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  朝陽 



 何度も、何度も、

 柔らかい手がイルカの髪を梳き、頭を撫でる。

 頬に添えられた優しい手は、

 体中に染み込む温もりを与えてくれる。



   イルカ……



 久しぶりに

 母親が夢に出てきた。



「ん・・・…母さ…」

 柔らかい。

 顔を、柔らかく暖かい何かが包み込んでいる。

 甘い匂い

 つい心地良くて、そこに顔を埋めたまま、朝陽の中でまどろむ。

 薄桃色が射した白。

 寝具の清潔な白とは違う、

 優しい色が目に入った。

「・・・・・・・・・…?」

 視界を妨げるその色に、イルカは焦点の定まらない目を見開いた。

 暖かな寝具に包まれ、心地良い朝陽を浴びて目覚めた朝。

「…何だ・・・…」

 左手をそこに、伸ばしてみる。

 触れたそこは、柔らかく、暖かく、そして触れたと同時に

「ぁん・・・…」

 微かな声がした。

「!!!!???」

 非日常的な音にイルカの意識は急激に覚醒へと向かう。

 柔らかな寝具から身を起こし、何が起こったのか確認すべくそこに目をやると、





 見覚えのある女が、ほぼ全裸でそこにいた。

 心地良さそうに寝具に包まれて眠っていた。

 つまり、



 イルカの隣で。



 そしてそれはつまり、

 先ほど触れたのは



「・・・・・・…」

 自分の掌を見つめて、イルカは寸詰まりを起こした思考回路をようやく動かして計算する。



 そう、先ほど自分がふれたのは、

 女の白く、豊かな ‐‐‐‐





「*+&%$#!@!!!!???」



 

 その朝、

 意味不明な叫びが、朝を告げる鳥の声に混じって里中に響いた。







     朝陽





「何よ朝から騒々しいわね…」

 その叫びにようやく目を覚ました女は、長い黒髪をおざなりに手で梳きながら体を起こした。

 寝具がずれ、白い裸の上半身が露となる。

「ちょっ!く、そん…あーもうっ!」

 またもや意味不明な言葉を羅列させながらイルカは枕を女に押し付けてそれを隠すと、

 それからようやく、自分も裸に近い姿である事に再び顔を青くした。

「・…・・…」

 黒髪の女は、陳腐な人形劇でも観劇するようにすました面持ちで枕を抱いたまま、イルカが自己完結するのを待つ。

 やがて、幾分冷静さを取り戻したのか、イルカは肩で大きく深呼吸すると背中を向けたまま女に言葉を向けた。

「あの、紅先生・・・……一体何が起こったのでしょうか……」

 後姿だけでも、かなりイルカが赤面している事が分かる。

 背中に残っている大きな傷跡が、赤みを帯びているのだ。

「上忍と話をするのに背中を向けたままでいいのかしら?」

 苦笑したいのを抑え、わざと平坦な口調で黒髪の女、夕日紅は短く言い放った。

「え、あ、はい、申し訳無…」

 悲しいかな中忍のさが。

 生真面目なイルカは寝台の上に正座する形で勢いよく紅を振り向く。

 そこには、枕をどかしてわざと胸元を露にした紅が…。

「ぎゃーーっ!!」

 壊れた人形のように、イルカは叫びながらまた勢いよく背中を向ける。

「女の胸を見て『ぎゃー』は無いんじゃない?傷つくわね…」

「す、スミマセン…」

 さすがに今度は振り向かないが、イルカはよりいっそうに顔を紅潮させて肩を窄めた。

「あ、あの…何か着て下さいませんか……」

 消え入りそうな声でそう懇願する中忍に、紅は気の毒とさえ思ってしまう。

「仕方無いわね」と苦笑して、壁に掛かっていた浴衣を羽織った。

「ほら、説明してあげるからこっち向きなさいよ」

 それでも半信半疑なのか、イルカは恐る恐る紅を振り向く。

 薄青の浴衣を纏った紅に、固まった表情に安堵を浮かべてイルカは振り返った。だが、その表情はすぐに緊張を帯びる。

「ん~…」

 まるでカカシがよくそうするように、紅は手を顎の下に添えて天井を見上げた。

 説明するための言葉を選んでいるのか、

 それとも悪巧みを計算しているのか、イルカには判りかねた。



「ま、後々問題になるような事はしてないし、されてないから、いいんじゃないかしら?」



「は?」



 『説明』はそれで終わりだった。



「それ、はどういう……?」

 整理がつかない面持ちでイルカは両目を細める。

「言葉の通りよ」

 よっこいしょ、と億劫そうな声と共に紅は寝台から腰を上げた。

「洗面所借りるわね」

「はぁ、どうぞ……」

 寝台から降りる際、紅の白い両足が浴衣からさらけ出る。一向に気にする様子もなく彼女は大股で洗面所の方へと消えていった。

「何で洗面所の場所を知っているんだろうか…」

 というイルカの疑問を置き去りにしたまま。

 そのうち、水が流れる音が山彦のように聞こえ始めた。我に帰ったイルカは慌てて自分も寝台から降りて、身に付ける物を探した。

 見れば、昨日着ていた黒の上着が、寝台近くの椅子に掛けられていた。無造作というよりは、形を整えて。

 触れてみると、それはわずかに湿り気を帯びていた。

「……………?」

 よく部屋を見渡してみれば、ところどころ床に濡れ跡が残っていた。

 窓から外をのぞけば、木々の葉に滴る露が、朝日を浴びて輝いている。

「雨が降ったのか…?」

 

 昨日。

 昨晩。

 学校で残業をして、家に帰る途中。

 人通りが少なくなった道に入って…

 

 そう、

 それから、記憶が無い。

 雨が降ったことさえ。

 学校を出る時点までは、紅がいなかった事だけは確かなのだ。



「っつ………」

 眩しい朝日に両目端を細めたとき、頬に僅かな痛みを感じてイルカは奥歯を噛んだ。

 手を頬に当てれば、先ほどまで気づかなかったが、ばんそうこうが張られていた。

 ちくりと、痛む。その手の甲にも、同じく白い包帯が。

「あれ~……?」

 まったく覚えの無い、傷の手当てがされているのである。

 それに気づくと、とたんに体中に痛みを感じ始めた。

 足、腹、胸、腕。

 心なしか、息苦しい。

「……」

「あまり思いつめない方が良いわよ?」

 顔をあげれば、洗面所から出てきた紅がそこにいた。

 よく見慣れた装束に着替えたいでたち。

「あ、いや、でも……」

 今浮かんでいた疑問符を隅においやって、イルカは慌てて上着を掴んで首と腕を通す。少し、冷たい。

乱れた寝具はそのままに、イルカは帰り支度をする紅の背中に言葉をかける。

「でも、何?」

「……俺、何も覚えていなくて……何か失礼な事をしてしまったのではないかと…」

「私が大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫なのよ」

 教師が生徒に怒るように、紅は伏せがちのイルカの顔に向き直った。

「それとも、もし何かあったとしたら、カカシに顔向け出来ないとか?操立ててるんでしょ?アイツに」



「はい?」



 素っ頓狂な声と共に、イルカの思考が再び止まったようだ。

「冗談よ、馬鹿ね。仲が良いのは知ってるけどさ」

 紅は、鈴が転がるような笑いを口端に乗せる。

 頭上に疑問符を幾つも浮かばせながら、苦笑と共に首をかしげるイルカの様子を眺めながら、

(あ~ら可哀相に。こりゃ、あいつの一方的な片思いね…)

 と紅は、今は長期任務で里を離れている銀髪の同僚に、少しだけ同情するのだった。

 冗談も通じないとは、これは完全なる天然的鈍感である。

 上忍であるはたけカカシと中忍であるうみのイルカが、互いの玄関を跨ぎあう仲であるのは、里内で有名な話だった。

 絶対的な身分を越えた、友人同士。

 男の友情。

 忍び社会では少ない、「良い話」の一つである。



 ただ、そう思っているのは中忍うみのだけで。



 銀髪の上忍に別の心情がある事は、彼を知る近しい者の間では明らかなことだった。

 たとえばこのくの一、夕日紅や猿飛アスマなどは。



「ま、とにかく気にする事は無いって事。忘れたければ、忘れていいのよ」

 場と状況に先ほどから混乱しっぱなしのイルカを少し哀れに思いつつ、早めに話を切り上げてやろうと紅は再びイルカに背を向けた。

「じゃあね」

「あ、あの…っ」

 再び、その背にかかる声。

 紅は振り返らず、「何?」と一言だけ答えた。

「御飯…」

「?」

 今度は紅が、頭上に疑問符を浮かべてイルカを振り返った。

 そこには、無理に落ち着きを取り戻した面持ちではにかむイルカの微笑があった。

 寝室の隣、台所の方を指差している。

「朝御飯……、召し上がっていきませんか?」

「……」

「これから、ご出勤でしょう?お互い」

 イルカの提案にしばし、不意を突かれたように大きな両目を数度瞬きさせると、

 紅も軽い笑い声を漏らしてうなずいた。

「じゃあ、お言葉に甘えようかしら」

 まだわずかに湿っている忍装束。

 雨独特の青臭い香りが染みている。



 服の代えをとりに行くのは、朝食を馳走になってからでも遅くはないなと、

 紅は促される方へと歩を進めた。











 香ばしい味噌汁に、素朴な味付けの煮物、丁寧に焼かれた魚に、うまい具合に炊かれた白米。

 誠実さが伝わってくるような、質素で、だが美味い朝食に空腹を満たした紅は、

 何度も頭を下げるイルカに見送られてうみの家を後にした。

「今日は、有給でもとって休みなさい」と忠告して。

 

「カカシが足繁く通いたくなる筈よねぇ…」

 うみの家から真っ直ぐに伸びた、両側を田畑に挟まれた道を、朝日に向かって歩く。

 まだ口の中に残る煮物の味に、時折唇をなめながら。

 繁華街から離れた閑静な場所。

 涼しい朝の風の中で紅は一人ごちていた。

「あんな美味しい『家庭料理』が食べられるんだから…」

 私も通っちゃおうかな。

 銀髪の同僚に対する意地悪を一つ思いつき、肩で小さく笑う。

「それにしても……」

 また、口の中で煮物の香りがした。

 整った、落ち着いた味だった。



-風邪ひくわよ



「…………」

 首筋を通る風に、身震いする。

 そういえば昨晩は、雨と一緒に風も冷たかった。

 

昨晩、

 下忍達の、遅くなった任務報告を終えて、家に向かう途中で雨に降られた。

 繁華街から外れた、人気の無い道端に、座り込む人影を見つけて足を止める。

 全身を濡らして、黒い髪からは水が滴り、

 でも動かない人影。

 風邪ひくわよ

 と声をかけても、返事をしない人影。



 しゃがみこんで顔を覗き込む。

 雨に混ざって、赤い水筋…。

「ちょっと…ねぇ!」

 肩を揺すってみると、力の抜けた首ががくんと垂れた。

 崩れ落ちる体を支えると、重さに耐え切れず思わず尻餅をついた。

 懸命にその体を抱き起こすと、雨と泥と血で濡れる男の顔があらわに見えた。

 見覚えのある顔に、驚く。

「イルカ…先生…?」

 語尾に疑問符が伴ったのは、そこで紅が目にした面持ちが、あまりにも日常的に学校で見かけるイルカのものと異なっていたから。

 雨に冷えて青ざめた顔。

 頬や額には、未だ出血する傷が見受けられ、

 意識が朦朧としているその面持ちは、苦痛というより悲痛を浮かべている。

「私刑…………」

 殺さない程度に体中に付けられた傷や痣に、眉根をひそめる。

 

 どうしてなのか…

 この誠実を絵に描いた人間が、里内でこのような傷を負う事になるのか。

 とにかく、

「しっかり…っ!」

 この男を救わねばならない。

 わだかまる疑問を脱ぎ捨て、紅は男の腕と肩を担いで立たせた。

 チャクラを練り、細い両腕に力を送り込む。

 女の腕で支えるには重い男の体が、軽くなる。

 傘もなく、雨と泥で濡れながら、紅はイルカを連れて長い家路を辿った。

 以前、一度だけ事務的な用件で立ち寄った事のあるイルカの家へ。





 それから……















「あら。生きてたの」

 イルカ宅から一度家に戻り、それから事務的な用事を持って火影邸に行くと、

そこには先客として銀髪の同僚がいた。

 実務室前の廊下には、順番待ちをしているその他の上忍らの姿や中忍の姿も見受けられた。

 人の気配で雑然とした空気と厳格な空気が混在する場。

「ずいぶんな挨拶だな」

 眠たそうな半開きの目で、銀髪の同僚、はたけカカシは拗ねる振りをした。

「あんたなんか、いつどこで野垂れ死んでも驚かないわよ。いつ帰ってきたの?今朝?」

 同じ調子で紅も、ふふんと笑って言い返す。

「うわ、酷い。ま、別に俺はお前に労って貰おうとは思ってないしね~」

「そうでしょうとも。煮物が上手に作れる『オトモダチ』の方が良いのよね」

「その通り…」

 児戯より低質な会話を数度交わす上忍二人。

 紅の言葉にカカシはふと、言葉を止めた。覆面の下で、確認するように「ん?」と呟く。

「って何でお前がイルカ先生が料理が得意な事を知ってるんだ?」

 結局、出た言葉も児戯を出ず。

 やれやれと肩をすくめて紅は大御なため息を吐き出した。

「朝食、ご馳走になっちゃった☆」

「朝食!?」

 紅の言葉に驚いたのは、何もカカシだけでは無かったようだ。

 その場にいた、両者の会話をふと小耳に挟んだ面々がいずれも、声に出さねど吃驚を浮かべた面持ちで一斉に振り向いたのだ。

「まさかお前…」

 急に変わった空気が、紅の悪戯心に火をつけた。

 人差し指を赤い唇に当てて、悪魔の笑みをたたえる。

「あ、さ、が、え、り。しちゃった」



 空気にヒビが入る音が、

 聞こえた。







「ああうざってぇ」

 はたけカカシと共に長期任務に出ていた猿飛アスマは、帰省したその日に早々、飲みにつき合わされていた。

 上等な酒屋の、上忍がよく使用する個室。

 広い室内で、広い卓を挟んで向き合う上忍二人。

 一方のアスマは辟易した様子で酒を煽っている。

 そして問題のカカシは、なんとも機嫌の悪い様子。

「だいたい何だてめぇは。帰還したら中忍センセイの煮物をご馳走になりに行くんだとかなんとか……転がり込みに行くような事をぬかしていやがったじゃねぇか」

 というアスマの言葉に、

「俺だって好んで髭なんかと疲れた体で酒を煽りたくはないね」

 というカカシの言葉。

 完全にとぐろ状態である。

「ガキじゃあるめぇし。ダチを女に寝取られたくらいでぐずぐず言ってんじゃねぇっつーの」

「あの魔女め………」

「それにしても」とアスマはカカシの言葉とは無関係に、酒を口に含みながらおざなりに切り出した。

「お前にしちゃ手が遅いなぁ。だから横取りされちまうんだぜ?」

 女に不自由した事が無いカカシの身のうちを知る腐れ縁のアスマは、ある意味感心したように鼻から長い息を吐いた。

「当たり前だ。どの面下げて言えるよ」

「ん?何を」



「俺はすっかり、信頼できるナルトの先生。気楽に話せる良い友人、だ……」



「…………」

 急に声調が落ちて落胆の色を見せるカカシ。

 猪口を持ったまま、そこにゆれる水面を見つめて俯く銀髪の腐れ友。滅多とみないその姿にさすがのアスマもかけるべき言葉を選んだ。

「でもお前はそれで楽しそうだよな?」

「まぁ…な」



 イルカ先生と話す事が楽しい。

 食事をともにするのが楽しい。

 ただなんとなく、彼の気配がする部屋に転がり込んで寝そべっているだけでも楽しい。



 存在そのものが、「好き」だ。

 証となる、触合いも、繋がりもいらない。

 ただ、いてくれれば良い。



「今が続くなら……俺は別に何も言えなくてもいいかな…とか思うんだ」

「そうか」

 銀髪に見え隠れするカカシの瞳に曇りが伺えない。

 アスマは納得したように一度ゆっくりとうなずいた。

 だが、

「………でも、魔女にだけはやりたくなかった…」

「あ~、そうかいそうかい」

 アスマは苦虫を潰して少しでも、カカシの事を殊勝なことを言うと感心した己を責める。

「そうやって愚図を言うくらいなら、言うこと言って、やるべき事はやるんだな」

 お前らしくもねぇ、と結んでアスマは空になった猪口に酒を注いだ。



 一晩経てば、酒の酔いと共に忘れてしまうだろう。

 そうたかを括って適当に受け流せば良い。

 つまみの豆を口の中にほうる。

 真似るようにして、カカシもうな垂れたまま一粒の豆に手を伸ばした。



 口の中に放った豆は、まだ青臭い味がした。







 ほろ苦い青豆の味が、

 翌朝になっても抜けない。











「イルカセンセ!」

 任務報告所に、明るい女の声がした。

 その声に名を呼ばれたイルカは、声の主に気がつくと笑顔で顔を上げた。

「紅先生」とその名を呼び返す。

「今日もご苦労さまです」

 下忍任務の報告書を受け取り、文字列に視線を落として筆を動かす。

 机越しにその様子を見下ろす紅は、柔らかな笑みを見せていた。

 

「…………」

 その二つ後ろに並んでいたナルト、サクラ、サスケは、これから提出する書類を片手に、珍しいものを見るような眼でその様子を眺めていた。

 カカシが長期任務から帰ってきてから数日が経っている。

 何故か最近、任務報告をやらされる。

「最近、紅先生とイルカ先生って仲いいんだなぁ」

 というナルトの小声にサクラは小首をかしげた。

「喧嘩でもしてるのかしら。カカシ先生と」

「ふーん……」

 おざなりなサスケの声が返る。

 三人の下忍達の前では、いつものように書類に書き込みをするイルカと、その傍らに立つ紅が時々言葉を投げかけている背中があった。



 書類を差し出した手は、見慣れた小さな手だった。

「ん?」

 とイルカが顔を上げると、元生徒が三人並んでいた。

 ご苦労様、と笑みと共に声をかけてから、イルカは素朴な疑問を口にする。

「今日もお前らが提出か?カカシ先生はお忙しいんだなぁ」

 汚い字で書き込まれた書類を見ながら、苦笑いと共に書き直してゆく。

 事務机の端に腰を下ろし、腕組みをしている紅。

 無言で四人の言葉を聞いていた。

「あれ?」

 筆を動かすイルカの手に、白い包帯が巻かれている事にナルトは声を上げた。

 腰を僅かにかがめてイルカの顔を覗き込んでみれば、頬には擦り傷などが残っていた。

「どうしたんだってばよ、それ」

「ん~?」

 ああ、これか、と傷のついた手の甲をひらりと動かして、イルカは苦笑した。

「イルカ先生、昔から野外実習のたびにドロドロになったり怪我してたもんね」

 小さなため息がサクラの口からこぼれる。

 言うことを聞かない子供を追う内、知らぬうちに常に小さな傷をこさえている。

 傷と泥と汗でいつもどこか汚れていたが、

「先生らしいってば」

 というナルトの言葉どおりだと、サクラもサスケも思うのだ。

「………」

 子供たちの言葉を耳にしながら、紅は事務机から離れて、長いすに移った。

 どっかと腰をおろして腕を組む。



 そして相変わらず無言のまま。





 ナルト達が帰っていく頃には、報告所から人気もほとんど消えていた。

 報告所中央に並ぶ長いすに背中を預けて本に目を通していた紅は、人気が薄くなった事に気づいて顔を上げた。

「ねえ、イルカ先生」

「何ですか?」

 机周りを片付けながら、耳に心地良い低く起伏の無い紅の声を聞いていた。

「最近、カカシと会わない?」

 ふと手を止めて、イルカは顔を上げた。

 逆光のために、細かい表情は読み取れないが、イルカは軽く肩をすくめる仕草と共に首をかしげている。

「そういえば、そうですね」と思い出すように言う。

「以前はよく遊びに来られてたんですが。でも長い任務に出る、というお話は聞いていたので…きっとお疲れなんでしょうね」

「ふうん…」

「でも、ちゃんとナルト達の面倒はいつも通りに見て下さっているみたいで、安心していますよ」

「ふうん…」

 一つ返事をするたびに、いぶかしげに眉根をひそめる紅。

 だが、イルカからも紅の顔は影につつまれており、気づくすべも無い。

「俺はもうこれで失礼しますが、紅先生はまだここで何か?」

 書類を束ねて抱え、出口に向かって歩き始めるイルカに、紅は長いすから腰を上げて小走りで追いかけた。

「ご一緒していいかしら」

「喜んで」



 自然な笑みと共に帰ってくる返事。

 曇りの無い声調。



 一縷の不安が胸によぎって、紅は唇を噛んだ。





 もう、数日前になる。

冷たい雨の夜。

 窓をたたく雨の音が、脳裏に浮かぶ。







 チャクラを使っているとはいえ、大の男一人を抱えて長い雨道を来るのは、さすがにしんどかった。

 濡れたイルカを連れて家の中に入り、寝室を探ってつれてゆく。

 すっかり水を含んだ上着を脱がせて、洗面所から引っ張り出してきた湿り取り布でぬぐった。



 体中についた傷や痣に触れぬよう、羽を扱うようにして。



 イルカの体を拭いたところで、紅は自分もしとどに濡れている事にようやく気づく。

 長く伸ばした黒髪は、まさに濡れ羽色となって水滴をしたたらせていた。

 白い装束も、水分を含んで肌に吸い付いている。

「私が風邪ひくじゃないのさ…」

 体を重くする衣服を脱ぎ捨てた。

 薄暗い部屋の中で、紅の白い体が幻のように浮かびあがる。

 裸体同然だが、どうせ誰も見てやしない。

 ましてや、イルカは意識も無い。

 身軽になってちょうど良いと、紅は再びイルカの元へ。

 寝台の脇に座らせていたイルカの脇下に手を添えて、寝台に寝かせるべく支えて持ち上げた。



 と…



「きゃっ!」

「っ…」

 くぐもった音が重なった。

 濡れた床で足を滑らせた紅が、イルカもろとも寝台に倒れこんだのだ。

 イルカを下敷きにした形。

「……ん………」

 呻き声に似た、イルカの声が漏れた。

 紅が慌てて寝台から体を起こすと、そこにはだが、何事も無かったように眠るイルカの面持ちがあるだけ。

 相変わらず、眉間には息苦しそうに皺が寄せられているが。

 それでもだいぶ、呼吸が規則正しくなっていた。

 時おり擦れた寝息がする。

「………まったく…」

 深いため息をついて、その傍らに腰を下ろした。

 半裸で寝台の上にて寝息を立てる男と、その傍らでほぼ全裸の女。

「場末の娼婦とろくでなしの男、とでもいった風かしら」

 上からイルカの寝顔を覗き込むと、寝台が二人分の体重に微かな安っぽい悲鳴を上げた。

 窓を打つ雨と、

 微かな寝息と、

 そして寝台がきしむ音。

 

「………傷の手当てをしなきゃね…」



 また寝台がきしむ音がした。

 薬箱を探してその場を立った紅の影が、薄暗い室内に伸びて、そしてゆれた。






月に一度、そこには花が飾られている。

毎月、ある決まった日に。



物を言わぬ石のそばに

物を言わぬ者達の名が刻まれた、そのそばに、

寄り添うように置かれた花束は、いつも白。



戦死者に手向けられた、真実の献花。



忘れ去られた墓石。



でも、里の誰もが知っていた。

時折見かけるたびにそこにある、



純白の花。



時にその白い花弁に、朱色の雫が散っていることも。



戦死者の、血の涙がそこに降り注いだのだと、ひそかなる噂もあった。

だけど、誰も口にしない。

声なき噂。



もうすぐ、

その献花の日。



「ホントに?」

「嘘じゃねぇよ!それが今日なんだって」

「14の日、日が沈みかける時間になると、幽霊が出て来るんだって」

「その幽霊が、あの汚い石碑に白い花を添えて消えるんだ」

「で、時々その白い花が、石碑が流した血の涙に濡れてるの」

 子供たちが、そんな噂話をしている。

 幼い子らが誰でも好む、怪談話。

 温和な里での生活の中での、ほんの児戯。

「……」

 任務報告書を、人気の無い中庭の木の上で書いていた紅は、真下から聞こえてきた子供たちの会話に筆記用具を動かす手を止めた。

 真上の木の上に、黒髪の上忍がいるとも知らず、子供たちは内緒話に盛り上がっている。

 少年二人、少女一人の三人組。

 おそらくは、下忍候補か。

(「白い花の幽霊」か……)

 知らず口端に笑みが漏れた。

 月に一度、そこに欠かさず献花する者がいる、という話は知っているが、

 十二年前の悲劇を知らぬ子供たちにとっては、あの石碑の存在自体が一種の怪談話のネタになるのだろう。

 大人らの目には「ただの物好き」「感傷屋」、という現実ではなく、

 子供たちには魅力的で神秘的な奇譚なのだろう。

「見に行こうぜ、今夜」

 仕切り屋な少年が、人差し指を天に翳した。

「幽霊が出たら、どうするの?」

 少し気の弱そうな少女が両肩を竦める。

「もちろん、捕まえてやるんだよ」

「でもそんな夜に勝手に里の外れに行ったりしたら…誰かに見つかったら怒られちゃうよ」

 慎重な少女の意見に、「まあな」と少年達は珍しく素直に一寸の理解を示した。

「特にイルカ先生に見つかったらなぁ……」

 苦笑いと共に少年二人は、顔を見合わせた。

 常習犯なのだろう。



(……あら)

 聞き知った名前の登場に、出掛かった紅の欠伸が引っ込んだ。



「拳骨で頭はたかれるだけじゃ済まないだろうなぁ…」

「本気で殴るんだもん、イルカ先生」

「それに、イルカ先生に怒られるとなんだか………」

「何?」

 内気そうな少女が、両手を胸元で結んで添える仕草をする。

 唇を軽く噛んで。

「ここら辺が、すごく痛いよ」

「…………………」



(……………)

 少女の言葉を聞きながら、紅は筆記用具を口先で加えて揺らしている。

 沈黙の合間を縫って、一陣の風が通り過ぎていった。



「み、見つからなきゃいいんだろ?大丈夫だって」

 沈黙を打ち破って、少年がこぶしを握る。

「そうだよ。それに俺達、忍者になるんだぜ?幽霊ぐらいで怖がってる場合じゃねぇよ」

「でも・・・」

 まだ不安を拭い去れない少女が、迷いを両眼にあらわしている。

「大丈夫!じゃあ今日、六時に藤門で待ち合わせな!」

 沈みかけた気持ちを奮い立たせながら、少年と少女たちはその場から離れて行った。



「…………」

 枝葉の間から顔を出し、気配が完全に遠ざかって行ったのを再確認する。

 音を立てず、紅が枝上から降り立った。

 子供たちの秘密会議の場所。

「幽霊探索ね……」

 そうして山へ原へと飛び出していった子供らを、泥まみれになりながら探し回る青年の姿が思い浮かんで来るようだ。

「教えといた方がいいかしら…一応」

 余計な節介だ。

 理解している。

 その場に直立したまま視線をくるりと一巡させて、最後に一つ溜息をつく。

 出した答えは、

「まあ、いっか…」

 記入を終えた報告書を手の中で丸めて、紅はその場から歩を進めた。



 通り過ぎた背後に、また風が通り過ぎる。







 報告所にも、学校にも、イルカの姿は無かった。

「海野先生なら、帰られましたよ?」

「ふうん、そう……」

 それは残念、と語尾に零して紅は目の前の受付員に書類を手渡した。

「いつもは夕方過ぎ、夜近くまで残っている仕事の虫なんですが…時折、ぽっと穴が空いたみたいに早く帰る時がありましてね」

「ふうん、そう……」

 受付員の話を聞きながらも紅の返事は明後日を向いている。

 「夕日上忍の朝帰り発言」を知っていた受付員は、意外だとばかりに横目で紅を一瞥した。

「いないなら仕方無いわねぇ…」

 報告所を出て、後は帰るだけとなった。

 沈みかけた太陽が、今は空を藍色に照らしている。

 受付所の方から、紅を追い越してゆく下忍の子供たちの薄い影が、長く長く、尾を引いていた。

 この時間帯を、魔が通り過ぎる時間、禍いの起る時刻、「逢魔ヶ時」という。

「禍い…」

 目の前を掛けてゆく、遠ざかっていく見知らぬ子供たちの背中を眺めてふと、不安にかられた。



-六時に藤門で待ち合わせな!



「……」

 振り返って時計等を見上げる。

 六時、五分前。



 私の足なら、間に合う。

 ちょっと様子を見てから帰っても遅くない。



 この湧き上がった感覚を、信じるならば…。



「………」

 次の瞬間、紅の姿はそこから消えていた。









 藤門。

 木の葉には七色門とよばれる門がある。

 朱門、烏門、空門、土門、金門、銀門、そして藤門。

 火影岩前の広場から七方向に伸びた大通りの終点に立つ、大門、いわゆる、大鳥居が立っているのである。

 そこを越えれば、里の郊外となる。

 林、山、森、田畑が多くなり、里内であるから危険な事は無いのだが、それでも夜になれば極端に闇色が多いその一帯は、気軽に寄り付こうとは思われない。



 薄藤の大鳥居も、逢魔ヶ時の空色に溶け込んでしまい、消し炭色に沈んでいた。

 暮れ時特有の強い空っ風が、バタバタと木々を揺らして音をたてている。

 大鳥居の上に立つ紅は、鳥居の足元に集まった子供達三人の様子を見下ろしていた。

 黒く長い髪は、不規則に流れる風にはためいて耳元で耳障りな音をたてる。

 顔にかかる髪の毛を書き上げて、紅は腕を組む。

「じゃあ行こう」

 そうきっかけを出した少年を皮切りに、小さな三つの影は鳥居から外に向かって小走りに走り出した。

 上からその足跡を見下ろして眼で負う。

 ちょうど良い距離をとったところで、鳥居の上から飛び立つと、音を消しながら後を追った。

 確かにこの方は、慰霊碑の広場。



 真っ直ぐと伸びる道の両脇は林に挟まれており、それも次第に道幅が狭くなり林は森となり、闇色も濃さを増す。

 それでも、三人の子供達は殊勝にも前に進む。

 ことに、二人の少年の背中の影に隠れるようにしている少女も、周囲に気を回し耳をそばだてている。

 いつ襲い掛かる敵にも対応できるように。

 無意識の行動。

(案外、一番のやり手になるのはあの女の子かもしれないわね)

 木の上を飛び移りながら子供らの行く先を眺めている紅の目にも、そう映る。

 

 狭い獣道のような道をしばらく進むと、急に森が開けて野原に出る。

 盆地のように、周りを森で囲まれていながら、そこだけ穴があいたように広がった岩肌の原がある。

 まるで影絵のように、原の向こうから上る月影の中に浮かび上がる、いくつもの岩と、

 そして、その中央に忘れ去られたように置かれた人工の岩。

 墓標が浮かぶ。



 一帯が見渡せる草むらに身を潜めて、子供達は声と気配を殺した。



 紅は、そのすぐ頭上の木立に立つ。



 夜の風は、煽ち風となって野と林を吹きぬける。

 耳元を乱暴に通り過ぎる風は、足元の枝葉を揺する。

 いくつもの声が重なって唸りをあげているように、空気が鳴いている。



「まだ花は無いね」

「……どっちの方から来るのかな…」

 風に混ざって子供達の微かな会話が紅の耳に流れてくる。

 それに促されるようにして紅も視線だけで辺りを見渡した。

(……………得に禍々しい気配は無いようだけど…)

 と直後に

(・・・何やってるのかしら私…)

 と言いようのない疑問が湧き上がってくる。







 そこへ…



「……?」



 風が止んで、

 耳が痛いほどの静寂が辺りを包み込んだ。



 満月が、

 空を覆うほどまでに昇りつめていた。



 その光の中に、

 浮かびあがる白い幻想。



 花。



「……来たっ…」

「しっ…」



「!」

 蛍のように、宙に浮かぶ花。

 白い鬼火のよう。



「…あれは……」

 と思えばそれは、

 花束を手にした人影だ。

「ゆ、幽……」

 喉が引きつったような子供達の声が擦れた。

 満面の月光の中で、逆光となった人影は、白い花束を片手に原の中央へと歩み寄る。

 止んでいた風がまた、そよぎ始めた。

 雲を運び、わずかに強い月明かりを弱めた。

「あ、あれ………?」

 月光の下、明らかになる人影の正体。



「い……」

「イルカ先生……?」

 先にそれと分かったのは、感覚の聡い子供達だった。

 寸時遅れて紅もそれに気づいた。



 慰霊の場に現れた、幻の献花主。

 その正体は、幽霊見物に来たこの幼い子供達もよく見知っていた教師だった。



(イルカ先生………)



 それは、紅といえども同じ心情。

 木立の下、足元にいる子供達の事を一瞬忘れて、紅はそこにある情景に見呆けていた。



 黒髪の、平凡な面持ちの男が、花の束を片手に垂らして慰霊碑の前にたたずむ。

 それが、月光の中で絵画的な情景にうつるのだ。

 美とも違う幻想。



 花を片手に抱えたイルカは、慰霊碑の前に片膝をついた。

 茎を束ねていた紐をほどき、いとおしそうに石の前に並べていく。

 小さな花の泉がそこに出来上がる。

「……何、してるんだろうね…」

「何でイルカ先生が」

 紅の足元からささやきが聞こえてくる。

 どれも紅を代弁しているよう。



(…本当、何してるのかしら……)



 ただ、物言わぬ石と、並べられた花の前で、

 ただ無言で向き合っているだけ。



 声無き会話がそこで交わされているようにも見える。



 風の音しか存在しない空間。



 そこへ、



「!?」



 新たに黒く長い影が差し込んだ。

 首ごと紅は現れた気配の方を向き返る。

 イルカの背後方向から差した、黒い影。

 四つ。

「…………」

 背中にかかる影の現出に、イルカはゆるりと立ち上がった。

 その背中に、



「おい、狐丁稚」



 と荒い声がかかった。

 それに重なって、「狐憑き」「狐丁稚」と蔑む言葉が続いた。

 イルカは背中を向けたまま、花の泉を見つめていた。



「…………」

 紅の眉根がひそんだ。

 子供達は、言葉の意味がよく汲み取れずにきょとんとしている。ただ、そこに漂う空気の変化が劣悪である事だけはわかる。

 

「…っ!」

 大きく丸い瞳を見開いて、紅は息を呑んだ。

 白い月光の中に隠れるように、

 銀の刃光が煌いたように見えたからだ。



 敵か。

 否。

 いずれも木の葉の面々。



「いけない……っ!」



 引きつったような叫びが

 掻き消える。









 いつも、笑っていた。

 いつも、誰にでも優しくて、

 ことに子供達には、まるで兄のように、父親のように、



 そして母親のように、



 彼は全てに愛情を向ける。



 彼は、知ってしまっているから……



 知らない人達のために……



「え…?」

 草陰にかくれていた少女が思わず腰を浮かした。

 銀色の光景の中で、さらに煌いた微かな銀色。

 それが刃物であると本能的に察知して、体が反応したのだ。

 ほぼ同時に、頭上の木枝から飛び降りる黒髪のしなやかな影が風のように通り過ぎていった。



「いけないっ…!」



 という引きつるような叫びと共に。



 紅が枝を蹴るより前に、刃物を振りかざす人影はイルカに向かって地を蹴っていた。

 風によって遮られ、聞き取れなかったが、何等の雑言を吐き捨てる。



(間に合わない……!)

