ無言で相槌を打った。
「そこに、ノーマン一隊が駆けつけ……壁となって時間をかせいでくれた…」
 言葉が短く途切れる。
「文字通り体当たりで隊を守ろうとしてノーマンが落馬して…」
「………」
「矢が、雨のように降り注いだ…」
 リューの話によれば
 獅子騎士団長最愛の恋人は、
 彼を矢雨から庇い倒れたという。
 半ば意識を失ったままのノーマンを無理矢理に引きずってキースが退却指示を出した。

 彼の最愛の恋人を矢雨の中に置き去りにして。

「………」
 話が進むにつれ、レオナは自分の背筋に汗が伝っているのが感じられた。
 自分と同じ名を持つ馬。
 おそらくもう、死んでいるだろう。
 戦場にて騎馬を亡くす事は珍しい事ではない。
 戦闘が一つ終わるたびに作成される報告書には、消費した武器、薬品を記すと同じ書類に、失った騎馬数も記入される。戦略上、騎馬は戦闘の道具。
 だが、騎士の精神にとってそれは最愛の恋人。
「…………」
 それでなくとも獅子騎士団長は「騎士」を体現したような男だ。その悲しみは幾ばくか。

「そっか…レオナは………」
 キースとユベルが去った後、酒場を一旦閉めてレオナは外に出た。
 風にあたりたい。
 今日はまだ酒を飲んでいないはずなのに、頬が火照って仕方が無いのだ。
 外は若干、太陽が傾きかけて陰りを帯び始めている。
 あと半刻もすれば酒場を空ける時間。それまで頭を冷やしていよう。
 自分と同じ名前を持つ。それだけで随分とあの馬に愛着を覚えたようだ。
 降れた頬の温もりや柔らかいたてがみ、そして優しく美しい瞳が思い出される。
 そして、その隣に常に在った、青い騎士服の男。
「………」
 一際強い風がふきつけた。
 湖に接したこの本拠地に、夕刻になると必ず訪れる肌寒い空風だ。
 レオナの肩に羽織っていた手編みのケープが、肩を離れて飛んだ。
「っあ……」
 慌ててそれを追いかける。
 人気のいない場所を歩いていた為、拾ってくれる者もなくケープは気ままにどこまでも飛ばされた。
「まったく…」
 ようやくケープを捕まえて我に返ると、外へと続く裏門付近まで来ていた。
 今自分が立っているところから右へと折れればそこは、黒騎馬レオナと会った場所。
 しばらくは、近寄りたくない。
 踵を返そうとして、その方から人の声がする事に気がついた。
 人の声に重なり、蹄の音も複数聞こえる。
「………」
 帰ろうとする心の一方で、強く好奇心が惹かれた。
 拾ったケープの砂埃を払うのも忘れて握り締め、レオナは声の方へと歩を進めた。
 そこは騎士舎裏口。
 鮮やかな赤い騎士服達が複数、そこにいた。
 虎騎士団長キースの姿も、そこにある。
 馬にのって今しがた帰城した虎騎士を出迎えているのだ。
「お帰り。悪かったな。面倒な事を頼んで」
「とんでもございません」
 キースの出迎えの言葉に、騎士達は次々と馬を下りてかしこまった礼をする。その一番前に達キースと向き合った一人の騎士が、手に握っていた何かをキースに手渡した。
 薄闇が影となり、レオナの位置からはよく見えない。
「やはり、もう駄目だったか…」
「……真に残念ですが」
 ぽつりと、騎士達の声が寂しげに漏れる。
 騎士達は静かに俯く。
 まるでそれは、黙祷。
 傾いた陽が落とす陰の中で、騎士達のシルエットが幻想的に浮かんだ。

