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  Over the Wall vol.8 


遺品・同日

「ケーサツが瀧袴だとかいう人の遺品とりに来いってさ」
 そう、土曜日に掛かってきた電話の内容を伝えた時だった。
「!」
 その一瞬、彰人の顔色が確かに変わった。
「…分かった」
 絶句した瞬間の彰人の目は、尚人を貫く様な厳しさを湛えていた。下唇を一度噛んで唇をきつく閉じ、そして明らかな作り笑顔でそう頷き返した彰人からは隠し切れなかった程の衝撃を受けた様子が、分かり過ぎた。
「いつ電話があったんだ?」
 くぐもった声で、彰人が言う。
「土曜の昼……かな」
「病院に電話すれば良かったのに」
「いつでも良いような感じだったから」
「今度から携帯に電話してくれよ」
 コンロでやかんが玉状の湯気を吹き出し始めた。湯が沸くタイミングを見計らって、また会話が彰人の都合の良い様に締められた。彰人は沸いたお湯でコーヒーを淹れると、台所からリビングを抜けて自室に戻ってしまった。仕事中だと分かっていたので、尚人に彰人を呼び止める事が出来ない。だがそれは明らかにそれ以上の事態の深淵化を避けた彰人の行動。疑念だけが尚人に残された。
 警察、事件、十五年前、遺品……
(瀧袴って誰だ…?)
 彰人に物を遺す程の間柄だ。彰人の友人関係、患者、親しい親族のどれかなのだろう。そして荒川の話と彰人の態度から、恐らくは尚人とも関係のある人物。
「あの事件に関しましては、誠にお悔やみ申し上げます」
 荒川の言葉はまるでこちらの事を書類上か何か、表面上のみ知っている口振りだった。
 一般的に人は、疾しい事が無くても「警察」の言葉には無意識に緊張感、畏怖を持ってしまう事はよく聞かれる事だが、尚人の場合それと少し異なっていた。相手が「警察」と名乗った瞬間から、尚人の感覚は昼起きのぼやけから完全に覚醒し、普段以上に研ぎ澄まされた。神経が異常に張り詰められ、全感覚が過敏になった。荒川の喋った言葉の一言一句が、記憶に焼き付けられた。
 この感覚は、前にもあった。

 あの事件に関しましては、誠に…・
 多くの貴族が逮捕され、監禁され…
 今回お電話差し上げましたのは、その、瀧袴が代沢さんに遺したと思われる物が…
 この路地に**子さんが歩いて来た時に、バンの陰で待ち構えていた**容疑者は、あらかじめ用意していたと思われる鉄パイプで
 え、あ、君…弟さん…ああ…本当だ
 アメリカの小学校で十歳の男子生徒が
 高校生の、コンビニのアルバイト店員二人が
 あ、失礼、こっちの事です…。
 逮捕から既に二ヶ月が経過した、達樹ちゃん誘拐事件で
 まあ、とにかく…

 こうして、会話の吃り、感情までもが活字になって蘇ってくる様だ。今この瞬間でもパソコンからファイルを引き出す様に自在に思い出せる。突然思い出す事もある。だがその度に、心臓が意志に反して不自然に高鳴る。同時に甦る様々なノイズまでもが鮮明だ。
 それと同じように、
(瀧袴……?)
 その「音」を確かに尚人は覚えている。
 言葉ではなく「音」として、それは確かに聴覚を通じて脳に焼き付けられている。
(十五年前…)
 尚人は生まれて間も無い赤ん坊だった。
(何も覚えているわけないよな)
 心の深層が自衛本能のサインを出して「気のせい」で済まそうとしていた。都合の良い理屈だけを強引に事実否定による身の安全へ紡ぎあわせようとしていた。
 十五年前。彰人も当然、まだ医者ではなかった。中学生のはずだ。物言わないドアを見つめて、その向こうで自分に背を向けて机に向かっているだろう兄の姿を、尚人は想像した。あのドアの向こうで今彰人は何を考えているのだろうか。犯した失態、弟に洩れた秘密ごとの取り繕い方法を思案しているのだろうか。
 尚人は彰人の事を何も知らない。
 交友関係、趣味、詳細な職業内容、過去、そして普段彼が何を考えているのかも。
 彰人も尚人の事で知らない事が多い。
 小遣いの使い道、尚人の読む本、彰人が仕事で居ない時の尚人の行動、学校生活、そして普段尚人が何を思っているのかも。
 兄弟でありながらお互いを知らなさ過ぎる事は今更の事で、隠し事もしょっちゅうだった。
 それを疑問に思う事も、これまで必要ないはずだった。

 
(何を今更………)
 尚人が見つめるドアを隔てた向こう側で、彰人は机に肘をつき、組んだ両手に額を乗せて俯いていた。目に見えるのはやり掛けの仕事内容が印刷された紙の束と、父親が使っていた木製机の木目だ。
 尚人に知られてはならない事、
 尚人が知ってはならない事、
 それが断片とはいえ尚人の記憶に刻まれてしまった、その現状を呪っていた。
(よりによって「瀧袴」の名前を知られるなんて……)
 全て終わったと思っていた事の予測外の事態に、何を憎むべきか彰人の怒りは複雑に絡まって行き場を失っていた。
 よく確かめなかった荒川のミスを責めるべきか、自分に物を遺した瀧袴を憎むべきか、油断していた自分を責めるべきか。
 失態は「瀧袴」の名前を知られた事だけではない。彰人が警察と何らかの接点を持っているという印象を尚人に強く与えてしまった事、自分が警察沙汰の「事件」に関わっていた事、警察も自分も尚人からそれをひた隠そうという態度である事。
 もし、兄が思っている以上の勘の良さを弟が持っていたとしたら、断片からでも事実を引き当てられてしまうかも知れない。
(尚人にだけは……)
 彰人はふと顔を上げて、腕時計を見る。数秒間、頭脳で思索を展開すると引っ手繰る様に鞄から携帯電話を引っ張り出した。
 まだ、まだ知られていない事はたくさんある。まだ隠し通せる。一抹の希望を心に彰人は行動に出た。
 何故前もってそうしなかったか、それを悔やんでいる隙は残っていなかった。

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2006.06.02.Fri/14:46
  「毒」と「封印」について 


※blogの準備進捗状況 06/07/08時点
「封印」…100%(本文移植完了済。挿絵の作業中)
「毒」…35%(本文移植作業中)


いつも当サイトをご愛顧くださりありがとうございます。
さて、以前よりデジタル販売する~とか言っておきながら全然動いていない「封印」と「毒」(*注)の件ですが…
ずっと進捗状況をお報せする事ができずに申し訳ありませんでした。

最初はデジタルブックなどの形で…と考えていたのですが、厳密にコピーガードとか閲覧制限などを考えるとキリがなく、また挿絵を挿入できる高性能なものとなると有料ソフトになるので、この際「デジタルブック」という選択肢は捨てる事にしました。

もう古い作品ですし、ここはもっと気楽に考えて皆さんに呼んで頂きたいという気持ちに切り替えて、ブログ連載形式をとることにしました。
「毒」と「封印」専用のサイトを立ち上げて、そこに挿絵もつけて少しずつ完結まで公開していこうと思います。

ただ、過去にお金をお支払い頂いて同人誌を読んで下さった方々が大勢いらっしゃいますので、そこは多少考慮させて頂きたいと思います。
URL非公開のパスワード制限付にして、同人誌より安価にはなりますが若干の閲覧料をお支払い頂きURLとパスワード(定期的に変更し、変更をメールでお報せします)をお報せする形にさせて頂きたいと思います。

もちろんこの形では厳密な意味で閲覧制限ができるわけではありません。
でもそこはURLとパスワードをお送りした方のご良心を信頼したいと思います。
ただ、あまりにアクセスログなどから不正にURLとパスワードを入手している方が多いと判断した場合は一時的にサイトを閉じて対処を考えるなどを行いたいと思いますので、そこは何卒皆様にご了承頂きたいと思います。

タイミングが悪いことに六月は少々、仕事が立て込んでおり作業が進まないのですが、夏頃に公開できるようにできたらなと思っております。

詳細はまたおってお報せさせていただきますので、よろしくお願い致します。


北野ふゆ子


*注

「毒」と「封印」は北野が以前、同人活動をしていたときに執筆して同人誌として発行したNARUTOのイルカ先生中心の長編小説です。
毒=B6版で400P前後
封印=B6版で250P前後
というものです。オリジナルキャラ満載で、シリアス・アクションだらけの作品です。
本の在庫はありません。


オマケ
こんな感じにしようと思います。
(まだ器しか用意してませんが…)

封印

本文サンプル 1/2/3



本文サンプル1/2/3




頂いたご質問やメッセージへのご返答

 有料制になるブログ(「毒」と「封印」専用ブログ)に掲載する挿絵は書籍に用いた物と同じになります。新しい描き下ろしはありません。その他の未公開画像は「北凪」内でどなたでも閲覧できるように致しますのでご安心頂ければと思います。
 上記のサンプル画像に一部、書籍に用いられていない未公開画像がありますが、これらも「北凪」内でも公開する予定ですのでご了解下さいますようお願いします。
 誤解を招くような表現で申し訳ありませんm(_ _)m

 また、既に本をご購入頂いて現在もお手元に所持して下さっている方には勿論、無料でサイトのご案内をさせて頂きたいと思います。その際のお手続きにつきましてはまたおってお知らせさせて頂きますのでよろしくお願い致します。
2006.06.04.Sun/19:13
  封印:サンプルP1 
其之一

 木の葉隠れ里の長、火影が提出した提案書に目を通した里の長一堂は、誰もが一様にまず、小首を傾げざるを得なかった。
「・・・・この新しい掟の提案じゃが・・・・本気かな?火影殿」
「そもそも、『例の法案』の発案者も、お主ではなかったかの…?」
「良いのか?この新しい法案を通しても……」
砂の国隠れ里の長が、提案書である巻物に指をあてて、火影を振り向く。
「いたって、真面目なつもりじゃ。狂ってなど、おらんよ。」
 毎年、秋口にひらかれる、隠れの里の長が集う大会議。 忍の世界共通の掟の改正、新法の提案などが行われる。 特にここ十数年間、つまり木の葉に狐が現れた年から、この会議は以前に増して、重要な意味を持つようになっていた。
 例のナルトに関する「禁句」令が発布されたのも、この会議からだった。
 そして今、また木の葉隠れ里の長、火影によって、新たな法案が提出されたのだ。
「まあ・・・別に反対する理由はないがの・・・・」
「逆に賛成する理由もないぞ」
 そんな独り言が、会議の席にぽつりと漏れる。
「・・・・」
 会議の書記たちが、手を顔の前で組み、何やら意味を含んだ笑みを口元に浮かべているのを、不思議そうな顔で、見ていた。