 瞬間的に紅の脳裏に、突き刺さるように絶望的な推測が浮かぶ。

 稲光ほどの一瞬の間に、様々なことが脳裏を駆け巡った。

 イルカに向かって突き進む男の影と、そして同じく全速力をかけてそこに駆け寄ろうとする紅。

 思考の結果、紅の口から出たのは、

「逃げなさいよ!!」

 という叫び。



「え…?」



 覚醒したようにイルカが声の方に僅かに首と体を回した。

 手をさし伸ばしてこちらに駆け寄る黒髪の姿を視界にとらえ、イルカの目の色が変わった。



 来 る な



 彼の口がそう形取ったように見えた。

 その声も、男たちの声や、風の音にかき消されてしまったが。



 直後、

「っ…」

 舌打ちに似た短い息と、何かが裂けるような音がした。

「ちっ!」

 標的がわずかに動いた事で狙いを外した男の舌打ちが、直後に重なる。

 小柄の刃先が、紅の方を振り向いたイルカの脇腹に



 突き立っていた。



 どこからともなく、少女の短い悲鳴がした。

 それに続いて、

「バカ……野郎!!」

 骨が当たる鈍い音。

 イルカの体に接触していた男の体が、一気に押し出されるように吹き飛んだ。



 いっそうに強く輝く月光。



 何が起きたか、突如現れた現象に、飛ばされた男はもとより、ともにやってきた男たちも

 驚愕を顔にして目を見開いた。



 拳を振り下ろした姿勢の黒髪のくの一が、

 月光の中に浮かび上がったからだ。

 後ろで、脇腹を抑えながらも立ちこらえる中忍をかばう様に立ちふさがるくの一、それが上忍の夕日紅と知る。

 紅は、イルカの脇腹に刃を突き立てた男の顔面を、全身の力で殴り飛ばしていたのだ。



 風景がそこで止まったかのようだ。

「…………」

 子供達は体を震わせ、その場に座り込んで言葉も出ない。



 イルカの背後に置かれた白い花には、

 飛び散った朱の滴が…



「くれ…ない先生……」

 目の前に立ちふさがるしなやかな背中に向けて、イルカが呟く。

 そこをどけ、と手を伸ばしたかったが、全身の神経が脇腹に集中してしまっているかのようで、指先一本動かすのもままにならない。

 ただ、その獣のようにしなやかで美しい背中を朦朧とする視界で捕えている事しかできない。



 一方の暴漢達は、

 森から現れた獣神のあらましと見紛う、黒髪の上忍に見据えられて動きを止めていた。

「う………く……」

 静かだ。

 だがこれほどに激しい怒りがあるだろうか。

 

「消えろ」



 ただ、そう一言発した紅の言葉。

 地の底から這い出た、怒りの触手。

 これ以上ここにいては、飲み込まれて身を焼き尽くされる。

「く……ッ」

 本能的に恐怖を感じ取った暴漢達は、上ずる声を抑えながら背を向けた。

 そしてそのまま、姿を消す。



 一目散に、複数の気配が遠ざかった消えた。



 見送るまでもなく、紅は背後に向き直った。

 体重を支える力を無くしかけたイルカの膝が、同時にがくんと折れた。

「!」

 両脇に手を通して、男の体を支えた。

 正面から抱き合うように、イルカは紅の肩に顔をのせる。

 その脇腹から流れる朱色が、紅の装束を同じく朱色に濡らしていた。

 じわりじわりと感じる、熱。

「………」

 倒れないように、

 衝撃を与えないように、

 ゆっくりとイルカの体をその場に横たえた。

 応急処置にと、服の裾を破り、包帯とした。

 それを服の上からイルカの腹に縛り付けた。渾身の力で。

 わずかにイルカの呻声が漏れたが、それでも。

 とにかく、流れ出る血液を塞き止めるため。

 包帯はみるみる朱色を帯びるが、それでもそれ以上の血液の溢出を断ち切ることが出来た。

「…」

 そこまで終えて、紅はその場から立ち上がった。



 草陰で震えていた子供達が、びくりとさらに肩を震わせる。

 その小さな気配たちに向かって、紅は歩を進めた。

 月光を背に、少しずつ近づいてくる美しい獣神に、子供達はただ恐怖の混ざった色を瞳に浮かべて見惚けるしかない。

「う………」

 無を面持ちに浮かべて見下ろす紅に、少年達は視線を捕えられて硬直した。

 同じくその黒く大きな瞳に捕えられて身動きをなくす少女。

 だが、

「い……イルカ先生…は?」

 と震える声で必死にそう尋ねた。

「…………」

 ふっ…と、紅の口元が綻んだ。

 胸の前で片手印を結び、

「大丈夫だから」

 と答えた。



 大丈夫だから

「今夜の事は全て忘れなさい」



 紅の細い指先が、

 小石が水面を飛ぶようにして子供達の額に順に触れた。



 糸が切れた人形のように、次々と子供達の体がその場に落ちた。

 三人、体を寄せ合って眠るように。



 この子達はすぐに目を覚まし、この場で見たことを全て忘れて、帰っていくだろう。



 眠った子供達を背にして、紅は再びイルかの元に歩み寄った。

「……」

 見れば、顔色から生気が抜けかけている。

 一抹の焦りを胸に宿しながらも、紅は一度深く呼吸をすると、次に自分がするべき事を実行に移した。

 地に、慰霊碑の前に横たわるイルカの体を抱き起こして肩を担ぐ。

 そして、チャクラを両腕に集中させて力を溜め、

「っふ……」

 大の男の体を支えて立ち上がった。

 意識が朦朧とし、力が抜け切った人間の体は、実際の何倍もの重さとなって圧し掛かる。

 大木を背負って引きずるように、紅は背中と肩にイルカを担いで歩き始めた。

 夜露に湿ってわずかにぬかるんだ土に、足跡が深く残る。

「しっかり……っ!」

 徐々に重たくなるイルカの体。

 誰に向けた叱咤か、紅は何度もそう繰り返しながら、痺れそうになる腕に尚も力をこめて、

 イルカの体を支えて歩き続けた。



 朝。

「無断欠勤?」

 ヒナタら、紅班の子供達が、やり場がなさそうに任務受付所へとやってきた。

 任務依頼書を受け取ったカカシら七班は、もう二日も紅が無断欠勤していると聞いて半ば呆れた。

 と同時に、胸中に沸き起こった薄暗い渦がカカシを襲う。

「先生ん家に行ってみた?」

 時折、大遅刻をするカカシをたたき起こしに、七班はカカシ宅に出向く事がある。

 サクラの提案に、紅班の子供達は顔を見合わせて「どうしようか」と困り顔。

 結局、事務局から住所を聞き出して紅宅に向かう事で話は終わった。

「じゃ、俺達もとっとと行こうか?」

 カカシはナルト、サクラ、サスケを連れて、森へ薬草摘みに向かうべく、受付所を後にした。

 渡り廊下からアカデミーの建物を経由して外に出る。

 長い渡り廊下は大きな窓が幾つも並び、陽光を浴びて白光に輝いている。

 ここは、様々な人間が渡り歩く。

 アカデミーの教員、戦任務から帰った戦士、そして子供達も。



 その途中、



「今日も無断欠勤か…。一体どうしたんだ?」

「まったく…」

 と愚痴をこぼす声とすれ違った。

(………)

 書類を両腕に抱えた、事務局の人間らしき二人組みが、ちょうど七班らの脇を通り過ぎていくところだった。

 紅の事か?と軽く肩を竦めてカカシは特に気にする事なく廊下の先を目指した。



「イルカ先生にも困ったものだ……もう三日目だ」



「?」

 内証話ほどの言葉端が、鼓膜を突き破るように鮮明に強く、カカシの耳に突き刺さった。

 肩越し、通り過ぎてゆく二人の事務局員の背中を振り返った。

「……」

 そしてすぐ、ナルトを振り返る。

 当のナルトはサクラやサスケと共に廊下のだいぶ先を歩いていた。

 今の言葉には、気づいていない。

 瞬時の間にカカシの脳裏が葛藤する。

 この二人の事務局員を引き止めるべきか、

 それともナルトに悟られないよう、知らぬ振りをすべきか。

「………」

 カカシが選んだのは…―

「カカシ先生はやくー!!」

「森につく前に日が暮れるってば!」

 廊下の向こうからはやしたてる子供達。

「あーうるせぇ。今いくよ」

 後頭部を掻きながら、そこへ向かう。





 薬草摘みは子供達に任せて、銀髪の上官は相変わらず木の上で読書にふける姿勢。

 いつもの事ながらも、文句を口にしながら子供達は懸命に薬草を探して森の中を歩き回った。

「………」

 木の上の上官は、愛読書物を片手に、太枝に体を預けて横たわっていた。

 だが、その視線は先ほどから文字の羅列を追ってはいない。

 

 もう三日も姿を消しているという、イルカと、

 無断欠勤して三日目だという紅。



「三日?」

 冷静に考えてみれば、

「……何かあったとしか思えないだろうが………」

 出てくるのは単純な結論。

 カカシは本を顔の前から離すと、木の下にいる子供達に視線を向けた。

 大海から小魚の卵を見つけ出すような手際の悪さで、でも懸命に叢からほんの僅かな薬草を探しては摘んでいた。

 何だかんだ言っても、それなりに熱中している。

 その様子は三つの小さな小動物がごそごそと蠢いているようだ。

「…………」

 本を懐に仕舞うと、カカシは顔の前で小さく印を切る。

 そして、その場から音を立てずに飛び去った。

「………?」

 ごく微小な空気の変化を直感的に感じ取って、サスケは顔を上げた。

「どうしたの?」

 いぶかしげなサスケの面持ちに気づいてサクラも、手を止めて顔を上げた。

 サスケが見つめる先、

 頭上。

 木の上で寝そべって読書をする、上官の姿。

「カカシ先生がどうかしたの?」

 いつもと変わらない光景がそこにある。

「……いや…」

 とだけ答えてサスケは視線を下ろした。

 少し離れた所で、叢に体をほとんど隠してもぞもぞと動いているナルトに視線を向ける。

「………」

 疑問符を浮かべたサクラは、サスケとナルトとカカシに交互に視線を送る。

「なんでもない」

 そういってサスケは再び作業に戻った。

「え?」とサクラはきょとんと目を丸くする。

 だが、手にしていた袋がまだ半分も満たされていない現実に気づき、

 すぐにまた作業に熱中し始めるのだ。



 木の上では、相変わらず愛読書片手に、惰眠気味の上官。







「……とはいえ、どうするかね」

 影法師の術を施して一時的に子供達を欺いて、ここまでやってきたは良いが…。

 ふと我に戻ってカカシは苦笑する。

 戻ってきたのは、里の郊外。長い長い痣道の途中だった。

 ここを東に行けば、イルカや紅やアスマや…、多くの忍達がひっそりと自宅をかまえる郊外。

 西に行けば、学校の方向。

 とりあえず…と東の方向にきびすを返した。



 すると、

「……?」

 人の気配を感じた。

 東の方。

 何か、高速で移動していく人の気配がするのだ。

 それが、切羽詰まった、鬼気迫るものに感じる。

 野戦場を移動していく時の、忍びに似ている。

「……」

 その気配に覚えがあった。

「あいつ…」

 移動してゆく気配の方に向けて、カカシは地面を蹴った。

 そこに追いすがるべく、あらん限りの速度で。

 森に囲まれた郊外の民宅地。

 その木々を伝って、遠回りに西に向かう気配をとらえた。

 枝葉が風でゆれ、断続的に激しい音をたてている。



「っ…おい!」

「!!」



 カカシに気がつかず移動していた人影。

 背後から追いすがって肩を掴み、カカシは人影を呼び止めた。

 ひどく驚いて、人影は強引に足を止める。体の均衡を失いかけてぐらりとゆれる。



「誰……カ、カカシ!」

 額から汗を流す紅の横顔が、勢い良くカカシを振り向いて、そして吃驚した。

「………何やってんだお前は」

 息を切らす紅。

 その頭からつま先までを眺めてカカシは目端を細めた。

 

「お前…」

 紅の両手が、赤く汚れていた。

「怪我でもしたのか?何が…」

 その細い両手を掴んで、赤い汚れの正体を確かめる。

 分かりきっている事。

 これは、

 血液の匂い。

 乾いて黒ずんだ血液が、紅の白く細い指先を汚していた。

 

 カカシを括目したまま、肩を上下させて息を切らす紅の様子に、

 さすがに不穏を感じてカカシは声調を落として問い掛けた。

「何してんだお前……どうし…」

「バカ!!」

 張り倒すように紅の怒声がカカシにぶつけられた。

 腹をたてたい所だが、尋常でない様子にカカシは無言で紅の言葉を促す。

 紅は、更にたたみかけた。

「あんたこそ何してんのよ!受付で場所を聞いて森に行ってみればそこにいたのは影法師だし……っ!」

「…俺を探していたのか?」

 紅の答えが予想外を突き、カカシは絶句するように括目した。

 その仕草が紅の怒点をさらに刺激したか、彼女は更に何かを怒鳴ろうと口を開きかけた。

「………」

 だが、

「……あ~あ、そうよ」

 とそれが諦笑に変わった。

 カカシに対する、嘲笑、とも言えた。

「あたしがバカだったんだ。何を必死になって、こんな奴の事を……」

「だから何があったんだ」

 掴んだままの紅の、血で汚れた両手をさらに強く握る。

 紅は、それを振りほどいた。

 額の汗が、飛んだ。

「好きなんでしょ?なら何で分からないの!?何で離れたままなの!」



 イルカ



「………何があった…何が…、まさかその血が…」

 血の気が引いた、というより…

 内臓が冷水で満たされる感覚。

「もういいわよ…あたしがバカだったんだから……」

 侮蔑の笑みを残して、紅は踵を返そうとした。

 疲れた体を押すように、それは覚束なかった。

「待てよ」

 支えるようにそれを引き止めて、紅の肩を掴む。

 激しく、紅が拒否を示した。

「あんたなんかもういい。来なくていいわよ」

「良くない。だから俺を探してたんだろうが」

「いいの」

「紅!」

 何度も引き止めるようにして差し出されるカカシの手。

 何度も拒否をする紅の腕。

 何度かそれを繰り返す。

「……あんたなんか……」

 カカシに背を向けた紅が、呟く。押し殺した憤り。

「………」

「あの人に今必要なのは……」

「………」

 再び手を伸ばしかけてカカシは止めた。



 その先の言葉を、求める。

 背を向けた紅のしなやかな肢体。

 僅かに、震えているようだった。

 静かに。



「あの人に今必要なのは、安っぽい友情ごっこなんかじゃないのよ」



「……………」

 耳障りなほどの静寂。

 カカシの無言が、紅の胸を刺す。

 塞き止められない言葉が、溢れた。

「傷つく事に慣れている人なんていない。いつも笑っていられる人なんていない。知らなかった…。あんな……」

 知ってた?

「あの人が、本当はいつも寂しくて、悲しくて、怯えていた事を……」

 知ってた?

「いつも与えているばかりで、自分が飢えている事に気づかない」

 何を…?



「………」

 鼓動と息遣いしか聞こえない沈黙の空気。

 

 ふ…と、

 紅が肩越しに振り向いた。

 混濁のみを映していた闇色の瞳が、聡ったような色をしている。



 音の無い笑みを、口元に浮かべた。

 それは、嘲笑ではなく…

「女ってのはね、カカシ……母親になれるのよ」

 母親。

 その言葉と同時に長い息を呑んだカカシに、

 紅はもう一つ、静かな笑みを向けて体ごと振り向いた。

「誰だって、あたしだって、あんただって…この中で守られて、生まれてきたんだ」

 腹部に手を重ねて、まるでそこに命が宿っているかのように、優しく撫でる仕草をした。



「あの人に必要なのは、そういうもの」



 分かる?

 幼子に事を諭すように、少し俯いて微笑んだ。

 

 ―こいつがこんな表情をするなんて知らなかった……。

 カカシは愕然とも呆然とも、一種、恍惚にも似た感情を抱いた。

 

 気がついたら、足が動いていた。

「どこにいる?」

「彌岬療院」

「彌岬……」

「あたしが運んだの」

 それは、闇任務などで傷ついた忍達が世話になる、裏の療院。

 表沙汰にされず闇に葬られて死んでいく者も、そうした所に担ぎ込まれる。

 その療師である彌岬とは、カカシも顔が知れていた。



「…………済まない」



 そういい残してカカシは、

 

 地面を蹴って走り出した。








「しっかり…!」

 掻っ捌かれた傷を荒療治している間、紅はずっと、イルカの手を握っていた。

 もう、強い痛み止めも効かないのだという。

 だがそれ以上に強すぎる痛み止めは、患者を廃人にしかねないので多用連用が出来ない。

 噛み布を口に含み、舌を噛まぬよう食いしばりながら治療に耐えるしか、無いのだ。

 そういう忍びは、少なくない。

 だが、そうなる前に、たいていは死んでいるか、もしくは気が狂うか、それとも凄惨なほどに強くなっているか……だ。



 普通に、笑っていられる者などいるはずもない。



 戦場に居るのではと錯覚するほどの荒療治の中で、紅は背筋に寒気を覚えた。



 治療を終え個室に移ってからも、痛みと熱が全身を蝕みまともに呼吸さえ出来ない。

 

「しっかり…」

 ただ手を握って、それしか言えない自分に、



 腹が立った。



 彌岬療院は、北門近くの竹薮通りに面した曠野にある。

 里まで命からがらたどり着いた忍らが、ここに転がり込んで来るのだ。

 無遠慮に扉を開くと、戦時には血塗れた人だかりでごったがえす玄関間が、今日は死に絶えた荒野のように沈静だ。大股に敷居を跨いで中に入ると、

「静かにしな、馬鹿者」

 と凛とした低い声がそれを戒めた。

 カカシの右手方向から、影が伸びてくる。

 峠を過ぎた陽光が、そろそろ西日となって熱く、赤く、里を照らし始める。

 光の届かない竹薮の隙間をぬって差しこんでくる光の筋たちが、窓から光線となって広間に模様を描いていた。

 そこに現れた、白衣の女。

 40に入っても尚、若さと美しさと男並の体力を失わない、女治療士。

 岩生彌岬。

 女にしては短く刈った髪は所々純白に色が抜かれている。

 くるぶしまでの長い白衣を肩に羽織ってうでを組んでカカシを細めで眺めていた。

「ここに、男が運ばれてきただろう?」

 挨拶もそこそこに、カカシは大股で彌岬に詰め寄った。

 鬱陶しそうに一歩体を引いて彌岬は首を傾げた。

「ああ、イルカちゃんの事かい?」

 イルカちゃん、だぁ?

 そう内心で毒づきカカシは「そうだ」と短く頷いた。

「いるんだろ。どこだ?」

「常連だからね。特別に日当たりの良い部屋さ」

「……常連?」

 カカシの両目がいぶかしげに細まった。

 目端が痙攣を起こしたように、一度震えるのを、彌岬は見てとらえる。

 兆発するように、答えた。

「そうだよ。月に何回かね。多い時は一週間と間を置かずに来てくれるのさ」

 女一人のこんな寂屋にね。

 その茶化した口調とは裏腹に、彌岬の眉間には影がさしていた。

「な………」

 カカシは息を呑んだ。

 彌岬とて付き合いは長いはずだったが、こんな様子を目の当たりにするのは、初めてかもしれない。

 あのカカシが、動揺しているのだ。

「まあとにかく、来なよ。見舞に来たんだろ?にしては手土産が無いようだけど」

 白衣の袖を翻して彌岬はきびすを返し、暗い廊下の方へと消えていった。

「………」

 目を覚ましたように我に返ったカカシは、その後をついていく。

 日の当たる玄関とは違い、奥の病室へと続く廊下は暗い。

 このまま地獄まで連れて行かれるのではないかという錯覚を、怪我人の時には思ったものだ。

 そして、今も。

「こっちだよ」

 病室が並ぶ廊下ではない、更に奥へと続く細い廊下の方から、手招きする彌岬がいる。

 床板が鳴らない程度に小走りに、カカシは招かれた方へと進んだ。

 短い廊下だが、ずいぶんと長く感じた。

 竹にさえぎられて光も届かない廊下の奥に、

「………」

 あの人がいる…。

「この部屋さ」

 部屋の前で、彌岬はカカシに先を譲るように扉の脇に立った。

 行く手を遮る木の扉が、地獄の門の様に、暗がりの中で聳えている。

 そこに手を伸ばしかけて、カカシはわずかに戸惑った。

 扉の取っ手に手を差し出したままの状態で、体が硬直する。

「どうした」

 叱咤する口調。

 臆病者、と罵っているようにもカカシには聞こえた。



-あの人に今必要なのは、安っぽい友情ごっかなんかじゃないのよ



「………」

 普段は決して見る事の出来ない紅の切ないほどに真摯な瞳が、

 突如カカシの網膜に重なった。

(畜生…!)

 自分は何に怯えているというんだ。

 この先にある光景か。

 それとも、ここに来るべき事をずっと知らずにいた自分自身の鈍感さにか。



 扉の取っ手に手をあてたまま静止するカカシを、彌岬は横から無言で待っていた。

 もう、自分で決断できるはず。



「………入りますよ」

 誰に向けたかそう呟いて、カカシは取っ手を下に押した。

 錆び掛けた蝶番が小さな悲鳴を上げて、だが扉は驚くほど簡単に開いていった。

「………」

 あまりの眩しさにカカシは目を細める。

 暗い廊下の行き止まりとなる扉。

 その向こうの部屋は、光で溢れていた。

 板一枚隔てた向こうは、まるで世界が違うようだった。

 この療院で最も日当たりの良い部屋、と彌岬が評したとおり、それ以上に、扉の向こうは陽光に包まれて溢れていた。

 空気の質さえ、違う。



 例えるならば、天国と地獄の差かな…

 

 そよいだ風が、カカシのこめかみを霞めて行った。

「…っ」

 寸時、まるで夢か幻にまどろむように呆けてしまった。

 我に返って、眩しさに対抗して懸命に目を開く。

 眩しくて真っ白なだけの世界が、少しずつ目が慣れた事で色を取り戻してくる。

 すると、次第に見えてきたのは、

 部屋の中央に置かれた寝台と、南向きの大きな窓と、白い布と壁と、

 そして、黒髪と………。



 開け放たれた扉の前で立ち止まるカカシの脇を通って、彌岬が病室の中へ足を踏み入れていった。

 半分ほど開けてあった窓を閉め、薄布の幕を半分ほど引いた。

 眩しいほどの光が少し弱まり、部屋の中はやわらかい光の中で薄い橙色に染まる。

「だいぶ落ち着いたね。汗も引いた」

 寝台の傍らにおいてある水と氷の入った容器から、つけてあった布を絞った。

 水の音。

「………」

 カカシはまた、足音をたてぬよう歩き出す。

 寝台の前に立つ彌岬の傍ら、一歩引いた場所で足を止めた。

 彌岬の体の向こうに見え隠れするのは、

「…イルカ先生……」

 その人が。



 腰まで白布団が掛かっており、上半身は外気に晒されていた。

 腹部から胸元にかけて、白い敷き布団と同化しそうな白い包帯がほぼ全体に巻かれていた。

 ただ、左脇腹あたりに、うっすらと咲いた朱い花らしき血痕が…。

「……」

 カカシが見下ろす中で、イルカは眠っていた。

 呼吸に大きな乱れは感じられないが、だが時折、喉につまったような息をする。

「今回は特に酷かったね。相手も殺そうとしてやったんじゃないのかな」

「…………んで…」

 

-なんでそんな

-里の中でだろう?



 という言葉も、上手く声に出せない。

 そこに、

「教えてあげようか?」

 背後から、影が差した。

「…紅……」

 振り返れば、しなやかな影に相応しい肢体が、入り口に立っていた。

 少し疲労した面持ち。だが、暗い廊下とまぶしい室内との境目に立つその姿は、どこかしら神秘的な、絵画的な印象があった。

 先ほどの事も手伝ってか…。

「いつの間に…」

 彌岬も僅かに驚いたように肩をすくめ、胸前で組んでいた手を解いた。

 気配など、気づかなかった。

 紅は、寝台を挟んでカカシと向かい合う位置に移動する。

 窓からそそぐ光を背に受けながら、イルカが横たわる寝台を覗き込み、

 そして落ち着いた様子に安堵して微笑むのだ。

「教えてくれ」

 姿勢を正したまま、カカシは静かに尋ねる。その隣から、彌岬が肥えをかけた。

「私も聞かせてもらってもいい?一応、『主治医』なんでね」

「いいんじゃない?」という紅の頷き。

 かがめていた腰を伸ばして二人に寝台越しに向き合う。

 ほんの少し、窓からの光が薄れたような気がした。

 それは単に、紅の面持ちに陰りが差したからだけではないのだろう。



「まあ……一言で表すとなれば…私刑…っていうところかしら」



「……」

「…そうかい」



 驚きを表出させる様子は、二人には無かった。

 むしろ、更に濃い影が忍び寄って来たかのよう。

 沈痛。



「この間も偶然…雨の中でボロボロになったこの人を見つけたんだ」

「「この間…?」」

 彌岬とカカシの声が重なった。

 思わず視線を見合わせて、そしてすぐに紅に戻す。

「1週間ちょっと前の事よ」

「ここには来なかったけど」

 と彌岬。

「そりゃそうでしょう。私がこの人の家で看病していたんだから…」



‐朝帰りしちゃった…



 彌岬と紅の会話を聞いていて、カカシの脳裏に浮かんだのは、おどけた紅の台詞。

「……あの時か……?」

「そうよ」

「心当たりでも有るわけ?」

 意外そうに彌岬がカカシを見やった。

「少し…」

「ふうん……」

 その返答の弱々しさから彌岬が現状理解をするのは容易だ。



「何があったのか、聞かせてもらえないだろうか」

 とカカシは紅に向き直る。

「………」

 自分には決して向けた事のなかった柔らかい言葉に使い方だ。

 思わず紅は大きな黒い瞳を見開いて、朱色の唇を開きかける。

 彌岬も、もはや驚く事も諦めて、この顔なじみの銀髪の上忍と長い黒髪のくの一のやりとりを見守る事にした。

「人に物を頼むのには、中々良い態度だわ」



 口はしに笑みを浮かべて、紅は目を細めた。








 その時を振り帰ってみれば、あれは本当に何気ない日常の中に突然現れた出来事だったと思う。

 と、紅は言った。







朝陽   5





 予兆も予感も、何も前触れらしきことは無かった。

 だとすれば、自分の勘の鈍さを呪うべきなのかもしれない。



 日常。

 いつも通り、子供達を引き連れて毛の生えたような任務を終えて、いつも混んでいる受付で報告書を提出し、子供達と別れ、同僚のくの一達と無駄話をしてお茶を飲んで、それから建物を出た。

 ほぼ同時に、雨が降り出した。

 唐突な雨。

 傘など持っていなかった。

(何か、嫌な感じ…)

 濡れて帰るのが億劫で、そんな風に口走った。

 もしかしたらそれが、「予兆」だったのかもしれない。

 

 明日も任務だ。

 帰らなければどうしようもない。

 仕方なしに紅は、濡れるのを覚悟で悠々とした足取りで、外に出た。家で熱い風呂にでも入れば風邪など引かぬだろう。

 自分の体力と健康を信頼していた。

 少しずつ強さを増してくる雨の中、若干足を速めて紅はいつもの道のりを行く。



 とその途中で、

「……まだ開いてるかしら」

 ふと足を止めて方向を変えた。

 紅宅への帰路からわずかに外れた、錆びれた町外れ。

 一般の人間は誰も足を向けない、むしろ一部の忍のみが立ち寄る店があるのだ。

 特注忍具や薬剤を取り扱う店。

 一本気な職人一族が開く、錆びれているのに、何故か中々潰れる様子がない店。

 店構えも全く商売気がなく、錆びれた古屋だ。



 研ぎに出していた苦無が、もう何日も預けっぱなしだった。

「そろそろ取りに行かないと、錆びちゃうわね」

 何せこの湿気が気になった。

 濡れたついでに、取りに行こう。

 ついでに、傘でも借りようか。

 ふと、そう思った。



 相変わらずに錆びれた道並。

 悪路ゆえに水溜りを避けながら歩く。

「…………?」

 ふと、人の気配がした。

 雨音にまぎれて、まるで通りすぎて行くかのように感じた、微かな気配だった。

 完全に無人だと思っていたのに…。

 半ば訝しがって紅は、行くべき道を反れて裏道に入った。

 ぬかるんだ悪路に眉根をしかめつつ、濡れついでに好奇心も手伝って裏を覗く。

「………この匂い…」

 雨独特の饐えた匂いに混ざり合って、鼻腔に不快をもたらす錆の香が漂った。

 慣れているとはいえ、いつもながら寒気を感じる。

 雨に打たれて濡れ鼠となった体が、急に冷え込んだ。

 裏路地の、更に奥へと曲がったところで足を止める。まだ新しい、いくつもの足跡を見た。それを追って、更に更に奥へ。微かに感じる人の気配が、まるで助けを求めているように紅を呼んでいた。

 寒い。

 だが恐怖は無い。

 自然に進む足に任せて、顔だけを覗かせる。

 すると、

「………誰か、いる?」

 薄暗がりの袋小路。蹲るような人影があった。

 呼びかけに、応える気配は無い。だがそれは確かに人間。

「……ねえ」

 何故か放っておけずに近づいてみる。指先に微かな炎を灯してみた。蹲るように倒れる、若い男だった。

 どこかで見たことのあるようなその容貌に、紅は訝しげに目を細めて凝視する。

 雨と泥に濡れて垂れる、束ねた黒髪が見えた。

「え……?ちょっと…」

 せきを切って紅はその場にしゃがむ。

 男の肩に手を掛けて、揺り起こす。脱力した男の体が、紅の手に揺さぶられてうな垂れた。

 顔を見ようと、体を返す。

 泥に汚れた、だが見なれた顔がそこにあった。

「う…みの…先生……?」

 薄闇の中でも、鼻筋を通る傷跡は目立った。男は、アカデミー教師。うみのイルカ。

 炎を灯した指先で、顔を照らしてみる。見ると、泥以外にも彼の顔を汚していたのは、雨と泥に混ざった、血。

「…なんで…?」

 首の下に手を沿えて、しゃがみ込んだ自分の膝にイルカの上半身を抱いた。

 力なくしな垂れる首。

 汚れた顔を拭ってやると、切れて出血した唇や、ひどく殴られ変色した頬のあざが現れる。

 視線を下の方に移せば、破れた服。そしてそこから見えるまだ色鮮やかな傷の数々。

「うみの先生……イルカ先生っ」

 イルカの上半身を抱いて、揺さぶる。途中で、もしやと思いなおして体を離し、イルカの胸元に手を添えて軽く押してみた。

「……っごほ…」

 小さな咳き込みが返る。

「…折れてはいないわね…」

 だが、酷く痛みつけられている。ヒビの一つ二つは覚悟するべきだろうか。

 強く揺さぶって起こそうとしたのを諦めて、紅は一度イルカから体を離した。

「………」

 泥土の上に横たわるイルカの体は、ひどく冷え切って、だが傷の熱と伴って苦しげな呼吸となって口元から細かく漏れていた。

 正常な呼吸ではない。



 とにかく助けなければ。

 そう思い直って紅は態勢を立て直す。

 イルカの脇に手を差し入れて体を起こし、うまく自分の体を回転させてイルカの体を背中に乗せた。力なく垂れ下がる両腕を首の前で掴み、「よっ…」と小さな掛け声と共に膝を伸ばして立ち上がる。