「何をしている?」

 横からかかった低い声。
 キースを含め騎士達が一斉に顔を上げた。
「ノーマン…」
「ノーマン様!」
 レオナの位置からは反対方向の折れ角から姿を現したのは、ノーマンだった。
 常にきっちり制服を着込んだ姿ではなく、上半身の素肌に包帯をサラシのように巻きつけ、片手が分厚く包帯で包まれている為に長い団長服の上着を肩に羽織っている。
 臥せった床からようやく這い出した、といった風で無事な片手を壁について体を支えて、僅かに肩で息をしていた。
「大人しく寝ていろと言ったろう」
 部下から受け取った「何か」を咄嗟に隠すようにして再び部下に手渡し、キースがノーマンに駆け寄る。
「窓から見えた。…どこから帰ってきたんだ」
 キースの背後で戸惑った面持ちの騎士達は、神妙に瞳を伏せた。
 やれやれ、と大きく溜息を漏らしたキース。
「……話したら、大人しく寝てくれるかい?」
 ノーマンから離れて部下の元に歩みより、一度つき返した「何か」を再び受け取った。
「キース様」とためらう騎士に一つ頷き返してキースはノーマンに手を出すように言った。
 躊躇いがちに伸ばされたノーマンの手に、キースは「それ」を静かに置いた。
「これ……」
「君の恋人を連れて帰ってきたよ。ノーマン」
 それは、千切れた手綱。
「……………」
 暗がりで眼を凝らしてノーマンはその薄汚れてしまった手綱を指先で探る。指先が、刺繍に辿りつく。恋人の名が、赤い絹糸で縫い込まれている。



 LEONA と。



「……………」
 千切れ、紐片と化した手綱を、ノーマンの黒い瞳がこぼれるくらいに見開かれて見つめる。強く唇をかみ締めて。
 深く俯いた黒髪に、キースの声がかかる。
「名前を、呼んでおやりよ」
「…………」
 最期の瞬間に、呼んでやれなかった名前を。
 せめてもの供養に。
「レオ…ナ……」
 か細い声が、搾り出される。
 図体の大きい彼からは想像も出来ぬ、脆弱な声だ。
 掠れ、震える。
(……………)
 壁際に身を隠したレオナの心臓が、再び強く波打った。
 一度の鼓動に留まらず、徐々に強さを増して胸郭を打ち始める。
「レオナ………レオナ…レオナ」
 手綱を握り締めて獅子騎士団長は膝をつく。
 咄嗟に支えるようにして、キースが腕に手をそえて共に膝をついた。赤い騎士服の腕に包まれるように蹲る影。
 肩が震えるのが、遠目からも分った。
「レオナ、レオナ……レオ……ナ」
 何度目かに呼んだ名がついには途切れ、
「っぅあああぁああっ!!」
「ノーマン…っ」
 まるで狂ったように一声吼えた。
 立ち並ぶ騎士達がびくりと肩を振るわせる。
 蹲った黒髪の頭を引き寄せて、キースが抱きしめた。
「レオナ………」
 あとの言葉は、ノーマンの声にならぬ嗚咽に飲み込まれた。
(…………止まれ…とまれったら…)
 名を呼ばれるたびに、レオナは息苦しさが増していく感覚に襲われる。強くなる鼓動が止まる様子もなく、冷たい夕風の中に立っていながら体温が上昇する一方だ。
 馬の名と分っていながら、
 あのように切なく名前を呼ばれては、
 どうする事もできなくなってしまう。
 ケープを掴む両手で胸を抑える。
 肌越しにも、強い鼓動は感じられた。
 夕闇に沈もうとする風景は、蹲る二つの人影と、そしてそれを見守る数人の従順な騎士達の影。
 陳腐なロマンを語った小説の挿絵に、似たようなものがあったような気がする。一笑に払して読み飛ばしたページだった。
 それとは違う、何と美しく悲しい光景か。
「………っ」
 固く閉じた目をようやくの気力で開けると、
 ノーマンの体を抱き寄せるキースが、レオナを見ていた。
(…………キース)
 その視線に縫いとめられて、動けなくなる。 

 ―今だけは、許してやって下さい。

 夕闇に照らされた琥珀色の両目が、そう語っているように見えた。
 レオナは頷くことも首を横に振ることもできず、出来ることはただ、いつものように口端に僅かな笑みを作るしかない。
 「いつもの」ように。
「…………」
 キースは満足したように、悲しく微笑んだ。





 レオナ。

 それは美しい黒髪の恋人の名前。





END

2006.07.06.Thu/15:37
  逆拘 第6話 
 
  逆拘 6

 

 