「そうか・・・色々あったな」
 受け付け業務を終え、カカシ先生から第七班の報告書も受け取ったイルカは、ナルトと共に一楽にいた。
 長い任務を終え、ようやく帰って来た元教え子は、どことなくたくましくなっていた。 箸を動かす手もおろそかに、溜めこんだ物をすべて吐きだす勢いで任務で経験した事をイルカに話すナルト。
 イルカも、水の入ったコップを握ったまま、ナルトの話に耳を傾け、何度も相槌を打つばかり。
 いつもなら、「ラーメンは熱い内に一気に食え」とうるさい一楽の主人も、気を利かせてか、麺がのび、スープが冷めても、何も口出しをしようとしない。 何も手をつけないまま伸びてしまったイルカのラーメンを、無言で取りかえる。
「あ、いいですよ・・そのままで」
 と振りかえるイルカに、主人は「いいって」と一言。そして新しくラーメンを作り直し始めた。
 ナルトの話は、それからまだ、続いたのである。

 一楽で食事を終え、ナルトを自宅に送った後イルカは一人、繁華街の反対側にある自宅へと続く一本道を歩いていた。自分の足が砂利を踏む音と、左側に広がる林から聞こえてくる虫の鳴き声だけがする。
もう夏も終ろうというこの初秋。この時間になると、さすがに空気が冷たい。襟元に入り込んでくる風に身震いしながら、イルカはふと、空を見上げる。
 宝石箱をひっくり返したような星空。
 白い光が空を埋め尽くしている。
 視線を上空に向けたまま歩く。
歩いても歩いても、どこまでも続く星空。

 無限。

 ふと、ナルトを始めとする子供達の顔が思い浮かんだ。 今まで受け持ってきた、多くの子供達。
 口元が、つい緩む。
 任務に出かける前と、後のナルト。

 少し背がのびた。
少し声が低くなった。
少し手が大きくなった。
少し、いっちょまえの事を言うようになった。

 カカシ先生という上忍とも、他の仲間達とも、ナルトは上手くやっているようだ。 紆余曲折、山や谷はこれから幾度もあろうが、きっとあの子なら、自分の手から離れても上手くやっていける。
 こんな風にして、自分の元を巣立っていった子供達が、どんどん大きくなっていく。
 無限の可能性を秘めて。
 そんな風に考えるのは、ちょっとおこがましいだろうか?
「・・・なんてな・・・・」
 酒は一滴も入っていないにも関わらず、なんだか頬が熱い。 柄にも無く、哲学めいた事を考えて・・・、急に恥ずかしくなってくる。
 まだまだ続く長い一本道。涼しい夜風が、イルカのほてった頬を、撫でていく。
2006.06.05.Mon/21:18
  封印:サンプルP2 
「悪いが、ここしばらくは任務はお休みだ」

 長い任務から里に帰ってきた翌々日、集まった第七班を前に、いつもの様に遅刻して現れたカカシ先生は、開口一声、こう言った。
「何でですかー?」
 こういう時、いつもは嬉しそうな顔をするサクラは、なぜか暗く沈んだ表情だ。 カカシはそれに疑問を抱きつつも干渉はせず、淡白な口調で答える。
「上忍のお仕事って奴だ。任務再開の時がきたら、おって連絡するから、今日は解散な」
 と言って、あっさりと帰ろうとするカカシを、ナルトが「ちょっと待てってばよ!」と引きとめた。
「何なに、その『上忍のお仕事』って奴!俺、手伝うってばよ!」
 よほど何か冒険活劇的な想像をしたのか、ナルトは顔をほくほくさせて勢い良く立ちあがる。傍らに腰を下ろしたままのサスケも、内心興味を抱いたのか、黙って様子を伺っている。逆にサクラは、「また余計な事を・・」とでも言いたそうに、眉間に皺を寄せていた。
「んー」と顎に手を添え、カカシは視線を泳がせる。
「お前らに手伝えるような事は何にもない。ま、せいぜい会場整理かな・・?」
「会場整理ぃー?」
 ナルトが心底嫌そうな顔をする。
「会場整理って・・・。ああ、森羅武会(しんらぶかい)か?もしかして」
 サスケが呟く。その横で、ナルトが身を乗り出す。
「何だってばよ!ソレ」
「あんた・・一体アカデミーに何しに通ってたのよ」
 眉間の皺を更に深くして、サクラがナルトを睨みつける。もはやキレかかっていた。
「毎年開かれる武術大会の事じゃないのよ」
「忍び」という存在が古の時代と比べて広義的になった事に伴い、軍事 協定を結んだいわゆる忍び五大国と呼ばれる五大隠れ里がある。
 木の葉、霧、雲、砂、岩の隠れ里。
 この大会は、これら五隠れ里共催の、一大行事である。中忍、上忍、国籍が入れ混じる広義的な大会であり、各階級、種目でどの里がどれだけの優勝者を出すか。
 それが、各国の面子にかかってくるのだ。
年に一度開かれるそれは、一年毎に各国を会場とする。そして今年、五年ぶりに木の葉隠れ里がその会場になったのだ。
「なーんだ、下忍は出られないじゃんかよー!」
 サクラの説明を受けて、ナルトが頬を膨らます。
「図々しいにも程があるわよアンタ」とサクラは目を三角に吊り上げて怒る。
「・・・それに、アンタが出場するのか?」
 口の前で手を組んだまま、カカシに向けてサスケが呟く。
「ん、まだわからん」とカカシ。
「だけどどっちにしろ、下忍は会場整理や手伝いだ」
 そうカカシが付け加えると、ナルトは「つまんねー」とその場に腰を下ろし、あぐらをかく。
 ナルトは理解してはいないが、この大会は純粋に忍の技を競い合う神聖な大会とされており、一般市民はもちろん、アカデミーの生徒も入場、観戦は許されていないのである。 周囲をかためるのは、各国の上層部の人間、忍の上層部の人間、そして中忍以上の忍び達。厳しい評価と審査と判定に沿って厳粛に執り行われる。
 この大会の結果次第では、昇格、降格が左右される場合も多々あるのだ。
 それ以外に、この大会は各国が己が軍事力を顕示しあう、国側が抱く国交問題面の意味も持ち合わせている。
 であるから、会場整理ができるだけでも、本来ナルト達は喜ぶべきなのだ。

 そう悟らせようにも、まあ、一度観戦してみれば体で思い知るだろうと、カカシはそれ以上何も言わなかった。
「で、カカシ先生は過去に出場した経験は?」
 会話が途切れた合間をぬって、サクラが問う。
「あるぞ」
「え、で、どうなったんだってばよ!」
 ナルトが興奮気味にはしゃぐ。その隣で冷静を保つサスケも、伏せていた視線を上げた。
「俺はこの大会を機に、上忍に昇格した」
2006.06.08.Thu/00:12
  封印:サンプルP3 
「イルカ」
「?」
 呼びとめられて、イルカは足を止めた。 アカデミーでの仕事を終え、受付業務を行うために管理事務所に訪れた時だった。
「三代目」
 両手に巻物を抱えた三代目火影の姿があった。
「持ちますよ」とイルカはかけより、巻物の束を受け取る。 共に受付へと向かう道すがら、並んで歩く。
 イルカは、昨晩ナルトと交わした会話について、火影に報告する。 いつまで経っても子離れできない親みたいで・・・と照れ笑いしながらも、嬉しそうに話すイルカに、火影はいつもの調子で「うむ」と相槌を打つだけ。
 目を細めて、いかにも平和そうな笑顔で話を続けるイルカの横顔を一瞥して、火影は口に加えていた煙管の煙をくゆらせた。
「イルカよ・・・」
「・・・はい?」
 イルカの会話が一段落途切れたところで、火影は独言のような言葉をはさんだ。
 少し高いところから、イルカの視線が火影と向き合う。
 火影は正面を向いたまま。
 廊下に、他に人影はない。
 アカデミーと隣接しているとはいえ、とうに下校時間を過ぎたこの時間、外から子供の喧騒も聞こえてこない。
 赤く染まり始めた太陽が、窓から差しこんでイルカと火影の姿を染めていた。 時間が止まったような、妙な空間の中に、一瞬の静寂。
「一週間後に、森羅武会が木の葉で開催される事となった」
「そうですか」
 再び、イルカは目を細める。
「もうそんな季節なんですね」
「忙しくなるなぁ・・」と言葉を続けて、イルカは笑った。
 五年前、まだ新米教師だったイルカは、大会の準備、運営の手伝いに走り回って働いた事を思いだした。
「今年はナルトも卒業した事ですし、多少手も空いたので、また精一杯お手伝いしますよ」
「子離れできていない」と自分で言った事を棚に上げている事にイルカは気づいていないが。
「・・・」
「・・・・三代目?」
 黙りこんで小さくため息をつく火影の様子に、不安を感じたような目で言葉を止める。
「今年は・・・」
 火影が低く言葉をつむぐ。
 煙管の煙がたゆたう。
 イルカの目に映る火影の横顔。
 笠に隠れて、その表情はよく確認できない。
「・・・・?」
 火影の足が止まる。
 不思議に思いながらも、イルカはそれに倣って足を止める。 廊下の真中に長く伸びる、二人の影。再び訪れる静寂。
 改まった様子の火影に、イルカの心臓が一つ、大きく鼓動した。
 そんな中に低く響く、
「今年は、」
 絶対的な火影の言葉。
「お前にも出場してもらう」
「・・・・・」
 事態を完全に飲み込めていないイルカが、目を見開いて立ち尽くす。
その返事を待たず、火影は再び歩き出した。
「あ、ちょっ・・・三代目・・・」
 あわててイルカはその後を追う。
「ちょっと待って下さい三代目・・。仮にも里の威信をかけた大会ですよ?」
「それがどうした」
 両手に抱えた巻物を落としそうになりながら後をついてくるイルカにかまわず、火影は相変わらず正面を見据えたまま、淡々とした口調。
「厳粛な里内での選抜を経る必要があるんじゃないですか?それをその・・・一介の中忍教師にそう簡単に・・・・」
「なんじゃ。ワシの決定が厳粛ではないと言いたいのか?」
「え、あ、いや、そういう事ではなくて・・・すみません・・・でも・・・これは上忍昇格試験も兼ねている大会なわけですから、私の代わりにもっと他に有望な方を・・・」
 再び、火影の足が止まる。
 不意をつかれてイルカも足を止めるが、巻物が一本、腕から落ちて転がった。
 だが、イルカはそれを拾おうとせず、ただ、こちらを笠の下から凝視する火影の視線に射ぬかれて身動きできずにいた。
「・・・・・・もう、良いのだぞ・・・」
「・・・え?」
 低く、単調な火影の口調。
「先月をもって、『アレ』の解禁令が発布された」
「アレって・・・・」
 いぶかしげにイルカが首を少し傾げる。
「もう、誰に遠慮をする必要はないんじゃぞ・・・イルカよ」
「え?」
 火影の言葉を何度も頭の中で反芻する。
 だが、言葉の真意が読み取れない。
戸惑ったまま立ち尽くすイルカの腕に、火影が拾い上げた巻物を乗せた。
そして、
「お前もそろそろ、好きなように、やってみるが良い・・・・。自分自身の全てを出してな・・・・」
「三代目・・・・・」
 説明を求めるまもなく、火影はイルカからきびすを返す。
 イルカに背を向け、窓から差しこむ光を全身に受けて、火影は、最後の言葉を残す。
「お前は十分、我慢してきた・・・・・」
「・・・・・・・・・・・さ、三代目・・・っ・・・」
 イルカが呼びとめる声も無視して、火影は廊下の先へと消えていった。
 赤い陽光で染まりかけた、時間のとまった廊下の真中に取り残されたイルカは、火影がいなくなった廊下の先をみつめていた。
 視線を窓の外に向け、
「・・・・・」
 ふと足元を見つめて、
「・・・・・」
 そして再び、廊下の先を眺める。
「・・・・あ・・・・・」
 思わず口から漏れた声。
 脳裏の片隅に、ろうそくに火が灯されたように甦った、ある記憶。
「・・・・まさか・・・・」
巻物を抱える腕が、微かに震えた。
「まさか『アレの解禁』って・・・・・・」
 それは、
体の芯から伝わる、
自分自身の、臓腑の躍動だった。
「自分自身の全てを出して」
 そのとき、イルカの脳裏には、また、ナルトの笑顔が、思い出された。
2006.06.09.Fri/23:55
  毒:サンプルP1 
 今から三十年ほども前の事。
 木の葉から抜け忍が出た。
 当時すでに長として里を総べていた火影三代目はだが、追い忍の手配を躊躇した。 
 追い忍適格者が里内には存在していなかったからである。
 やむなく火影三代目はその大事を封印する事となる。
 抜け忍が出たとの噂さえ、
 里内であがる事なく。