 紅より一回り大きな男の体が、うまい具合に持ちあがる。

「う…」

 胸の圧迫感に、うめく声が漏れるが、紅はその姿勢のままイルカの両ももの下に両手を当ててイルカの体を背中で支える。

 紅の肩越しに、イルカの頭と両腕が重力に従って垂れ下がる。

「……」

 上手く背負えたものの、さてどこへ行くべきか。紅はその姿勢のまま一瞬、立ち止まる。

 だがすぐに決心した。

 二度ほど、玄関先まで行ったことのある、イルカ宅。

 一度は、三代目から預かっていた書類を届に。

 一度は、部下であるヒナタがある事情でイルカ宅に世話になっていた時。

 場所は、覚えていた。

 紅の足は、その方向を目指す。



「……」

 歩き出しかけて、紅は思いとどまった。

 一旦方向を変えて、目的地であったはずの店へと向かう。雨のために固く閉ざされた入り口の前で、

「ちょっと、開けて!おじさん?」

 と大声で呼んだ。

 近所迷惑するほどこの辺りに人家など無い。

 灰色の景色と、断続的な雨音の中で、凛とした女の呼び声が異質に響く。

「開けてちょうだいよ」

 何度目かの呼びかけの後、ようやく扉の奥から人気が現れ、続いて明かりが点った。

 軋んだ音と共に古い硝子扉が開けられて、そこに現れたのは浮世離れしたご老翁。

 大の男を背負って濡れ鼠の若い女に、上から下まで視線を這わす。

 それから一言、「なんだ」と問う。

 雨だれの音と、しわがれて掠れた声が、同化した。

「この人に…」

 応えながら紅は背中に背負った男を見せるように、体を横に向けた。

「何か羽織るものをちょうだい」

「ん?」

 老師は紅の肩に力なく垂れ下がるイルカの顔を、覗き込む。

「人目もあるし…こう、全身にかぶせられる布で…」

「イルカじゃないか?この男」

 紅の言葉に重なって老師の問いが下から覗き込んだ。

「知ってるの?」と問い返せば、また老師は紅の言葉には応えずに「待ってろ」とだけ言い残し、玄関の奥へと姿を消した。

 とってつけたような軒下、灰色の雨音を背景に、大の男を背負った若い女を残して。

「…………」

 しばらくして、奥の方でガサガサと何やら物音がする。

「いまどき珍しい、優しい男だ」

 と良いながら、色褪せかけたうちかけを持って再び現れた。

 何の話かと思いきや、先ほどの紅の問いに対する答え。

 昔の女房の着物だ、と言い訳するように、老師は女物のうちかけを、イルカごと紅の背にかけてやる。絣細工が施された長いうちかけは、イルカの体を包み込んだ。

「どうも」

「たまに、『馬鹿』がつくほどな」

「……」

「じゃあな」

 とだけ言い残し、老師は静かに扉を閉めた。

 軋んだ硝子の音。

 強さを増した雨音。

 全ての音が、灰色世界の中に溶かされていった。

「……帰りましょうか」

 再び紅は雨の中に歩を踏み出した。









 イルカの家まで、できるだけ人目を避けた。

 とはいえ、濡れ鼠のまま何かを背負って駆けて行く女の姿に、いくつかの奇異な視線が集まる。いっこうに気にせず、雨と視線を振り払うようにして紅は走った。

 背中に背負った男の体温が、まったくと言って良いほど感じられない。

 冷え切った体からは、小さな息遣いしか感じられない。まるで、

 記憶をたどり、ようやく到着したイルカ宅は、静かなたたずまいの中にあった。当然ながら無人の家宅から、漏れてくる明かりは無く。

「……鍵…」

 どうするか一瞬まよって、紅はふと、郵便受けの下に置かれた足元の植木鉢に気がついた。まさかね、と苦笑して、イルカを背負ったまま腰をかがめて手を伸ばす。

 鉢をわずかに傾けると、そこに銀色が覗いた。

「……泥棒に入られるわよ」

 恐らく、ナルトのためだろう。

 植木鉢の下には、合い鍵が置いてあった。

 もはやこれでは、「隠す」とは言いがたい。紅は無遠慮にそれを拾うと、暗がりの中手探りで鍵穴に差し込んだ。カチリと小気味良い音がして扉が開き、室内の暗闇が二人を招き入れる。

「お邪魔しま~す」

 小声で言いながら紅は土間で靴を脱いだ。

 湿って冷えた暗い空気が漂う。

 足で扉を閉めると、外界の音が遮断され、雨音が遠ざかる。文字通り、「しとしと」とした水が土に吸い込まれて行く音だけが静かに聞こえてくる。

「……明かり明かり…」

 手探りで壁を撫でて明かりを探す。

 指先が突起を探り当てると、玄関の明かりがほのかに点った。薄ぼんやりと、廊下の先が映る。

 土間は、二人の体から滴り落ちる雨水で、小さな水溜りが出来ていた。

 濡れた裸足で廊下に上がる。

 短い廊下には、部屋へと続く二つの扉があった。恐らく手前は居間だろうと見当をつけ、奥の扉の前に来た。うまく片手でイルカの体を支えて、空いた手で扉を空ける。引き戸が開ききった向こうには、広々とした部屋だった。暗闇の中に、寝台が見える。

「……」

 このまま寝台に乗せるわけにもいかず、とりあえずイルカの体を寝台に背中を預ける形で床に座らせた。羽織らせていたうちかけで、体全体の雫を拭い取る。

 部屋の明かりは落としたまま。

 思いのほか、雨の外気が明るく思う。

 見え隠れする男の傷だらけの顔を気にしながら、紅は濡れた体を拭く。

「……ああ…そうか」

 しばらくして、むしろ濡れたままの自分が、床とイルカを濡らしている事に気付く。うちかけをイルカに羽織らせ、一旦その場に立ち上がった。勢いに任せて、雫がぽつりと落ちる。窓に薄ぼんやりと映る自分を見た。硝子の向こうは、ただ灰色の世界。近所の軒は薄闇と雨に掠れて影しか見えない。人通りも、無かった。

 いっそ面倒だと、紅はその場で衣服を脱いだ。部屋の隅に置かれた背もたれ付きの椅子にかける。

 どうせ誰も見ていない。

 下着のみの裸体同然の姿でイルカの傍らに再び膝を折るが、目を覚ます気配も無い。逆に、ここまで来ても意識を取り戻さない事に焦燥さえ覚える。

「湿り取りは…っと」

 すぐに我に返ると紅は手当ての続きに入った。洗面所から布を引っ張り出してイルカの体を拭い、大きめの布を寝台に敷いた。イルカの額当てを外して上半身の服を脱がせ、寝台に寝かせる。

「……」

 あらわになった上半身の傷と痣の数々に、紅は息を呑んだ。寝台の枕元の小さな明かりを手探りで点灯した。鬼火のような小さな玉灯が浮かぶ。

「……生傷だらけじゃない…」

 まるで野戦の衛生班だ。

 任務を請け負っているわけでもあるまいし、何故専属教師のイルカが…。

 所々変色したイルカの体に、静かに指を這わす。新しい傷から、古い痣まで、その体には呪印にも似た痕がつけられている。傷に触れているうち、イルカの体温が上がっているのに気が付く。

 寒さと怪我があいまって、熱を出したのだろう。

 まずは手当てを、と思い立ち上がりかけて、紅はふと足を止めた。

「そういえば……」

 もう一度、イルカの傷を見下ろす。

「服を着ていては見えないところにばかり傷がついてる………?」

 自然と、眉間に皺が寄る。

 徐々に呼吸が乱れてくるイルカの面持ちは、血の気が無かった。それでも、熱による脂汗が頬や額ににじみ始めている。

 良くない兆候だ。

「……勝手に色々借りるわよ」

 半裸のままズカズカと洗面所へと足を踏み入れる。見当をつけた戸棚を開けて布を引っ張り出す。次に寝室を歩き回って薬箱を探した。適当に薬瓶を掴んでまたイルカの元に戻る。

 続いてまた洗面所に戻り、洗面器を二つ引っ張り出す。一つにはぬるま湯を張り、一つには冷水を張る。

 ちなみに、二つある洗面器のうちの一つは、明かに子供用と思われる柄が描かれていた。

 冷たく濡れた布をイルカの顔上半分に乗せ、次にぬるま湯に濡らした布を絞って体についた血汚と泥を拭き始めた。

 今日新たにつけられたであろう傷が、浮かび上がってくる。

 首筋近くに大きな裂傷が一つ。

 わき腹付近に内出血痕あと、刃を避けたとみられる裂傷が数個。

 両腕に、刻まれたような傷が数個。

「……」

 知らぬうち、紅は唇を固く噛んでいた自分に気付く。

「っう……」

「……イルカ先生?」

 傷に触れたと同時に、イルカの口から苦痛の声が漏れ出た。体中が、徐々に汗ばんでくるのが分かる。イルカの肌にふれる紅の掌が、汗で濡れる。

 発熱する事で傷口が再出血する恐れがあった。

 紅の手は再び、忙しなく動き始める。

 傷口を拭き、止血の為に傷口付近を固く縛って固定する。それからまた傷口を洗い、薬を塗る。

 ずいぶんな荒療治だと、自分でも思う。

 だが、時間がなかった。

 

「……」

 最も大きい、わき腹付近の傷に、紅の手が伸びた。

 わずかに触れただけで、イルカの体は過剰な反応をみせる。無意識に体が、痛みに対して拒絶を示している。

「ぅ……っ」

 イルカの目元と額を被っていた布が、はらりと落ちた。苦痛の面持ちから目を逸らしたくて、また濡らした布でイルカの目元を被った。イルカの口元が、苦しさに空気を求めてあえいでいる。

 止血のために、イルカの体に布を回す。きつくそれを縛る前に、紅は自分の口をイルカの耳元に寄せた。

 静かに告げる。



「いい?我慢なさいね……」



「………」

 応えるように、イルカの息が数度強く吐き出された気がした。

 次の瞬間には、紅はその細腕にあらん力をこめて、傷口付近の布を縛り付けた。

「うっ……ぁっ」

 歯を食いしばり痛みに耐えるイルカの声が漏れた。無意識なのだろうが、まるで紅の言葉にしたがって痛みに耐えているように、両手は寝台の敷布を掴み、こらえている。

「もう…少し…」

 傷口を汚す血を全て出しきり、化膿を抑える為の止血方法。縛り付ける布地があっというまに赤に染まった。

 その広がりが止まる頃を見計らい、一旦縛り付ける。しばらくこうして血を止めないと、薬を塗ることは出来ない。

 縛り上げた布から手を離して、紅は自らの額を濡らす汗を腕でぬぐった。

「っは……は……」

 寝台の上で、イルカの胸元が小さく上下していた。呼吸は小さいが、小刻みに荒い。痛みが徐々に通りすぎるのを待っているかのように。

「……」

 熱を持った傷は、布地の上からでもはっきりと分かる。そっと手を添えてみれば、熱と共に粘り気をもった血液が指先に付着した。

 と、

「……!」

 手を添える紅の手に、イルカの手が添えられた。

「気がついた!?」

 つい声を高くしてイルカを呼ぶが、返事は無い。

 まだ意識は無い。

 だが、その手は確実に、意思をもって紅の手に触れていた。

「……イルカせ……」

 名前を呼んだ時、またその手が強く紅の手を握った。

 すがるように。

 まだ荒い息の下で、イルカの口元が何か言葉を発しようとしているように喘ぐのが見える。



「………あさん……」



「え………?」

 耳を疑って、紅は身を固くする。

 熱を持った、まだ血で汚れたイルカの指先が、またすがるように紅の手を強く握る。



 母さん………



 確かにその声は、

 そう言って紅を呼んでいた。






何考えてるかわからない女

冷たい女

可愛くない女





 そんな風に言われた事はあっても、





―夕日先生?ああ、知ってるぞー。凄い美人で、優しい先生だよな



 

 そんな風に言われたのは初めてだったから……




「え……」

 イルカの口から数度もれたそのうわ言に、紅は耳を疑う。

 何度も、聞き返した。



 遠い記憶の中にいる母親を求める掠れた声はやがて消える。だがすがりつくようなイルカの指は強く紅の手を握ったままだ。

 生の淵にしがみつくように。

「……」

 左手を握られたまま動けずにいる紅は、空いた手で寝台の傍らにおいた洗面器に手を伸ばした。何とか器用に濡れた布を絞る。ほどよく冷たいそれで、汗ばむイルカの額を拭ってやった。

 ほう…っとため息に似た息遣いが聞こえて、気のせいか固く閉じられていたイルカの目元が安堵したように緩んだように見えた。

「……気持ちいい?」

 静かに声をかけながら、また汗を拭う。

 絞りきれなかった水が、汗と一緒にイルカの額から傷のついた鼻筋を通って首を伝った。

 熱の為に苦しそうに上気する体の上で、水滴が蒸発してしまうように冷たい空気の中で僅かに白い湯気を放っている。

 

 そのうち、

 紅の手が震えを感じた。

「?」

 紅の手が震えているのではない。それを握るイルカの手が、かじかむように震えているのだ。

「っ……熱のせい…?」

 熱と悪寒のせいかと思い、症状の悪化に紅は聞こえない舌打ちをした。

 お湯を取り替えようと、立ち上がりかける。

 その時に、イルカの震えが悪寒のせいではないと気づく。



「……かない…で…」



「…………」



 行かないで



 逝かないで





 見えないはずのものが、紅の脳裏に流れ込んで来た。

 燻る血霧、交差する怒号、空を覆う白い影。

「っ…な…に……!?」

 振り払うように頭を振る。

 そこには何も無く、殺風景なイルカの部屋の壁があるだけ。

 下を見れば、寝台に横たわるイルカの体があって、つながれた手が見える。

「………幻…?」

 大きな鼓動をたてた心臓。

 一つ深い息を吐き出す。

 紅の細い指先を覆うイルカの手の甲を見た。つながる二つの手。

 ここから伝わってきた、脳裏に直接流れ込んできた、「感情」だったのかもしれない。

「あなたがこれを私に見せたの……?」

 握られた手から、力が抜け始めた。

 まだ、震えている。

「…イルカ先生……っ?」

 今度は紅が、手を強く握り返す。

 反応が無い事に焦りを覚えた。

 小刻みに震える手は、怯えた小動物のように……



 怯える……?



 紅は自問する。

 イルカの体中に残る痕を見て、自答する。

 そう、彼は怯えているんだと。



「イルカ先生…………イルカ?」

 薄闇の中、苦しい吐息と共にうっすらと、イルカの両目が開かれた。

 手を握ったまま紅が上から覗き込んで名を呼ぶ。

 だが、熱に浮かされて潤む両目に光は無く、何も映していないようで空虚の中を泳いでいた。

 手を目の前で振ってみるが、生理的な瞳孔の反応さえ見せない。

「イルカ…っ!」

 叱咤するように、声を上げた。

 空いた手を、イルカの頬を包むように添えた。

「しっかりしなさいよ!」

 軽く、さすってみる。

 小さく開いた唇からは、生理的に吐かれる苦しげな呼吸だけで、瞳も反応を見せる様子もなく。

 じれったい。

 苛立ちが募る。

 唇を噛んで、離して、そしてまたイルカの名前を呼んだ。

「大丈夫だから…もう怖くないから……」

 だから、目を覚まして。

 「夕日先生」と呼んで。

 

 いつもみたいに



 頬に添えさせていた手が、次に額を撫でる。

 水を触っていた為に冷たい紅の掌には、イルカの額が熱く感じる。

 薄い指先の皮膚の表面が、焦げ付くような痛みを感じたのは、胸の内から湧き起こってくるこの感情のせいなのか…。



「怖くないから…」

 白い包帯と、赤い血の滲みと、上気した肌色、そして熱に浮かされて空虚に潤む黒曜の瞳と…。

 何て扇情的なんだろうか。

(こんな所をアイツが見たら……きっと放っておかないわね……)

 銀髪のドぐされ同僚の上忍を思い起こして紅は苦笑する。

 無意識に、怯えのために震え、安堵を求めている。乞うている。



「かわいそうに………」



 紅は自らの唇から漏れたそれに驚動した。



 例えば自分の足元にうずくまり命乞いをする敵の忍び。何の感慨もなく踏み潰すようにして息の根を止めた。

「あ~あ、カワイソウ」

 同僚のくの一が、となりで冷やかすようにして笑った。

-カワイソウニ

 それは愚かな弱者にのみ向けられる言葉だと、ずっと思っていた。



 これほどに、愛しい感情をあらわす言葉だと、思ってもみなかった。



「………」

 僅かに開いていたイルカの両眼が緩慢に閉じられてゆく。

 目じりに溜まっていた涙が重力に負けて零れ行き、白い枕に跡をつけた。

 涙の行方を見守って紅は、薬品くさい包帯が不器用ながらも丁寧に巻かれたイルカの胸元に、自らの頬を寄せた。呼吸で上下する胸の下から、確かに心の臓器が鼓動音を発して機能している。

「大丈夫……怖くないから…」

 気がつけば、握るイルカの手から震えは消えている。

 

 いつしか紅も、薬品と血の臭いが残る包帯の上で、眼を閉じていた。

 空いた手で掛け布を手繰り寄せ、自分の肩ごとイルカの体を包む。



 そしてそのまま裸の体を、寝台とイルカに預けて、眠りに落ちる。





 朝陽ば窓から差し込むまで、その温もりがやってくるまで、

 二人分の体温を分け合いながら眠る。



 夢の中で、何度もイルカの名を呼んだ。

 









「なーんて……。語っちゃったかしら」

 それまで切なげに細められていた黒い両眼が、ふと悪戯をした子供のごとく丸くなった。それを機にカカシは長く、深い息を静かに吐いた。

「だってさー、もうカワイーのよそれが」

 いつもしているように、紅は女特有のかしましい口調で笑っている。

 だがその両目は、医療院の寝台の上で死んだように眠るイルカから離れずに、そして穏やかな光を宿したままだ。

 たった一度、茶化す素振りでカカシを見やったが、すぐにそれは背けられる。

「物凄いヤセ我慢ばっかりしちゃってさ。そのくせ、『母さん』だなんて、キャー!もうどうしましょう」

 口調は笑っているが、あくまでも紅の瞳の中に宿る色は、笑ったソレではない。

 彼女なりの、照れ隠しなのだろうと、カカシは思う。

「ずっと一人で耐えてきたのよね。友達は多そうだけど、でもそれは彼が与えるモノに皆が甘えて寄りかかっているのであって、本当に彼を助けられる『トモダチ』なんて一人もいなかったんだわ……」

 そこで紅の視線が再びカカシを向いた。

 あんただってそうよ、と口調が低く厳しいものに戻る。

「私だってそうだった…のかも」

「え…?」

 

 優しい人、だなんて言われたのは

 初めてだったから。



「好きなんでしょう?」

 自分の想いを後ろ手に隠して、カカシに問うた。

 存外に素直で、彼は首を小さく縦に振る。同時に、首筋にくすぐったさを感じて紅は小さな苦笑を漏らした。

「でも、中途半端な奴に、うちの子をくれてやる訳にはいかな~いのよ」

 カカシの口調を真似して、再び紅の声調に茶化した色が表れる。

 呆けたように眼を丸くするカカシに向かって、指を立てた。

「何だ、おまえが姑か」

 肩の力がようやく抜けたカカシの苦笑。

 誇らしげに、自慢するように、紅の唇端が子悪魔的に上がるのを見たからだ。

「そうよ。何たって私は「母さん」だものね。少なくともあの時は、本当に何がなんでも守ってあげようと、思ってたし…」

 似合わないわよね。

 また、苦笑した。

 わずかに開いた窓から風が通り過ぎてゆく。

 白い絣の窓幕が揺れて波を描いた。

「ここは素直に、「お嬢さんを下さい」と頭を下げるのね、カカシ」

 扉近くに身を凭れかけていた彌岬が笑う。

 えー?と眉を困ったように下げたカカシが振り返ると、彌岬は意地悪な笑みを浮かべて目を細め返した。

 手ごわい姑二人に挟まれた形でカカシは諦めに似た深いため息をつく他なかった。





 部屋を出て行こうとする彌岬が、敷居を跨いで最後にカカシを振り返った。

「どうするの?目が醒めるまでここにいる?」

「…」

 少し迷って、カカシは振り向く。

「……いや、帰るよ」

「私も帰るわ」

 寝台脇の椅子から腰を上げて紅も扉の方へと歩を進めた。

 きっとこの人は、こうして弱っている所を見られたくないであろうから。

「それに、卑怯だしね。こういう状況を俺が利用しているみたいで…」

 そう、カカシは言う。

 カカシの脇を通り過ぎて紅は鈴が鳴るように笑った。

「そうそう。自分から相談してくれるようになるまで、ま、せいぜい頑張るのね~」

「るさい、魔女め」

「なんとでもお言いなさいな」

 女二人が笑い声を上げながら、扉の向こうへと消えていった。

 豪快な笑い声が廊下の向こうへと遠ざかってゆく。

 悔しいが、きっとあの二人にはまだ到底敵わないのだろう。

 どこかでそう悟っているカカシは肩でため息をした。



 静かになった室内。

 窓から侵入する風が冷たくなってきている。

 カカシは踵を返して窓に歩み寄った。静かに窓を閉め、差し込む西日を避けて絣の窓幕を一枚引いた。

 室内が、薄橙色に包まれる。

 まるで日暮。

「…………」

 カカシは寝台に歩み寄る。

 腰を屈めて、イルカを覗き込んだ。

 寝息は規則正しく、静かで穏やかだった。

 包帯や傷跡は痛々しいが、もう大丈夫だろうと安堵できた。

 きっと三日後くらいにはいつもどおりに教鞭を振るい、受付で笑っているのだろう。

 うずく傷を隠しながら。



 恐る恐る、手を伸ばしてイルカの額に触れた。

 目覚める気配は無い。

 子供にするようにして数度撫でてみる。

 イルカの閉じられた目端がくすぐったそうに僅かに動いた。

 びくりとカカシの指先が額から離される。

 壊れ物を触っている気分でカカシは手を引っ込めた。



「甘えてばかりですみませんでした…、イルカ先生」

 邪気の無い寝顔のイルカに、語りかける。聞いていないであろうが、気にしない。

 むしろ、聞いていては困る。こんな恥ずかしい台詞は。

「トモダチ顔していい気になってましたけど、俺はそれ以下でしたね。貴方がそこに存在するだけで嬉しい、だなんて……身勝手でした」

 らしくない台詞の連続で、自然と頬が上気してくるのが分かった。

 サスケやアスマあたりに聞かれでもしたら、何を言われるか分かったものではない。

 でも、

 本心。本気だった。

 自分一人で照れながら後頭部をガリガリと掻き毟った。

「でもやっぱり俺は、イルカ先生が好きです」



 好きです。



 もう一度、繰り返した。





「だから…」

 雲がかかったのか、急に西日が影をよぎらせて室内が暗くなった。



 カカシの両手に、強く拳が握られる。



 強い風で窓が揺れて音を立てる。





「俺は貴方をこんな風にした奴らを許さないでしょう………」



 風に押されて雲の流れが速い。

 神経質な音をたてた硝子の音はやがて止み、

 雲が晴れて再び西日が室内を穏やかな色に包み始めた。



 カカシはイルカから踵を返して扉に手をかけた。

 



 快気祝いしましょうね





 のんびりとした口調でそう言い残して、

 静かに扉が閉められた。






終わり
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2005.10.25.Tue/14:05
  血義吏:表編 


血儀吏<表編>



零・染始



「ちと、物知らずだったな………」

 カカシは、目の前に追い詰めた標的に、低く警告した。

 深森の奥。

岩壁際に追い詰められたまだ少年の忍びは、目の前にまで追い詰めてきた上忍の男に、ただ絶望に似た色の瞳を向けた。

「たかが下忍相手に……まさか上忍が出てくるとは思わなかったんだろう…………?木の葉隠れの下忍、麻繰ツバメ君……」

 指先に挟んだ任務依頼書をはためかせ、カカシはくつくつと笑った。



 任務依頼書には、

 追忍任務依頼書 との文字。



「里に何の不満があったか知らないが、多少、気が短すぎたようだな」

 懐からくないを抜き出し、カカシはそれを前方に突き出した。

 最後の警告だと言わんばかりに。

「選べ」

「……」

「ここで死ぬか、里で裁判を受けるか…………」

「………」

 ツバメは唇を噛んだ。

 判っている。

 抜け忍は重罪。

 それでなくても、

 自分は里の情報を他国に漏らした、国賊。



 死はどちらにしろ、

 免れない。



 それならばいっそ、

 

 戦って死ぬか……

「………どっちも嫌だ」

 腰に差したくないを、ツバメも引き出す。

 左右に一本ずつ。それを顔の前で構えた。

「やめとけ」

 無感慨に、カカシは即答する。

「俺は歯向かう「敵」には容赦無い。骨の髄まで引きずり出し、殺せと懇願しても、願いを聞き届けてやる気は無い」

「……」

 「絶対」を突きつけられ、再びツバメは沈黙。

「お前の事は、とある所から聞き及んでいる」

「?」

 突然のカカシの言葉に、ツバメは当惑気味に目を見開いた。

 当のカカシは、任務依頼書をバタバタと翻しながら淡々と言葉を続ける。



 決定的な言葉を。



「とある中忍センセイからな……」

「!」



 ツバメの双眸に、追憶に似た色が浮かんだ。

 くないを握る手が震える。



 カカシは再び、

 警告を与えた。



「さあ、選べ」



 せめて、

 泣いて、骨を抱いて埋めてくれる人のもとへ、還れ





「……………」



 見上げれば、

 色づきはじめた紅月。



紅月



 罪人の血を求め

 天がその赤い舌をなめずるのだ

 

 闇夜さえも、どす黒く変色した血の色に観得るのは

 霧のように漂う死の香りが

 その場にいる全ての生ける者を狂わせるからなのか



 でも

 そんな中で



 薄れ掛けた時間の記憶

 その中で

 心を捉えて話さなかった、あの影



 全てが赤い その中で

 唯一無垢の白い影



 闇夜に溶ける長い黒髪の



 幼心にも分かった、その儚美さ



 美しい、女性(ひと)







壱・紅月





「ああ、また来るんですか……」

 火影邸にて、任務報告に訪れていたカカシは、まるで噂話を聞き流すかのようにしておざなりに頷いた。

 里全体が見渡せる硝子張りの窓の前で、両手を後ろで組み、火影は頷く。

 その口元には、くゆる白煙の煙管。香ばしい香草の香りが微かに漂う。銘柄を変えたか?とカカシは覆面の下で二回、軽く鼻息を吸った。

 窓の外。ほぼ沈みかけた太陽と入れ違いに、空高くに霞んで現れたのは月。

 その色が、色づき始めた紅葉の如く、紅く赤く、染み付き始めていた。





 紅月の送り祭が近づいているのだ。





「で、三代目…」

 特別報酬の内容が書かれた巻物を懐に仕舞う。後は退出するのみだが、そこにある火影の面持ちに浮かぶ色に憂いを感じ取って、カカシはすぐに踵を返す事を躊躇った。

「なんじゃ」

 振り返らず、いつもの平たい調子で応える火影。

「今回は、どれくらい…」

「七名ほど」

「…割と多いんですね」

「美袋の国とのいざこざで、しばし騒がしかったからのう……」

「成る程」

 手毬を投げ合うように言葉が行き交う。

 当り障りの無い質問の後、少し間を挟んでカカシは最後に問うた。



「『例の役目』は誰だか、決まったんですか?」



「ああ」

「…そうですか」

 思わぬ即答。次に続ける言葉を用意していなかった為、単調な返事しか出来なかった。「何年振りでしょう。紅月の充月夜なんて……」

 火影より一歩背後に歩み寄り、カカシは硝子窓の向こうに広がる空と、対峙する。

「しばらく振りじゃのう…二十年ぶり…だな」

 紅に染まりかけた月は、今はまだ桃色ともいえるなんとも初心な色合いで空に浮かんでいた。弓なりの月。それが完全に満ちるとき、おそらくあの桃色は業火にも似た深紅に染まるであろう。

 数年に一度、又は十数年に一度の、紅宵。

 時には数ヶ月に一度、現る時もあるが、今回はここ二十年ばかり振りだ。



 紅月の充月夜。

 「送り祭」と呼ばれる、ある儀が、木の葉隠れ里で行われる。

 



「送り祭……誰がつけたか知らねぇが…陰険な名前を付けやがって……」

 上忍達が憩いの場として集う、アカデミー裏の遺跡広場。

 石柱の一つに腰掛け、咥え煙草を吹かすアスマが、苦虫を噛み潰す。

 その傍にそびえる大樹の幹にもたれかかり、無言でカカシが頷いた。

「あら…じゃあアンタなら何て詩的な名前を付けるのかしら?」

 横たわる石柱に跨る紅は、先程からくないに鑢をかけていた。その手を止めず、相変わらずの低く深い声で呟く。

「けっ…」とアスマは煙草を吐き捨て、新しい一本を咥える。指先をパチリと鳴らすと、煙草の葉が発火した。

「詩的も何もあるか。まんまで良いんだよ、そのまんまで」

 放課の時間も終わり、アカデミーの建物の向こうで夕日が沈み始めていた。それと入れ違いに現れる、染まりかけた弓月。その光はまだ弱いが、いずれ穴を開けたように空に穿たれる満月は、強い赤色に里を照らすだろう。夕日も朝焼けも、霞むほどに。

 アスマの言葉に、「それも趣向的で素敵ね…」と紅は喉の奥で笑った。



 やすりを動かす手を止めて、紅は空を見上げる。

 その横顔が、逢魔ヶ刻独特の空色に照らされて、背中に悪寒が通り抜けるほど、美しかった。



「やめろよ」

 カカシが短く戒める。

「あら、珍しく気弱な事を言うのね」

「悪趣味だ」

「まあね」

 別段気にする様子もなく、紅は再びくないに視線を落としてやすりを動かし始めた。

 ざりざりと、砂がこすれあう音だけが、沈黙が流れる三人の間に脈打つ。

「カカシ、お前は、ガキどもを「祭」に連れて行く気か?」

 手にした煙草の袋を弄びながら、アスマが問う。

「当然だ」

 カカシは即答。声調に迷いも聞こえない。

「あいつらは、戦いの血をもう知っている。だけど、狂気の血を、まだ知らない」

「カッコイイ~…」

 三文芝居に拍手を送るように、紅はおざなりな拍手。

 横目で、カカシはそれを嗜める。だが至って悠悠とした態度で、紅は静かに笑んだ。

「うちの子達も連れてくるつもりよ。勿論…どこまで耐えられるか、試すために……ね」

 くないについた砂を落とし、ふっと一吹き。鋭い光を取り戻した黒い刃を、いとおしそうに指先で撫でて、懐に一本ずつ仕舞っていく。

 それに…と続く。



「それに、あんたの戦績の結晶も、桧舞台に上がる事になるのかしら……?」

「…………」



 アスマが、ちらりと視線を向けたのが、カカシにも判った。

「ほら、抜け忍のアノ子………」

「やめろっ…胸糞悪い…」

 語気を荒げるカカシに、紅は尚も喉の奥を鳴らして小さく笑う。

 鞠を転がすような、鈴を鳴らすような。

「私を狂っていると思う?」

 身を乗り出すように背を伸ばす紅。

 その姿は、しなやかな猫科の獣に似ている。



「狂ってない忍などいない」



 一呼吸の後、カカシは静かに低く呟いた。







弐・中忍



 任務報告書を提出するために、カカシはアカデミーに来ていた。

 だが、受付にいる筈の人影が、今日はなかった。



 イルカという、中忍。



 ナルトを通して互いに名と顔を認識しあう程度の知り合いだったが、

「いないのか」

 イルカが受付業務を手伝うようになってからは頻繁に顔を合わせるようになった。

 毎回の任務報告書の提出の度に、「お疲れ様です」と誠実的な労いの言葉をくれる。ここに戻ると、生きて帰った心地がした。

 だが流石に今回は、イルカがこの場にいない事がありがたかった。

 先日も中忍試験絡みで喧嘩したことに加え、今度は送り祭を見学させに行くなど、言語道断と、拳の一つでも振るってきそうだったからだ。

(どうもあの人を怒らせるのは心苦しい……)

 と報告書を適当な受付に提出する。

 ふとその隣の受付机を見れば、椅子の上に鞄が置かれ、机の上にはまだ書類が広がっていた。先程まで人がいたような気配。

(もしかしていたのか…?)