 戦任務の専門集団。
 特別工作部隊。
 与えられた目的の為に、手段を選ばない集団だ。
 そこでは、形式的な「中忍」「上忍」などの上限関係は意味を持たない。人間の価値を左右するのは、いくつ手柄をたてたか……だけだ。

 ただ、手柄を立てれば、報償は保証される。
 裏で蠢動する暗部とは対照的に、戦の表舞台で常に特工の名は、誉光を浴びていた。
 だが、そこにそぐわない者の行く末をカカシに知る由も無い。

「カ、カカシ先生……どうするの………?どうやったらイルカ先生を正気に戻せるの……?」
 自分の前に立ち塞がるサクラの肩を優しく押しのけると、カカシは森の外を指し示した。
 その指先から、血が滴る。
「お前達三人……ここから出て行くんだ。里に、戻れ」
 イルカが完全に自分のみに殺意を抱いているのだと判断した故の、指示だ。
 それに、これからここで起こる事を
 この子達に目の当たりにさせるわけには行かなかった。
「どうするの…?」
 再び、サクラの問い。
「………………」
 どうもこうも無い。
「……カカシ先生はどうするのよ……」
 質問に答えないカカシに、サクラは苦無を握ったまま振り返った。
 強い視線をぶつける。
 イルカの手をとり、引き留めようとするナルトや、カカシとイルカの間に塞がるように立つサスケも、カカシの答えを待った。
 覆面の下から荒い息を吐き出して、カカシは瞳に厳しい色を浮かべた。
 その光を、イルカに向ける。
 殺気が、陽炎のように気の放出となって立ち上った。
 下手な策略を練る暇など、皆無だ。

 迷いは、死。

 死ぬつもりは、無い。

「今度は『殺す』ために闘う……」
「っ………」
 ナルトの顔色が変わった。
 尚、強くイルカの袖を引き、叫び声に近い声で懇願する。
「駄目だってばイルカ先生!やめろってばよ!カカシ先生、本気だって!!」
 殺される、と言うナルトの言葉に、イルカは苦笑を一つ、漏らした。
 袖を掴むナルトの手に、いつもそうするように、優しく手を合わせて。
「殺そうと向かってくる敵には同等の報復を与える……当たり前の事だ……」
 ましてや彼は、暗部の人間だったのだから
 そして自分は―
 そう、応えたのだ。
「そういう問題じゃないってば!お願いだから……やめるってばよ……っ!」
 全体重をかけて、ナルトはイルカの手を引く。少し困った顔でそれを見下ろすイルカは、だが軽い仕草でそれを振り払うと、
「悪い。借りるぞ」
 と言って、
「あっ…」
 ナルトの腰に装着してあった苦無を、手にした。
 それはかつて、イルカが使用していたものだと言ってナルトがもらい受けた、
 ナルトがそれ以来、任務には常に携帯してた、その苦無だった。
 皮肉にも、このような形で持ち主の手に戻ったのである。
「………」
 同じ時、カカシも腰から残りの苦無を手にする。
「………っ」
 サクラの表情が、変わった。
 そのとき、二人の間に立っていたサスケが突然、口を怒鳴る形に開いた。
「おいドベ!サクラ!」
「え…っ」
 大きな瞳を更に見開いて、サクラが肩を震わせる。
 ナルトはすかさず「ドベ言うなッ!」と面をひん剥いてイルカの腕を掴んだまま怒鳴り返す。
「ち…」と静かに舌打ちしてサスケは、大股でナルトとイルカの元に歩み寄ると、ナルトの腕を引っ掴んで無理矢理イルカから引き剥がした。
 そして次に、暴れるナルトを引きずって唖然とするサクラの前にやってくると、もう片方の手でサクラの手首を掴んだ。
 サクラの背後で背中を丸めて立つカカシが様子を見つめる前で、サスケは冷たく、稟とした声調で言った。
「俺達は里に戻るぞ」
「な…」
 苦無を握ったままのサクラが一瞬、体を強ばらせた。
 サスケの腕に引きずられたままのナルトは、手足をバタかせながら「何言ってんだってばよ!」と叫ぶ。
 思考が停止してしまったかの様に体を緊張させて立ち尽くすサクラに、真っ直ぐ瞳をつきあわせて、サスケは稟言した。
「俺達は、『俺達に出来る事』をするんだろ?」
「………」
 言葉をなくすサクラの後ろで、カカシはただ無言でサスケの次の言葉を待っていた。
「……………うん…」
 しばしの無言の後、サクラの口端が引き締まる。
 三度サスケに頷く。
 噛みつく程に怒鳴り返そうと口を開きかけたナルトも、
「………………わ、分かったってばよ……」
 暴れるのを止め、サスケに頷き返した。
 三人が三様に納得したのを互いに納得したのを確認する。
「……じゃあ…私達は、行くからね……」
 サクラがカカシを振り返る。
 手にしていた苦無を、手渡した。
 腹を押さえたまま、覆面越しに荒い息づかいをするカカシは、苦無を受け取り右目を細めて微笑む。
「気をつけろよ」
 三人の子供の向こうで、イルカが苦無を握って直立不動の姿が見えた。
 一度イルカを振り返り、サクラは静かにカカシに告げる。
「死なないでね……カカシ先生…」
「行くぞ」
 そして三人は、一斉にカカシに背を向けると来た道に向かって走り出す。
「死なないでよ!…イルカ先生っ!!」
 最後に、そう叫んで。
 間をあけて向かい合う二人の姿が、風のように遠ざかる。
「絶対、何か企んでるだろお前ら…」
 と呟くカカシの言葉など、聞こえる筈もない。
 逆にカカシとイルカの視界から、三人の姿が茂みに飲み込まれるようにして消えていった。
 急に静かになった空気の中、カカシはイルカに向き直った。
 イルカ「先生」には向けた事のない、厳しい視線を向ける。
 それを受け、イルカの表情も変わった。
 人の良い相貌に似つかわしくないと思っていたその殺気付いた瞳……。
「…………俺は本気ですよ……」
 そう呟いて、カカシは片手に二本の苦無を握ると、血で塗れた指先で覆面を引き剥がした。
 血で塗れた口元が露わになる。
 黒い覆面も、血液で更に色濃く濡れていた。
 子供達には、見せたくなかった。
 おもむろに上着の内側に手を伸ばして、薬丸を取り出した。それを口に放り込んで乱暴に噛み潰した。
 強い麻薬を含む、鎮痛薬だった。
 任務で致命傷を負った忍が使命を完遂する為の、「切り札」だった。
 この薬と自爆薬の両方を、中忍以上の忍びは常備していた。
 即効性で、痛みが引いていく。
 くないを両の手に、握り直した。