 それから十八年後の九尾襲来事件を挟み、
 そして更に十年後。
 里から完全に消え去っていた抜け忍の大事。

 そこへ、
 火影が選定する所の、その追い忍適格者がようやく、現れたのである。

 そして更に機を待つこと一年。

 火影は、
 動き出した。



 昼だというのに、そこだけ闇が忍び寄ってきたようだ。
 元から薄暗い火影邸宅の火影実務室。
 一畳分あろうかという程の大机。その前に立つのは、木の葉隠れ里の長、火影三代目。そして、一歩退いた所に黒い影が四つ、控えていた。
「よう来た」
 そう火影が声をかけるのは、いずれも黒に身を包み、素性を隠した人物四人。火影に呼び出しを受け、たった今、ここに出揃ったところだった。
 外廊下へと続く扉の脇に立つ門番達は、眉を訝しげにひそめて様子を横目で伺う。
 ある者は、顔を鷹を象った仮面で覆い隠し、ある者は顔半分を覆面で隠し…と四人四様に素顔を隠している。その四人の先頭に立つ、体格からすると男、が火影の言葉に無言で一礼。それに倣い背後に立つ三人も、礼。
 満足そうに、だが静かに頷き返すと、火影は巻物を掲げた。先頭に立つ男が、黒い甲当てをした手を差し伸ばし、それを受け取った。
「長い任務になりそうじゃが……頼んだぞ」
 言い終わると火影は煙管に新たな煙草を詰めて火を灯した。紫煙が空気の流れに沿って天井へと上がっていく。
「承知」
 先頭にたつ男の、静かな返答。
「ご苦労。下がってよい」
 との火影の言葉の直後、四つの影はかき消えた。
 火影の、聞こえない溜息と共に。
2006.06.12.Mon/21:59


時計屋の主人




 わたくしは、ロストリア城下町にて時計屋を営んでおります。姓をドルレージ。名は曾祖父の名を受け継ぎドミトリアンと申します。
 随分とたいそうに大袈裟な名前ですが、しがない下町の古い時計屋でございます。

 ただ、我がドルレージ時計店伝統の自慢というのがございまして、それが小さいながらも潰れずに100年以上も続いてきた所以です。
 まあ、そのような老舗看板も今では流行らないのか、知る者は少ないのですが。

 そうそう。我が時計店の自慢でございますね。
 工業化の進むこの時代において様々な物が大量生産、効率化向けに作られる中、我が時計店はあくまでも職人技にこだわっております。
 宝石装飾の技術を取り入れ、機能はもちろん、装飾にこだわっております。
 優美なご婦人にはバラをあしらった華やかなものを。
 生まれてくる息子への贈り物だという若い父親には、騎士をあしらった威風漂うものを。
 それぞれの御客様に合わせて世界に二つとない時計を作ります。
 その技術をかって下さる御客様の中には、宝石修理などを頼んでこられる方もいらっしゃいます。むしろそちらの注文の方が多い時もございます。
 
 私ももう還暦を迎えまして、そろそろ息子にこの店を…と考えおるのですが、息子は現在ノーブルヒルのマエストロアカデミーで装飾技術の講師をしておりまして、教職の仕事が性に合っているのか、もう少しだけ待ってくれとせがまれました。
 ま、今のままでも十分、隠居生活同様に安穏とした日々なので、私としましては息子にこの店を継いでくれる意思がある事が分かっただけでも、十分でございます。

 とまあ、そのような調子で本日も、平穏な朝が来まして、私はいつも通りに朝食を済ませた後、店のカウンターに座り御客様から頼まれましたブローチの修理を行っております。
 このブローチがまた美しい代物でして、赤い宝石の淵を彫り物をほどこした貝殻で装飾してあるものなのですが、そこに彫り込まれているのは、絵本に現れるような麗しい王子様です。

 また話が逸れてしまいましたね。失礼。

 何事もなければ、このまま時が過ぎ、
 昼を少し過ぎたあたりに常連の御客様が一人、二人ほど御顔を見せに伺って少したわいもない御話をした後、そのまま閉店の時間になるのでしょう。
 そのようなことを考えながらブローチに宝石をはめ込んでおりましたら、

 カランカラン

 と店の扉に飾ってある鳴鈴がお客様のご来店を知らせます。

 はて、このような時間に珍しい。
 傍らの装飾時計を見れば、まだ昼前。
 私の店は東向きにあるため、この時間は東からの太陽が登りきらない為に店の入り口からいっぱいの光が差し込むのでございます。
 その光の中に現れたのは、この店の客としては珍しい長身の影でした。
「いらっしゃいませ」
 眩しさに目を細めながら私がお客様に挨拶致しますと、長身の影は丁寧な物腰で会釈を返して下さいました。
 はて、これは恐らく高貴な身分の方に違いないと直感致しました。
「こちらは、ドルレージ時計店でしょうか?」
 開いた扉と店の入り口の境に立ったままのお客様の声。柔らかいテノールです。
「左様でございます。ささ、どうぞ中へ」
「良かった。失礼」
 安堵した声と共にお客様がドアを閉めました。
 外から溢れてくる光がドアに遮られて、ようやくお客様の御姿がはっきりと見えるようになりました。
「貴方は…」
 いやはや。
 驚きました。
 そこにいらしたのは、さきほどまで私が修理をほどこしていたブローチの王子様のごとき、麗しい青年が立っているではありませんか。
 秋の稲穂のような黄金の髪、空のような青の瞳、やわらかな笑みを湛えた面持ち。そしてその麗しさに相応しき華麗な深紅の装束。
 あれは騎士様の御洋服ではありませんかな。
 しかも、かなり位の高い御方の。
「キース・リブルロットと申します。お忙しいところ、突然申し訳ありません。ですがどうしても貴殿にしか頼めない事で」
「光栄にございます。キース様。なんなりと」
 私は内心の動揺を表さぬよう、いつもの笑みでお答え致します。

 そう。
 思い出しました。
 つい先月、新しい二人の騎士団長様が誕生なさったと。
 ずいぶんと城下町でも祝典や祭が行われて騒いでおりました。
 特に若い女性がいつにないはしゃぎ様だったと思います。
 なんでも新しい団長様達は今までに例のない若者だとか。
 新しいロストリアの時代の幕開けだと、年寄り達も口にしていたのを思い出しました。
 その一人、確か新虎騎士団長様の御名前はキース様、その方が今、目の前にいらっしゃるのです。