 なら鉢合わせしない内に帰るが無難だな…とカカシは、書類に目を落とす受付の男を見やった。ちょうど、最後の判が押されるところ。

 と同時に、



 ガラリ



 とすぐ背後から扉が開く音。

 判を手にした受付掛の男が「おや」と顔を上げた。

「イルカ先生、遅かったじゃないですか」

「……」

 肩越しに振り返ると、黒髪が最初に視界に入ってきた。

「………すみません……」

 沈んだ声調で、中忍教師は振り返った。

 カカシと視線がかち合う。

「どうも」

 カカシはそう一言、頷くだけの会釈。

 いつもならば、どんなおざなりの挨拶に対しても誠実に生真面目に応えるイルカ。

 だが、

「…………」

 反応を示す事なく、イルカはカカシの傍を通り抜けて行った。

 まるで生きている気配が全くしない、消沈様…とでも表現しようか。

 同僚の男が、かける言葉を選ぼうと迷ううち、イルカは椅子の上から鞄を拾うと踵を返してまた扉に向かった。そして

「すみません、早退します」

 と一言残して出て行った。

 最後に、カカシとは視線を合わせなかった。

「………?」

 判が押された報告書の写しを貰うと、カカシはイルカの後を追った。

 長い廊下の先、小さくなっていくイルカの背中がある。

 足音を立てず、気配を出さず、カカシはイルカのすぐ背後に移動した。俯いたイルカの首筋が、弱弱しく細く感じた。

「先生?」

 何気なく、肩に掌を添える。

「っ!」

 大袈裟にその肩が跳ね上がった。

 カカシの手を振り払うと、イルカは何も言わず、振り返らずに駆け出した。

「ちょっ…先生っ!」

 カカシは咄嗟に追いかけて二の腕を掴んだ。

 また振り払われる。

 また追いかける。今度は後ろから肩を掴むと、振り払われる前に引き寄せて壁にイルカの体を押し付けた。

 衝撃で、大きな音がたった。

 アカデミーへと続く接続廊下。忍びの姿に混ざって、子供の姿もある。音に愕き、子供達は足を竦めた。忍び達は、何が起こったのかと、好奇半分で視線を流す。

「どうしたんですか。らしくもない…」

 腕を突き出すカカシと壁の間で、イルカはあくまでも顔をカカシに向けようとせず、俯く。カカシの左手が押さえ込むイルカの肩が、小刻みに震えていた。

「イ……」

「構わないで下さい」

「……」

 呼びかけた名前を阻止される。

 それを引き金に、イルカの中に溜まっていた言葉が吐き出された。

「俺に一切構わないで下さい。声をかけないで下さい。姿を現さないで下さい!」

 わななくような悲痛な声は、次第に怒声に変わる。

 意味が飲み込めず、カカシはイルカの顔を覗き込む。だが、それをも避けて、イルカはがくりと膝を折る。そのまま、壁に背中を預けたまま床に沈んだ。

「イル…」

「俺の名前を呼ばないで下さいっ!」

 両手で両耳を塞ぎ、膝に顔を沈めてイルカは叫んだ。

 最早懇願を越えた、苦痛の叫びだった。

「………」

 足元に座り込んでしまったイルカを見下ろす形で、カカシは半ば呆然とその震える手と首と肩を見つめていた。覆面の下で、諦めの溜息をつく。

 一歩イルカから下がると、カカシは長い廊下を歩き出した。

 残されたイルカが動く気配は無い。

 廊下を行き過ぎる人間の視線が感じられた。

 それを全て無視して、ひたすらカカシは廊下を突き進んだ。







参・木霊



 早朝から、里中に響き渡る木霊。



 コオォォ……ン

 コオォォ……ン



 木槌で何かを打ち付ける音だ。

 幾度も幾度も、続く。



「何かしらね…アレ」

「あっちの山のてっぺんから聞こえるってばよ」

 早朝。

 任務の為に集合場所に集まっていた七班の三人。

 脈動のように規則正しく打つその音に、首をかしげる。

 当然のように遅刻している上忍を待ちながら。



「やあ諸君、おはよう」

「おっそーーーーい!!」

 

 一連のやり取りの後、カカシを始めとする第七班は任務に出立。

 今日は、山への薬草摘みだ。



 コオォォ……ン



「…ねえ、カカシ先生。あの音……」

 山に到着してからも尚も鳴りつづける音に、流石に不気味さを感じてサクラはカカシに答えを求めた。

「ん?」



 コオォォ……ン



「ああ、あれね」

 規則的に、深く長く響くその音は、寂寥感と荒涼感に満ちている。

 物悲しく、そして恐ろしくもあった。

「そんな事より任務だ任務。ホレ」

 カカシは素気無く答えると、空の袋を三人に手渡した。

 これを一杯にするまでは帰れない。

 三人の顔色が変わった。

 われ先にと山の中に入ると、叢を掻き分けて薬草を探しはじめた。

「結構結構」

 そして一人、満足げな笑みを浮かべ、カカシは腰の巾着から愛読書を取り出すのだ。





 コオォォ……ン



 コオォォ……ン



「まだ鳴ってる………」



 半分ほど一杯になった袋に辟易した溜息を漏らした後、サクラは空を見上げた。

 今朝方から、しきりに空をゆるがす木槌の音。

 山中にいる第七班にも、その音は届いていた。

 薬草摘みも、手が止まったり動いたり。

「ほーら、ちゃっちゃと摘むー」

 と相変わらず木の上で読書に耽る銀髪の上忍の声が、おざなりに飛ぶ。

 黙々と薬草を千切っては摘んでいたサスケは、他に薬草はないかと、草を掻き分けながら奥へ進む。

 その足が、止まった。

「あれ……何だ?」

「?」

 指差す先は、向かいにそびえる小高い丘。

「何だろう」

 サクラとナルトも、サスケが入り行った叢の向こうに駆け寄る。

 深くなるかと思った木々はそこで途切れ、向かいの山々が見渡せる明野となっていた。

「?」

 見ると、足元に広がる丘の頂上に、人が大勢集まっていた。

 手に手に材木を担いだとび職の男達らしき人影が、大勢列を成している。

 カカシほどの背丈もありそうな杭を、巨大木槌で打ちつけていく音が複数、木霊にのって響いてくる。



 コオォォ……ン



 これが、音の正体。

「何を作っているのかしら…」

 杭と材木で次々と、丘の頂上を柵が出来上がっていく。徐々に輪を成すその様子を、上からサクラ達が覗き込んでいる。



(ちっ…)



 その様子に、カカシは舌打ちした。

(『紅月の丘』だ………)

 打ち付けられていく杭が数を増やしていく。

 刑場と物見を隔てる柵が建てられていく。

 そして、

 なにやら穴も掘られ……。

 再び舌打ちをして、カカシは木から降り立った。

「ほれほれ、ちゃっちゃと終わらせろー」

 背後から、本の背表紙で三人の頭をどつく。

「何よー先生も手伝えばいいじゃない」とわめくサクラを押しやる。

「何なに、あれ何だってば」とうるさいナルトを小突く。

「……」と不満そうなサスケに一睨み。



 そして、低く一言。

「祭りの準備だ」



「祭り?お祭り?何の?」

 祭り、という歓楽的な言葉にナルトが目を輝かす。

 一方ではサクラは訝しげに眉を潜める。

「こんな時期に祭りなんてあった?………」

「何の祭りなわけ?」と足元に広がる光景に訝しげな視線を送って観察していた。

 背後でまた、木槌の音が響いた。





 朝陽が上ろうと、

 空は赤い。

 最早朝焼けをも飲み込み、紅一色に里が染まる。





 紅月の宵がせまる…







「何か、気のせいかカカシ先生も変だったような……」

 薬草を探して山中を駆け回り、最早家路につく体力しか残されていない三人は、紅い月が照る下に並んで歩いていた。

真中にサクラ。そしてすぐ隣にナルト。少し離れてサスケ。

「そんな事どうだって良いってばよ~…腹減った~~…」

 情けなく裏返った声でナルトが背を丸めてよたよたと歩く。一方で、さすがのサスケも、目に力が無く、どことなく明後日を向いているように疲れた面持ち。

「はーー」と溜息と共に、サクラは空を見上げた。

紅い。

それは、日々、時間と共に濃さを増していた。

「ねえ、この紅い空……なんでだか知ってる?二人とも」

「?」

 指を天に差すサクラにならって、ナルトを空を仰ぐ。

 遅れて、サスケも。

「本で読んだ事あるの。空が赤いのは、天が血を欲しているから。昔は、人身御供を授ける儀式なんかもあって、それはこういう空の色の時に行われていたのよ」

「ふーん…」

 感心したようにナルトが相槌を打つ。

 そのすぐ後に、サスケが短く問う。

「今は?」

「うーん……さすがに人身御供の儀式なんて聞いたことないけど……でも、何かが起こるんじゃないかって思うのよ。カカシ先生が祭りがあるって言ってたけど…空の色も、日に日に濃くなるし…このまま行ったら、その人身御供の儀式が行われていた『紅月の充月』の日がやって来ちゃうから………紅月は、『狂宵』なんて風にも言われているのよ……」

「げー。もしかしてまだあるんじゃねーってばよ。イケニエとかさー」

 わざとらしく両手で自分の体を抱くと、ナルトはブルブルと震えた。

「祭りってその事なんじゃねーの?」

「まさか」

 と応えるものの、サクラはもう一度空を見上げた。この色を見ていると、それも満更、非現実的とは言えなくも無いのでは…と思案がよぎる。

 あの紅の空は、

 本当に血の色に似ている。



 すれ違う人々。

 アカデミーの仲間。

 街の人々。



 全ての人々の瞳に、

 この紅が映っているのだ……。







四・拒絶



「紅い月かぁ……」



 サスケとサクラと別れ、長い田んぼのあぜ道を一人で歩くナルトの影。

 それも、紅い月に照らされて紅く長く伸びていた。



 天が血を欲している……



 狂宵



「…………」

 右の稲穂の海からは、五月蝿いほどに蟲と蛙が狂い鳴き。

「イルカせんせー……」

 無性に寂しさを覚えて、ナルトは丁字路を九十度に曲がった。

 ここを曲がれば、イルカ宅。

 疲れで体は重いが、逸る気持ちに足が急く。長いあぜ道を通り抜け、通いなれた扉の前に立つ。

 三回叩く。

 返事は無い。

 また三回叩く。

 気配も無い。

「………」

 そして、また…

 と手を上げたところで、

「!先生…?」

 気配を感じた。

 路の向こう。切れた街頭の向こうから、こちらに歩いてくる気配があった。

 暗闇から徐々に現れたのは、ナルトの探し人。

 足元に視線を落として俯いたまま、力なく歩いてくる人影。

 後頭部で結われた黒髪が、薄暗闇でもそれとわかった。

「イルカせんせー。お帰りってば!今日さ、泊めてくんない?」

 大きく両手を振って、イルカを迎える。

 だが、

「…イルカ先生?」

 反応が無い。

 人形のように無機質に、イルカは駆け寄ってきたナルトの脇を通り過ぎると、自宅の扉に手をかけた。機械的に鍵を取り出し、鍵穴に差込む。まるで隣に誰もいないかのように、ナルトに気付く気配を全く見せず。

 街頭が壊れたイルカの自宅前。月明かりの下に照るイルカの横顔。その紅い色が、イルカの瞳を空ろに見せていた。



 紅月は、狂気の色……



「な…何だよ…」

 唇を噛んで、ナルトはイルカに駆け寄る。そして扉を開けようとしたイルカの手首を掴んだ。

「イルカ先生ってばっ!」

「っは……!」

 イルカの体が一度、大きく震えた。

 まるで今、夢から覚めたように大きく目を見開き、イルカは弾かれるようにナルトを振り返った。その口から、名前が零れる。

「な、ナルト………」

 いつからそこに?とでも問い出しそうな顔。

 力なく、イルカの足がふらついた。扉に背を預け、イルカは片手を額に当ててナルトから顔を背ける。

「大丈夫?イルカせん……」

「悪い…ナルト……帰ってくれ…………」

 名を呼ぶナルトを遮り、イルカは搾り出すように吐き出した。

「な、何で…どうしたんだってば…変だよ……先生…………」

「頼む……」

 そっけなく、イルカはナルトの手を振り払う。

 絶望に墜ちた色が、ナルトの双眸を走った。

 口元が戦慄く。

 イルカは片手で顔を隠して背けたまま、一向にナルトを見ようとしない。

 その姿に、ナルトは疼くような痛みを覚えた。

 消えていきそうな…その人。

 紅い夜風が通り過ぎ、無言が漂う。



 それを打ち破ったのは、

「子供にまでそれは無いんじゃないですか?」

 という空から降ってきた言葉。

「?」

 イルカより先に、ナルトが見上げる。

 向かいの軒上に立つ、新たな人影。

 その声はいつも聞き知っていた。

「カカシ先生?」

 ナルトの声に、ようやくイルカも緩慢な動きで顔を上げた。

 そして、またすぐに俯く。

 軒上から音も無く飛び降りると、カカシはナルトの頭に手を置いた。その手で、髪をくしゃくしゃとかき回す。

「ナルト。今日は帰れ」

「でも…」

 と言いかけて、ナルトは口をつぐむ。俯いたままのイルカを一度みやり、そしてカカシを見上げる。無言で頷くカカシ。

「……わかったってば……」

 じゃ、と踵を返し、ナルトの姿が田園のあぜ道へと続く細道へと消えていった。

 その背は、一度も振り返ることが無く。

 それを最後まで見送り、カカシは改めてイルカを振り返る。

 イルカは、扉に背をつけたまま俯いている。

 口を開けかけたカカシを遮り、

 意外にも今度はイルカが最初に沈黙を破った。

「何故ここに……」

 その声は、アカデミーで声を張り上げてばかりのイルカからは想像のつき難いほどに弱い。

「言ったはずです。構うなと……」

「無理な話ですね」

「っつ…」

 肩を掴み、無理やりに正面を向かせる。

 それでも顔を背けるイルカの首を掴んだ。力の加減が行かず、軽くイルカが咳き込む。

「そんな急激に態度を変えられて、挙句、『構うな』なんて…納得がいくと思いますか。俺はともかく、ナルトまで……。ナルトはアナタの生徒では無い、という俺の言葉の所為ですか?」

 語気が少々荒い。

「くっ…」

 強く口を噛み締め、イルカがカカシの眼をにらみ返す。そしてカカシより更に荒い声調で怒鳴り返してきた。

「違います!俺には時間が無いんですっ!!」

 その目は、涙だろうか、紅い月光のしたで潤んでいるように見える。

 首を掴むカカシの手を掴み返し、そして力任せに振り払う。

 結構な力だ。

「何が……」

 とカカシが問い返す言葉を区切る。

 いつの間にか、首筋にくないがあてがわれていた。

「………」

 くないの柄を握るイルカの手が、震える。

 すぐ近くにあるカカシの視線から逃れて、またイルカは俯く。

 消えゆきそうな、懇願が漏れた。



「お願いです………あの紅月が消えるまで…………」

「?」



 見上げると、紅月。





「それまで俺の名を………呼ばないで下さい……」





 それ以上、カカシに何が問えようか。





 ゴオオォォォンン………





「!」

「鐘…」

 無言の空気の中に、突如鳴り響いた鐘の音。

 カカシは空を見上げた。

 低く、這うような鐘の轟き。

(この鐘は………)

 カカシは括目。



 鐘は、ニ度鳴った。



 ちょうど、日付が変わるとき。

紅月まで、あと二日。





「っ…」

 鐘の音に耐えられず、イルカは体を翻すようにして扉の向こうに駆け込んでいった。

「あ…」と止める間もない。

 バタバタと玄関から部屋の奥へ駆け上がる音が遠ざかった。

「……………まさか先生……」

 口元に手をあて、カカシは呟く。

 もう誰もいない扉の前で、扉の向こうに消えていった人物を思案し…。



「………」



 空を見上げる。



 紅月の充月が、迫っていた。

 月の色はいよいよ血の赤に等しく濃い。

 夕暮れさえも月明かりに飲まれ、昼過ぎから空は紅かった。







伍・前祭



 送り祭

  日時:明晩 七ツ刻

  場所:紅月の丘



 集合場所だと指示された街の中心広場に行ってみれば、昨日には無かった巨大な看板が建てられていた。

 七班の三人は、並んで書かれた文字を見上げた。

「ほら、やっぱりお祭りだってばよ」

 とナルト。

 樫の木で作られた、もう古くささくれで傷んだ看板だ。

 所々黒ずんでいる。

 その看板に直接、筆でそう書かれていたのである。

「……送り祭……?知らないわ……」

 小首を傾げるサクラ。その斜め横で、サクラの微妙な面持ちに気付いたサスケが様子を伺っている。

「おお、送り祭か……十何年ぶりになるか?」

「!」

 背後から聞こえてきた会話。

 通りすがった町人の男達だった。

 初老近い二人組みは、会話に追憶の靄をたゆたせる。

「丁度…二十年ってところじゃないか?」

「もうそんなか……」



(二十年ぶりのお祭り……?)

 いよいよ訝しげに思ったサクラは、振り返らずにただ背後の会話に耳を欹る。

「今回の『お役目』は誰だろうな」

「二十年前の『お役目』は…清らかく、美しい、くの一だったっけ」

「そうそう!」と急に声を明るく上げて、男達は笑い出した。

(……『お役目』……?)

「っ…」

 サクラが振り返ると、男達はすでに看板の前から離れ、町並みの向こうに紛れて消えていくところだった。

「…………」



ゴオオォォォンン………



 鐘の音。

 日々、回数を重ねていく鐘。昼夜を問わずに鳴り響く。空を突き抜け、里中に響き渡る。

「まただわ…気持ち悪い鐘………」

 眉を顰めてサクラは空を仰ぐ。

 日に日に紅の濃さを強めていく空。

「…サクラちゃん?」

 すぐ隣から、ナルトの案ずる声。

 そのすぐ後に、



「やあ諸君、おはよう」

「遅い………」

 

 カカシが現れた。

 最早慣例となったカカシとの朝(殆ど昼)の挨拶。



「で?今日は何?」

 拗ねた素振りでふてぶてしく、サクラが問う。

 それにはすぐに答えず、カカシは目の前に立つ看板をしげしげと眺める。

 そして感心したように

「やたらでかい看板だなぁ……」

 と呟いた。

 同じように振り返って看板を見上げ、何気なくついたサクラの言葉。

「二十年ぶりのお祭りだから…じゃないの?」

「……」

 それが僅かにカカシの表情を動かした。

 サスケには、一瞬そう見えた。

 知ってか知らぬか、そうそう、とカカシは思い出したように顔を上げると、

「これ、観に行くからな」

 と看板を指差した。

「へ?」

「明日、六ツ刻。この看板の前で待ち合わせだ」

「……!」

 明日といえば、日曜。

 週末出勤を強いられれば真っ先に愚図を言い出すナルトだが、それは出なかった。

 まだ明るいはずの日中。重いほどの沈黙が、まるで闇夜を運んでくるように冷たかった。

「遅刻するなよ」

 最後にそういい残すと、カカシは「以上。解散」と言い残し、踵を返して歩き去っていった。

 全てが唐突な現状に、ナルトもサスケも、「何なんだ」と眉間に皺をよせている。

「……先生こそ……」

 小さくサクラの声が届いた。

 精一杯の強がりなのだろう。



 だがその声も届いたか、

 カカシの背中は人ごみに紛れて消えてしまっていた。

 

「何なのかしら、一体…祭りの内容くらい説明があったっていいじゃないの…」

 カカシが消えていった方を見据えて、サクラは溜息。

 そういえば、街の様子も今日は活気付いているように思う。

 活気……というより、沸き立つ…ような空気だ。

「……二十年ぶり……かぁ…そっか!」

 名案が閃いたとばかりに、サクラはサスケを振り返った。

「イルカ先生に聞いてみようか。多分知ってるよね」

 

 イルカ先生に



 サクラの口からでたその名前に、ナルトは目元に影を落とした。

 先日、イルカ宅で起こった事が蘇る。

 イルカに、無視された瞬間。

 手を振り払われた瞬間を。

 結局あの後を任せたカカシからは、何の言伝もない。話を聞かせてもくれない。

「イルカ先生…は多分、忙しいんじゃないかなぁ~…」

「何言ってんの。アカデミーに行けば会えるじゃない」

「最近学校にも来てないし、家に行っても会えないんだってばよ…」

「ふーん…」

 苦笑いで下手に汗をかきながら言い逃れをするナルト。

 サクラにも当然見え透いていたが、あえてそれを言及しなかった。



 ゴオオオォォォォ……ン……



 また、鐘が鳴った。





六・祭り



 今宵、



 紅月の充月。





 六ツ刻。



 人のうねり

 人の波

 人のたかり



 この静かな里の中で、一体どこからこれだけの人間が集まったのであろうか。

 箱ごと中身をひっくり返したかのようにごった返す中心街。



 その、看板の前で。

 そこにはサクラの予想に反して、誰よりも先に待っていたカカシの姿があった。

「……珍しい…」

 目を丸めて、サクラが呟く。

 次に到着したサスケも、「……あれ」と小さく言葉を漏らす。

 そして、最後にやってきたナルトも同じく。

「よし、揃ったな」

 三人が到着すると、カカシは腕に抱えていたものを三人の前に広げた。

 それは、黒い外套。

「?」

 三人に一枚ずつ投げ渡す。

「何コレ…マント?」

 サクラがそれを広げてみると、蝙蝠の羽のごとく黒い。

「それを羽織れ」

 カカシは無造作に外套を背中に羽織る。

 全身が、黒ずくめに闇に紛れる。

「えー?」

 桃色と赤が鮮やかな装束を身につけているサクラが、真っ先に唇を尖らせる。

 ナルトは止め紐を止めてくるくるとその場を飛び跳ねる。外套が翻るのを楽しんでいるのだ。サスケは、黙って言われたとおりに外套を装着。それに倣い、サクラも渋々従う。

「行くぞ」

 外套を着けるや否や、カカシは歩き出した。

 その後を、てるてる坊主の三人がついて行く。

「ねえ、こんなの着てさぁ、先生、何のお祭りなわけ?」

 サクラの言葉に、カカシは始終無言。

「……」

 歩を進めるごとに、サクラは眉を顰める。

 カカシが歩いていく先に、同じく黒い街頭を羽織った人影の集群が見えてきたからだ。

「……な…何?」

 集群の向こうに、ちらちらと光るものが見えた。

 鬼火。

 いや、松明の行列。

 道沿いに、まるで道しるべのように長く続く松明。

 その松明に寄って、黒い人影たちも道沿いに列をなしている。

「……?」

 その松明の火をたどっていくと、行き着く先は、小高い丘。

 昨日、山から見下ろした丘だ。

 見ると、今は柵が立てられていた。幾つ物松明の灯りが点り、紅い月光の下でその丘は、幻想的に浮かび上がっていた。

「来たぞ!」

「出てきた」

 どよめきが上がり、サクラが振り返る。

 ナルトとサスケも、カカシの隣に並んでざわめきの出所を探る。

 人と松明で埋め尽くされた沿道。

 その道の真中を、一つの行列が緩慢な速度で進んでくるのが見えた。

「何何何、何が来たんだってば」

 飛び跳ねて懸命にその様子を観ようとするナルト。

 サクラは手近に植樹を見つけると、飛び上る。ナルトもそれに続いた。

「邪魔よアンタ」

「いいじゃんってばよー」

 と枝の上で押し合いへし合う二人。その一本上の枝には、いつの間にかサスケの姿があった。

「おい、見ろ」

 と指をさす。

「え?」

 行列が、ちょうど三人の下を通っていく。

「…何……?アレ…」

 サクラの声が震えた。

 ナルトの首根っこを掴んだまま、動きが止まった。

 

 行列。

 黒装束に、白い頭巾を被せられた人々が、鎖に繋がれて歩いていく。

 打ちひしがれ、首を垂らした人々。

 一人、二人…七人。



 一目で分かった。



 囚人行列。



「……囚人……」



 サクラの呟き。

 それを遮るように、足元からカカシの声がした。

「おい、行くぞ」

 丘の上を指差し、カカシが手招きする。

「え…?」

 悪寒。

 木の上から改めて、足元の光景を眺める。

 黒い外套の人影たちのうねり。興奮のどよめき。



 何を

 何を皆は興奮しているのだろう

 この人たちは一体……?



 割鐘を叩いたような音が、脳内に響き渡る。



「ねえ、これ一体……あの人たちって…」

 枝から飛び降り、カカシの外套を掴む。

「囚人でしょ?あの人たち……どこに行くの?ねえ、これ、何?お祭りって……」

 後ろから、ナルトとサスケもついて来る。

 サクラの言葉は、残り二人の問いを代弁していた。

「……」

 カカシは丘の上を一度指差すと、短く応えた。

「いいから、ついて来い」



 松明に導かれ、人波を掻き分け、四人は丘を目指した。

 途中、同じく黒い外套に身を包んだ紅に出会う。

「あら、奇遇」

「よう」

 その紅の背後で、怯えてあたりを見渡して落ち着かない様子の子供達。

「さっき、アスマ達が上の方に行ったわ」

「そうか」

 どちらが誘うともなく、二組の下忍班は丘を目指して歩き始めた。

 囚人達の動きに合わせて、人波も移動していく。

 

 丘の入り口で、目立つ大きな体格が見えた。

「おう、来たか」

 さすがに煙草は控えている。口元が寂しそうだ。

「先生…」

 とサクラに即されて、カカシは「おう」と振り返る。

 サスケの外套の端を握り締め、サクラが四方八方を見渡して落ち着かない。

 流石のナルトも、飛び跳ねる様子もなく肩をすくめている。

 いくつもの杭が四方を囲み、そしてその場を二つに区切るように横切る柵杭。

 四角に区切られたそこには、一つ、穴が掘られていた。

「………何よ…これじゃまるで……」

 その先の言葉を口にするのが、恐ろしい。

 サクラは唾を飲む。



「来たっ!」

 また大きなざわめき。

 丘の入り口から、七に並んだ人影たちが、現れた。

 じゃらりと重い鎖を引きずる音を伴って。

「はい、ちょっとごめんよ」

「っ…」

 背中を押されてサクラは前方につんのめる。

 同じく黒い外套の男が、大きな看板を建てていた。

「大丈夫?」とナルトが手を伸ばす。それを素直に握り、立ち上がる。膝の泥を掃う前に、目の前に立つ看板の文字が目に入って来た。



 受刑者名一覧 七名



「受……」



 几帳面に並ぶ七の名前。

 いずれもサクラにとっては知らぬ名ばかりだが、それが何を意味するのかは理解出来た。



 サクラの背後から、カカシも同じく看板の文字を見つめる。

 

(キガラ……)

 見知った名を見つける。



 その昔、抜け忍として里から闘争した忍び。

 追い忍は、カカシだった。生け捕りにせよとの任務。里は尋問の必要性があったからだ。

(あれから…ずっと獄中にいたのか………)

 覆面の下でカカシは下唇を噛むが、感慨らしきものはこみ上げてはこなかった。

「……」

 入ってくる行列を振り返る。

 顔半分を白布覆面で隠されていたが、その顔はすぐに判った。

 痩せた横顔がある。

 紅い月光の下、虚ろに落ち窪んだ瞳が、すでに生を放棄しているかに見える。

「……キガラ……」

 一度は、共に任務を請け負った事もある盟友。



「ねえ、ちょっとっ……先生!」

「!」

 サクラの声に、カカシは我に返る。

 囚人の行列を指差し、紅い月光の下でも青い顔だと判るサクラ。

「何だ?」

 サクラの指先を追う。

 行列の中に、頭一つは小さい人物の影が。

「あ、あれ…まだ子供…………?」

 ナルトらよりは年上であろうが、体格、身長から見て青年に手が届きかけた少年…という印象がある。小柄なために、白布の覆面が顔全体を隠してしまっている。

 重い鎖の足枷が苦痛そうだ。

 ついぞ最近、まだ若い忍びが抜け忍となり戦任務先から逃亡したという事件があった。

 まだアカデミーを卒業して間もない、将来を嘱望されていた優秀な忍びであったと聞いた。



 それを捕らえた追い忍が、

 カカシであった。



 裁判が行われたとは聞いたが、

 やはり結果は同じ事……。



(見せしめ………か)



「ねえ、カカシ先生……これってやっぱり………」



 奥歯がかみ合わずに震えるサクラの声。

 両膝がいまにも崩れ折れそうに震えているのが判った。

 懸命に、声を絞り出そうとしている。



 これってやっぱり……公開処刑?



 語尾が消える。



 カカシは黙って、頷いた。



「っ!」

 驚愕にナルトが大口を開けて目を見開く。

 さすがにサスケも、眉間に深い皺を寄せて目を細めた。

「な、何でこんな…私たちまでこんな所で……っだって、お祭りって行ったじゃ……」

 柵杭の中に次々と連行されて行く囚人達から目を逸らし、サクラはカカシにすがる。



送り祭



「送り…祭……」



 すなわち

 野辺送り



「紅月の充月は、天が血を欲しているから…。お前なら知っていただろう?」

 低く、静かに、だが優しく、カカシが応える。

「あれは、本で読んだ御伽噺同然の…っ」

 目の端に涙をためて、サクラはカカシの外套を力の限りに握り締めた。

 背後では、人のうねりが熱となって空気を濁しているのが伝わる。

 柵杭の門が閉められ、いよいよ囚人のうちの一人が、まず跪かれる。

 厳格な男の声が、罪人たちの名と罪状を読み上げる。

「…………っ」

 何故に声が群集から上がるのか、サクラには理解が出来なかった。

「こんなの……」

「よく見ておけ」

「…………」

 紅月が、よりいっそうの濃さを増す。

 朧月のような光が、いっそうの強さを増す。



 刻は満ち足れり



 サクラから視線を逸らして刑場に向けて、カカシは静かに、凛と応える。

「あそこにあるのは、戦で敗れた者、裏切り者の行く末だ」

「……………」

「ああなりたくなければ、皮肉だろうが、死に物狂いで戦う事だ」

「…………先生…」



 七人目の名と、罪状が読み上げられた。



 これから、介錯人により、刑が執行されるのだ。





七・介錯人



「介錯人だ……」

 声があがる。

「……もうやだよ………」

 既に顔中を涙でぬらしたサクラが、重い頭をようやく刑場に向けた。



 見ると、柵杭の向こうから、白装束を身に纏った介錯人が現れた。

 脇に鞘に収められた長刀を抱き、そして右手には差紙を握っていた。

 居並ぶ役人らの前で深く一礼し、そして刑場に入る前に一礼。

 一歩一歩、ゆるりとした足取りで、罪人達の前に姿を現わす。



 白袴に白タスキ、そして白鉢巻。

だが、それと相反する黒髪が、紅月の光の下でも、鮮やかだった。



 噂に上っていた介錯人の登場に、

 場が沸く。



「…………っあ!」

 ナルトが声を上げた。



「っな……」

 

 覆面の下で、カカシは逆流する息を飲み込んだ。



「うそ…」

「………」

 遅れて、サクラ。サスケ。







 白に包まれた、イルカがそこにいた。







 黒髪を後頭部の高い位置で結わえ、その結い紐も今日は白い神紙。

 今までに見せた事も無い無機質な表情と白鉢巻が、冷たく、厳しく、凛々しい。



 少しやつれたか、

 紅い月光に照らされて横顔は、それでも白いと感じられた。



 何の感慨も現さない瞳で、黒髪と鼻の傷が特徴の介錯人は、立台の上に差紙を置き、刀の柄に手をかける。



 すらりとそれを引き抜いた。



 また、ざわめき立つ声が重なる。



 白銀の刃が、鋭い光を放つ。

 刃が天を向くように刀を握り、イルカは差紙を手にした。

 まず、それで一度刃を拭う。

 そして、その刃を下に向けた。

 すぐ足元に跪いていた介助人が、桶から柄杓で掬った水を、刀にかける。



 ぴたぴた…

 という音と共に水が地に落ち、吸い込まれていく。



 その一つ一つの動作が、まるで舞いの手動作一つ一つを見ているようで美しい。

 カカシは、無意識によぎったそんな思いに当惑する。



(似ている…………二十年前と……)







 送り祭。

 いわく、公開処刑



 これは見せしめの儀。

 抜け忍、国賊、重罪人、敵国の者など。

 長い間拘留していた里に仇なす者を、紅月の丘で一斉に処刑するのだ。



忍びの里では慣例だ。

 その儀には、

 上忍、中忍、そして下忍にも、罪人達の末路を見届ける権利がある。



 裏切りは許さない。



 忍びとして、

 里に絶対の忠誠を暗黙に誓わせるのだ。



 二十年前。

 まだ幼い、とはいえ既に中忍として名を馳せていたカカシにも、

 その公開処刑を目の当たりにした記憶があった。



 なんてことは無い。

 血は戦でも任務でも、見慣れたものだった。

 命乞いの慟哭も、狂い死にの呻声も。

 そこにあるのは、血と死と狂気。



 ただ違うのは、



 美。



 無垢の純白に身を包んだ、美しい影が、そこにはあった。

 白刃を閃かせ、

 地を這うような狂声を上げる罪人を、その一閃のうちに天に帰さす、



 美しい介錯人。

 火影の占術により選ばれし、その充月の宵にもっとも天に近いとされる聖星を持つ者。

 定かではない、二十年前の記憶。

 長い黒髪が印象的な、凛とした美しさを持つまだ若い女性だった。



 不思議な熱が、胸の内にこみ上げたのを覚えている。

 

 あの美しさは、

 死に行く者へのせめてもの手向け。







 美しい黒髪の介錯人。

 あれは細身の若いくの一であったが、

 何故かその記憶の影とイルカが、重なる。



 呆けていた自分に気付き、カカシは我に帰るために首を一度振った。

「………」



 二人の介助人が、一人目の罪人を背後から押さえつけていた。四角に彫られた穴。その上に、首を差し出す。



 それを上から見下ろすイルカの瞳は、



 無。







「………う、嘘…イルカ先生……」



「イルカ先生が人を殺すなんて…………」



 サクラのしゃくりあげる声。

 ナルトはすでに、出す言葉もなくイルカの一挙一動を食い入るように…というより半ば放心しているように目を見開いて見つめていた。

 サスケは、額と両頬に大量の汗。





 一人目。

 罪状、戦任務における木の葉軍情報の漏洩と渡売。

 

 つまりは、国賊。





 イルカが、刃を両手に持ち替えた。



 ざわめきが消える。



 白刃が空高く上がる。

 

 もう、何も聞こえない。





 嘘だ

 嘘だ

 嘘だ





「カカシ先生っ……!!……やめさせてよぉっ………イルカ先生が…」

「静かに見るんだ」









 あの紅月が沈むまで





 俺の名を呼ばないで下さい







 脳裏に何度も響く、イルカの声。









八・二人目





「次」



 事務的な声に導かれ、二人目が引きずり上げられた。

 腰が抜けたのか、足腰がまったく立たない囚人を、両脇から介助人が支えてやってきた。



「っ…」

 次にサクラが我に返ると、目に飛び込んできたのはその光景だった。

 すでに、



 一人目の首は首桶に仕舞われていた。



「イルカ先生……」



 白装束の襟元に、僅かに返り血を浴びていたイルカがそこにいた。

 変わらぬ無機質な瞳で、刃についた血を介助人による掛け水で洗い流している。

 水を払い落とし、そして差紙で拭う。

 

 腕を握ってくる感触に傍らを見ると、

「ナルト……」

 ナルトがサクラの袖にしがみ付いていた。

 体の平衡感覚を支えきれないようだ。みれば、足元も震えている。

 だが、

 その目はまっすぐに、刑場にあるイルカに向けられていた。

 瞑りたい目を必死に開け、汗に震えている。

「…………一振りだったってばよ………」

「え?」

 搾り出された声に、サクラが耳を傾ける。

「血も全然出なくて…音もなく……落ちたってば…」

「………」

 「何が」とは問えず、サクラは目だけでイルカをみやる。



 何事も無かったかのように。



 それが、もっとも表現に相応しい言葉だろう。

 イルカは片手に刀を握ったままの姿勢で、次の罪人がやってくるのを待っていた。

 その瞳は、じっと覆面に半分隠れた罪人に向けられている。

「ひっ…」

 突き刺さる眼光に我に返ったか、罪人の男が肩を一度大きく揺らした。

 それを引き金に、突如狂ったように叫びだし、その場から逃れようと暴れ出した。

「………」

 姿勢を変えず、イルカはただ、直立不動。

 男は、理解不能の叫びを上げながらも、二人の介助人に引きずられて突き出される。



「……っ!」

 その叫びに耐えられず、サクラは外套の裾で顔を隠し、両耳を手で塞ぐ。カカシは戒めようとはしない。

 男の嬌声と比例して、周囲の沸声も上がる。



 ここは何処なのだろう。



 サクラは自問する。

 ここは、木の葉の隠れ里ではなかったのか。

 いつも平和で



 お人よしのアカデミーの人たち。

 カカシ先生。

 ナルト

 サスケ

 家族

 友達………



 何故ここにいる人々は、人の死に己が血を騒がすのか。



 あの黒髪の介錯人は、なぜ無表情で人の首を落とすのか。



「あんな人知らない……っ……!!」

 あれはイルカ先生じゃないんだ

 そう、サクラは何度も繰り返し呟く。



 ワッ……!