 不知火の森を抜け、木の葉の国境へと続く「暁の森」の森。
 木の葉へと続く二つの路の内、西の帰路を駆け抜ける、ナルトとサクラの姿があった。
 暁の森の手前で東路を行くサスケと別れ、大分走ってきた。
 幾分、体力的に劣るサクラの息が上がり始める。
「…大丈夫…?」
 足を遅めてナルトが振り返った。
「いいから…っ…先…に走りなさいよ…っ」
 悔しさと苦しさで眉間を歪ませるサクラ。
 ついには大樹の根本で足を止めると、幹に手をついた。放っておける筈もなく、ナルトも駆け寄る。
 そのナルトに、サクラの叱咤が飛ぶ。
「何やってるのよ!いいから行きなさいって!!助けを呼ばなきゃ……」
 下唇を噛んで寸時、戸惑いを見せるナルトに、切れ切れの息でサクラが続ける。
「先生達……死んじゃう……でしょ……」
 声調が涙で揺れるのは、苦しさか、悔しさの為か…。
 ナルトは更に唇をきつく噛んで、サクラに背を向けて駆けだした。
 だが、
「うわっ…」
 一歩も進まない内に、全身が何かにぶつかった。
「な、何……」
 そのまま尻餅をつくほどに跳ね返されて、ナルトは地面に手をついたまま上を仰いだ。
 サクラも、俯いていた顔を上げる。
 しなやかに細い、影がのびていた。
 そこに、くの一独特の微かな香を漂わせる、黒髪の影がある。
「何やってるの、あんた達……?」
 粗野な言い草だが、耳によく通る声が降る。
「…夕日先生………」
 野性味を残した美しいくの一の名が、サクラの口から零れ出す。

 

2006.07.08.Sat/17:11
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北野ふゆ子

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> 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。 得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。

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