「そう仰って戴くと心強い」
 まだ初々しさが残る笑みを浮かべてキース様は、懐から何かを取り出しました。
 大切そうにレースのハンカチーフで包まれたそれをカウンターに置き、広げていきます。
 そこにあったのは、懐中時計でした。
 かなり古いものなのでしょう。
 銀の鎖はところどころくすみかけておりますが、大切に御使い下さっていたのは分かります。
 何より、私はこの時計に見覚えがございました。
 世界に二つとない時計の装飾。自分で行った仕事の成果を忘れる事はございません。
 恐らくはこの店でご注文された品なのでしょう。
「おや」
 手に取り、裏返してみて驚きました。
 時計蓋と文字盤が、目に痛々しいほどの大きな傷がついており、盤全体が歪んでしまっておりました。これは、落とした程度でつくものではありません。
 私が顔を上げますと、キース様はその双眸に悲しげな影を落として仰いました。
「それは、私の友のものです。とある理由でそのようになってしまって…、裏に彫ってある判から、貴殿の作品だと聞きつけました」
 そう。
 この店の全ての作品には、この店伝統の匠判を彫らせて戴いております。
 裏を見ますと、確かにそれが。
「その通りでございますね」
 私が答えますと、
「是非、是非直して戴けないでしょうか」
 とキース様は若干身をカウンターに乗り出して仰いました。
「ですが…」
 失礼して私はその懐中時計を手にとりました。
「この状態ですと…完全に元通りに……という事はできませんが。何せこの店の作品は全て、世界に二つとない異なった装飾を施しております故、装飾の型版などを置いておりません。貴方のお友達のお気に召すように作りなおせるかどうか」
「そうですか……」
 どうしよう、とキース様。
 よほど大切なお友達の品なのでしょう。
 そうでなければわざわざ、騎士団長たる人物がお一人でこのような場所に訪れるはずがありません。
 時計の裏にある匠判も、一目ですぐにわかるものではありませんし、恐らくは懸命に調べてここをつきとめたのでしょう。
「それでは、鎖を付け替え、時計の機械部分をまず直すとしましょう」
 私は一つ、提案を差し上げる事にしました。
「装飾などにつきましては、お友達にお伺いしてから手をつける事に致しましょう」
「そうですね」
 途端、キース様の表情が明るくなりました。
「本人に、ここに来させます。きっと、喜ぶと思います」
「修理は三日もあれば終わりますが、その頃と考えて宜しいでしょうか?」
「三日……」
 形の良い顎に指先を当てて、キース様はしばし思案されます。
「一週間…後くらいに伺っても、ご都合よろしいでしょうか?」
「ええ。大丈夫です。いつと言わずに、いつでもお友達のご都合に合わせてお越し下さい。綺麗に直して、お待ち申し上げております」
 再び、キース様の相貌が安堵に和らぎました。
 本当に、このお方のお顔は一挙一動すべてが麗しく、絵になります。
 特に今。
 愛しそうに壊れた懐中時計を眺めるこの表情が、特に美しく見えます。

 時計を通して大切なお友達の事を思っているのでしょう。
 お友達は大変な幸せ者ですな。

 それからしばし、雑談などを交わされてキース様は店を後にされました。
 光の中へと再び姿を消していったキース様。
 寂れた部屋の中は、しばらく華やいだ空気に包まれておりました。
 カウンターの上に置かれた懐中時計を、私は再びレースで綺麗に包みました。



 そんな突然の出来事から一週間と二日ばかりが過ぎました。
 カウンターの隅に置かれた小さな宝箱。
 その中に、キース様からお預かりした時計が入っています。
 もちろん、鎖をつけかえ、時計盤も完璧に治っております。
 あとは、訪れたキース様のお友達の方がご来店いただき、お好みに合わせた装飾をほどこすだけです。
「ここのところ機嫌が良いな」
 茶飲み仲間に先日、そう言われました。
 そうかもしれません。
 あのキース様のお友達がいらっしゃるとなれば、嫌でも楽しみと言わざるを得ません。
 どのような方なのでしょうか。
 騎士団のご戦友。
 または、可愛らしいお嬢さんが姿を現すのでしょうか。
 息子が初めてガールフレンドを連れてくると言った時の気持ちのようでございます。

 …また、余談となってしまいましたね。
 失礼。


 カランカラン

 昼を少し過ぎた時間。
 扉の鳴鈴が私を呼びます。
 もしや?
「いらっしゃいませ」
「父さん、久しぶり」
 現れたのは、息子、アレクシーでございます。
「何だ。お前か」
 もちろん嬉しくない訳ではありませんが、私はいつもつい、このようにして息子を出迎えてしまいます。
「何だは無いだろう?ひどいなぁ。久しぶりに帰って来たのに。でもそう言うと思って、今日はアンネルとリリとクレシュも一緒だよ」
 いつもの事なので、アレクシーは苦笑しながら店の中へとやってきます。その後ろからアレクシーには勿体無いよく出来た嫁のアンネル。
 そして幼い私の孫二人が、アンネルの手に連れられています。
「ごきげんよう。お義父様」
「おじーちゃま」
「おぉ、リリにクレシュ」
 親馬鹿ならぬ孫馬鹿でございましょう。
 やはりどんな偏屈爺になっても、孫には敵いませんな。
「久しぶりに、外に食事でもしに行かないか?」
 とアレクシー。
 ですが、私は店を空けるわけには参りません。
 キース様のお友達がいつご来店されるか分かりませんでしょう?
 私の返事が遅い事に、アンネルが事情を察したようです。
「お客様がいらっしゃるのですか?」
「実はそうなんだ。大切なお客様でね」
 リリとクレシュが少し悲しそうに私を見上げますが、ここは我慢です。
「そう。いつ頃?」とアレクシー。
「さあ。今日か明日か明後日か…」
 私の答えにアレクシーが呆れたとばかりに目を丸くしました。
 アンネルも驚いて顔を見合わせております。
 私は変人呼ばわりされる事には慣れておりますので、気にしてはおりませんが。
「では、私がお昼ご飯とお菓子を作りますわ」
 とアンネルが私に笑みを向けます。
「だから、ここで皆で、おじいちゃまと一緒にお客様をお待ちしましょうか」
 子供達が歓声を上げて「お待ちするー」と台所がある奥の方へとかけて行きました。
 本当に、よく出来た嫁でございます。

 店のカウンターには私とアレクシーが残されました。
「その大切なお客様というのは、どんなお客様なんだい」
 静かになった店の中。
 カウンターの上に置かれた工具を何気なく触りながらアレクシーが呟きます。
 私はカウンターの宝箱から、レースにつつまれた例の時計を取り出しました。
 アレクシーはその何も装飾のない状態の時計に酷く驚いたようです。
「飾りはまだこれからなんだよ。そのお客様がいらしてから、ご相談を受けるんだ」
「でもいつになるか分からないんだろう?」
 変わったお客様だと付け加えてアレクシーが立ちあがりかけた時、

 カランカラン

 本日二度目の鳴鈴です。
「「いらっしゃいませ」」
 私とアレクシーの声が重なりました。
 
 そのお客様がいらっしゃった。
 私は直感で分かりました。

 光が溢れる扉の向こうから伸びてくる、長身の影。
 キース様の時より長く、大柄な影でした。

 そしてまず目に入ったのは、キース様の深紅と対照的な、鮮やかな海の深蒼。
 隣で、アレクシーも「あ」と驚声を漏らしたのが聞こえました。
「お忙しいところ申し訳ない」
 と、深いテノールと共に扉が閉められ、我々の前に姿を現したのは、獅子騎士団長の制服を身に纏った、青年でした。
 ブラウンに所々黒曜が混ざった精悍な瞳と髪の色。
 ロストリア人特有の白い肌が青い制服のせいか、更に白く見えました。だが女性的に見えないのは、凛々しい眉と双眸、そして口元と、その真直ぐ伸びた長身と堂々たる姿勢故でしょう。
 彼も、先月団長に就任したばかりの、
 お名前は確か…、
「ノーマンと申します。先日、キースという者がこちらに何かを預けていったと思うのですが」
 そう。ノーマン様。
 何と言うことでしょう。
 これでこの十日のうちにこの店にロストリアの騎士団長様が二名も足をお運びになった事になります。
「はい。承っております。どうぞこちらへ」
 内心の興奮を足元にふんずけて、私はいつもの笑みでノーマン様を、カウンターの前の椅子へとお迎え致しました。
「失礼する」とアレクシーにも会釈を向けて、長い両足がカウンターの方へと歩みよります。
「…?」
 その足取りに、私はつい首を傾げました。
 微妙に、びっこを引いているのです。
 どこかお怪我をなさったのでしょうか。
 それに気がついて改めてノーマン様を観察してみれば(本当は失礼なことですが)、右手の白い手袋に対して左手は、素手に白い包帯を巻いた状態でした。
「お客様がいらっしゃいましたの?」
 奥からアンネルの声がします。
 ぱたぱたと軽い足音が近づき、
「お客様も、お茶をいか…」
 とアンネルが顔を出しました。
 ノーマン様におどろいたのでしょう。
 語尾が間の抜けたように途切れてしまっておりました。
「あー、騎士様!」
「青い騎士様だ!」
 すぐ後ろから今度は孫達の声です。
 店の中が突如に騒がしくなってしまいました。
「こら!も、申し訳ございません」
 アンネルが慌ててノーマン様の方に駆け寄ろうとした子供達を後ろから捕まえて留めます。
 中々よい反射神経…と、それどころではございません。
 せっかく来て戴いたのにこのように騒がしくては……。
 しかしノーマン様はまずアンネルにご婦人に対する会釈をみせ、そしてその場に片膝をついて孫達に視線を合わせると、
「ノーマンだ。よろしくな」
 とクレシュの頭を撫で、リリの小さな手を取りキスをされました。
 さすが騎士様。
 リリは頬を染めて無邪気に喜んでいます。
 すっかり恐縮して言葉を無くしてしまったアンネルとアレクシーを余所に、私は改めてノーマン様に椅子をすすめました。
 すでにカウンターの上に置かれたそれに目を留められたノーマン様の双眸が驚きに見開かれました。
「これ……は……」
 何故ここにこれが? とでも仰りたいような戸惑いの色を双眸に表し、恐る恐る時計を手に取られました。
「すっかり直りました。後は装飾をつけるだけです」
「直……った?」
 何やらお話が通じていないご様子。
 私はとりあえず、正直にお話する事に致します。
「ええ。だいぶひどく傷がつき、歪んでしまっていたので」
「…………」
「これは、ノーマン様の時計と伺ったのですが?」
 眉目に影を落とされたノーマン様は、ですが私の問いに顔を上げて笑みを見せてくださいました。
「これは、二十年前に母がここで購入したものです。その時、俺も一緒だったらしいのですが、覚えていなくて」