 大きく沸く声。

「!」

 カカシが見守る中、

 大柄なその罪人の男が、介助人を振り切ったのだ。

 無我夢中、とにかくその場から逃れたくて、男は闇雲に走り出した。

 その広い背中のど真ん中、

 介助人の一人が投げたくないが深深と突き刺さる。

「がっ…!」

 短い男の断末魔を待たず、イルカの足が動いた。



 白刃が閃く。



(速っ…)



 次の瞬間には、

 くないを背に突き刺した男の体から、首が刎ねていた。



 首が

 穴ではなく、役人達の足元に転がる。



(速いな…おそらく奴は、痛みなど感じなかっただろうに)

 突然の事に動揺を見せる役員席の面々。

 イルカは刀を手にしたまま、転がる首の元に歩み寄る。

 そして役員席に軽く一礼すると、

 首を拾い上げる。

 慌てて首桶を運んでくる介助人。

 差し出された桶に、

 「何事も無かった」かのように、首を入れた。



 居合の見本を見ていたかのような、一連の動き。

 

 最初に踏み出した一歩から、刀の一振りまで、まったくの無駄がなかった。



「………」



 美しい、とさえ思った自分がいる。



 白い鉢巻が、紅月光の下で翻る瞬間。

 差し込んだ月光に反射した、黒曜石の瞳。

「無」の面に覆われたイルカの面持ちも、能楽的な美が、そこにあった気がした。





「…………」

 傍らを見れば、

 見たくないものを見てしまった…というように目を見開いて震えるサクラがいた。

(刺激が強すぎたか……?)



「せ…先生……」

「……」

 下から、サクラの振るえる声。

「どうしよう…あたし……」

 右手にしがみ付いていたナルトは、いつの間にかその場にへたり込んでおり、サスケは固まったまま立ち尽くしている。

「あたし……さっき、一瞬……」



 綺麗だと、

 思った………

 思ってしまった







九・少年





「………」

 カカシはサクラからナルトに視線を移す。

 まるで月光と血塗られた光景にあてられたように、熱に浮かされた目つきで呆然とするナルトの横顔。

白い頬をしたサスケも、おそらく心境は似ているだろう。



 だが、そんな惚呆に似た面持ちも、次の瞬間には崩れた。



「次」

 という事務的な男の声。



「?」

 同時にナルトとサクラの視線を追えば、

 

 次に控えていたのは、





 まだうら若い少年とも言える、罪人。

 

 名を、

 ツバメといった。



 うなだれていた首を上げ、介錯人である黒髪の中忍に、何かを訴えるように視線を向けていた。その真摯さが、覆面に顔が隠されているとはいえ、窺い知る事が出来た。



 一方のイルカは、

 少年の方に視線を真っ直ぐに向けてはいるが、その瞳に感情が宿っている事は、無い。



「……………イルカ…先生……」

 カカシの呟きが、再び湧き上がった声にかき消される。







 考えたくない答えが浮かび上がる。





 少年は、潔い態度で黙って首を差し出す。



 その頭上で、イルカは黙々と刃に掛け水を掛け、差紙で拭いを入れていた。

 白い覆面と、黒い装束の間からのぞく少年の白いうなじ。

 カカシの位置からも、それがいかにも儚く映った。



 イルカはまるで、そこに刃を振り下ろす事を難とも思っていないように、手際よく手順を薦めていく。

 イルカの動きを待って、介助人が動く。

 最後にもう一度、刃を濡らす掛水を振るい払うと、



 イルカは刀を振り上げた。





 ギリッ…

 という骨が鳴る音。

 自らの手を折らんばかりに強く握り絞められたナルトの掌。

 細かく、痙攣して震える。



先生が……

 イルカ先生が子供を殺すなんてありえない!!



「やめてよーーーーーーーーっ!!」



「っ!!」



 突然のナルトの叫びに、カカシは我に返った。

 その場にいた誰もが瞬時に声の主を振り返る。

 カカシはナルトの襟首を掴んで引き寄せた。

「あっ…!」

 咄嗟に振り返ったサスケの眼に、





「………」



 まるで遅回しで再生された映像のように、



 首が落ちていくのを見た。



「あぁ…っ………」



 のどの奥から逆流する、サクラの沈痛な声。



 それでも、

 イルカの刃が描いた弧は、無駄の無い美しい曲線を描いていた。

 名鍛冶による空をも切り裂く刃は、何の苦も無く次々と首を落とす。

 

「離せってばよーっ!もう止めさせるんだってば!」

 カカシの腕の中で、ナルトがあらん限りの力で暴れる。

 両腕を羽交い絞めにし、カカシは鋭く一喝した。

「あれは木の葉の忍びとしての任命なんだっ!」

 火影の占術による天命の決定。

 それは「絶対」を意味していた。

「イルカ先生は、人を殺しちゃいけないんだってば…」

 語尾が裏返り、涙に滲んだ声となって掻き消える。

 カカシが手を離すと、ナルトの体はそのまま地面にへたり込んだ。しりもちをつく。

「あれは、イルカ先生じゃないんだ……」

「………」

 ナルトの口から出た、サクラとまったく同じ言葉。

「イルカ先生…俺がちょっと指切っただけで大騒ぎするんだ………なのに」

 外套の裾が引き裂かれるほどに強く握り締めて、ナルトは体を震わせる。



 カカシは、次の処刑が始まろうとしている刑場に視線を向けたまま、低く応えた。



「それは身勝手というものだ」



「……え…?」

 サクラが食いつくような視線。

「イルカ先生を何だと思ってるんだ。彼は忍びだ。人を殺せば子供だって殺す」

「…………」

「お前らのは、ただの偶像の押し付けだ」

「………………」

 最も口が達者なサクラも、口を半開きにして言葉を吐きかけたまま固まる。



 理解していたはずだった。

 中忍試験を経験した時から。

 

 中忍というものがどういうものか。

 忍びというものがどういうものか。



 ただ、

 それでもやはり、あの黒髪の男は

 血に濡れてはいけないのだ……



「………ごめんなさい…」



 ごめんなさい



 何度も

 何度も



 懇願するような謝罪。





 壊れ物を優しく包み込むように、カカシはサクラの頭に手を添えた。

 そして膝元に抱き寄せる。







 穢れさせる事を決して許せない存在。



 だからこそ、



 三代目は彼を選んだのだろう。

 そう、カカシは思う。







 それは、



 死に行く者へ、せめてもの手向け……

















 紅い月は



 まだその輝きを失わない。







 この宵があけるまで……











拾・終焉







 全てが終わった時、



 イルカはまるで酒にあてられたように、裸刃をたらしたまま、虚ろな瞳で空を仰いだ。



 紅月の充月は、

 色を失いかけていた。



 それとは対照的に、刑場の地には赤々と血の跡。

 

 介助人に促され、血のついた刀を一振り。

 掛け水で清め、差紙で拭う。



 おもむろに鞘を掴むと、

 白銀の輝きを失わない刃を、

 その中に戻した。



 それと同時に、歓声にも似たざわめきが静まり返った。



 全ての遺体が片付けられ、穴が埋められ、首桶が運ばれた。



 イルカは刀を脇に抱くと、役人席にむかって一礼。

 そして、柵杭から外に出る扉の前で、再び振り返って一礼。出て一礼。



 その瞬間をもって、介錯人としての責務は、終わった。





 同時に、







 送り祭が終わる。















 刀を介助人に渡すと、イルカの足は火影の元に。

 これも儀礼的なものだ。

 鉢巻を取り、タスキを取り、手と膝をついて火影に頭を垂れる。

 足元に跪くイルカを、

 火影は笠の下から表情の無い瞳で見つめる。



 そして、

 全てを終焉に導く言葉を述べた。





「……大儀だった」



 

「………」



 イルカは、それに無言で会釈を返す。

 そして緩慢とした動作で一つずつ立ち上がると、

 深く火影に一礼。



 そして、踵を返した。



 襟と袖を返り血で濡らした黒髪の介錯人は、手に鉢巻を握り締めたまま、刑場を後にしようと歩を進めた。

 介助人が、着替えの場へイルカを誘導しようと促す。



 だが、



「っあ…」

 

 誰のものとも無い、短い声。



 一歩踏み出したはずのイルカの体が、体重を支えられずにその場で崩れ落ちた。



「危な……」

 横から咄嗟に伸びてきた、誰かの腕の中に沈みこむ。

 火影の口から、その腕の持ち主の名が呟かれた。

「カカシ……」



「……………」



 中腰で膝をつき、イルカの白装束の上半身を抱きかかえたカカシ。

 上から見下ろす火影の視線に目をあわそうとせず、ただイルカの顔を見つめていた。



 青白い、顔。



 未だ紅の色を残す月の下でも、それがはっきりと分かった。



 呼吸が浅く、脈も小さい。

 生気が、無かった。

 







「病院へ……」

 白袴の介助人が、カカシの元に駆け寄る。

 それを腕で制した。

 視線を合わせることなく、短く言い放った。

「もういい。触るな」

「……」

 イルカの肩を抱き寄せる。

 つん、と襟を濡らす血の臭いがした。



 火影は、何も言おうとはしない。

 しばしカカシの腕の中に力無く横たわるイルカに目を向け、

 溜息に似た深く長い息を吐いたのみ。



 離れたところからナルトのしゃくりあげる声を聞いたが





 でもそれを慰める声は、





 今は無かった。




<表編>



 終了
2005.10.25.Tue/14:08
   



 

 教師になるんだ。

 そう言って、自分の元を去っていった彼。

 その彼の名前を再び耳にしたのは、

 予想外にも火影様の口からだった。

 

 「イルカには・・・無理なんじゃ」

 

 ずっと遠方での任務を中心に請け負ってきた俺は、数年ぶりに里に戻ってきたと同時に、火影からじきじきに呼びだしを受けた。

 アカデミーで、新人下忍の指導にあたってほしいという。

 その中には、あの狐を腹に宿した子供がいる。

 その子供の元担任が、

 イルカという名の、昔の同僚だった。

 「お前にあの子を見張らせるのは、ほかにも理由がある」

 煙管の煙をくゆらせて、火影様は笠の下から鋭い視線を俺に向けた。

 「何です?」

 賞味期限がとうに過ぎた牛乳パックをテーブルに置き、俺は火影様を振りかえった。

 「イルカには・・・無理なんじゃ」

 今度は視線を俺からはずして窓の外へ向け、火影様は白い煙をため息とともに吐いた。俺は無言で次の言葉を待つ。

 

 「子供を殺すなど・・・奴にはとうてい出来ん」

 「・・・・・・・」

 

 覚醒。

 封印の解除。

 それはつまり、

 里の壊滅、

 地獄の再来を意味していた。

 

 里の長として起こすべき行動は、

 もうすでに決まっている。

 

 「・・・・それは、存じてます」

 俺の低い声が返った。

 今度は火影様が、無言で窓の外を眺めたまま、俺の言葉を待った。

 「彼とは・・・部隊が一緒でしたから」  

 

 イルカに、子供が殺せるはずがない。

 だが、あの子を育てられるとすれば、

 イルカしかいないだろう・・・。

 そんな残酷な矛盾と決断。

 俺には、その両方が理解する事ができた。

 そう、  

 その黒髪の、顔の中心に一文字の傷をもった、元同僚は、

 そういう人間だった。

 

 たとえ、

 自分の命を落としても・・・だ。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「お花はいかが?」  

 大人の男の膝丈ほどしかない幼い花売り娘が、イルカの元に駆けよってきた。

 ここは都の中心から少し郊外に出たところ。

 繁華とはいえないが、逆に喧騒がなく過ごしやすい、村の風景。

 遠出の任務のさなか、俺やイルカも含む木の葉の忍達が、この街にしばしの休息を求めてやって来ていた。  

 とある数十万石の城主の依頼で、領地を巡るちょっとした戦に、伏兵部隊として参戦していたのだ。

 第一段階の戦場となった影浦ノ原からそう遠くない街。西方面へ退いて行った敵の軍勢を追って来た所、ここに通りかかった、という訳だ。

 「お花はいかが?」

 可憐な仕草で少女が近づいてくる。イルカはふと立ち止まり、振りかえる。

 「放っておけ。キリが無い」

 と、前を歩く俺。

 ここは、あまり豊かとはいえない階級層の人々も多いらしい。先ほどから、こうして何度も、物売りや物乞いにあっている。

 「でも・・・」

 少女に裾を引っ張られ、イルカは立ち止まる。俺も、やれやれという風に振りかえり、肩をすくめた。

 この黒髪の同僚と知り合ってもう何年が経つだろうか・・。

 花売り娘に和やかな笑みを見せる戦友を、三歩下がった場所から眺める。

 お互いに知るところは多いとはいえ、彼の行動にはいつも気をかけずにはいられない。

 膝をついて少女と目線をあわせ、笑顔を向ける大の男。そして同じく可憐に微笑む少女。

 戦場を離れればとたんにこうだ。戦の日々から俺を安穏の日常に引き戻してくれる、唯一の存在。

 「お花はいかが?」

 腕一杯に抱えた花束をイルカの鼻先にかかげ、少女は三度、微笑んだ。

 「そうだな・・・じゃあ、少し貰おうかな」

 イルカが懐に手を伸ばしながら、俺を振りかえる。

 「花なんか買ってどうするんだ?」

 俺は覆面の下でため息をつく。

 目を細めてイルカが、悪戯っぽい笑みを見せた。

 「あんたにやるよ」

 「それはどうも。花ってのは、揚げて食うと美味いらしいからな」

 珍しく冗談を口にした俺に、イルカは一瞬、黒い瞳を見開いたが、すぐにそれを細めてまた、くすぐったそうに笑った。

 俺は「早くしろよ」と視線を反らした。  

 

 「お花は・・・」

 少女の声に、イルカが目線を再び少女に向けた。

 「!」

 

 瞬間・・・  

 

 「いかが?」

 

 「っぐ・・・・・っ!」

 「!?」

 

 くぐもったイルカの声に俺が視線を戻した時には、

 「イルカっ!」

 身体を丸めてその場に倒れこむイルカの姿が、あった。

 「お花はいかが?」

 その傍で、花束を抱えて微笑む少女。

 その花束からしたたるのは、血。

 傍で倒れているイルカの腹部からも、血が筋を描いて地面を伝わっている。  

 「花に武器を隠し持ってやがったか・・っ!」

 俺は抜刀した。  刃先を少女の鼻面に突きつける。

 「お花は・・・」

 だが少女は、臆する様子もなく、血のしたたる花束を今度は俺にかかげて微笑む。

 「いかが?」

 倒れているイルカの身体をまたいで、一歩、一歩、俺の元に・・・。 

 俺は刀を抱えたまま、周囲を一瞬見渡した。

 遠まきに、街の人々が顔色を変えて何事かと騒ぎ始めている。

 傍から見れば俺は、幼い少女に刀を突きつける暴漢といったところか。

 だが、俺の決断は早かった。

 刀を振り上げる。

 

 「お花は」

 「いか・・・・・」

 

 一際、

 鮮やかな血の花弁が

 辺り一面に飛び散った

 

 鞠が転がる如く、少女の首が地を弾み、

 真っ赤に染まった身体が、糸が切れたように崩れ倒れた。

 

 対象的に一滴の血糊もついていない刀を鞘に収めると、俺は倒れて動かないイルカの元にしゃがみ込む。

 遠くで高まってくる耳ざわりな野次馬達の声を無視して、俺はイルカの肩に手を当てた。

 「・・・・」

 揺り動かそうとして、その手を止める。

 脇腹から大量に出血するイルカは、血の気の失せた顔で、定まらない息に肩を上下させていた。

 再び周囲を見渡す。

 すぐ傍に、寂れた居酒屋。

 その軒先から恐る恐るこちらを眺めていた人間の影。

 俺はその店先に駆けこむと、懐から出した財布を店の主人に放った。

 「清潔な布・・そうだな・・着物でいい、持って来い!」

 威圧する様な声で怒鳴ると、主人が慌てふためき、まろびながら奥の部屋に駆けこんで行った。

 俺は真新しい酒瓶、水桶などをひっ掴むと、店を出てイルカの元に駆け戻った。

 先ほどまで遠くで眺めていた野次馬が、いつのまにかその周囲を囲んでいる。

 「そいつに近寄るな!」

 俺の声に、肩をびくつかせて野次馬達は、蟻の子が逃げていくように散っていった。

 イルカを仰向けに寝かせ、服を捲くって傷口を診る。

 水でかるく血を拭う。

 ちょうどそこへ、先ほどの店の主人が、白いうちかけや手ぬぐいを持ってきた。

 「すまないな」

 俺がそれを受け取ると、主人は俺が渡した財布もその場に置いて、逃げるように去っていった。どうやら金には手をつけていないらしい。

 余計な事に関わりたくない・・・と。

 

 「か・・・カカシ・・・」

 かすれた声が、途切れ途切れにイルカの口から漏れてくる。

 布地を口で引き裂きながら、俺が「喋るな」と応える。

 イルカは首をわずかに起こし、手を伸ばす。

 「動くな」

 「あ、あの子供は・・・・どうした・・・」

 絶え絶えの息。

 脂汗でじっとりと濡らした顔面は、先ほどより更に青白い。

 「ガキは斬った。それより、もう喋るな」

 「な・・・」

 血止めの為に、傷口の上下をきつく布で縛る。

 痛みにイルカは顔をしかめる。

 「何・・・て、事・・・を・・・」

 その眉目にあらわれる表情は、身体の痛みよりむしろ俺の言葉にむけた憐憫だった。

 

 何を考えているんだ・・・こいつは・・・

 

 「自分の心配をしろ。喋ると身が出るぞ!」

 思わず、手当てをする手が止まった。

 「あのガキは忍だ。精神制御訓練を受けたな・・・」

 唇をかみしめ、口惜しげに俺は言葉を吐き捨てる。

 こんな時までガキの心配を第一にするイルカが、理解できなかった。

 「微塵の殺気も漂わせずに標的を殺すように育てられたガキだ」

 

 「・・・え・・・」

 「この俺も殺気をまったく感じ取れなかった・・・」

 「堪えろよ」と俺はは酒をたっぷりと布に染み込ませる。

 「っう・・・!」

 それで傷口を拭うと、イルカの身体が一度、びくりと強張って痙攣した。

 「・・・あ・・・っ・・は・・・ぁ」

 イルカの呼吸が一段落つくのを待ち、今度は傷口を布で固く縛る。

 傷口に触れる度、叫びにもならない声を喉の奥で殺して、イルカは耐える。

 「おそらく敵軍で育てられた子供達だろう」

 孤児や、売られた子供を集め、徹底した洗脳教育を行い、暗殺など隠密任務にあてがう組織が多く存在する。

 子供達は、与えられた任務、与えられた命令のみを忠実にこなす。標的を殺すことに何の疑問も躊躇も持たない。

 だから・・・  

 殺気を微塵も感じる事が出来なかったのだ・・・・。

 

 迂闊だった・・・。

 

 声を殺しながらも、苦痛に目許を歪め、せきこみ、血を吐くイルカ。

 俺にに、罪悪感がのしかかる。

 イルカは、俺の袖を強く握っている。痛みに耐えるためにすがるように。

 きつく閉じられていた目が、うっすらと開く。

 「・・・・」

 きつい血の臭いを感じ取って、イルカはその方向にわずかに首を傾けた。

 ぼんやりとした視界の中で、それでも、首がない子供の身体が確認できた。

 「・・・・・・・」

 その視線の先を、俺も追う。

 イルカが何を見ているのか・・・。

 それに気づき、俺はイルカの顎に手をかけ、自分の方を振り向かせた。

 「・・・頼むから、自分の事を考えろ。お前、今の状況が分かってるのか?」

 自分の声がわずかに上ずって震えているのが、分かった。

 喉の筋肉が、こみあげる感情に自由を奪われて、わなわなと震える。

 傷口をしばった上からまた重ねて布を捲き、きつく縛る。

 もう痛みも麻痺してしまったか、イルカは少し顔をしかめただけで、今度は声を洩らさなかった。

 

 「でも・・・」

 

 荒い息に混ざって、イルカが声を絞りだす。

 

 「・・・・」

 俺はもうそれをとがめる気もせず、ただ、正面からその目を見つめて、言葉を待った。  

 

 

 「でも・・・花は・・綺麗だったんだ・・・・・・」

 

 

 俺がその言葉を理解するまでに、  

 

 更に月日が必要だった。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇遇だな。  数年ぶりにアカデミーで会った元同僚は、そういってまぶしいほどの笑顔を俺に向けた。

 「でも、あんたにだったら、安心して任せられる」

 偶然、廊下ではちあわせた。声をかけてきたのは、イルカの方だった。

 まるで俺を探しているようだった。

 「傷はもういいのか?」

 俺の言葉に、イルカはきょとんと目をわずかに見開く。

 野暮な事を聞く、と思っただろうか。

 数年前の腹の傷は、とうに癒えているはずだ。

 だがあの傷は相当の深手で、化膿する危険性は十分にあった。

 全快する姿を確認する前に、俺達はそれぞれ離れていったから・・。

 あれでも俺なりの、気の効いた挨拶だったのだが。

 だがそれも酌みとってか、イルカは再び目を細めた。

 「ありがとう、もうすっかり。それにしても、よく知ってたな、背中の傷の事」  

 

 え?

 

 俺はつい、目を見開いて硬直した。

 背中?

 

 そんな俺を後目に、イルカは照れて鼻の頭を掻きながら

 「カッコ悪いなぁ・・・そんなに話が広がってるなんて・・」とぶつぶつ呟いている。

 

 それとなく話を聞きだしてみれば、

 最近子供をかばって大怪我をしたという。

 

 あの、狐小僧を。

 

 里でのんびりと教師をやっていれば、あの時のような目に遭う事はないだろうとふんでいた俺が、またもや迂闊だった。  

 

 

 俺は額に手をあてて大きなため息をついた。

 「・・・で、背中の傷の方は?」

 「え、だからもう大丈夫・・・・・・?」  

 何も理解出来ていないこの元同僚は、首をかしげながらも、笑顔で俺に応える。  

 

 

 あまりにも脆く、危うい、だが尊い存在・・・

 

 

 それを守る為ならば、  

 

 だから俺は・・

 

 

 

 

 花を美しいと思う心など

 

 

 

 もういらない・・・・・     

 
 

 おわり。

2005.10.25.Tue/14:10
  貔嫌來冥 


貔嫌來冥 ~虎ト豹ニ似シ獣、冥界ヨリ来タルノコト~



 貔(ヒ)  猛獣ノ名。豹ニ似ル

 嫌(チュ) 猛獣ノ名。虎ニ似ル

  イズレモ昔、戦ニ用イタ事カラ、勇敢ナ兵士、勇猛ナ軍隊、将卒ニ例エラレル



血芥編

 

 戦任務の為、里を出た二十人ばかりの木の葉小隊。

 それを率いるは、上忍猿飛アスマ。

 戦任務においては戦歴輝かしい剛の者。



 政府軍と独立を叫ぶ革命軍による民族浄化の虐殺内紛が続く藜国、そして民族的に縁の深い百済儀国。

 革命軍偵察の為に先に木の葉を出立したが、その数週間後には行方を絶った木の葉の諜報部隊。

 火影から命を受け、アスマはその行方を追っていた。



命を受け藜の国境付近まで一隊を近づけたアスマ。

 隊を二つに分け、一つを藜国内にて現状情報の取得と伝達を任せ、アスマを含む一隊は国境付近の渓谷を抜け、藜国内にいる一隊からの情報を受けつつ、最後に連絡が来たという木の葉先発隊の陣跡を目指して進んでいた。

 消息を絶った木の葉の影を掴む事が出きるはず。



 だがその直後には、

 藜国内の一隊から訃報が届けられる事となる。

「………」

 伝書鳥がもたらした書簡を広げたアスマの眉目に深い皺がよる。

 くわえ煙草が、噛み潰された。

「アスマ上忍……何と?」

 周囲で見守る部下達は、悲報を覚悟に耳を傾ける。

 口端から煙草をはき捨て、アスマは苦々しく、だが静かに言う。

「……藜の中心街で、木の葉の忍びと思われる遺骸が数体、晒されていたそうだ」

「なっ!」

「それじゃあつまり…」

 部下達の反応に、アスマは一言、

「やられたな………」と頷くのみ。

 戦において切り札といえる忍びをどれだけ雇い、用いられるか。その財力があるか。

忍び隠れ里を持たぬ国にとってそれが、勝敗を左右する大要素となっていた。

 だが、そんな事を一蹴し嘲笑う、革命軍によるそれは、「見せしめ」だろう。

「……どうしますか。里への報告は?」

「俺が確かめた訳じゃねぇしなぁ…とにかく…東へ進みつづけて、先発隊の軌跡を追う。今出きるのは其れだけだ」

「そうですね……敵の大隊にぶち当たったら、どうしますか」

「ケツを尾けて、情報を探るさ」

「……ですが、先の一隊が殲滅という事になると……二の舞を踏みかねますが」

「仕方無ぇだろうが。嫌な事考えるな」

 アスマは懐の煙草入れから新しい一本を取り出すと、口に放り投げてくわえる。

「では先発隊は……」

「捨てるさ。当たり前だ。もう誰も生きちゃいねぇ。革命派は捕虜なんぞとらないだろうからな」

 ましてや他国からの、しかも忍びだ。人質にもなりゃしない。

 そう、アスマは付け加える。



 敗北は死。

 忍びにとってそれは常。

 だからこそ、使い勝手があるというものだろう。



 優秀といえど、

所詮は

 捨て駒なのだ。



「…………」

 行使力提示の為に無残に殺された木の葉先発隊。

 考えられた結末の一つである故、アスマは冷静に無駄な感情を切り捨てる。

 とにかく、一隊を東に進める事が、今のアスマの使命だった。

 藜国内に潜入させた忍びはそこに据え置き、引き続き情報を送らせると決める。



 地図に添えていた指先で東への道を辿る。

 ある場所で、アスマの指が止まった。

「……もう幾里が進んだところに、先発隊が陣を張っていた裾原野がある」

 急ごう。

 休ませていた部下を奮い立たせ、アスマは再び、歩を進め始めた。



 空を覆うばかりの渓谷の底は、

 通り抜ける風がやけに強く冷たい。

 時折その風に錆の匂いが残る。

 冷たく、そして湿った風が肌に纏わりつき、不快な汗となって滴る。



 渓谷の秋は、

 寒い。

 だがこの先に待ち構える血の闇は、

 

 どこまでも息苦しい。





 渓谷を抜け、山に入り、そして、

 河岸に出た。

 クジャクシダやウラジロが足元を埋める叢を踏み越えると、蒲が生える川べりに出る。

 上流からの水が空虚な音を立てて、所々に淀みを作って流れていく。

 谷山中において陣を張るとき、河岸際に張る場合が多い。地図をみれば、この川沿いに沿った場所が、目的地。

「ここからは河に沿って上がるぞ」

「了解」

 ちょっくら休むかなぁ…、とアスマは額当てを外し、汗を拭って一言。

 その言葉に、数人が喉を潤そうと水辺に歩み寄った。

 手ごろな岩に腰を下ろし、アスマは懐から香草を一枚取り出すと、それを口に放り込み噛み潰した。

 流石に、敵から姿を隠しながらの移動に煙草は禁物。これはほんの、慰みものだ。

 水辺では、くの一達が顔を洗い、汗を流してはなにやら談笑。それを後ろから眺めて「やれやれ」と苦笑しつつ、アスマは大きく深い息をした。



 と、

 風がそよぐ。



「………?」



 匂い。

 アスマは立ち上がる。



「アスマ隊長…?」

 急に瞳の色を変えたアスマの様子に、側の部下が眉間に皺を作って問う。

 頬を撫でる程度であった風は、渓谷で浴びた風のように強いものに変わり、横殴りにアスマの全身にぶつかって通り過ぎる。

「血の匂い…」

 軽い舌打ちと共に、アスマは河に視線を向けた。

 同時に、

「きゃっ!」

 小さな悲鳴。水辺にて水を手ですくっていたくの一が、牽制するようにその場から後ろに一歩飛びずさった。

「どうした」

 とその場に集まる忍び達。

 そして、

 一様に眉を潜め、奥歯で呻きを噛み砕く。



「あ~あ…こりゃぁ……」

 水辺を覗き込んだアスマの声。

 蒲や葦が生える、さほど水深の無い清流は、

 突然

 血の河と化していた。

 

 匂いの正体。



 始めは薄い血の色。

 それが濃さを増し、粘り気をおび始め、そして仕舞いには……

「アスマ隊長、あれは……」

 上流から流れ、アスマらのすぐ足元に栄える葦にせき止められたのは、



 贓物。



 紅い贓物が、尾を引きずって後から後から、

流れ着く。

流れが淀んだ溜りに、それはせき止められ、そして吐き気をよぶ匂いを撒き散らす。

 顔を青くする面々の前で、アスマは右手を流れに突っ込んだ。

「………」

 見守る面々の瞳に影が落ちる。

 アスマは、贓物の一つを鷲掴みに拾い上げると、すぐにそれを再び流れに捨てた。

 そして、苦々しく、絶望的に呟く。

「まだ暖かい……」

「っ!」

「なんてこった…」

 顔を上げ、アスマは上流を見据える。

 だがすぐに決断したように振り返ると、居並ぶ部下に向けて命令を下した。

「小暮、御崎、瀧野、茅の四名は此処に残り、封陣術を施して待機だ」

「は、はいっ!」

「蘇我江、鐶、設楽の三名は、河岸を避け、北廻りで目的地まで来い!合図があるまで姿を隠して待機だ」

 次々と出される指示に沿い、部下達が隊列を並べ替える。

「後の奴は俺についてこい」と最後の命令を言い終わると、

アスマはその場から踵を返して荷物を背負い、「急ぐぞ!」と自らが先頭にたって上流方向に歩き出した。

 部下達もすぐさま、その後を追う。

 そして残りは、命令に従い四方に散った。



 アスマらは腰からくないを引き抜き、それを手に気を張りながら進む。

 極力に気配を殺し、足音を消し、息を殺し。

近づく夕暮れの独特な淡い木漏れ日に紛れて、叢に影を隠す。

「………」

 人一人分の体重はあろうかという荷物も気にならない。アスマの足取りは速く、強く、岩を越え、叢を越えて上へ上へと向かう。

 額当ての下では、冷たい汗が滲んでいた。

 楽観的な事は、何一つ思い浮かばない。

 だが、

 あまり細かく考えたくも無かった。



 歩を進めるにつれ、風が強い錆の匂いを運んでくる。

 空気は次第に生暖かさを増し、淀む。



 誰の嗅覚にも明らかな、

 鉄錆びの匂い。

 むせ返る、嘔吐の気。



 どれだけ歩いただろう。



 そして、



 焦げた肉の匂いがした。



 アスマは身を沈める。

 幕が引かれているように、目の前を遮る羊歯の葉と、そして欅の大木。そこを抜ければ…。

「…………」

 気配は、無い。

 この向こうに、

 待ち受けるのは、悲劇か惨劇か、

(むしろ喜劇かもしれねぇな…………)

 口端に冷酷な笑みを一度浮かべ、アスマはくないを構えて立ち上がった。

 大木を抜け、羊歯を潜り抜けて開けた河岸の盆地に脚を踏み入れた。

 

 急に開ける視界。



「ちっ…!」



 そこは、

 うつつならぬ地の果てと思えた。



 見慣れないわけでは無い光景だが、

 流石に、気分が悪かった。



 引き裂かれ破れた陣営幕が、残骸となってあたりに転がっては風にはためいている。

 湿った土質の大地に残された所々焦げ跡は、すでに朽ちかけており、武器庫等の仮屋も無残にガラクタと化していた。

 これは恐らく、戦った跡。奇襲を、受けたのだろう。

 そして、

 アスマの視線が捉えた物は、

 地に転がった人の残骸。



「………凄まじいですね…」

 背後から、部下が呟く。

 腕、脚、そして首。

 中には腐れかけ、土と共に朽ち果てようとしていた遺骸もあった。

 かと思えば、血の色もまだ鮮やかな、比較的「新しい」ものもあり…。

「………」

 アスマは無言で、陣営の中に歩を進めた。

 川沿いを見れば、腹から贓物をはみ出して水につかる遺骸が数体。

 流れてきた血と贓物の持ち主だろう。腹に刃物が突き立てられ、手が無いもの、脚が無いものもある。

「………」

 先ほどにアスマが触れた贓物は、

 まだ生の温度を持っていた。



 さすれば、

 つい先ほどまで、ここに敵か何者かがここで血祭りに興じていた…という事になろう。



 だが、先ほどから味方は元より、気配は無い。

 