 ノーマン様のそのお言葉に、私の脳裏に光が灯されました。
 そう。
 私は、自分の作品を決して忘れない。
 そして、その作品を作り上げる時に想ったお客様のことも。

 ノーマン様のお顔を間近で見て思い出しました。
 店にやって来られた、黒髪の女性。目立つような美人というのではなく、たおやかで清潔的な雰囲気のお綺麗な方でした。
 確かに、彼女の片手には、幼い少年の手がつながれていました。
 無口であまり喋りませんでしたが、利発そうな少年でした。
「おお……あの時の…」
 私は懐かしさのあまり、何度も頷き返してしまいました。
「騎士団に入団する時に、守りにと母から譲り受けて以来、ずっと身につけていたのです」
「そうでしたか」
 ほう、と後ろの方からアレクシーの溜息が聞こえてきました。
 少しはこの老いぼれの事を見なおしでもしたかと期待したいところです。話しの区切りと見て、アンネルもお茶の用意をしに奥へと戻っていきました。
 子供達は、部屋の隅にある椅子にちょこんと腰掛けて、ノーマン様をずっと眺めています。
 話しの区切りがついたところで、
「失礼ですが…」
 私は、ずっと疑問に思っていたことを打ち明けることにしました。
「キース様がこの時計を持ってこられた時には、時計蓋に酷い傷がつき、文字盤も歪んでおりました。一体…、どうなされたのですか?そう滅多なことでは…」
 すると、それと分かるくらいに、ノーマン様の双眸に悲しい影が落ちました。自らを恥じるように。
「申し訳ない…。恐らく多分それは……」
 といいながらノーマン様は包帯がされた左手をカウンターに乗せられました。
「先日、辺境査察の任務に当たっていて、不覚にも魔物の群れに隊の背後を突かれました。その戦いの時におそらく時計が」
「魔物!?」
 子供達の声がノーマン様の言葉を遮って響きました。
「大人しくしていなさい」
 アレクシーに注意を受けて子供達は身をすぼめて大人しくなってしまいました。
「魔物と戦いになられて……お怪我をなさったのですね?」
 痛々しい包帯に私が目をやると、少し恥じらいを含んだ苦笑でノーマン様は頷かれました。
「三日三晩、意識が無かったようです。未熟でお恥ずかしい」
「……」
 ちょうどお茶を運んできたアンネルが絶句する。
「という事は、ノーマン様はこの時計をどこに装着なさっていたので?」
 私の質問にきょとんと子供っぽく目を丸くされて、ノーマン様は自らの左胸に手を当てられます。
「首にかけて、内側の胸ポケットに」
「そうでございますか」
 脳裏で蟠っていた謎が全て氷解致しました。
 キース様が数日前にこの壊れた時計を持ってきたこと。
 一週間以上経ってから現れた、お怪我をなさった様子のノーマン様。
「それはきっと、この時計がノーマン様のお命を守ってくれたのでしょう。お母上が守ってくださったのですよ」
「…………」
 ノーマン様の瞳が真直ぐに私を見つめます。
 私が満面の笑みと頷くと、ノーマン様は左手を左胸元に添えました。
 恐らくは、そこに酷いお怪我をされたのでしょう。
 寸でのところでこの時計が命を救ってくれたのだと、思い出しているのかもしれません。
「キース様が、それはご熱心に私にこの時計を直してくれと懇願されました。一週間以上前の事ですから、ノーマン様が意識不明で臥せっておられた頃ですね。ノーマン様の御快復を真剣に願うお心故でしょう」
 ノーマン様を救ったこの時計を直せば、ノーマン様が目を覚まされるのではないか。
 そんな神か藁でも、この際この町外れの時計職人でもいいからすがりたいという健気なお気持ちが、ひどく尊いものに感じられます。
「…………」
 ノーマン様は、時計を見つめて無言です。
 整った口元が、溢れる感情を堪えるように唇を噛んでいます。
 泣き出すのを我慢している幼い頃の孫達のよう。
 カウンターの端に座っているアレクシーも、先ほどからノーマン様のご様子を見つめたまま、言葉を無くしています。
 お茶を載せた盆を持ったままのアンネルも、背中で感じられる雰囲気から、恐らくは同じようにノーマン様を見つめたままなのでしょう。
 騒がしかった子供達でさえ、肩を寄せ合って青い騎士様のお顔を覗き込んでいます。

 やれやれ。
 やはり騎士団長様といえ、
 私のような年よりからすれば、やはり愛らしい子供と一緒ですな。

「さて」
 私はカウンターの引き出しからスケッチブックとペンを取り出しました。
「…?」
 ようやく顔を上げたノーマン様に、
 私は満面の笑顔を向け、こういいました。

「さて、ノーマン様に最もお似合いになる装飾をおつけしますよ」


 わたくしは、ロストリア城下町にて時計屋を営んでおります。
 姓をドルレージ。名は曾祖父の名を受け継ぎドミトリアンと申します。随分とたいそうに大袈裟な名前ですが、しがない下町の古い時計屋でございます。

 本日も、お客様のために世界に二つとない時計をお作りしております。




END
2006.06.16.Fri/13:35
群青の獅子騎士団

団長:ノーマン・グレンヴィル(28)
副長:デルク・セタ(36)
参謀長:アレスト・ギュンター(31)
総隊長:バルトーク・ウィラス(38)
第三隊長:レセスト・グルノーブル(35)



紅蓮の紅虎騎士団

団長:キース・リブルロット(28)
副長:ユベル・ワルテロン(29)
参謀長:マグヌス・ハーベスト(58)
総隊長:エリアス・マキシム(35)



黒曜の練狼騎士団

団長:クロス・ガストロイ(35)
副長:ショーン・レセット(37)
参謀長:ラーズ・フィブロドイル(48)
総隊長:ヒルトン・シュタイン(33)
第二隊長:ラングレー・ウラス(34)



月光の聖竜騎士団

団長:クレソン・ノースバーグ(45)
副長:ヒューズ・ベリル(42)
参謀長:ケイント・ベルリオーズ(60)
総隊長:ランドン・シュトック(39)


その他
軍医長:リュー・ヒラリス
2006.06.16.Fri/19:25
  毒:サンプルP2 
第一章・起始



 火影からかかった召集命令に従ってカカシが官邸に来てみれば、そこに同じく集ったのは、上忍が総勢五人。
「A級任務を命ずる」
 との火影の厳凛な声に、カカシを含む五人の上忍の間に沈重な空気が漂った。
 だが、次に火影の口から出た任務内容に、その沈黙は打ち砕かれる事となる。
 
 任務に赴く先は、巽の国。
 木の葉から一直線に南に線を引いた先に位置する、小国だが、歴史の深い古国である。
 だが現在、この国は対立する二つの勢力によって二極に分断されていた。ほんの数年前、突然一部の一族が反乱を起こし、それが起爆剤となり内紛が広がったのだ。
 古国にありがちな、政治思想の不一致からくる内紛問題といえば単純だが、対立する二つの勢力の因縁を辿れば何千年分もの歴史をひもとく必要がある。
 第三者的に分類すると、保守派と革新派に分けられる。
唯我独尊の鎖国的思想を持つ前者、保守派の陵(みささぎ)一族の派閥。そして忍び五大国を始めとする他国との国交をすすめ、古国伝統に加え新文化を取り入れようと考える後者、椚(くぬぎ)一族を中心とする、革新の一派。
 国交問題の中心に位置する忍び五大国にとっては、後者の方が当然、好ましい。
 巽の国には、隠れ里のような忍びによる軍事力は存在しないが、豪族独自の術や武術、血継限界一族が多く存在し、そうした強い力を継承する民族達が存在する。加えて古典技術が発達しており、火薬・武器の発展も目覚しく、国の軍事力として強大な力を発揮し、国内政治にも大きな影響力を与えていた。このままこの国が、極端な保守思想の下、陵一族に統一されれば、他国にとって脅威になりかねない。
 近年から椚一族が徐々に国外の援助勢力を味方につけ、両者の勢力は互角というところ。
 だがここ一年余り、完全な膠着状態が続いていた。
 椚一族には決定的な行動に出ることが出来ない理由があったのだ。
 火影の口から、巽の歴史が淡々と語られていくごとに、そこに集まる上忍らの表情が固く、そして曇りを帯び始めていた。そして、任務内容が明確に示された。
「今回の任務は、陵一族が制圧している聖域領の奪回、そして、神器の押収だ」
「…!」
 やはり、と言うべきか、まさか、と言うべきか。
 いずれの面々も、驚動を隠しきれない。
 火影の御前という事を一瞬忘れ、皆、顔を合わせて当惑する。
 一人、前方を見据えて微動だにしないカカシでさえ、唯一露出している右目端がわずかに震えた。
 巽の国はかつて、聖政制度を古来より続けてきた。
 現在は歴史書にも記されているが、過去の大革命によりそれは廃止され、表面上は民主国家の形をとっているが、それでも聖君の末裔が代々、政権を握ってきた。
 巽の国の中心に位置する聖域領は、この国にとって宗教的に重要な意味を持つ場所の一つであり、古来より伝わる数個の神器は政治権力の象徴であり、これらを手中にしない限り、国民を統率する権利を得る事が出来ないのだ。
 椚とはいえ、聖政の専制政治に逆らうとも、宗教的精神思想にはむかう事は、巽の名を捨てる事と同じく、出来ないのである。 
「しかし、そんな戦規模の任務を我々たった五人で…?」
 他を代弁し、一人が火影に提言する。
 そうした反応を予測していた火影は、口元に笑みを浮かべて「心配するな」と肯く。
 納得の行かない様子の五人をよそに、火影は任務内容、そして作戦の詳細を淡々と説明していく。最終的に彼ら五人が完遂しなければならない事は、
「ここにある、敵方首脳陣一覧に添って、各々の首級そして金印を入手すべし」
「神器を見つけ出し、以下の場所まで届け、進呈すべし」
 と、概略して以上の三つだ。
 作戦自体は、さほど複雑ではない。
 だが、誰もこれが計画通りに進むとは思っていない。
 作戦計画書を各自手渡されても、未だに納得のいかないいぶかしげな表情を浮かべる五人に対し、火影は最後に付け加えた。
「それと、最後にお前達に渡したいものがあるんじゃ…」
「?」
 いぶかしがる五人の上忍の前で、火影は小さく肩をすくめた。上忍らの前から踵を返すと、大文机の上に置いてあった小箱を手にした。
 それを徐に、くの一に手渡す。
「任務に赴く前に、必ずこれを服用するのじゃ」
 と付け加えて。
「服用?」
 木箱を手渡されたくの一が、蓋を空けた。
 四人がその周囲に集まり、上から中を覗き込む。
 中には、黒い漆塗りの小壷。蓋がしてあり、札で封がされている。そして、四つ折りにされた紙切れが添えられていた。
「任務中も、その説明書に添って服用を続ける事。必ずだ。これは絶対に怠るでないぞ」
 何度も、火影は念を押し、その後ろで肯く。
「何の薬なのですか?」
 くの一が、火影に訊ねる。火影は煙管をくわえると、白い煙を一つ、吐きだした。
「心配するでない。木の葉のとある薬剤班が調合した薬じゃ。腕は確かじゃ」
「何のための薬なのですか…?」
 問われた質問に直接答えようとしない火影に、くの一は不満足げな苦笑を内に隠して、再び問うた。
 口から煙管を離し、火影は再び静かに笑った。
「何やら巽の方では、疫病が流行っているらしいのでな…」
「……」
 火影の言葉の意味を、カカシらは後に知る事となる。

2006.06.17.Sat/12:06
  逆拘 第5話 
 
  逆拘5

 

 体中全ての神経を走る痛みに、カカシは声さえ出せずにその場に崩れ倒れた。
 全てが、目に映る全てが、まるで遅回しの映像の様に緩慢に揺れている。
 森の濃緑に遮られて薄暗い森が、意識と共に暗闇にとけ込んでいくようだ。

 そんな中で、

 腹部が焼けるように熱い。
 そこだけ、鮮烈な感覚をかろうじて保っていた。
「馬鹿な………」
 カカシの脳裏に浮かんだ、最初の言葉だ。
 先ほどまでイルカを蝕んでいた殺気や悪気は何も感じられなかった筈なのに…。
 現に今も。
 地に伏すカカシの眼に、イルカの足先がある。
 一度、砂利を踏みつぶすように動いた。
「い、イルカ先生っ…!」
 と背後から、ナルト達の叫ぶ声がして、
「カカシ先生っ!しっかり!!」
 すぐさまサクラがカカシの側に座り込んだ。

 -馬鹿野郎 こういう時は逃げろ

 叫ぶべき言葉も、痛みが喉を塞いでしまっている。
「どうして、どうしてだよ!イルカ先生!!カカシ先生が分かんないの!?」
 ナルトが、イルカの腰にしがみつく。
 そこから見上げるイルカの、紅に塗れた手が見えた。

 -早く逃げろ 殺されるぞ

 薄れ駆けた意識の中、声にならない声でカカシは叫ぶ。
 それは声にならず、喉の奥でかき消される。
 カカシの側にしゃがんだサクラも、イルカを見上げる。
 ナルトの隣に立つサスケが、腰にあった苦無にそっと手を伸ばす。
 だが、イルカの口からは
「分かるさ…。当たり前だろ?カカシ先生はカカシ先生じゃないか。お前達の担当の上忍で………」
 という、
 安穏としたイルカの声。言葉。
「何言ってるんだ三人とも…」
 と微笑みさえする。

「え……?」

 震える声が三つ、重なった。
「…………何……?」
 薄れ駆けた意識を突き刺されたように、電流が走った気がした。
 穴をあけられた腹を押さえていた両手が、血で塗れている。その両手を地面につくと、カカシはやっとの思いで上半身を起こし、頭を上げた。
「カカシ先生…っ」
 寸時、安心したように表情を輝かせたサクラだが、ぼたぼたと音をたててカカシの腹から血液が滴るのを目の当たりにして、青くなる。
「…………」
 イルカと眼が合った。
 途端、イルカの表情が変わる。
「………カカシ…先生……?」
 口元から、言葉が零れ出すように、カカシの名が紡がれた。
 未だ血が滴る右手を胸の前に掲げたまま、イルカがふと気づいてカカシに向き合う。
 腕の力だけでようやく顔を上げているカカシに、
「……流石、しぶといですね……」
 イルカの右手が伸びた。
 「!」
 「待て!」
 顔を強ばらせたサクラの前に、サスケの手が突きだされてイルカの腕を取った。
 強くサスケの手に握られて、イルカは「どうした?」と言いたそうにサスケを振り向いた。
 双眸に鋭い光を宿し、サスケは厳しくイルカを見据える。
「どうするつもりだ…。殺すのか、こいつを……!何故」
「………何故?」
 サスケの言葉に、イルカの眉間が動く。
「殺さなければならないからだ」
 けれど…
「殺したいわけじゃない…」
 でも
 殺さなければ
 殺すべきだ
 殺す
 どこだったか
 いつだったか
 感じた事のある、感覚。
 ただ一つ、
「殺せ」という「命令」のもとに、ただ動く自分……

「ああ、そうだ……」
 サスケに捕まれた腕を、イルカが軽い仕草で振り解く。
 止めようと動くサスケより早く、イルカはその場にしゃがみ込むとカカシの顔を包み込むように右手を当てた。
 その指先に、人とは思えない力がこもった。
「ぐっ…」
 頭蓋骨が軋む。
「やめてってばイルカ先生!!」
 ナルトがその腕に飛びついて、引き剥がそうとする。
 サスケやサクラもすかさず、イルカの腕を懸命に引く。
 だが、まるで鉄のように、びくとも動かない。
 三人の子供達が腕や肩を掴んで引き動かすのも余所に、
 イルカの瞳はただ一点
 自らの指の間にある、カカシの額当てに隠れた瞳のみに、向いていた。
「……写輪眼…………」
 イルカの、低い呟き。
 カカシの顔を掴む指の間から、イルカの表情が冷めていくのが見えた。

 写輪眼

 忌み呪われた、傷を残す己の左目。
 だが今ほど、その運命を自ら呪った事は無い……
 唯一露出しているカカシの右目が、見開かれた。
「……っくしょう!」
 鋭く吠えて、カカシは在る力全てで体を起こすと、
 顔を掴むイルカの腕を叩き解いた。
「!」
 反動で、イルカの体がわずかに揺らいだ。
 その隙に、カカシは左手で腹部を押さえつけた体勢で後ろに飛び退いた。血痕が跡をつける。
 サクラが苦無を抜いて、カカシの前に立ちふさがるように両手を広げた。
「……」
 イルカがゆっくりと、その場に立ち上がる。
 まだ力が入ったままの、右手を見つめて。
「ところでナルト……」
 呟くように名前を呼ばれ、
「な…何……?」
 眉間に皺を寄せたナルトがおそるおそる、応える。
 イルカは、赤く塗れた手のひらを見つめたまま、空虚を写した瞳で問う。
「俺……何をしていた……?」
「え…?」
「書類と薬を届けに来て………それからどうしたっけ……?」
「イルカ……先生……」
 ナルトの隣で、サスケが振り払われた手の甲を擦る手を止めた。
 しばし掌を見つめて思案していたイルカだが、やがて決心したように顔を上げた。
 血に濡れた掌を、きつく握り締めると、そこから血の滴りがおちた。
「まあいい……。とにかく、『あの人』を殺さないと……………」
 黒曜石の瞳が鈍いろに光った。
「!」
 一番先に、顔色を変えたのはサクラだった。
「嘘……まさか……」とうわごとのように呟く。
 サスケが、サクラを一瞥する。
「く………っ…」
 止めどなく流れる腹部の血を手のひらで受けながら、
 唇をかみしめる事で目眩から逃れて、
 覆面の下から荒い息を吐き、油汗を額に浮かべて…

 カカシも眉目に影を落とした。

「そのまさか……だな………」
 術が中途半端に解けかかった状態で
 正当では無い形で強制的に術者が死ぬ事で操作が解かれたのだ
 イルカの身体と精神に、多大な圧力と不可がかかってしまったのだろう。

 完全に
 彼の精神は混沌の中にあった。

 カカシを殺す

 この最も強い「命令」だけが残ってしまった。

 しかもイルカの場合…………
「私のせいだ……私が余計な事をしたから………」
 苦無を握るてを震わせて、細く小さな体全体を縮ませて、サクラは息をのむ。
 声調も、震えて消えゆきそうに涙に揺れていた。
「お前がいなければ、俺も先生もお前達も、死んでいたさ……」
 精一杯の呼吸でカカシが絞り出した言葉に、サクラは勢い良く首を振った。
 目尻にたまった涙が飛ぶ。
 潤んだ視界の中で、ナルトとサスケの制止を振り解いてこちらに向き直るイルカの姿がある。
「ど…どうしたら…どうしたらいい?…何をしたらいいの…っ!」
 苦無を握り、両手を広げて大の字になってカカシの前に立ち塞がったまま、サクラは声を震わせた。
(…………畜生……)
 巡らせようにも、朦朧とする意識が思考力を奪い取っていく。
 多量の出血に、体温が奪われて寒気さえ覚えてきた。
 体をさせていた膝が、少しずつ笑い始めている。
 呼吸も、おぼつかなくなってきた。

 ………畜生っ……!