 八方を見渡す。

 酷い拷問を受けた末に殺されたであろう人の名残が、あたりに散らばっている。

 女も男も、輩には問う事では無かったらしい。

 足元に転がるくの一らしき遺骸に、アスマは悲痛そうに目端をゆがめた。

 陵辱を受けたのか、露な白い肌のまま、贓物や汚物にまみれて芥の如く地に転がっている。

「………畜生が……」

 そんな怒りを噛み潰した言葉も、今は空しく消えていく。



 部下達はそれぞれ、陣営内を歩き回り様子を伺っていた。

 片手にくないを構えた、警戒の姿勢のままで。

「先発隊…全滅……か」

 火影への報告書の文面が、苦々しくも思い浮かぶ。



 しかし同時に、疑問が生まれる。

(………ここまで酷く無残にする必要がどこにあった…………)

 特に川辺に転がり腹を裂かれた遺骸。

 まるで腹の中を手づかみで探っているような執拗さ。

「………………」

 血の水溜りを踏み越えて、アスマは河に向かって歩を進めた。

 すると、

 河岸とは反対方向から、「アスマ隊長!」と部下の声が上がった。







「生存者発見!」







「!!!」

「何っ!」

 考えるより先に、体が声の方に向かっていた。

 同じように、残りの部下達も血相を変えて駆け出す。

 だが誰も、その面持ちに楽観的な光を携えてはいなかった。

「本当かっ!」

 死体や瓦礫を飛び越えた処は、森の入り口付近。

 通常の陣営であれば、この中心に火をくべて憩いの場とする広まった場所なのだが、今は血と贓物にまみれた屠殺場だった。

「……っ…」

 ここでまた、アスマは怒りを奥歯で噛み潰す。

 杭に鎖で繋がれたまま果てて朽ちかけた遺骸が数体並んでいる光景が、そこにあったのだ。

 神経を握りつぶす悪臭が漂う。

 その中で、

「アスマ隊長……」

 部下の消え入りそうな声。

 半ば呆然と、立ち尽くしているその足元を見れば、

「………生きてる…のか……?」

 死骸を拘束して並ぶ木杭。その端に同じく杭が打ちつけられており、そこに繋がれた人間がいる。

 地面に腰を下ろし、両腕と体を鎖で杭に戒められ、首を力無く垂らしてうな垂れている。

 木の葉隠れの忍びが着用する黒い上下。

 そして、結われた黒髪の

 男。

 

 肩、腕、脚など数箇所に、拷問の跡だろうか。くないが突き立てられていた。

 傷口や口から流れる血が、その男の周囲を濡らして汚している。

 まだ、新しい鮮やかな紅の血は、色あせて地に染み込んだ血痕の上にまた新たな血溜りを作っていた。



 もうどのくらい、

 ここにこうしていたのか。



「………」

 見れば、肩が僅かに、長い間隔をあけながら静かに、緩慢と上下している。

「………………」

 誰もが、声を殺して立ち尽くし、目の前の光景を見つめる。

 

 消え入りそうな吐息が





 微かに聞こえた。







「生きてやがる……」

 語尾が震えたアスマの声。

 部下達の表情が変わる。

 自らの声に我に返ったアスマは、男の側にしゃがみ込んだ。

「おい…」

 まず、小声で耳元に呼びかける。

 反応は無い。

「おいっ…」

 語尾を若干荒げ、再び耳元に呼びかける。

 反応は無い。

 掠れた吐息が、アスマの耳に届くだけ。

「…おいっ!起きろ!」

 溢れた何らかの感情が、アスマに怒声を上げさせた。

 男の肩を掴み、一度揺すって意識を引き上げさせようとする。

「アスマ隊長……」

 そんな無茶を…と部下が咎め掛けるが、アスマは意にも介さない。

 掴んだ肩は、体温を感じない。

 このまま引きずり上げなければ、

 この命はどこまでも沈んでしまい、もう戻る事は出来ない…。

 アスマはそんな、思いにかられる。



「……っ…ゴホ……」

 軽い咳き込み。

 それと同時に、男の吐血がアスマの膝を汚した。

 喉を塞いでいた血反吐が、吐き出されたのだ。

「鎖をほどけ!」

 すぐ側に立ち尽くす部下に、アスマは一喝。

 肩を一度震わせ部下らは、男を拘束する血で錆びた鎖をくないで削り切り離す。

 ガシャリという音と共に鎖が外れ、男の体が揺らいだ。

 アスマは両腕でそれを受け止める。背中を支え、抱きとめた。



 また、軽い咳。



「………………」

 アスマは男の顔を覗き込む。

 男の口元は血と反吐で汚れ、そればかりか顔中は血を浴びたのか、乾いた赤黒い血で汚れていた。

 傷だらけの額当てが、男の両目を覆って隠している。

「……下らんな………」

 短く吐き出されたアスマの呟き。





 処刑寸前の、最後の情けのつもりか……?

 こうして最後まで残され……ありとあらゆる惨劇を見せ付けられただろうに………





 眉間に苦々しい皺を寄せ、

 アスマは男の額当てを外す。

 鼻筋を横に通る一本傷と、閉じられた両目が現れた。



 忍びにはあまり見かけない、

 戦を知らなさそうな童顔があった。



 まだ若い。



「刃物を抜くぞ」

 肩から脚にかけて数箇所につき立てられたくないや小刀。

 薬師の忍びが隣から白布を手に駆け寄る。

 アスマは、もう既に痛みなど感じていないであろう男の体から、素早く次々と刃物を引き抜いた。

 せき止められていた血が溢れ出す傷もあれば、もう乾ききった傷もあった。

 傷口を白布で固く結ぶ。

 

 本来であれば、そうとうな痛みを伴う。

 だが、

 男は反応を見せない。



 神経が焼ききれているのではないだろうか……。



また、男が軽い咳。



喉の奥で、空気がつまったような。



 アスマは男の肩を左手で抱き寄せると、右手で顎を持ち上げた。

「……ここまで来て、死ぬなよ……」

 そう男の耳元に強く言い聞かせると、アスマは男の唇に自らのを重ねた。

 口の中、喉を塞ぐ血塊を吸い上げ、

 吐き出す。

 そして息を送り、そしてまた血反吐を吐き出す。



 何度もそれを、

 繰り返す。



 一度唇を重ねるたびに、



 死ぬなと言い聞かせ…。



「………」

 それを上から、ただ見守るしか出来ない忍び達。

 意識を揺らがす血臭の中で。



「……っ……がはっ…ごほ………」



「!やった!」

 くの一が思わず声を上げる。

 何度目かの人工呼吸の後、男は急激に大きく咳き込み始めた。

「よしっ…!」

 男の体をアスマはいっそうに引き寄せる。

 幾度かの咳のあと、喘ぐように男は自ら深い呼吸をするようになった。



 そして

 瞼が開かれる。



 曇りの無い黒い瞳が、現れた。



「…………」

 黒い瞳は、覚醒して目の前にある状況をただちに理解出来ないらしく、まだまどろんだ様な色でアスマを見つめている。

「………」

 アスマはしばし、男の意識がはっきりと目覚めるまで、無言で見つめる。

「…………ぁ……?」

 瞳を動かし、やっとうごく首を擡げて、アスマの前に並ぶ部下達を見やる。

 そしてまた、アスマに視線を戻した。

「……ぁ……う……」

 声を出そうにも恐らく薬で喉を潰されたのだろう、掠れた声にならない声。

 男は動かない腕を必死に持ち上げ、力ない指先をアスマに向ける。

 その指先は、

 アスマの額当てに…。

 額当てに彫られた紋章の形を、

 探っている。



 木の葉の印。



 男のその手を、アスマがとらえて包み込むように握る。

 その大きな掌で。

 そして男の体を包み込むように抱きしめて、アスマは静かに、告げる。



「………もう大丈夫だ。俺達は、木の葉の忍びだ……」

 

「……………」

 力無く垂れていた男の左手が、さぐるようにしてアスマの広い背中をたどる。

 そして、残った限りの力で上着の背を握り締めた。

 腕が、そして肩が震えていた。

「っう………」

 胸の下から聞こえる、声にならない嗚咽に、アスマはいっそう男を強く抱きしめる。

「………ぁ……っ…」

 アスマの胸元を濡らす男の涙が、

 熱い。



 生の温度。



「………」

 小さく震える男を包むアスマの温度。

 それに縋りつくように、求めるように、男はアスマの背に回した手を握る。引き寄せるように、抱きしめる。





 けぶるような血の臭いと

 眩暈のするような赤



 

 この哀れな生存者が、

 どこまでも 愛しい。





 アスマは、血に濡れた男の体を抱きながら、

 冷たい手を握りながら





 安堵と疲れで男が気を失うまで

「大丈夫だ」と言葉を続けた。











続編




虎豹冥來 弐



人芥編







「様子はどうだ」

 四人を待機させてあった河岸まで引き返した猿飛アスマ一隊。

 仮陣屋に寝かせた黒髪の忍び。その様子を伺いに、アスマが訪れる。

 男の側についていた薬師のくの一は「呼吸は大分落ち着いてきました」と、擂鉢で薬草を擂りながら静かに応えた。水のせせらぎと、擂鉢の音に紛れて、男の呼吸は聞こえてこない。

 が、胸の上まで掛かった白布が微かに上下しているのを見て、アスマも小さく安堵の息をつく。

「そうか」

 と呟き、そして

「ただ…」と付け加えた薬師の言葉に「ん?」と僅かに眉を潜めた。

「怪我による発熱があって、時々うなされています。まあ、熱だけの所為では無いのでしょうけれど…」

 語尾を遠慮がちにすぼめた薬師は、手を止めて男を見やる。

 額には濡れ布巾が載せられているが、頬は紅潮しており、うっすらと汗ばんでいる。

 入り口に立ったまま、アスマも同じく視線をそこに合わせる。

「ん?もう一人の、男の薬師はどうした?」

「河の方で、汚れた包帯を洗いに…」

「そうか」

「・・・…」

 くの一は、短い間の後に、報告を続ける。

「くないや刃物による怪我は、あばらを傷つけていた二本を除き、あとは軽症で済みました」

「喉を潰していた薬は?」

「おそらく、水銀を調合した毒…ですね。時の経過と、治療と共に声は戻るでしょう」

「他には」

「・…・・…もうひとかたの薬師によれば……酷い陵辱の跡も見受けられたそうです」

 言いにくそうに、くの一は目を伏せる。

 性的行為に男女を問わないのは、忍びの戦世界ではそう、珍しく無い。

だが、くの一薬師が目元を細めた理由は、他にある。

あえて、アスマはそれ以上詳しくは尋ねない。

「そうか…」

「あ…いけない…」

 擂鉢に付け足す薬草が切れているのに気付き、薬師は軽く声をあげた。どうした、と目線で問うアスマに「薬草が…」とだけ応えた。

「行って来な。俺がここにいる」

 返事を待たずに、寝台に横になる男の隣に腰を下ろし、アスマは親指で出口を指した。

 お願いします、と言い残して薬師は、薬袋を手に外へと姿を消していった。

 続いて、外で微かな話し声がしたが、それはすぐに遠ざかっていった。

 男を寝かせてある仮陣屋には、人除けを命じてあるのだ。

「・・…・…」

 深い溜息をついて、アスマは男の横顔を見る。

 先ほどより多少、呼吸が荒くなっていた。

「・・・…何があったんだ・・・…あそこで…」

 誰に問うでもなく、アスマは血が滲む包帯が痛々しい男を痛切な瞳で見据える。

 隊の一部を、あの血芥の現場に残して調査を進めさせている。

 去って行った敵の痕跡、その他手懸りを探させるためだ。

 惨殺…虐殺…

 いかなる言葉でも形容しがたいあの惨状には、何か意図がある気がしてならないのだ。

 河をも染め上げる夥しい人肉と臓腑と血の芥…。

「・・・…・・・…」

「ん・・・…」

「?」

 上掛けが擦れる音に重なって、くぐもった微声が漏れた。

 我に返ってアスマが声の方に目を向けると、

「……目が覚めたか……」

 額に乗せられた濡れ布巾の下で、黒い瞳が僅かに開かれているのが見えた。

 男の両瞳は暫し天井を見つめたまま、傍らのアスマに気付かぬ様子で固まっていた。

 喉から、ひゅーひゅーと、詰まったような息苦しい呼吸が聞こえてくる。

「・…?・・・…おい」

 意識ここに在らずといった男の様子に、アスマは眉目を僅かに顰めて腰を浮かせた。

 上から覗き込むようにして。

「・・…・…・・・…ぁ……」

 ようやくアスマに気がついた男の瞳が、アスマの視線をとらえる。

 熱に浮かされたような、薬で潰された為の掠れた声。

「痛むか?」

 アスマの質問に、男は首を横に一度振る。

「熱があるな。熱いか?」

 今度は、頷く。

「俺の言っている事が聞こえるな?」

 また、頷く。

「よっしゃ」

 発熱の為に潤んだ瞳が、何だか子馬を思い出させる。

 子供を相手にしているようだな、とアスマは内心がむずかるのを隠して豪快に笑みを浮かべた。

 男の右手をとると、自分の掌に押し付ける。

「オマエ、名前は?」と言って。

「・・・・・・・・・…」

 熱い呼吸をしながら、男は首を傾げてアスマの瞳を見やった。

 そして何かを確かめたかのように一度頷くと、ゆっくりとその指先を動かす。

 忍び文字で、アスマの掌に

 名前を刻む。

「・・・・・・…イルカ…だな」

 アスマがそれを読むと、黒髪の男、イルカは頷いた。

「俺は、猿飛アスマだ。便宜上、第二偵察隊の隊長をしている」

 今度はアスマが自らを名乗る。

 その一言一言に、イルカと名乗った黒髪の忍びは荒い呼吸と共に頷く。

 衰弱した身体には、一つ一つの呼吸さえも苦痛のように感じられる。それを気遣い、アスマはその場から腰を浮かせた。

「もう少し寝てろ。今、薬師が薬を調合してるところだ。諸々の事情は、体と喉が治ってから訊くか…」

 と立ち上がりかけたところで、強く裾を引っ張られる。

「…おい…」

 急に上半身を浮かせて、イルカがアスマの裾を引いて引きとめようとしているのだ。

 縋るような、否、むしろ鬼気迫った様子。

 何かを訴えようとしていた。

「・・・…今は寝ていろ」

 その腕を静かに離して、アスマはイルカの瞳に直接、言い聞かせる。寝具に押し付けるようにして、イルカの上半身を押し戻す。

 だが、強く首を振ってイルカは再び上半身を起こす。

 荒い呼吸を隠すように唇を強く噛み、アスマを見据える。

「一体何を…」とアスマが言いかけると、弾かれるようにイルカはアスマに背を向けると激しく咳き込んだ。

「がはっ……っ」

 苦しげに胸元を抑えている。

 外から、内側を覗く気配が幾つかあった。

 中からの声に気がついたアスマの部下らだ。

「おいっ…大丈夫か」

 肩甲骨にそって背中を擦ってやるが、イルカの咳は止まらない。

 ついには、

「っう…」と口元を抑えた手の指の間から、血液がボタリと寝具に朱紋を作った.

「薬師を呼べ!」

 イルカの両肩を掴んだまま、アスマは背後に怒鳴る。

「はっ!」と焦燥した声が一つ遠ざかり、もう一人が中に入って布を引っ張り出してアスマに手渡す。

「……っ…」

 口元から離したイルカの掌は、血液が大量に混ざった胃液でぬれていた。

 なおも口端からは、ぱたぱたと音をたてて寝具に朱色が滴り落ちる。



 だが…



「――……待て……」



 と、

 慌てて布を差し出した部下の手を差し止め、

 アスマは血にぬれたイルカの掌を見据えた。

「……」

 イルカが掌に吐いた血。

 そこに混ざった「何か」が、

 イルカの掌にある。

「…これ・・・・・・…」

 アスマの呟きに、顔を伏せたままイルカは頷いた。

 指先で、アスマは「それ」を拾い上げる。

 血と胃液に汚れたそれは、

 ごく

 微小な、豆粒ほどの「巻物」。

「・・・・・・…」

 幾重にも札が貼られ、血に汚れているが、中身が「巻物」であることは一目瞭然だった。







 忍びが任務において、

 巻物その他重要証拠物などを持ち出して遁走する際、

 術札を幾重にも貼り付け術をかけ、飲み込めるほどの大きさに形を変化させるという方法がある。







「・・・…『隠書札の術』・・・・・・…」

 瞬時に脳裏を過ぎった、様々に不吉な思案。

 アスマは低く呟き、指先で拾い上げた巻物の札を、はがした。

 すると、

 術が解け、巻物は本来の姿を見せる。

 書簡大の巻物が二つ。

 これらが、姿を豆粒大に変えてイルカの胃の中にあったのだ…。



一つは紅織が施してあり、重要書類を表していた。

そしてもう一つは、木の葉の紋章が掘り込まれた、貴重書類巻。



「・・・・・・……」



 渡された布で口元を拭い、深く、荒い呼吸をしながらイルカは、アスマにそれを読めと視線で促す。

 一巻き目、紅織の巻物をを紐解いたところで、アスマの眼は見開かれた。

「こいつは…」

 そして慌てて、二巻き目、木の葉の紋章が掘り込まれた方をひも解く。

 投げ捨てるようにそれらを膝元に放り、アスマは醒めた視線でイルカを振り向いた。





 

 切り裂かれた、腹。

 引き出された贓物。

 

 染まる、河。





 何かを探るように…







「まさか…」



 「これ」を探していたのか…?



 奴らは





「・・…・…」



 アスマの背後で、幾人かの部下が立ちすくんだように身動きを止めた。

 仮陣屋の外で微かに聞こえていた人の気配や声も、消えている。



「……・…・・…っ…なかっ……た」

 うな垂れ、寝具を握り掴むイルカの喉から、喘ぎのような嗚咽が漏れる。

 搾り出すような言葉と共に。



「も……う・…・・…………」

「もういい」

 顔面を、血と涙で汚すイルカ。

 その肩を掴み、アスマはイルカを振り向かせる。

 顔を背けようとするイルカの目の前に、片手で掴んだ日本の巻物を突きつける。

 驚動を瞳に浮かべて、怯える様に肩を竦めて身を引こうとするイルカの胸元に、アスマはそれらを押し当てた。

「よく守った・・・…」



 血に汚れた巻物を両手で抱き、イルカは顔を伏せて肩を震るわせる。

 何度も、何度も首を横に振って…。



 奪われれば、戦の行く末とあまつさえ木の葉の運命をも変えかねない、

 二つの巻物。



  説明を聞かなくとも、アスマにとって想像に容易だった。



 巻物を手渡したところで皆殺しにされるであろう状況。

 ならば、忍びであれば、

 最後までそれを守り隠す方を選ぶ。



 敵が、腹を裂く程に執拗とあれば、

 舌を噛み切り自害する事なく、最期まで時を稼ぐ方法を探る。



 里という名の主に従ずる、

 忍びならば。





「う…・・・…っ・・・……」

 悲しみと怒りと恐怖と…

 狂うほどに、様々な感情がイルカを襲う。

 二つの巻物を強く抱いたまま、イルカは塞き止め様とも溢れ出る涙と嗚咽に、唇を強く噛んで耐えていた。

 肩が震える。





 死ぬ事も出来ない状況の中で、目の前で繰り広げられる生き地獄の中で、

 肉薄する激烈な死の隣で



 狂う事も出来ない血芥の中で・・・…





 最後の一人になった時……







 戦慣れしている身とはいえ、

 アスマは首筋に寒気を感じた。





 震えてなく子供のようなイルカの肩を抱きとめようとして、

 アスマの手が止まる。

 思い直して、俯くイルカの顔面を両手で掴んだ。



「!?」

 突飛な動きに寸分驚く部下を余所に、アスマはイルカと真っ直ぐ視線を合わせる。

 触れるほどに近い距離で、真っ直ぐ。



「もう泣くな」

「・・・……」

「泣いて偲ぶより…」





 報復を考えろ。





「・…・・…・・・…」

「・・・・・・・・・…」

 

 ―――…強い



 アスマの掌の中で、イルカの黒い瞳が見開いた。

 太く、精悍な眉目が、まっすぐに、突き刺すようにイルカの瞳を射る。

 意識が引き込まれる感覚に、ぐらりと眩暈を覚えながらもイルカは胸内で滾る何かを感じた。



 ―報復



 殺してやる





 イルカは唇を強く噛む。

 胸内に沸き起こった熱が、今は涙となって流れる。

 悲しみではない涙が、アスマに包まれた両頬に止め処なく伝う。

 熱い。



「そうだ…殺すんだ・・・…」



 声の出ないイルカの内心をまるで代弁するように、

 静かに、低く、アスマが呟いた。

 

 同胞を引き裂き

 友を切り刻み

 何もかもを血で染め上げ

 自分を傷つけ、そして犯した奴らを



 決して許すな



 無言で、

 アスマはそう促す。



 そして





 「生きろ」





と。









 火影から、

 一度里へ帰還せよとの指令が来たのは、それから数日経ってからだった。





 終

2005.10.25.Tue/14:22
  かげろう 


 

 かげろう









 そこに差し出されたのは、確かに、敵将の首だった。









 戦の伏兵軍として依頼を受けた木の葉の忍部隊。

 その中に、今回は前衛部隊に所属された俺がいた。

 今回与えられた任務は、軍のからめ手として最良の助成を成す事。だが、将の首をとれば、その階級に応じて褒章が弾まれるという。

 忍達の間ででは、誰が誰の首をとったかという、その事が常に話題にあがり、まるでゲーム感覚で任務が遂行されていた。

 一番の目玉は、やはり敵将の首を誰がとるか、だ。

 その首には上忍一年分の給料と同額ほどの褒章が賭けられている事から、主に上忍達の間で、「誰が取るのか」と話が上がっていた。

 俺は、その話題の筆頭にあがっている。

 俺自身も、

 討ち取る機会を狙っていた・・・。

 自信も、あった。

 



 「しかしお前も、これ以上金稼いでも、何に使うんだ?」

 隣で、付き合い年月だけは何故か長い、元上忍仲間の八雲が杯を片手にくつくつと笑った。

 訳あって現在奴は、中忍として形式上、俺の下で共に戦場で働いている。

 「戦争孤児基金に寄付でもするか」

 「その戦争孤児を作ってるのは誰だよ」

 と、俺が最も嫌うこんな質の悪い冗談も、何故か奴となら交わせるから不思議だ。

 「ま、でも確かに、あの将軍の首を取れるとしたら…あんただろうな」

 俺に杯を勧めて、八雲は静かに微笑む。

 俺は黙って奴が勧める酒を受ける。





 そんな中・・・

 戦は唐突に幕を閉じる事となる。





 敵将の首を、見事討ち取った者がいた。





 しかも、

 一介の中忍が・・・。









 差し出されたそれは、確かに敵将の首だった。











 「お確かめ下さい・・・」

 全身を血で濡らした、まだ若い忍が右手に掴んだ首を差し出した。



 

 陣営中がどよめきに包まれた。

 陣営長を含む上忍仲間と立ち話しているところに、俺の目前に突然、差し出された首。



 俺は言葉を無くして目を見開いた。

 腕を組んだ姿勢のまま、立ちつくす。



 人相書通りの、首。



 それを差し出す、まだ若い忍。

 額当ての帯は、深紺。





 中忍だった。





 彼の背後で、友人だろうか、中忍達が数人歓声をあげていた。

 上忍を差し置いて中忍が最高の手柄をたてる。

 これは、上忍に決して逆らう事を許されていない中忍達にとって、胸をすくような出来事だったに違いない。いくら階級の差があるとはいえ、手柄に関しては絶対的な価値がある。

 それは、少なくとも今この場では、この中忍は、ここにいるどの上忍より、上部に位置する事を意味する。

 

 俺は、負けたのだ。





 「・・・・な、まさか・・・!」

 俺のすぐ隣で、上忍達が声をあげた。

 中忍は、軽く頭を下げて、首を検首台に置く。

 俺の、真正面に、首とその中忍とが向きあう形だ。

 その周りに、上忍達が群がる。





 それは一種、異様な光景だった。

 検首台の上に、鮮血まみれの首。

 見なれた光景である。

 だが、眼をひん剥いて醜く歪む首の向こうに立って俺と向きあう、黒髪の、まだ初々しささえ残す、若い忍の姿。



 「・・…」

 俺はしばし、置かれた首には手をつけず、弱くなっていく陣松明の明かりに照らされている中忍を、眺めていた。

 

 その時すぐ背後から、

 「お、イルカじゃないか」

 と声がした。

 振り向くと、赤茶けた髪の色が特徴的な元上忍、腐れ縁野郎の暁八雲。

 そして再び黒髪の中忍を振り向くと、

 大きな黒めを丸く見開いて、

 「・…八雲?」

 と驚く顔がそこにある。



 「……知りあいか?」

 俺は愚問を口にする。

 「昔、ちょっとな」

 と八雲は煮えきらない笑みを浮かべた。



 イルカ。

 それがこの中忍の名か。

 

 こりゃ当分、忘れられそうにもない名前だと、俺は思った。

 何しろ、そう考えるのはお門違いと分かってはいるが、狙っていた獲物を横取りされたのだから。



 俺は、改めて差しだされた検首台上の首を眺めた。

 偵察で見かけた時には威風堂々たる勇士振りを馬上に見せていたが、こうみると見る面影もない。

 「…では失礼します」

 と静かな声がして顔を上げると、

 イルカは顔を濡らす血を手の甲で拭いながら、中忍たちが集まる方へと去って行った。

 その後ろ姿を半ば呆然と見送りながらも、上忍達は検首台におかれた首を調べる。首の斬り口からは、まだ鮮やかな赤がしみだしては流れ、台を伝い、地面へ滴っている。



 俺は、去っていく血に汚れた中忍の背中を、消えて見えなくなるまで、見送っていた。











 「運が良かったんです」

 翌日、俺の問いにその中忍は、そう言って微笑んだ。

 諜報部に所属されていたというその中忍は、三つにわかれた木の葉軍に情報書の類を送り届ける為に、西山に陣どっていた第三陣営に仲間数人と向かっていたという。

 そこに、偶然、軍を西山とは反対方向のふもとに陣を移動させようとして動いていた敵軍の一隊と出くわした。

 その中に、

 敵将がいたというのだ。

 「失礼します」と言って立ち去ろうとする中忍の肩を、俺は掴んで引き戻した。黒髪の中忍は、目をわずかに丸くして、驚いたように振り向いた。

 「まて、運が良いで片付けられるものか」

 俺は中忍の両肩を掴むと、一度、強く揺さぶる。

 顔の中心、鼻を横切って一文字に引かれた傷跡。

 彼は眉目に怪訝そうな皺を寄せると、目を伏せた。

 「やけにこだわるな、お前」

 後で八雲にそう指摘された通り、俺はむきになっていた。



 

 だが、これは負け惜しみではない。

 プライドが、俺をそうさせているのではない。





 皆は首に気を取られていたのだろう。

 だが、

 俺は、感じた。





 首を差し出した時に一瞬見せた、



 あの中忍の瞳の奥で鈍く光った、何か。





 あれは、何だったのだろう。





 しかし俺は確かに、感じた。











 「おーい、イルカ」

 困惑する中忍の背後で、仲間の声がかかる。

 助かったとばかりに、その中忍は軽く頭を下げると、俺の元を去っていった。

 戦は終わったのだ。

 中忍達は引き上げの為の後始末、など雑事に追われる。

 最高の手柄を立てたあの中忍は、

 律儀にも日々とかわらぬ中忍としての立場を謙虚に保って仕事を行っていた。



 とんでもない伏兵だったという事だ。

 表立って前線で働く部隊ではなく諜報部に所属し、しかも「地味」と「堅実」を絵に書いたような、言いかえればあまりうだつの上がらなさそうな、まだ若い中忍。

 常に微笑をその顔に絶やさず、礼儀も正しく、人受けは良いが、空気の様な存在。



 誰も彼を気に止めていなかった。

 俺さえも・・。

 …そういえば、八雲でさえも、あの時初めてイルカに気づいたような口ぶりであった。



 見苦しい嫉妬や、プライドを傷つけられたと憤慨する上忍達も、そんな彼にには空振りをくった様だった。昨晩までは、妬みによる私刑さえ起こりかねない程の陰険な空気がよどんでいたというのに・・。

 陽的な敵概心が、中和されて抜け落ちてしまったようだ。



 不思議な男だ・・・。



 その奥に隠れる、

 俺は見逃さなかった、あの

 「何か」も含めて・・・



 俺は、確かに、こだわっていた。

 



 











 戦が終わると、残っていた雑事につきものなのは、

 残兵狩りだ。

 生き残った雑兵、逃げ隠れた将兵らを見つけ出し、処刑したり、情報を引き出したり、依頼主に引き渡すのだ。ここでの成果も、褒章に含まれる。だが、これはほとんど中忍達の仕事となるのが通常だ。戦中は上忍らが手柄をたて、そのおこぼれとしての残兵狩りで中忍が点数を稼ぐ。そういう風に出来ていた。

 戦場からそう離れていない山の麓に陣幕を張り、俺達はこの日、山狩りを行う事となった。

 とはいえ、残兵狩りに参加しない上忍達は、陣営の傍に早速火をおこし、酒宴に興じ始める。俺も、酒は断ったが陣営から少し離れた林の入り口、手ごろな木の上でくないの手入れをしながら、静かな時間を享受していた。

 

 

 「?」

 林の中から騒がしい声が近づいて来て、俺はまどろみかけた意識を引き起こされた。

 膝の上に乗せていたくないを取り落としそうになるが、間一髪でくいとめる。

 くないをすべて腰の鞘にしまいこみ、俺は体勢を変えて音や声がした方を木の上から覗きこんだ。

 

 「…雑兵か…」

 見ると、木の葉の忍び数人に連行されていく、敵方の兵士の姿。

 両腕を後ろ手で結わえられ、背中を押されながらおぼつかない足取りで歩かされている。

 「だから俺は何も知らねぇ!」

 と震える声で叫びながら訴えている。

 だが忍びらは、「黙って歩け」と冷酷に言葉を突き付ける。

 「うおっ!」

 背中を強く押されて、兵士がもんどりうって前方に派手に転んだ。

 転んだところで、林を抜け出した。

 そのちょうど前方から、俺が見知った人影…。



 「乱暴はいけませんよ」



 と言いながら、転んで倒れたままの兵士の元にしゃがみこむ、黒髪の中忍、イルカ。

 後ろ手に縛られている為に上手く身動きがとれない兵士は、倒れたままの姿勢でイルカを見上げる。

 穏やかで優(やさ)な面持ちのイルカに地獄の中の仏を見たか、すがりつくように体をよじらせて首を上げる。

 「お、俺はただの雇われ雑兵だ…だから何も知らないし、知らされていねぇんだ…」

 その顔を覗きこむように、イルカはしゃがみこんだままの姿勢で静かに問う。

 「本当に、あなたは何もしらないんですね?お名前は?」

 と脇に抱えていた厚い紙の束を捲り始めた。

 恐らく諜報活動の中で敵方から入手した、戦闘構成員一覧だろう。

 すでに首をとった将兵級の人物には赤印がつけられている。

 「え・・・っと・・」

 兵士が口にした名前を、イルカは一覧から探す。

 「あ、ありました。確かに、最も最下層に位置する公募による傭兵部隊に所属されてましたね」

 そして立ちあがり、忍び達に少々厳しい口調でたしなめる。

 「彼は本当に何も知りません。一般人ですよ。むやみな拷問や処刑をする必要はありませんよ」

 忍びらは複雑な表情だ。





 「……お綺麗な事を…」

 俺は木の上で、つい溜息をつく。



 戦争が終わった後の雑兵なぶりは、忍びらの間では通例と化していた。

 「取り調べ」という名の拷問。

 「処刑」という名のなぶり殺し。

 体から抜け落ちない「気」と「血」の高ぶり。

 それを持て余した忍びらは、戦時中よりむしろ残酷になる。

 なにしろ、仕事ではなく、一種の遊戯でそれを行うのだから。



 イルカはおそらくそうした行為を未然にする為に、こうして名簿を持ち歩いて「取り調べ」の必要の無さを立証しているのだろう。

 ああいう風に言われては、奴らも引くしかないだろう。

 しかも相手は、今回の戦の「立役者」でもあるのだから。





 俺はあの悪趣味に賛同するわけではないが、かといって「人権」がどうのという、綺麗事をいう主義でもない。

 だからどうも、俺にはイルカの行動は背筋にかゆみを呼ぶ。

 あの雑兵の縄を解いて、逃がしてやるとでもいうのだろうか。

 



 「じゃあ、この雑兵をどうするっていうんだ?逃がすのか?」

 俺の疑問を代弁して、忍びの一人がイルカに問う。

 その台詞には「せっかくの獲物を…」という本音が見え隠れしている。

 残りの二人も、不満気だ。

 「あたりまえでしょう?」

 眼を丸くして、イルカは逆に不思議そうな顔をする。

 そして眼を細めると、



 「こうするんですよ」



 と言って笑った。



 

 ボギッ





 「!」

 「っあ!」



 イルカの言葉が終わらない内に、



 その場に不気味で不吉な音が響いた。



 「………」

 俺は思わず腰を浮かした。

 忍び達は突然の事に息を飲んだ。





 すぐ下には、



 首が不自然に変形して折れ曲がった、雑兵の屍。





 叫ぶ暇も、苦しむ隙も、無かったろう。



 

 「やる事は、まだまだ沢山あるんですよ」

 名簿を小脇に、イルカは苦笑した。

 一瞬にして雑兵の首をへし折った右足を、屍から離す。

 悪びれる様子は、無い。

 躊躇も、なかった。



 

 つまりは、

 取り調べだとか、処刑にそうそう時間をかけている暇はないんですよ。



 こう言いたい訳か……。







 俺は、

 首筋に慣れない寒気を感じた。



 こういう光景も、

 俺は見なれていた筈ではなかったのか…。

 自問自答。

 

 俺自身も、何度となく敵兵の首を折り、掻き切ってきた。

 何度となく鮮血を浴び、何度となく断末魔を耳にしてきた。





 なのに…













 「気の良い奴ですよ。親切で気が利くし、お人好しで、地味だけど、堅実で」



 林から戻ってきた俺を出迎えたのは、

 酒小樽を抱えた、相変わらずにふざけた様子の八雲だった。

 林の中で見た光景を俺はかいつまんで酒の肴かわりに話した。

 「あのイルカという中忍はどういう奴だ」という俺の問いに返って来たのが、その言葉だ。

 「どこがだ」

 俺は八雲の手から杯をひったくって煽る。

 「こだわるんだな」

 苦笑する八雲の声。

 喉に流し込んだ酒がやけに熱い。

 俺は酒の匂いがする溜息を深く吐いた。

 「笑って人を殺す奴を、俺は多く知っている。だけど奴はどこか違う」



 「ああいう奴なんだよ。昔から」



 もう一つ杯を取りだして、そこになみなみと酒を注いで八雲は眼を細める。

 嬉しそうに少しずつ、それを飲んでいく。

 



 昔から…?