 自分の全てに、カカシは嫌悪した。
 以前の自分には考えられない、油断。甘さ。
 何がここまで己を変えたのか……それさえにも
 忍びの掟に従って任務に従事していた頃の己を、思い起こす。
 窮地に対する処方は、決まり切っていた。

 この場合、中忍が死ぬべきなのだ
 当たり前の事ではなかったか。

 知らず、嘲笑が口元から血と共に漏れる。
 定石通りに動いたなら、始めにイルカを殺し、その後に三兄弟を始末すればそれで済んだのでは無いか。
 気を失わせようなどと、下手な画策よりよほど簡単だったはずだ。

「畜生……っ…」
「え…?」
「最悪だ」
 血反吐と共に吐き出されるカカシの独言にサクラは背筋を震わせた。
 冷たい汗が伝っていく。
 少し遠くで、直立したイルカがこちらを見据えている。
 彼は今、ただ一つの意思の元に動いている。

「カカシを殺す」

 私情や欲求や都合
 そして、位、掟さえも
 全てを放棄し、消去して、ただ実行する。
 それが、特工。

 一方、示された標的を地獄まで追い仕留める。
 徹底した上下関係。徹底された掟の厳守。
 それが、暗部。

「最悪だ……」
 もう戻るまいと、思っていたのに……。
 もう戻らせまいと、思っていたのに……。

 

 

続く
2006.06.17.Sat/13:29
  Over the Wall vol.9 


遺品・二〇〇〇年 十月二十四日

 喬木巡査部長は、依然としてダイエットに成功していないようだ。
 刑事は俊敏さが命だからな、と言いながらおにぎりを頬張っていた十五年前を思い出し彰人は苦笑した。『目標マイナス十キロ』は未だ遠い道のりと見た。
 警察署に足を運んだ彰人を見つけるや否や、喬木は開口一声「申し訳ない!」と巨体を折ってカウンターに手をついた。周囲の警官や刑事達が揶揄の視線を送る。彰人は喬木を許すしかなかった。
 電話で口を滑らせた荒川の失態は、上司とはいえ喬木に直接的な責任は無い。彰人の複雑な気持ちはまた、行き場を失ってしまった。
「もういいですから……」
 深々と頭を下げる喬木の肩を叩く。それでもまだ、喬木は肩をカウンターに付ける様に上半身を折ったままだ。
「喬木さん、遺品、見せてください」
 そう彰人が促すと、ようやく喬木が顔を上げ、初めてまともに彰人と向かい合った。心底落ち込む表情をしている。得な人間だなと、彰人の心に皮肉が浮かんだ。
「では、こちらに」
 案内され、オフィスの造りになっている部屋を抜け、人気のない広い廊下に出る。突き当たりまで廊下の両側に三つずつドアがあり、それぞれに「OA資料室」「第二資料室」「第三倉庫」と手書きの張り紙がしてあった。
 その内の一番奥、表示の無い部屋の前で喬木は止まった。ズボン後ろポケットから鍵束を取り出し、鍵を選んでいる。
「それにしても…君も大きくなったな」
 鍵がぶつかり合う音に重なって、喬木が呟いた。電話での不手際がなければ、まずお互いの久しい再会を喜び合いたかったのだろう。
 喬木が最後に彰人に会ったのは十三年前、彰人が中学を卒業する前だった。
「まるで私がまだ子供みたいですね…」
 会話を合わせた彰人に、喬木の表情が更に和らぐ。急に老け込んだように見えた。
「そりゃあね。代沢彰人は、俺の中でずっと細っこいガキのままだったんだよ」
 探し当てた鍵を鍵穴にあてがう。
「もう二十八ですよ」
「そうだなー…まさか君が医者になって同じ業界に入ってくるとは……」
「意外でしたか?」
 ドアが開いた。空調が効いていない室内の冷たい空気が廊下に流れ出た。喬木は手だけ部屋に入れ、電灯のスイッチを探る。
「いや……珍しい事じゃないけどね、君みたいなタイプ」
 医療関係・警察関係者・法律関係者の中には、幼い頃の経験に大きく影響された人が少なくないと喬木は言う。
「でも人生にいつまでも何かが引きずってついてくるってのも可哀相な気がするんだよ……俺の思い込みかな」
 裸電球が灯った。狭い室内はそれで十分に明るくなった。
 小さな机と、背もたれの無い丸椅子が二脚。そしてダンボール箱やボックスを積んだスチール棚が壁際に四方に並んでいる。壁を埋める棚の間に申し訳程度についている小さな窓。剥き出しコンクリートの部屋にあるのはそれだけだった。
 入室後にドアを閉めると、湿った冷たい空気が首筋を伝う。彰人は軽く身震いした。椅子を一つ勧められ、デイバックを足元に置いて座る。喬木は、ボックスの一つを探り、中からビニール袋に包まれた四角い物を取り出した。
「これがそうだよ」
 どこにでもあるスーパーのビニール袋に包まれたそれは、大きさが文庫本サイズで、手渡された感触は硬かった。そして重かった。
「………」
 瀧袴の遺品を手に、彰人は暫くビニールに包まれたままのそれを眺めていた。そうしている彰人を、喬木は見守るように立ったままでいる。暫く静寂が空気に漂った後、彰人は手にしたビニール包みを机に静かに置いた。
「ま…それをどうするかは、全く君次第だから」
 複雑な心理に戸惑い気味の色を視の奥に見せる彰人に、喬木は気を遣いたいようだ。
「喬木さん」
 机を見つめたまま、彰人が呟く。
「ん?」
「お願いがあります」
「お願い…?」
 彰人がビニール包みをテーブルに置いた手を、膝の上に乗せる。その何やら改まった雰囲気を感じて喬木も丸椅子に腰掛けた。
「尚人が…弟が、今後何かを探ってきても真実を告げないようにしてほしいんです」
 自らの責任を改めて突きつけられた気がして喬木の表情は再び曇った。
「…電話の事は、悪かったと思っている」
「いえ…」
 頭を下げ掛けた喬木を止める。早かれ遅かれこうなる、と呟くと喬木は直接彰人の目を見やった。その目を見ながら彰人は、
「弟は…」
 専門家としての記憶と、言葉を探る。
「弟は、何かに気付いています。感じ取っているんです。あいつも何か隠している。あの交通事故から、言動に変化が現れました」
「そういう事が専門だからな、君は」
 喬木が頷く。彰人は兄の立場から弟としての尚人を見る以前に、代沢尚人という一人間を客観的に観察、分析する技能と知識を持っている。コミュニケーションとスキンシップを中心に意思疎通と相互理解を深める一般的な人間関係を、机上理論として第三者の立場をとって眺める術を彰人は学んでしまっていた。それで周囲との接触行動が希薄になっている事を彰人自身は自覚していない。
「もう感づかれているかも…でも全て知られてしまう事だけは、避けたいんです」
 同情を顔に表して彰人を見ていた喬木の顔から、彰人の話しを聞く内にその表情が消えていった。包容力を感じさせる温和な表情をしている。
「ずっと隠し通すのかい?このまま」
 俯いたまま一度頷いた彰人は、一瞬戸惑いの色を瞳に浮かばせ、そして顔を上げた。視で喬木にその言葉の意味を問う。
「本当の家族……っていうのは、何て言うか…きれいなものも汚いものも許しあえられるから、他のどんな人間関係よりも深いんじゃないか?」
 喬木の稚拙な言葉の使い方が、実に効果的に響く。外見に似合わない気障っぽい言葉の流れに照れる表情を見せず、喬木は淡々と語る。視は彰人の頭上を通り越し、この部屋唯一の小窓から見える殺風景な署の裏庭を、遠い目で見ていた。
「これこそ、君の専門範囲内だと思うけど…多いだろ?家族関係がマズイとかが原因で君の所に来る患者とか、警察の世話になるガキとかってさ……俺、そういうの信じられないんだよ」
 長い前置きと遠回しに話しを進めるその先――結論は見えていた。だが、言葉を割り込ませる隙が無い。
「人間は、必要なんだよ、この世の中に自分にとって『絶対的存在』っていうのが」
 ここで喬木がいう「絶対的存在」とは何を指しているのだろうか。
 人間は、地球上生物上で唯一、自己探求する事で精神的に成長していく生き物である。人間は、自分の環境に存在する者・物に同一化し、そこから情報を吸収して成長し、そして次なる同一化の対象を探す。それの繰り返しだ。初めは最も身近な自分とは異なる存在―両親から、そして次第に外界に向かう精神は次に教師、友人、アイドル、ヒーローなどの自らが成長した事によって選んだ「自分にとって重要な、意味のある他人」に同一化し、また成長する。
 この心理学的理論に当てはめられると、彰人は思った。
「ずっと傍にいて、どんな我が侭も許してくれる、どんな自分でも受け止めてくれる存在っていうのが必要なんだよ、俺達は。じゃなきゃ…寂しいじゃないの」
「例えばだな」と喬木はここで彰人に向き直った。彰人の視の奥に入り込み、心の中を覗き込む様に、深く、見つめる。
「俺にとっては母親と女房…尚人君にとっては君、君にとっては尚人君みたいに、だな」
 ―――違う。
 彼の言っている事は違った。彰人が描いていた心理学的理論とは違った。
「絶対的存在」
 彼の言うそれは、全ての自分を受け入れてくれる存在…――彼にとってはそれが「母親」だという。
「母親」
 心理学の多くの理論の根底にはこの存在がいる。母と子の肉体的繋がりは精神的繋がりであり、男女間の繋がりでさえ前者が根源にあるという。女性崇拝者である心理学講座の教授は、こうした女性の生の創造者としての神聖さ、尊さ、偉大さを蔑ろにして物理的「力」に奢る男の社会を批判していた。
 学生として、医者として、十年近く学んだ「母親」の基板上に積み上げられている人間の精神・心理の、その根本的認識、理解が彰人は出来ていなかった。
 認識不足の自覚はある。その話が出る度、自分にもかつて十三年間傍にいた「母親」を思い出す。十三歳までの自分にとって「母親」とは何だったのか、考える。
 だが、答えは出ず終いだった。
 その「母親」と「兄弟関係」を、今喬木は並列させて例えた。
「血の繋がりとかも関係なくて…ほら、女房なんかは他人だけど、俺には絶対必要な存在なんだよな」
 喬木はここで初めて照れ笑いを浮かべ、両手を机の上で組み少し前屈みになった。
「ごめんな、言いたいことがうまく言葉にできなくてさ」
 喬木は彰人自身の口から答えを出させようとしている。彰人もよく使った手だ。そう思うと、余計に唇を噛み締めたまま口が開かなくなってしまう。黙り込む彰人を見つめる喬木。また暫しの静寂が冷たいコンクリートの部屋に漂う。それを破って喬木が丸椅子から立ちあがった。コンクリートに擦れたゴムの音が響く。
「ま…分かってると思うけれど…」
 背後のドアの前に立つ。右手でドアノブを握ったまま、彰人の方を一瞥した。
 ガチャッ…というドアノブが回された音で、彰人が喬木を引き止めようと椅子から腰を浮かせる。喬木はそれに気付かない振りをした。
「一応、署内には、手回ししておくよ。君の頼みごとだからね」
 と、喬木は彰人に猶予を言い渡して静かにドアを閉めて出て行った。規則正しい足音が、閉ざされた室内から空しく遠ざかっていく。
「後は自分で考えろって事か…」
 一人残された殺風景な部屋は、思索に更けるには相応しくないが反省部屋には使えそうだ。改めて室内を見回す。打ちっぱなしのコンクリート、小さい窓、そしてそこにいるたった一人の自分。ここはまるで、独房。
「………………」
 彰人の視線は、自然に机の上に行き着いた。そこで無言に彰人と向き合う冷たい物体、遺品。今は死んだ人間の、生きていた証。特定の人間、彰人にあてられた、証、刻印。
 それを包み隠す、テープでとめられたビニールを彰人は丁寧に剥ぎ取った。
 乾いた感触が指先に当たる。
 それは一冊の本だった。否、本の様に製本されている、市販のノートだ。元は白かっただろう表紙、裏表紙は黄ばんで、所々赤茶けていた。中を開くまでも無く隙間無く書き込まれているのが分かる。長い時をかけて湿気を含み、紙が膨らんでいた。
(日記?)
 ノートの作りから、そう思った。
 陳腐だ。
 日記の遺品…可笑しい程にありふれている。
 苦笑を口元に含みながら、彰人はハードカバーの表紙を捲った。