 奴はどういう戦歴を持っているというのだろうか。

 あれほどまでに冷酷になれ、しかもその殺気をまるで表に出さない術を、

 どうして手に入れよう…。 





 「気になる?」



 空になった杯を持ったまま、眼を伏せて黙る俺に、八雲は細く笑った目で俺に向きあう。

 「は?」

 「なんなら、仲をとりもってやってもいいんだぜ。なーに、昔の誼(よしみ)だ、遠慮するな」

 一人合点して八雲は半分まで減った杯を揺らして愉快そうに笑った。

 そして、こう言葉を付け加えた。



 「お前が何かに執着するなんて、珍しい事だし」



 「・・……」

 執着?



 唯一露出した右目に驚動の色を見せた俺にかまう事なく、八雲は杯を飲み干すと、またなみなみと酒をそそぐ。

 酒が弱いくせに好きな奴は、もう頬を赤くそめて上機嫌だ。





 「執着……か……」





 陣松明に火がともり始め、

 

 濃い藍色の空には、薄い白光の十六宵月が、いつのまにか出ていた。



 いつの間にか逢魔が時を過ぎている。





 俺は、

 八雲の手から小樽を奪うと、

 空になった杯に、透明な液体を注いだ。



 それが杯から溢れ、指先を滴り、地面にこぼれるほど。









 匂いにつられて、

 蜻蛉(かげろう)が鼻先を飛んでいった。











 おわり
2005.10.25.Tue/14:24
  木漏れ日 


木漏れ日
 

 毎月欠かさなかった、あの奇妙な休日も、もう終わりかもしれんな・・・・

 

 荒い息を吐きながら、カカシはそんな事を思った。

 体を打ち付ける様に降り注ぐ雨。

 冷たく、寒い。

 かろうじて、助かる点は、体に染みついた血臭を洗い流してくれる事だ。

 

 ・・・三日で帰れるはずだった。

 

 三日で帰って、明日にはまた、「あの休日」がやってくる・・・はずだった。

 (・・・・これまでかもしれねーな・・・)

 任務自体は大したことではなかった。とある城主に巻物を届ける。ただそれだけだった。

 だが、何が書いてあるか知らないが、やたらそれを狙ってハエ野郎どもがたかってくるは来るは・・・

 軽い切り傷や刺し傷を数カ所負いながら、やっとのことで追手をまいた。

 だがもう、四日は寝ていない。何も口にしていない。

 だが動けば気づかれる。

 それはつまり、死を意味していた。

 疲れに朦朧とした意識の中で、何故か思いはせるのはあののどかな木漏れ日の休日。

 平和ボケもいいところだ・・・

 人を斬る事を、任務だと思って割り切っていた自分が懐かしくさえ、思う。

 大木にもたれ、たわいもない男の独白を聞きながら、そよぐ風に心地よくなり、まどろむ。

 毎月の、あの休日・・・

 そんな時間がいとおしく思う自分がいる。

  

 あの休日の始まりは、もう二年も前にさかのぼる。

 

 あの日カカシは、昼寝の場所を、探していた。

 

 

 休日くらい、誰にも邪魔されたくないものだ。

 だが、家にこもるのも性に合わない。

 どこか、誰も人が来ず、鳥がさえずり、緑が萌え、静かな風が吹く場所で、ゆっくり昼寝でもしたいものだ。

 そんな場所が、里の中にたった一カ所、存在した。

 慰霊碑の広場である。

 里の南側に位置する別名「慰霊の森」の奥、数年前の戦いで命を落とした者達を讃えた慰霊碑が、忘れられたように建っている。

 今となっては、ここに花を手向けに来る者もいない。

 あの忌まわしい記憶は、新しい世代の誕生により風化していく。

 いや、みな、故意にそれを忘れようとしている。

 昔はアカデミーの生徒が毎週、当番を決めて掃除をさせられていたのだが・・・その習慣ももう無い。

 だが、はたけカカシにとってそれは好都合な事だった。

 絶好の昼寝場所を得る事が出来たのだから。

 新米上忍のカカシは、最近ストレスに悩まされていた。

 上忍の位に鼻高々になって高飛車な先輩達、実力もさほどないクセに態度だけはデカいお偉いさん集団・・・

 新人はそれなりに苦労が多い。特に、階級制度が明確な忍の世界では。

 慰霊碑のそばに、まるで眠る魂達を見守るようにそびえ立つ大木に飛び昇ると、

 カカシは手頃な枝に腰を下ろし、太い幹に背中を預けて、ウトウトと心地よいまどろみにひたりはじめた。

 いい気持ちだ・・・・

 頬をくすぐる風

 遠くでさえずる鳥の声

 波の音のようにさざめく木々の音

 先日も、敵の血飛沫を全身に浴びたばかりだと言うのに、自分は今、平穏にどっぷりと浸かって昼寝なんぞしている

 これも皮肉な話だ

 ガサッ・・・

 「ちっ・・・」

 人の気配に、カカシは目を開いた。

 絶好のスポットだと思いきや、まだ慰霊碑に通ってくる奴なんていたのか・・・?

 気配を殺して、近づいてくる人の気配を待った。

 草を踏み分けて近づいてくる。

 生え放題の草をかき分け、その気配は姿を現した。

 若い、黒髪の男だ。

 しかも、カカシと同じ制服を纏った忍で、同年代か、幾つか年下だろうか・・・

 両手には、水を満たした手桶に杓子、そして花束。

 (・・・律儀というか、邪魔くさいというか・・・)

 カカシはなおも気配を殺したまま、木の上から男が早くここから去っていくのを待つ。

 男の方は、木の上のカカシに気づかない様子だ。

 慰霊碑に水をかけ、花を取り替え、周囲の草の刈り取りまで始めた。

 くないを使って少しずつ、器用に刈っていく。

 「・・・・おいおい・・・・」

 カカシは内心で大きな溜息をついた。

 仕方ねーな、俺が他へ移るか・・・ そう思った時・・・

 「今日、五段に昇格したんだ」

 と、男が誰かに向かって喋り始めた。

 気づかれたか・・・?

 いや・・違う・・・

 カカシは、気配を殺したまま、木の上から男の独言に耳を傾けた。

 「俺、これをきかっけに、教師になろうかと思ってる」

 時々慰霊碑に笑いかけながら、男は草をむしっては、持参してきたゴミ袋に捨てていく。

 「火影様にも勧めて頂いたんだ。それに、俺、子供好きだし、子供って色々な可能性を秘めていて、一緒にいると面白いし」

 どうやら慰霊碑に眠る誰かに語っているらしかった。

 暗い奴だな・・・・

 こういう後ろ向きな人間に、カカシは心底うんざりする。

 後悔、おそれ、躊躇・・・

 人生においてこれ以上無駄な事はないだろう。

 これが致命的となり、死んでいった者も多く知っている。

 忍なら、そんな感情を捨てるべきなのだ。

 「・・・でも、そんなのは言い訳かもしれないな・・・・」

 男の、空虚との対話は続く。

 「他人の血を見るのが・・・もう耐えられないんだ・・・・どうしても、あの時の父さんと母さんを思い出す・・・・・・・」

 男の、草を刈る手が止まった。もっていたくないを握りしめたまま、しばし動かない。

 「・・・・・・・」

 カカシは、思わず息を潜めていた自分に気が付いた。

 悪い好奇心に火がついたらしい。

 と、何を思ったか、男は突然、くないの刃先を自分の左手の平に当てると、スッと線を引いた。

 「?」

 何やってんだ・・・?

 男の左手のひらに、赤い線がにじみ出ていた。

 「不思議だよな・・・・自分の血は平気なのに・・・・」

 赤い線は徐々に面積を増し、手のひらを少しずつ染めていく。

 変な男だ・・・・

 ますます関わらない方が良いかもしれない。

 だが、目が離せない。

 「でも子供が好きなのは、本当だ。大事にしてやりたいと思ってる」

 それに、と男は言葉を続ける。

 「それに・・・あの子がそのうち入学してくるだろうしね・・・・・」

 男は、慰霊碑に向かってまた、微笑する。

 あの子・・・

 ああ、「あの子」か。

 カカシが思いを巡らせていると、男は立ち上がり、手桶と杓子を持って、踵を返した。

 そして、また草をかきわけて、去っていってしまった。

 ・・・・・・・

 静寂だけが取り残される。

 カカシは、今度こそ本当の溜息をついた。

 「・・・息が詰まるかと思ったぜ・・・・ったく・・・」

 もう後は誰も来ないだろう。

 カカシは、今度こそ、木漏れ日に包まれながら、浅い眠りに身を任せ始めた。

 

 

 それからというもの、毎月、決まって同じ日の同じ時間、男は慰霊碑に現れた。

 やることは同じだ。

 水をかけ、花を取り替え、草をむしり・・・、そして話しかける。

 やれ、教育実習がどうのこうの、

 友達がどうのこうの、どこどこのラーメンがうまかっただの、誰々が何を言っただの・・・

 その月に起こった事、思った事を、男は慰霊碑にむかって語りかける。

 そのたびに、慰霊碑の上、木の枝には気配を殺すカカシの姿。

 いつの間にか、カカシは毎月、男の独り言の聞き役になっていた。

 相手は気づいていないが。

 「今日、初めて子供達が俺を「先生」って呼んでくれたんだ。嬉しかったなぁ・・・」

 天気の良さに比例して、今日は男の機嫌も良かった。

 にこにこしながら、相変わらず草をむしっている。

 幸せな奴だな、それくらいで・・

 「頭を撫でると、本当に嬉しそうな顔をしてくれるんだ。なんだか、こっちが撫でられて誉められている気分だった」

 ガキは甘やかすとろくな事がないのに・・・とカカシは思う。

 「子供は、こちらが与えれば与えるほど、吸収しては多くのものを返してくれる。そうやって子供は大きくなるんだ。

 逆にこっちが学ぶ事も多い。だから、俺は絶対に良い教師になるよう頑張ろうと思う・・・」

 カカシの下で、男は目元を細めて幸せそうに、微笑む。また時々慰霊碑を振り返っては、物言わぬ石に向かって満面の笑み。

 「・・・・・ったく・・・」

 ここに来るたび、カカシは毒気を抜かれた気分になる。

 穏やかな日よりがそうさせるのだろうか。

 萌える緑が、そうさせるのだろうか。

 ・・・・木漏れ日の様なあの男の表情が、そうさせるのだろうか・・・・。

 昼寝を目的としていたハズのカカシの休日は、毎月、この日だけは、男の独白につきあう日となった。

 おかしな関係だ。

 あの男は、気配を殺した俺の存在すら知らない。

 なのに、俺はあの男の事を、名前以外なら全部知っている。

 月に一回、三十分ほどの奇妙な、一方的な逢瀬。

 それは実に、カカシが気づけば二年間近く、続いていた。

 カカシは上忍の中堅どころに、男は(独り言から推測するところによると)正式なアカデミーの教師になっていた。

 翌日に任務を控えようと、前日まで任務に出向いていようと、

 カカシは何故か毎月、同じ時間、同じ場所に、男が現れる前に、そこで待つようになった。

 いつものつまらない独り言・・背筋が痒くなるような独り言・・・

 そんなものを聞きに行って何が楽しいんだか。

 自分にも分からない。

 だが、

 あの場所とあの時間が、休日にはちょうど居心地が良い事だけは、確かなのだ。

 カカシと男の奇妙な休日は、毎月変わることなく、続くと思われた。

 

 

 

 ガサッ!

 すぐ耳元の枝が、大粒の雨を受けて音を立てた。

 ・・・危ない・・。思わず気配を散らすところだった・・・。

 カカシは尚一層、周囲に注意を巡らせる。

 気配はない。

 この雨と、音で、消されてしまっている。

 お互い、相手の居所など分からないだろう。

 だが、

 奴らは確実にそばにいる・・・・。

 ひたすら、カカシは息を潜める事しか出来ない。

 こりゃあ、根比べだな・・・。

 そう思った瞬間、

 「!!!」

 音もなく、殺気を放つ事なく、真上から黒い影がカカシを狙って落下してきた。

 「くっ!」

 とっさに横に飛び退け、別の気に飛び移る。だが、間髪を入れずに、そこで待機していたらしき人影が、カカシを襲う。

 まるで連続からくりが次々と起動するかの様に、次々と姿を現す黒い影達が、断続的にカカシを襲ってくる。

 かわすだけで手が一杯だ。

 おまけにこの暗闇。

 敵は月夜見の目を持っているらしく、ものともせずに動き回る。

 チクショウ・・・・!

 カカシは地理的にも土地勘的にも不利な立場にいる。

 「ぅわ!!!」

 足首に、鎖が絡み付いた。

 急に引っ張られてカカシは空中でバランスを崩し、そして背中から地面に激突した。

 「ごほっ・・・!」

 脊髄を通して全身に、痛みが広がる。

 一瞬、そこに隙が生まれた。

 「シャっ!」

 それを狙い、空中から一気にカカシに襲いかかる黒い影達。

 「しまっ・・・!」

 覆面の下からもれる、後悔の言葉。

 一番嫌いな言葉だったのに・・・

 ---その時

     ヒュッ・・・

 「ぐあああっ」

 カカシのすぐ頭上で、風を切る音が重なって聞こえたかと思うと、上空から襲ってくる黒い影達が叫び声を上げ、のけぞった。

 どこかから投げられた、複数のくないが、カカシに飛びかかろうとしていた黒い影達を襲ったのだ。

 「?」

 足首に絡まる鎖を外しながら、カカシは暗闇の中で何が起こっているのか確かめようと、懸命に目を凝らす。

 カカシの背後から飛び出してきた、別の黒い影が一つ。

 忍刀を片手に、上空から降り立った黒い影の群に飛び込んでいった。

 新たな敵の登場に一瞬、怯みを見せた黒い影達だが、すぐに体制を整えると、カカシを後目にその影を追い始めた。

 影は、黒い影達を引き連れ、カカシの元から離れていく。おびき寄せているのだ。

 「何者だ・・・」

 やっとの事で鎖から自由になると、カカシは後を追った。

 影は、敵を竹林までおびき寄せると、そこで足を止めて振り返った。口元に笑みが浮かぶ。

 「!?」

 夜目がきく黒い影達がそれに気づき、咄嗟に踵を返す。

 だが、もう手遅れだと言えよう。

 カカシを救った影は、右手を顔の前で一度、振った。

 それと同時に、

 「なっ!」

 上空から、先が鋭く削られた竹が、無数に降り注いできた。

 離れた場所からそれを見ていたカカシも、思わず驚嘆する。

 トラップだ・・・

 「ぎゃぁぁっ!」

 幾人かはそれに貫かれ、残りはかろうじて串刺しは避けられたものの、地面に無数に突き刺さって出来上がった竹の檻に、動きを止められた。

 また口元に笑みを浮かべると、影は、顔の前で印を三度、切った。

 胸の前で組まれた両手から、巨大な炎の帯が生まれ、竹の檻を包み込む。

 「・・・・・・」

 断末魔を上げる間もなく、串刺し死体や竹と一緒に、残った黒い影達は全員、焼け死んだ。

 あまりの周到さに、カカシは半ば感心する。

 だが、まだ油断は出来ない。

 「誰だ・・・?」

 焼けた地面を飛び越え、カカシの側に着地した人影に、カカシはくないを構えた姿勢で、問うた。

 顔の見えない相手は、意外に物腰柔らかく、こう言った。

 「三代目に申し使って参りました、木の葉隠れの忍びです」

 「お怪我はありませんでしたか?」と付け加えて、忍は懐から巻物を取り出す。

 「これ、三代目からの書状なんですが・・・・暗くて見えませんね、今、火をおこします」

 雨が小降りになってきた。

 忍は、手頃な切り株を見つけると、そこに火を放った。周囲がほのかに明るくなる。

 「どうぞ」

 そう言って忍が振り返る。

 「っあ・・・」

 カカシの口から驚嘆の声があがった。

 「・・・・・何か・・・」

 揺れる炎が照らす光の中で、忍は訝しげに眉を少ししかめる。

 まぎれもない、あの、休日の忍・・・・。

 この地獄の中に、突然現れた、この平穏の象徴。

 まるで夢をみている感覚だ。カカシはにわかに現状を鵜呑みにする事が出来ず、首を振った。

 濡れ鼠ぼった髪から雨粒が飛び、忍の頬を濡らした。

 「あんた・・・学校の仕事は?」

 「!・・・・・」

 今度は忍が、弾かれたように目を見開き、驚きの表情を作った。

 暫し二人の間をよぎった静寂の中で、火の粉が飛ぶ音だけがする。

 「私が教師だと・・・・よく、おわかりになりましたね・・・・?」

 「初めてお会いするのに」と忍は一度肩をすくめる。

 実はそうではないのだが・・・。

 「いや・・・何となく」

 言葉を濁してカカシは渡された巻物を開いた。

 火の側で中身を確認する。

 『任務情報に間違いがあった。助っ人を送る。中忍だがトラップの類に知が通っている。役に立てたし』

 との三代目からの書状。

 「・・・・あんた、名前は?」

 巻物を巻き取りながら、カカシは中忍を振り返る。

 「・・・・イルカと申します」

 「そうか」

 いとも簡単に名前を聞き出せた。

 この二年間、出来なかった事なのに・・・

 

 里までまだ遠い。

 やはり明日までに帰還する事は不可能だろう。

 

 だが、休日は始まっている。

 いつもより少し早いが、毎月の「あの休日」が・・・・。

 

 おわり
2005.10.25.Tue/14:25
  教えの庭 


教えの庭
 どいつもこいつもウスラトンカチばっか。ウザイ。

 でかい口ばかりたたく里の大人達。

 ギャーギャーさわぐ女ども。

 バカ言って笑ってばかりの男ども。

 何もかもウザい。

 忍者アカデミーに入学する事になったその日の朝。雲一つない青空。

 アカデミーの前は、入学を控えた子供と親たちの群れで賑わっていた。

 その脇をサスケは一人、足早に通り過ぎて行った。教室指定の表が貼ってある掲示板の前に立ち、自分の名前を探す。

 「ほら、あったわよ、ハヤテの名前」

 「ホントーだ!」

 すぐ背後で甘えたような子供の声と、若い母親の声がする。

 ウザイ・・・・。

 はしゃぐ親子らの群から早く抜け出したくて、サスケは校舎の方に向かった。

 「ほら、あの子よ・・・例の・・・」

 「?」

 憎悪を剥き出しにした声に、サスケは足を止めた。

 数人の大人が固まって何やらヒソヒソと、話し込んでいる。彼らの視線は、ある一人の子供に向けられていた。

 「なんであの子がアカデミーに?」

 「・・・なんでよりによってウチの子が入学する時に入ってくるのかしら・・・」

 「いい迷惑よ・・・」

 サスケがその視線を追っていくと、そこには黄色いツンツン頭の少年が。

 「・・・・・・・」

 あいつが何だというのだろう?

 黄色い頭の少年は、落ち着きなさそうに飛び跳ねたり走り回ったりしては、一緒に来ていた父親らしき男を困らせている様子だった。

 「おまけに、親無しでしょ?どういう風に育ったか分かったものじゃないわ」

 ・・・親無しでしょ?どういう風に育ったか分かったものじゃないわ

 「フンっ・・・」

 顔をしかめてサスケは歩き出した。ならお前らはよっぽど立派な親なのか、と言いたい衝動を飲み込む。

 だが、

 「火影様のお言いつけとはいえ、たまったものじゃないわね」

 「!?」

 サスケは再び足を止めた。

 今何て?

 (あいつ・・火影様の・・・?)

 何だというのだろう。

 サスケが見ている前で、黄色い頭の少年は相変わらず飛び跳ねたりウロチョロしている。

 いつの間にか、付き添いの男がいなくなっていた。

 あらかた、火影様に少年をアカデミーまで送り届けるよう言われ、「任務」を終えたので早々に帰った・・・というところだろう。

 (・・・・親無し・・・・・か・・・)

 キーンコーン・・・

 チャイムが鳴った。

 (まあいいか)

 校庭でたむろしていた子供達や親たちが、それを合図に校舎に向けて歩き出した。

 サスケも、その波の間をくぐって、目的の教室に向かう。


--------------------------------------------------------------------------------

 「入学おめでとう!」

 担任だと自己紹介した若い男の教師が、開口一声、笑顔で言った。

 教室内は、新しい季節への期待感に興奮し、じっとしきれない子供達の活気でいっぱいだった。

 ざわざわ落ち着き無い教室内が、その教師の一声で少し、落ち着きを取り戻したようだった。

 だがサスケは、階段教室の最後列、一番窓際に席を取っり、入室した時からずっと頬杖をついて窓の外を眺めていた。

 何を考えるでもなくぼんやりしているサスケの耳に、教師の声が流れてくる。

 「君たちは、里の将来を担う忍者になるための第一歩を踏み出したわけです」

 ふん、ウザい。

 人が良いだけが取り柄に見えそうな若い担任。

 その他のトロそうな教師達。

 浮かれ気分の幼稚な同級生。

 何もかもウザい。

 担任教師の話は続く。里の簡単な歴史、アカデミーの成り立ち、これからの修行カリキュラムを、簡単な言葉で説明している。

 「と、この様に忍者は、技、体、知、そして心の四つがそろって、初めて一人前になれる」

 「おー」

 「カッコイイーー」

 と所々声があがる。

 ウザい。

 きれい事を並べても結局、忍者は力で順序が決まる。それこそ、戦いの世界はそれが全てだ。

 そんな甘やかした事ばかり言ってるから、こんなウスラトンカチばかりなんだ。

 サスケは窓の外を眺めながら、教室内に耳を傾けていた。

 ウザい教師の挨拶にウザい生徒達の会話。

 溜息をついたり興奮して声をあげたりする子供達の反応に、若い担任教師は「ははは」と軽く笑って言った。

 「カッコイイ・・・か。まあ確かにな。上忍や火影様の技や術なんかみてると、カッコイイよな」

 窓の外を眺めるサスケには見えないが、きっとあのトロそうな笑顔でニコニコ笑っているに違いない。

 子供達の反応を待ってから、「でもな、」と教師は言葉を続けた。

 「そんなこと言ってると、死ぬぞ」

 「!!」

 すぐ背後から声がして、サスケは弾けるように振り返った。

 「なっ!」

 そこには、いつの間に移動したのか、先生の姿があった。

 急に教壇から姿を消し、教室の隅に移動した先生の姿に、教室中が声をあげた。

 「・・・・」

 いつの間に・・・・

 「お、ここから見える桜はキレイだなぁ。先生、気が付かなかったよ」

 サスケが言葉を無くしている間に、若い先生は、サスケが眺めていた窓の外をのぞき込み、感心の声をあげる。

 「なかなか、目の付け所が良いな、ええと、サスケ君だったね」

 「・・・・・」

 その教師はまた満面の笑顔を向けると、教壇にゆっくり戻りながら、何もなかったように話を続ける。

 「さて、さっきの続きだが、脅かす様な事を言うかもしれない。でもな、先生がいいた事は、絶対に油断するな、という事だ」

 遊びじゃないんだ、と先生は付け加える。

 「忍になる、という事は・・・まあ、今はいいか。少しずつわかればいいや」

 先生が見せた技と、少し難しくなった話に子供達が表情をこわばらせた事に気づき、若い先生は(やりすぎたな・・・)と頭をかきながらまた、笑った。

 少し引き気味の教室内で、一人だけ「すっげー、イルカ先生」と騒ぐ子供がいた。

 「・・・・」

 あいつ、

 サスケと同じく、両親がいないと言われていた、あの黄色い頭の子供、

 うずまきナルトである。

 


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 そんなこと言ってると、死ぬぞ

 死ぬぞ 死ぬぞ 

 ウザい

 そんなこと言ってると、死ぬぞ

 (クソっ・・・・)

 アカデミーでの訓練生活が始まって一ヶ月が経とうとしている。

 だが、相変わらず何もかもがウザい。

 訓練の練習相手にもならない弱い奴ら

 物覚えのわるい奴ら

 サスケは入学早々からその実力と才能で頭角を現していたので、結局、自分より力が劣る同級生全員がウザかった。

 だがもっと更にウザい事に、入学初日の出来事が、日常ことあるごとに頭に思い浮かんでくる、という事だ。

 格闘演習の最中、

 自主訓練の最中、

 授業の最中、

 宿題の最中、

 -絶対に油断するな

 -死ぬぞ

 死ぬ気でやれ

 目的を果たしたければな

 サスケには、そう戒めている言葉に聞こえて仕方がない。

 あのイルカ先生とかいうウスラトンカチ教師がそこまで考えてそう言っているかは疑問だが。

 「サスケ!ストップ!」

 「えっ・・・!」

 拳を大きな手のひらで止められて、サスケは我に返った。

 地面に尻をついて半ベソをかいているクラスの奴の顔が正面にあった。

 「あ・・・」

 まさに今、サスケが彼を殴り倒そうというところだったのだ。

 その拳を止めたのが、新入生の格闘実技の授業担当の一人、ミズキ先生だった。

 「どうしたんだい、サスケ君・・・」

 優しい色男として女の子達に人気があるミズキ先生が、いつもの丁寧な、だが窘める感を含んだ口調で、訊ねる。

 そうだった、今は、格闘実技の授業中で、組み手をしていたところだったのだ。

 だが、その最中に頭によみがえったあの日の出来事がサスケを本気にさせてしまい、

 今目の前にいるクラスメイトに大けがを負わせてしまうところだったのだ。それを、担当のミズキ先生が止めに入った。

 「ごめんなさい・・・」

 ここは素直に拳を引く。

 すると、恐怖から解放されたそのクラスメイトは、とうとう泣き出してしまった。

 ウザい。

 「ほら、もう泣くな。男の子だろう?」

 ざわつく周囲に組み手の続きをするように指示を出すと、ミズキ先生は保健係の女の子を呼んで、泣き出した少年を保健室へ連れて行くよう指示した。

 そして、またサスケに向き直る。

 「何か、考え事をしていたね、サスケ君」

 サスケと目線を合わせるために中腰になる。

 「何でもない」

 サスケはぶっきらぼうにミズキ先生の親切を突き放す。

 「今日だけじゃない。先生は分かっている。君は時々、その、何か別の事を考えているだろう?」

 余計な詮索だ。

 「何でもない」

 そうか? とそれ以上しつこくはせず、ミズキ先生は立ち上がった。

 「はい、組み手止め!」

 そこで、授業終了のチャイムが鳴った。

 


--------------------------------------------------------------------------------

 放課後。

 校舎内や校庭で遊ぶ子供達の誘いを一切断り、無視し、サスケは誰もいない自宅に戻った。

 自宅に戻ったらする事は毎日決まっている。軽い食事をとった後、夕食前の自主トレに出るのだ。

 場所は裏の雑木林。住宅街の裏にぽっかりとある小高い丘の雑木林。滅多に人が来ず、自主トレの穴場なのだ。

 サスケの自主トレ場となっている林。木々には訓練用の人形や木の枝がつり下げられており、どれもボロボロだ。

 また、クナイや手裏剣投げ訓練用の的も穴だらけだ。特に的の中央が。

 まず素振りを始めようと、サスケは的の下に立てかけられている木刀を手に取る。

 その時、背後から草と落ち枝を踏み分けて近づいてくる気配に気が付いた。

 この気配は・・・

 振り返る前に、サスケは気配の主の名を呼んだ。

 「イルカ先生」

 「お、よく分かったな」

 バカにしているのか・・・?

 今は別に気配を消して近づいてきたわけではない。教師が生徒を訪ねて来ただけで、その必要はないのだから。

 「何の用だ」

 「ん?いや、別に。ちょっと、ミズキ先生から今日の事を聞いてな」

 それで説教か?ウザい。

 「それにしてもすごいなぁ。これ全部、サスケの訓練道具か?」

 辺りを見渡して、イルカ先生はひたすら感心する。

 「なるほどね」

 「?」

 「各授業担当の先生から君の成績を報告されたんだが、どれも最高点でね。その裏にこんな努力があったのかって、納得してたんだよ」

 「・・・・」

 「学校の実技訓練は、君にはちょっとストレスが多いんじゃないか?」

 「え?」

 「ミズキ先生から聞いたんだ。君は強すぎるから、授業を楽しめていないって」

 「別に」

 顔を反らせてふてぶてしく言い捨てるサスケに、イルカ先生は学校で見せる笑顔を見せた。

 サスケはこの笑顔も嫌いだった。

 「何か、話したい事とか相談したい事があれば、聞くけど?時々、考え事してるだろ?」

 「別に」

 そうか。 と、この先生もそれ以上追求しようとしなかった。話してくれる日を待つ、という事だろうか。

 (そんな日は一生こねーよ・・・)

 サスケは内心そう呟く。

 「そうだ、サスケ」

 イルカ先生が明るい声を出した。

 (今度は何だ?)

 あまり歓迎しているとは言えない顔で、サスケはイルカ先生を振り向く。

 するとイルカ先生は、人差し指をたてて、

 「一本、やろうか」

 と、笑顔で言った。

 「あ?」

 「実技の授業で思いっきり動き回れないんじゃ、ストレスも溜まるだろう?なんでも君の相手が出来る生徒がいないって話だし」

 「・・・先生が訓練相手になるって事か?」

 「スッキリするぞ。思いっきり体を動かすと」

 サスケには、この若い担任教師の意図が分からない。

 -死ぬぞ

 この間の続きを、今度は体で分からせてやろうってのか?

 (フンっ・・・。どこまで出来るかやってもらおうじゃねーか・・・)

 科目担当制のアカデミーでは、担任の教師が一クラス全ての科目を受け持つわけではない。

 例えばサスケの場合、忍術知識初級と中級をイルカ先生に、初級体術をミズキ先生その他数名に、剣術をまた別の先生に・・・という風であり、

 この若い担任教師がサスケの全てを知っているわけでもないのだ。

 その事を知っているから、サスケは、この若い新任教師が自分を甘くみているとよんでいた。

 (学校が評価する成績ばかりが俺の実力だと思うなよ・・・・。俺は他の奴らとは違う)

 「じゃあ、お願いします」

 やっと素直な言葉をサスケの口から聞くことが出来て、イルカ先生は破顔する。

 その表情に内心、サスケはますます負けん気の炎をたぎらせる。

 「寸止め無しの一本勝負。それでいいか?」

 サスケは頷き、構える。体を少し斜めに向け、右足を引き、左手を前方に構え、右手を脇で構える、いわゆる実戦型の基本構えだ。

 それを見て、イルカ先生はニコリとほほえみ、「よし」と、自らも構えを作った。

 (・・・・)

 学校の体術の授業で誰でも教わる、基本中の基本構えだ。

 両手を前方に構え、体は正面。利き足でない方を後ろに少し引く。

 しばし、構えて向かい合う二人の間に沈黙が走った。

 チチッ

 サスケの頭上、枝から小鳥が飛び立つのを合図に、

 「たっ!」

 サスケが飛び出した。

 狙うはイルカの顔、首、胸、鳩尾、などの、いわゆる急所だ。それに加え、足元、腕、肩など、相手が体勢を崩す場所を狙う。

 子供とは思えない打ち込みの速さと強さだ。

 イルカ先生はそれらをすべて受け止めながら、考えていた。

 「くっ!」

 確かに気兼ねなく思いっきり打ち込める。

 (だけど・・・)

 こうも全て受け止められちゃあ、逆に面白くない。

 「っ・・・」

 いったん、サスケはイルカ先生から離れる。間を取って、呼吸を整える。

 一方のイルカ先生は、最初の構えの姿から変わらぬ体勢で、息一つ乱さず、汗一筋とかかず、平然と立っている。

 クソっ・・・

 自分から攻撃するまでもない、というわけか。

 ならば、

 (攻撃させるまで!)