 
 出迎える者のいない家に帰宅した尚人は、薄暗い室内で無意識に兄の姿を探した。
 今日当たり彰人が例の「遺品」を取りに行き、何らかの事を自分に説明してくれるのではないかという不安と期待を抱きつつ、今日一日を過ごした。
 だがそれは裏切られ、人がいた気配も見せない冷たく暗い部屋が尚人を迎える。
 彰人は仕事だ。いつも通りだ。分かっている。
 だけど、仕事にかこつけて自分から逃げているのではないのかと今日は思う。八割がたそうだと強く思っている。
 逃げている。自分から。
 要因は自分だ。彰人に非がある事は考えたくない。
 あの兄に「汚れ」がある筈が無い。あってはならないのだ。
 叔父と叔母の元で生活していた時から、彰人は尚人が見る世界の全てだったから。
『たった一人のお兄ちゃんなのよ、仲良くしないとね』
 そう言われつづけて、そう信じてきた。
 たった一人。ただ一つ。失ってはもう何も残らない、だけど存在する限り、「絶対」。尚人にとってそれが、彰人だ。日常だった。
「そういえば今日、小河原欠席だったな…」
 そんな事を思い出しながら、ますます暗闇が深くなっていく窓の外に気が付いた。まずカーテンを閉めて、電気を点けよう。そうすれば、眩い光がすべての暗闇消し去ってしまうだろうから。そして日常が戻るはず。
「腹減った……」
 日常の生理現象が、尚人の腹を鳴らした。
 
2006.06.18.Sun/22:03
  ピクシーの女王 Vol.0 
ピクシーの女王



序章




 カミューとマイクロトフには、微妙な記憶のズレがある。 

「カミュー団長とマイクロトフ団長が初めてお知り合いになられたのは、いつだったのですか?」
 新同盟軍本拠地内の、昼はカフェテリアとなるレストランにて。
 両騎士団長が数人の若い騎士達に囲まれて共に軽い昼食をとっていた時のこと。ふと、若い騎士がそう尋ねてきたのだ。
 先に答えたのは、カミュー。
「正騎士採用試験でだよ。剣術の試験試合で対戦したのが、最初だったよね」
 同意を求めて傍らのマイクロトフに視線を送ったのだが、
「え?」と冴えない応えが返って来た。
「え?」と思わず鸚鵡返しにカミューは口に運びかけたフォークを止めた。
「違うのかい?」
「……もっと前に会っていなかったか?」
「いや?幾つの時に?」
 記憶のすれ違いに首を傾げる両騎士団長。
 若い部下達は興味深げにそのやりとりを眺めていた。
 下位騎士達にとってマチルダ時代には決して見ることの出来なかった団長の私的会話。その時の表情の一つ一つまでも全てが、珍しいのだ。
「………俺が…十……ニ、三の時…」
「それは無いよ」
 珍しく曖昧なマイクロトフの言葉を、カミューがあっさりと否定する。
「私は十六までずっと、グラスランドにいたからね。ロックアックスには試験を受けた年齢、十七になる少し前に初めてやってきたんだよ」
「そうなのか。では、あれは誰だったんだ」
 合点がいかない様子で眉を顰め、懸命に記憶をさぐるマイクロトフ。無意識に動かしていた人差し指がグラスに当たり、その度に涼しげな音を立てていた。
「人違いかい?」
「……いや、でも確かに俺は、その琥珀色の髪と、瞳の、そしてその赤い騎士団長服を着込んだお前を知っていた。記憶が非常に曖昧なのだが、しかし何故か、俺はお前を知っていたのだ」
「この騎士服かい?その年齢の時に私が騎士団長である筈がないだろう?」
 カミューの言葉に、はっと気がついたようにマイクロトフが顔を上げた。
「…そうだよな。そうだ。俺が十二の時にお前が赤騎士団長であったはずがないんだ。…そうだ。当たり前じゃないか」
 自らに言い聞かせた。それでも「しかし…」とマイクロトフは額に手を当てて悩み出す。意固地で頑固で中途半端を許さない彼が一度こうなると、納得がいく答えが出るまで終わらないのだ。
「前の赤騎士団長殿ではないのか?」
「前赤騎士団長様も、その前の赤騎士団長様も、いずれもロックアックスご出身の黒髪でしたけれども」
「ああ、そう」
 カミューの仮説は若い騎士の情報により即刻却下されてしまった。
「だいたい、試験会場で会った時には何も言わなかったじゃないか」
 とカミュー。試験会場にて「初めまして」と手を差し伸べたら、ぶっきらぼうにも「初めまして」と手を握り返してきたマイクロトフの姿を、彼は忘れてはいない。
「あの時は、初めて会ったと思ったからだ」
「なんだそれは」
 マイクロトフのよく分らない理屈にカミューは苦笑する。だが本人はいたって真面目なようだ。「馬鹿」がつくほど自分に正直であり、生真面目で正確で真直ぐな人間。
「しかし今この年齢になって改めて思い返してみれば、あの時が初めてではなかったように思うんだ」
「ファンタジー文学でも読んだのかい?」
「俺にそのような趣味は無い」
「そう?私は好きだよ。そうだな…今のマイクロトフにぴったりな話をしてあげようか。きっとそれはピクシーの仕業かもしれないよ」

「ピクシー?」

 深森や渓谷の奥地に生息する妖精属のモンスター、ピクシー。高度な魔法の他、人間の解地に無い特殊な妖術を操る。
 だがその姿を目にする事は稀で、その希少価値から商人世界の間ではその羽を煎じて服用すれば万病の解毒薬にもなるといわれ、高い値段で裏取引が行われているとも聞く。
 魔物退治任務の経験は多いが、マイクロトフを含め騎士団の中でこれに出会った者はまだいない。
「ピクシーの中でも高度な妖術を使う、いわゆる女王格のピクシーというのがいるんだ。美しい容姿、魅惑的な声音。黄金の羽を持ち、頭から生やした触覚は高貴な冠のごとく銀色に輝いているとか」
「………」
 何が言いたいのだとばかりに不思議そうな面持ちでマイクロトフは冷たく冷やされた飲み物を口に含んだ。
「その女王ピクシーだけが使えるという特別な魔法があるのだが…」
 カミューの語り口に若い騎士達の瞳が引き込まれるようにそちらに集中している。
「人間の記憶を盗んでいってしまうというんだ。昔見たグラスランドの民話の中に、不幸にも女王ピクシーに気に入られてしまった男が、次々と記憶を取りかえられて、波乱万丈、面白おかしい人生を送ったというものがあるんだ。時には他国の王様。時には酒屋の踊り子。時には占師…とね。面白そうな話だろう?」
「っ!」
 濡れたお絞りを突然額に当てられて、マイクロトフは驚いて身を引いた。手にしていたグラスを落としそうになり慌てて両手で抑える。その仕草に騎士達は、今度はマイクロトフの方を振り向いた。
 そんな様子を軽く笑いながらカミューは
「お前も、記憶を盗まれて挿げ替えられたのかもしれないね」
 と、少しだけ意地悪く不敵に微笑んだ。
 反してマイクロトフは、目を細めて拗ねたように溜息。
「お前、俺を馬鹿にしているだろう」
「うん」
 即答しながらカミューはテーブルに備え付けてあったキャンディーボールに入っていたチョコレートを一つ、口に放り込んだ。
「………」
「おや?」
 ここでいつもなら、「ふざけるな」と苦笑と共に軽い拳骨の一つも降ってくるのだが、カミューの予想に反してマイクロトフは冷たいグラスに滴る水滴の行方にじっと目をやったまま無言になってしまった。
「……ごめん、怒ったのかい?」
 流石に心配になってカミューは慌ててマイクロトフの顔を覗き込む。若い騎士達も、自分たちが向けた質問が余計な事であったのか、何かシラの傷にでも触れてしまったのかと不安になり、誰もが目を伏せ気味に黙り込んでしまっていた。
「え?」
 場の空気の変化に気づいたマイクロトフが顔を上げる。
 自分のせいで折角の憩が盛り下がりかけていた事に自責の念を抱く。
「悪い。いいんだ。恐らくは俺の勘違いだと思う。気にしないでくれ」
 慌ててそう取り繕った。
「なら良いのだけど」
 カミューが柔らかく笑った。
「折角だから、入団試験の時にマイクロトフと対戦した時の話でもしようか」
 そう付け加えると、若い騎士達が途端に顔を輝かせた。
 その流れのまま、カミューはいつもの如く面白おかしく、試験当時のマイクロトフがいかに緊張してガチガチだったか、自分が慣れない城内で迷子になっただのと、冗談をまじえて語り聞かせる。
 すっかり場の空気は温和なものに戻り、むしろ若い笑い声が幾つもあがり、華やかに盛り上がった。
 やはりカミューは流石だなと、マイクロトフも話に耳を傾けながら内心で親友に感謝の辞を述べる。
「あら、オモシロそうなお話しね」
「混ぜて混ぜて!」
 カミューの珍しい昔話を聞きつけて、テーブルに次々と新同盟軍の若い面々が集まってくる。
 いつの間にかレストランの中は、皆の思い出話に花で咲き乱れていた。







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2006.06.19.Mon/17:39
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北野ふゆ子

Author:北野ふゆ子
> 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。 得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。

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