 今度はイルカ先生に直進せず、斜め前方に飛んだ。

 「!?」

 変則的な動きを見せたサスケに、イルカ先生は「おや」という表情でその動きを素早く目でとらえる。

 「シュっ!」

 顔を狙って蹴りを繰り出すと、僅かな動きのみでかわされた。だがこれは、計算のうちだ。

 サスケは体を半回転させ、イルカ先生が顔をよけた先を狙う。

 「おっ・・・と」

 顔を狙いに来たサスケの足を左手で払うと、時間差で更に顔を狙ってくるサスケのもう片方の足を強く払った。

 それにバランスを崩したサスケは、攻撃を止めてイルカの背後に着地。そしてすかさず背中を狙って蹴りを入れようと・・・

 「ぐっ・・!」

 飛びかかったところを、イルカ先生の右手のひらで押し返された。後ろに二、三歩よろめくが、すぐさまサスケは攻撃を仕掛ける。

 (・・・これは新入生レベルをはるかに越えているな・・・・・)

 勝利に貪欲で攻撃的、しかもしぶといサスケの次々と繰り出される攻撃に、イルカは心内で感嘆した。

 (ナルトもこれの半分くらいでいいから出来てくれれば俺も苦労がないんだが・・・)

 これだけ断続的に、力一杯に攻めてくれば息も上がろうが、サスケは休もうとしない。

 (それにしても、この年でこれだけの闘争心はどこから来るのだろう・・・)

 攻撃の組み方を変則的に変えてきたサスケの攻撃に、イルカは軽い反撃を加え始めた。

 (入学してきた時から気になっていた。こう・・・子供らしくない・・・というのか・・・大人びているといのか・・・)

 興に乗ったか、サスケは更に全力でかかってくる。

 (うちは一族といえば・・・まあ、事情は分かるが・・・こんな小さな子供が「復讐心」なんてものを知っても良いものだろうか・・・・)

 「・・・・・くっ!」

 相変わらず息一つ乱さないイルカ先生の様子に、サスケは負けん気からくる苛立ちを覚えつつ、

 学校では得られない手応えに、徐々に楽しさを感じ始めていた。

 口元に、無意識の笑みが漏れる。

 初めて見せた笑みだ。

 (・・・・あ、)

 それを見逃さなかったイルカは、思わずスキをみせてしまった。

 今だ!

 サスケはその一瞬のスキを狙った。

 防御がおろそかになったイルカの脇腹を狙い、右足を蹴り上げる。

 「っ!」

 それをまともにくらうほどイルカは甘くない。

 だが、攻撃をかわそうとサスケの足を払う時に手加減をする余裕は、無かった。

 バシッ

 「うわっ!」

 とサスケの口から漏れる声。

 (しまった!)

 とイルカ。

 思いっきり足を払いのけられ、サスケは大きくバランスを崩した。

 受け身をとる余裕がなく、サスケは肩から落ちていく。

 「あぶな・・・っ!」

 とっさにイルカはその体を受け止めようと手を伸ばした。

 ザクッ・・・

 「!?」

 地面に叩きつけられる事を覚悟し、目を固く瞑っていたサスケだが、フワリと体が浮く感覚・・・。

 あれ・・・?

 何で地面に落ちないんだ?

 それより、今の不吉な音は一体・・・・・

 恐る恐る目を開ける。

 「・・・・・・・?」

 見ると、しゃがみ込んだイルカ先生が右手でサスケの体を支えていた。だが、次に目に入った光景に、サスケは思わず声をあげて立ち上がる。

 「あ・・・っ!」

 イルカ先生の左手首が、真っ赤に染まっている。

 「な・・・何で・・」

 そして地面には、刃を赤く染めた手裏剣が・・・。

 「・・・・・!」

 練習用に使っていた手裏剣が放置してあり、そこに落ちそうになったサスケを受け止めようとして、イルカがそれで左手首を傷つけたのだ。

 ヤバい血管を切ったのか、左手から血が溢れて止まらない。ボタボタと、血液が地面に落ち、模様を描く。

 「あ・・・」

 その血の量に、サスケは急に顔色を変えた。

 赤・・・。

 イルカにも覚えがあった。

 両親を染めた色だ。両親を死に追いやった色・・・。

 大人になった今も、他人の血液を見ると妙な目眩を覚える。

 幼少期に受けた傷のしこりだ。

 いつしかのイルカの様に、サスケも愕然として膝を微かに震わせていた。だが、その口から意外な言葉が出る。

 「血・・・血止め・・・しな・・・いと」

 「・・・・・サスケ・・・」

 イルカは目を見開いた。

 「・・・前・・・に授業でやっ・・・・た・・・・」

 ・・・・・・驚いた。

 それでもこの少年は、何とか正気を保とうとしている。担任教師の怪我、という目の前の状況に、対処しようとしている。

 ぐるぐると混乱する頭の中で、先日授業でならったばかりの「初級応急処置・血止め」の項目を思い出そうと必死になっている。

 それ以前に、無事な利き腕でその傷の応急処置をイルカが自分で施せばそれで済むのだが、

 「落ち着け、落ち着けサスケ」

 あえてイルカは、それをしようとしなかった。

 「大丈夫だ。俺は大丈夫だから、落ち着け」

 無事な右手を、サスケの肩に乗せる。

 「・・・・・」

 震えながら、サスケは首を縦にやっと振る。

 「よし・・・。じゃあ、思い出せるか?血止めの仕方」

 サスケは目を閉じ、深呼吸を二回繰り返した。

 そしてゆっくりと目を開けると、自分の額を覆っていた白いハチマキを解いて手にした。     ←ハチマキなんてしてたんだ・・・

 「まず・・・・布で・・・傷口より、少し心臓に近い場所・・・・を縛る・・・・」

 「うん・・そうだな。次は?」

 イルカが一つ一つうつ相槌に促されながら、サスケはイルカの左手首に応急処置をほどこしていく。

 「最後に、もう一枚布を当てて、縛る・・・」

 「うん。そうだ」

 最後の結び目を縛ると、サスケは急に脱力感に襲われて膝をついた。

 「よし、ありがとう、サスケ。よくやった!」

 白い布でぐるぐるに巻かれた左手をヒラヒラさせながら、イルカはサスケの背中を数回、叩いた。

 「・・・・・大丈夫だよな・・・・」

 「ん?」

 脱力しきったサスケの声。

 「・・・・本当に、ちゃんとできたんだろうな・・・・おれ・・・」

 イルカの顔をのぞき込む様に、サスケは恐る恐る訊ねた。

 先ほどの出血量に、まだ不安感が残るのだろう。

 「うん。大丈夫だよ」

 「ホラね」とその手を振りながら、イルカ先生はアカデミーで見せる笑顔。

 「それより、お前は大丈夫か?ゴメンな・・・つい、やりすぎた・・・。お前、強いよ。最後は手加減できなかった」

 そう言って、イルカ先生はサスケの頭に手を置いた。そして何度も、

 「・・・・・やめろよ・・・」

 撫でる。

 「・・・・・」

 何度も、撫でた。


--------------------------------------------------------------------------------

 「チョット!アレ!」

 「キャーッ 意味深!!」

 翌日、左手首に白い包帯を巻いてやってきたイルカ先生達に、クラスの女どもが騒ぎ立てて、妙な噂がたったのは、言うまでもない。

 授業中、あちこちから聞こえてくるヒソヒソ話が耳に流れてくる度に、サスケは目元をしかめた。

 -恋人との痴情のもつれよ!きっと!

 -キャーッ コイビトって誰ェー!?

 ・・・・ウザい。

 -もーっ 地味だ地味だ思ってたら、イルカセンセーったら、キャーッ

 -外見じゃわからないものねぇ

 クラスの中ではいつの間にか、イルカ先生はコイビトとの色恋沙汰の結果に自殺未遂を起こした事になっていた。

 「イルカ先生ってば、オレ知らなかったよ。一言相談してくれればいーのにさー」

 ナルトさえ、そう言って来る始末。

 「大変な事になっているらしいですね、イルカ先生」

 職員室では、ミズキ先生までが笑いながらそう話しかけてくる。もう学校中で持ちきりだった。

 「止めてくださいよ、ミズキ先生まで」

 苦笑いでイルカはそれらに応える。

 「失礼します・・・」

 職員室の扉が開かれる音と共に、子供の声。

 「お、サスケ・・・」

 サスケが日誌を片手に、扉から職員室の中をうかがっている。イルカの姿を確認すると、心なしか少々和んだ表情で歩いてくる。

 「今日はサスケが日直だったな」

 無言で頷いて、日誌を渡すと、サスケは「失礼しました」と足早に職員室を出ていった。

 「なんか・・・」

 その後ろ姿を見送って、ミズキ先生が呟いた。

 「何か?」

 「サスケ君、変わりましたね。イルカ先生」

 「え、どこがですか?」

 イルカに訊ねられて、ミズキ先生は顎に手を持って考えこむ。

 「どこ・・って・・・何となくですけど、どことなく・・・」

 「そうですか?」

 イルカは空々しく応える。

 サスケ君、変わりましたね。

 確かに、イルカは昨日、いつもと違う表情を見せたサスケを知っている。

 ムキになったり、笑ったり、恐怖に震えたり、照れたり・・・

 そんな子供らしい姿を見せたサスケを知っている。

 だけど、

 サスケがそれを普通にみんなに見せられるようになるまで、イルカはそれを自分だけの秘密に留めておこうと思った。

 「いつも通り、真面目な生徒ですよ」

 とイルカは今手渡された日誌を開く。

 

 <今日の出来事> 5月 12日 日直:うちはサスケ

 八時半から朝礼。校長先生の話は「防災訓練の重要性」。みんな、あくびをしながら聞いていた。うずまきナルトが立ち寝していた。

 たぶんああいうのが被害者第一号の典型だと、思った。

 今週は、廊下での衝突事故防止週間であるのにも関わらず、うずまきナルトが雑巾に足を乗せてすべって遊んでいた。

 やっぱり、ぶつかってヒンシュクをかっていた。

 授業中、最近、春野サクラを中心とするグループが無駄話をしてうるさい。

 今日、イルカ先生が左手に包帯を巻いてきた。クラス中で「イルカ先生の色恋沙汰自殺未遂事件」の噂が広がっていた。

 

 ありがとうございました。

 

 

 「・・・・・・・・・・」

 「?どうしました?」

 「あ、いや、何でも」

 背後からミズキ先生がのぞき込む。イルカは、ごく自然に、日誌を閉じた。

 「お茶でも、煎れましょうか」

 後ろを振り返り、イルカは笑った。

  終わり
2005.10.25.Tue/14:27
  砕壊-さいかい- 


砕壊 <さいかい>  前編





 灰色に濁った意識から急浮上すると、窓から差し込む白い光が眼に刺さった。

 その痛みにまず眉をしかめ、次に腰にかかる重圧に舌打ちする。



 体を起こしてみれば、そこはあまり見慣れぬ風景。

 薄暗く、狭い部屋。

 雨戸が開け放たれた格子窓からの光に眼が慣れた頃に辺りを見まわせば、そこがアカデミーの第二書庫である事が認識出来た。

 壁の時計を見れば、朝の六時。

 教師や生徒がやってくる時間まではまだ大分ある。

「……何でこんな所で寝てたんだ………?」

 鼻の頭を掻きながら溜息。

 ぞくりと寒気を覚えた。それもその筈、脱ぎ散らかされた衣服の一部が、窓の下に見える。



「ああ…そうか………俺………」



 徐々に甦ってくる記憶と共に、吐き気と嫌悪がこみ上げて来た。

 両腕で自らの体をかき抱く。

 寝汗で湿った自分の体さえも、気味が悪いように思える。

 

 網膜にちらと映る、記憶の断片。







 燃えるような、銀







 -イルカ先生







「やめろ……っ!」



 空虚に向かって、憎悪を吐きだした。





 その声で、俺を呼ぶな……と。



















 全身にまとわり着いて消えない虚ろで険悪な記憶が薄れてくる頃。



 もう何日、何週間が経ったか分からない。



 網膜に焼きついて離れなかった銀色の影は、もう見えない。



 アカデミーでの平凡な日常に包まれて、何事も無い日々が続いていた。

「イルカ先生ー」

 自分の名前を呼ぶ、いつもの声が、左右から飛ぶ。

 今日は一際大きい声が、イルカを呼んでいる。

「おう、ナルト」

 黄色い頭の少年が、長い廊下の向こうから駆け寄ってくる。

 その後ろには、

「サクラとサスケも。久しぶりだな~、元気か?」

「先生こそ、しばらく見ない内にまた独身男の哀愁が濃くなって来たわね」

「余計なお世話だ」

 額当ての上からサクラの頭をぐしゃぐしゃとイルカが撫でる。くすぐったそうに照れ笑いするサクラを、横からナルトが頬を膨らませて見ていた。

「今日の任務は上がりか?」

 イルカは壁の時計を一瞥して、ナルトの視線を移す。

「うん。これから報告書を出しに行くんだってば。イルカ先生、今日は受付じゃないんだ?」

「まあな。中間試験が近いから、準備に追われててな」

「追試用の問題だって作らなきゃいけないし」とナルトを指して付け加えれば、隣からサクラが鈴を転がした様に笑った。

「じゃあ」と会話を切り、中腰の姿勢から立ち上がると、

「もう任務報告に行って来い」

 と右手を振った。

「あ、うん…」

 それに対し、何故かナルトは声を弱めていぶかしげに眉を寄せる。

 その後ろで、サクラとサスケも、ぽかんとした様子でイルカを見つめていた。

「?」

 逆に今度は、イルカが当惑気味に眼を見開いて小首を傾げる。

「…どうした?」

 と問うイルカに、ナルトは物憂げに口を開いた。



「先生…ケンカでもした?」



 背後をちらちらと気にしながら、遠慮と心配を含んだ物言い。

 ナルトには珍しい。

「ケンカ?お前じゃあるまいし」

 一笑するイルカ。

 特に怪我をしているわけでもないのに…と自分の腕や足元を見渡す。

 何だよ突然…と苦笑の後、

「俺が誰とケンカしてるって?」

 と継ぐ。

 途端、波が退いていくように、ナルト、サクラらの顔に影が差した。

 だが、その影を振り払うようにサクラは再び笑顔を作ると、

「ううん、何でもない。じゃあ、任務報告、行くね」

 バイバイ、とナルトの首ねっこを掴んで、廊下の向こうへと歩き出す。

 それに逆らおうとせず、ナルトも大人しく着いて歩く。その傍らに、サスケも。 

「……何だぁ…?あいつら………」

 放課の時間が迫っていた。

 アカデミーの子供達が授業を追えて廊下を行き交う流れに逆らって、三人の影が廊下の向こうに消えていった。

 それを見送り、イルカは昇華しきれない疑問を抱きつつ、「まあ、いいか」と短い溜息を残し、その場を去った。







「何じゃ、イルカ…お前、仲違いでもしておるのか」

「え?」



 派遣書類の提出に火影邸に出向いたイルカ。

 それを実務室にて出迎えた火影の、事務的な言葉の後に続いたのが、それだった。

「いいえ…?三代目まで……。何故ですか?」

 提出書類を一部ずつ整理しながら、イルカは苦笑する。

 簡素な作りの実務室内は他に人気がなく静かで、イルカのその声だけが響いていた。

「いや、心当たりがないなら、良い。ご苦労、下がってよいぞ」

「はあ」

 疑問だけが漂うまま、ろくに挨拶も出来ぬうち、イルカは火影邸を後にする。

 一度、後ろを振りかえって首を傾げ、そしてまた歩き出す。

「…何なんだ一体………?」

 夕空の下、自分以外に誰もいない畦の一本路を、イルカは一人、歩いていく。

 影が、長く細く、伸びていた。

 それの先端を踏む人影に気づかずに。







 近しい誰かに会えば、

「どうしたの?」

 親しい誰かと話せば、

「何かあったのか?」

 その度、イルカは「いえ、別に?どうしてですか?」と同じ事を繰り返す。

 対して返ってくる応えは「ああ、いや…何でも」と曖昧なもの。

 それも数度を超えると、さすがにイルカも腹立たしく感じてきた。

「…最近……俺がどうしたって言うんだ……」

 数日も経つと、次第に奇妙な質問をしてくる人の数は減った。

 だが蓄積していく疑問に肩こりを覚え、イルカは大きな溜息。

 昼休み、アカデミーの屋上で遠方に連なる山脈を眺めて一人、黄昏れる。屋上で昼食をとっている女子生徒達からは、「せんせー、フラれたのー?」とあらぬ詮索の声を掛けられる始末。

「そんな事より、中間試験の結果を心配してろよ」と笑顔で返すものの、苦笑にならざるを得ない。

 昼食を摂る気も起こらず、柵に両腕かけ体重をあずけて遠くを眺める。

 試験シーズンも終わり、一通り、多忙のピークを越したこの最近は、教師にとってぽっかりと空虚の様な体休め期間でもあるのだ。



 …ただ、例外はいくらでもある。



「おお、イルカ先生、こんな所に」

 屋上の扉が忙しなく開かれ、その音にイルカが振りかえると、白高帽に僧のように長い白装束を見にまとった男がそこにいた。任務や祭事、政り事の管理を司る公務員の制服だ。

「何か御用ですか?」

 受付業務に携わっている為に顔馴染みであるその公務員に、イルカは笑みを向けた。

 男は安堵の表情を浮かべて「探していたんですよ」と駆け寄ってくる。

「実はお願いがあって…」

 切りだしにくそうに苦笑する男の手には、小さな巻物が握られていた。

 任務依頼書である。

「どうしても手の空いている戦闘員中忍がいなくて…」

 やむを得ず、専任教師に役目が回ってきた、という訳である。

 他にも専任教師の中忍は居る筈であろうが、顔馴染みとあっては無碍に断るわけにはいかない。

「いいですよ」

 二つ返事で了承する。

 男は途端に顔を明るく輝かせると、「ありがたい」と「悪いのう」を繰り返し、何度も頭を下げてイルカに巻物を手渡すと屋上を去っていった。

 遠撒きに、女子生徒達が珍しそうにそれを眺めていた。



「任務か……久しぶりだな…」

「まあいいか」といつもの口癖を漏らし、イルカは巻物を開く。

 最初に眼に入った文字は、「B級任務」。

「護衛任務……」

 依頼書には他に、依頼人である護衛対象者の名前、行き先、報酬内容が記されている。

 依頼人は、木の葉に商行業で来ていた未苑の国という木の葉の衛星国の一行。商取引の成果を狙う山賊を警戒しての護衛依頼だという。

 とはいえ、日帰りで行ける距離。木の葉の住人であるイルカには、地の利もある。

 最低限の装備を身に、イルカは依頼人が待つ任務受付所に足を運んだ。

 依頼人に対面する前に受付員に手渡されたのが、商人装束の一式。黒装束の忍びを連れて歩いていれば、おのずから賊を招き寄せているも同然だからだ。

「イルカ先生って何でもお似合いですね」

 悪気の無い笑顔で、同僚の受付係はそう言ってのけた。

 額当ては懐に隠し、イルカは代わりに絣布を額に巻く。領、袖口を黒色の布で縁取った深緑のひとえを着、皮帯を腰に巻いて刀を差し、その上に大帯を巻く。

 元来、容貌が地味な部類に入るので、イルカにとって変装は得意分野だった。下忍時代、そう上忍に誉められて複雑な思いをした事を思い出す。

「誉め言葉として受け取りしますよ」

 同僚の言葉とあいまって、イルカは苦笑を漏らた。



 対面した旅の一行は、初老に近い男が二人、若い商人が二人、そして少女が一人の、合計五人だった。

 未苑の国は、絹織物の質に定評がある。この商人達は、そうした織物商品を木の葉でさばいて来た所だという。少女がまとっている青色鮮やかな装束も、その生産品だという。なるほど、美しく彩られた少女を見れば、商品の売れ行きも想像出来る。

 行きには多くの反物を積んでいた荷車も、帰りは金銀を含む褒物の山。反物の場合は材木と紛れさせ、街道沿いに運ぶ事が出来たが、これでは賊に襲ってくれと言わんばかりである。

「来週になれば、数回にわけて木の葉から未苑へ工材運搬が行われます。それに紛らせ、数回に分けてこれらを運んではいかがですか?」

 安全を念に入れ、イルカが提言するが、商人達は

「それが…次の商行の資金繰りが急を要していて…どうしても今日明日中には……」

 と真摯な面持ち。

 これもまた、二つ返事でイルカは出立を決める事になる。

 木の葉から未苑を始めとする各衛星国までは大街道が走っており、そこは商業の路として人通りも盛んだ。森に入る訳でも無し、日中に堂々と賊が襲ってくる事はまず無い。

 今回、中忍一人がこの護衛任務にあてがわれたのも、その理由からだ。









砕壊<さいかい> 中編



 

 街道を歩いて数刻。



 天候が芳しくない。

 頭の真上で、低い雷雲混じりの黒雲が、風の無い空に居座っている。



「一雨来そうですな…」

 と空を見上げてぼやく依頼人である初老の商人、センダンの傍らで、イルカは街道に沿って視線を巡らせていた。

 センダン達は、雨によって褒物や自分自身が濡れる事や、悪天候による遅延を恐れているが、イルカは雨によって人通りが少なくなる事、また、雨を少しでも避ける為に林を通らざるを得なくなる事によって危険性が増す事を危惧していた。

 だが、こういう時に限ってイルカの期待は裏切られるのだ。

 ものの数分もしない内に、夕立のように雨が突如強さを増して降り出したのだ。

「そこの宿場で雨避けをしましょう」

 街道の途中、林の入り口に立てられた比較的大きな宿場を指差す。

 今まで街道を歩いていた旅人や商人達も、一様にそこに駆けこんでいく姿も見られたからだ。

「だが…車は入らんよ」

 他にも荷車を引いている者がいるために、狭い入り口ではセンダン達の荷物までは入りきれない。

「大丈夫です。裏の軒下に置かせてもらいましょう」

「しかし…」

 渋がるセンダンを引っ張り、イルカは車を宿場の裏館の軒下、雨を避ける場所に車を置いた。

 そして懐からくないを三本抜き出すと、車を囲むように地面に刺した。

 当惑する様子でセンダンやその姪である少女、紅絹が見守る中で、イルカは印を結ぶ。

 最後の言霊と同時に白煙が立ち込めると、煙が退いた跡から、車の姿が跡形も無く消えてしまった。

「何を…」と慌てるセンダンに、イルカは笑顔で応える。

「忍術の一種です。ご安心下さい。ここに異空間を作りだし、荷車を他の目に映らないようにしたんですよ。動物の、擬態みたいなものだと思って下さい」

 納得と不理解が半々に共存する面持ちで首を傾げる依頼人達。彼らに向けて、イルカは再度、微笑と共に応えた。

「大丈夫ですよ。雨が上がるまで、宿場で休憩をとらせていただきましょう」

 軒先や宿場の大広間では、多くの旅人や商人達が女将に熱い茶や軽食を振舞ってもらっている。各々、冷えて疲労した体をいたわるように。それを見て、センダン達の表情も和らぐ。濡れた体を拭きながら、先客で混雑する大広間を避け、軒先に向かおうと歩き出した。

「お待ち下さい」

 それを、

 イルカが背後から呼び止める。

「大広間に行きましょう」

 とのイルカの発言に、センダンらは眉をしかめる。

「しかし…あそこは既に人でいっぱいだし…」

 もっともな依頼人の言葉だが、イルカは柔らかい表情のままで首を横に振った。

「万が一の為にも、大広間の方が好都合です」

「…何故だね」

「この様に、天候の不具合によって一箇所に商人や旅人が固まるのは、賊にとってはかっこうの餌食となります。しかし、裏を返せば、我々にとっては格好の隠れ蓑にもなり得るんです」

「…どういう事?」

 紅絹が問う。

「上手く行動すれば、ここに居る全員が、我々の盾となるからですよ」

「………」

「ですから、人数の少ない軒先より、こうした人の多い大広間、そこの四隅を避けた出入り口から見て中央よりやや後方あたりにいるのが、死角になりやすくて助かる確率が多い。もし、我々が目をつけられても…その前に座っている人々を盾に……逃げのびる事は、容易です」

 納得げに肯くセンダン達。だが、その後ろで、紅絹は瞳に影を落とす。

 それに気づき、イルカは言葉を止めた。

 任務における事務的な説明であったとはいえ、配慮が足りなかった自分の失言に後悔する。

「すみません」と頭を下げるイルカに、初老の依頼人は

「言う通りにするよ」と笑んだ。

 尚も当惑気味に目を丸める紅絹に、イルカは再び「気分を害されましたね」と謝罪する。だが、それを否定して紅絹はようやく表情を和らげた。

「違うんです…ただ、ちょっと意外だっただけで……」

「意外?」

 大広間、イルカが示した位置に一団は腰を下ろす。座る位置も、イルカが指定する。

腰を下ろしながら、イルカが紅絹に問い返した。

「ええ…、だって……あ、ごめんなさい、あまり気にしないで下さい」

 言いかけた言葉を飲み込んで、紅絹はそれを誤魔化して笑う。

 立場上、それを執拗に問い掛ける事が出来ないイルカは「そうですか?」とだけ答えて微笑を返す。



イルカは正面入り口を右手斜めに見えるように腰掛けた。そして依頼人達を、正面入り口から見て斜めに横顔が見えるように座らせる。万が一に賊が押し入った場合、あからさまに背を向けるのは彼らの興味を引くだけだからだ。そしてちょうどその死角になる位置に紅絹を座らせた。

間も無く、女将が白湯と粥を運んで来る。

イルカは粥を遠慮し、白湯だけを受け取り、少しずつ口をつける。

湯気の向こうに、大広間の様子が陽炎の様に揺れている。取り越し苦労である事を願いながら、戦う際、逃げる際の方法を考えた。すぐ前方に腰を下ろしている、同じく商人と思われる一行。旅慣れしていないのか、目立つ大きな荷物を抱えたまま、輪を作って談笑している。まず、盾に出来るとしたらこの一行。

「………」

 部屋の中を厳しい眼光で見据えるイルカの様子を、粥を啜りながら紅絹は無言で見守る。

 そんな中、一通りの計算を終えたイルカはふと、小さく溜息をついた。内心で苦笑しながら。

(中忍教師に役目が廻って来るような任務に……まあまず、殺傷沙汰は起きないだろうけどな……)

 さもなければ、戦闘経験の薄い一教師に任務など廻って来るはずは無いのだ。

 だが、教師という職業柄、生徒に教えている以上は自分も理論通りに実践しなければならないような気がしてならない。撮り越し苦労で終わる場合が殆どとはいえ。

しかし、イルカを始めとする教師達は、一見実戦から遠のいている身分上、戦闘員として軽んじられる事しばしだが、戦闘知識、策略知識、生存術知識など、忍びに必要な一通りの術と知を体と頭に叩き込まれているのだ。それはあまりに安売りだと言えよう。



内心、どこかで残念がる自分がいた。

「簡単な任務ばかりでつまんないってばよー」

 と駄々をこねるナルトを、

「任務が無事に、簡単に終わる事に越したことは無いんだ」

 と諭す自分の言葉を思い出す。

(俺はまだまだ…ナルトと同レベルか…)

 自問自答に自ら苦笑する。



 その苦笑も、次の瞬間には掻き消えた。



「……………」

 白湯椀に口をつけたまま、イルカは視線だけで正面入り口を見やった。

 その視線に気付き、紅絹がイルカの目線を追って同じく正面入り口を振り向いた。そこには、廊下の向こうを忙しそうに走っていく女将の影が映るだけ。

「……どうなさった?」

 異変を悟ったセンダン達も、緊張した面持ちで談笑を打ち消し、小声でイルカに問う。

(…………賊………………)

 それには応えず、イルカは白湯椀を静かに盆に置くと、人差し指を唇に押し当てた。

「………」

 沈黙を促すその合図に、紅絹もセンダンらも口をつぐんだ。

 イルカは周囲に気付かれないよう、小声で囁く。

「決して慌てて立ち上がったり、うろたえないで下さい………」

 息を呑み、それに従う依頼人達を前に、一呼吸を継いでイルカは

「殺気を纏った気配が…近づいてきます…」

「賊ですか?」

 イルカの遠まわしな表現に、依頼人は極力小声で、低く、言い換えた。

 頷くイルカ。紅絹の目色が変わった。

 他の若い商人らも、唇を噛んで身じろぎを抑える。

「……野武士…という所でしょう。抜け忍の類では無さそうです……しかし……人数が………」

 荷物の大きさと、相手の人数規模を考えると、直ちにここを立ち去って行くのは困難だ。

 しかも、外は悪天候。いくらも行かない内に追いつかれて標的にされてしまうだろう。

「……」

 イルカは懐から小指先ほどの大きさの小袋を取り出すと、それを握りつぶした。

 中に封じ込められていた微細な粉末が、空気にのって大部屋中に流れる。

 忍びの嗅覚にしか感じ取れない、微小な香りが一瞬、漂う。

 もう一度、部屋中を見渡し、イルカは溜息を軽くついた。

(忍びは俺一人か……)

 町人などに変装して任務を行う際、その場に同郷の忍、または友好関係にある里の忍が同じく紛れていないかどうか暗に確かめる方法がいくつか存在する。

 合言葉や、印、笛など。

 今イルカが使った香袋も、その手段の一つだ。

 反応が何も無いところを見ると、共に戦える忍は存在しないようだった。

(………戦うか………?)

 気配の近づき方から、敵は忍術を使う輩では無い。城抜け、または落ち武者の成り果てである野武士か野ぶせりか……。

(相手が忍者でなければ、勝ち目はあるな……)

 近づいていた気配が、動きを止めた。

 恐らく、街道沿いに立つこの宿場を、林の中から眺めて襲撃の機会を見計らっているのだろう。

 忍びで無いとはいえ、敵は戦い慣れている。

 ここでイルカがむやみに何かを仕掛けようと動けば、それと気配を察せられてしまう。

 イルカは息を細め、背中で感じられる気配を読みつづける。

(人数は…五…八……十…十五人か………)

 最後に、イルカは緊張を帯びた厳しい口調で、依頼人達に宣告した。



「いいですか…?決して、慌てないで下さい。動かないように……」



「……っ…」

 それに依頼人らが頷き終わらない内に、



「!」

「きゃああっ!」



 至近距離で爆音が轟いた。



 弾けるように腰を浮かして立ち上がる人々。

 その中で、イルカ達だけが、腰を下ろしたままだった。

 甲高い女の悲鳴と共に、

 大広間の襖が蹴倒された。

 侵入者の姿が現れる前に、長い刃が一閃。

「いやああああっ!」

 それと同時に、襖付近にいた数人の旅人が、血液を噴出して真っ二つに斬れ、その場に崩れ落ちた。

「ひっ!」

 喉の奥で悲鳴を上げた紅絹が、隣に座る若い承認の袖を掴んだ。

 紅絹は健気にも、大声を上げかけたところを懸命に押し殺した。

「……」

 それにしても…とイルカは胸内で呟く。

 大ぶりの刀が入り口の襖を雑断すると、そこから雪崩れ込むように男達が押し入ってきた。

 大広間に悲鳴が次々と上がる。

 それを楽しむ面持ちで、先頭に立つ男が、血にまみれた「何か」を人々の前にかざした。

「……女将ッ…!」

 素人である人間の目にも、それが変わり果てた女将の姿であると、すぐに気がついた。

 恐怖の叫声が再び上がる。

 襖の向こうに見える宿場の軒先には、すでに屍と化した人影がいくつか見える。



 見せしめだ。



「こうなりたくなかったら…大人しく荷物を渡すんだな……」

 ごとり、と音を立てて、男の手から女将の体が床に落ちた。水を含んだ袋が破けたかの如く、そこから溢れる赤い液体。

 それがますます、人々の恐怖を誘う。

(………野武士か……)

 いかにも人を殺し慣れたその仕業を、イルカは細かく観察する。

(…画策も何もあったものじゃない……こりゃ…荷物を奪ったとたんに皆殺しにされるな………)

 イルカは聞こえない舌打ちを口内で噛み潰す。

 そして、

 出したくなかった最悪の「答」を、



 イルカは出さざるを得なかった。





 割り切るんだ…



 これは、





 「任務」だ…





 今の自分がやるべき事はただ一つ。





 依頼人「だけ」を守れば良いのだ。





(「依頼人の護衛」を完遂するには……ここにいる人々を盾にすれば………)



 忍びならば当然の様に出す答えだ。

 どう計算しようとも、自分一人である限り、それ以外に道は無い。



 敵が依頼人達に近づかない内に、大広間入り口と軒先に固まっている敵に向かってイルカが攻撃を仕掛ければ、人の盾によって依頼人が死傷する確率はきわめて低くなる。



 それはつまり、



 今だ。



 大広間入り口で怒鳴り散らしている敵から死角になる様に、イルカは懐からくないを抜いた。

 依頼人であるセンダンや紅絹達が、はっと目の色を変えた。

 イルカは小声で、唇を分かり易くゆっくり動かして、一言ずつ、告げる。

「ここを、絶対に、動かないで下さい……」

 血の気が引いた面持ちで依頼人達が頷くのを見守ると、イルカは目を細めて微笑んだ。



 紅絹の目にイルカの笑みが映った次の瞬間…



「っふ…!」

 体を翻して振り向くと、イルカは低い姿勢からくないを二本、大広間入り口に向けて投げつけた。

「ぐふっ!」

 詰まった声を漏らして、首筋にくないが突き立った敵の体が二つ、ゆらりと揺れた。

 その体が床に倒れ落ちぬ内に、イルカは腰から刀を抜き出すと、低い姿勢のまま駆け出した。

 倒れ行く男の体が死角となり、その背後にて武器を構える敵の反応が僅かに遅れる。

「な…!」

 倒れかけた二つの体の間から突如現れた黒髪の男の影に、野武士達は引きつった悲鳴を漏らした。咄嗟に突き出した大長刀を振るう。

 金属がぶつかり合う耳障りな音が響く。

「何だこいつ!」

 大長刀を持つ手の懐にもぐりこんだイルカの体。

 次の瞬間には、イルカの刀が大長刀を握る野武士の両腕を切り落としていた。

 切り口から血を噴出して絶叫する男の長刀を奪い、そのまま膝をおる男の胸元にむけて一直線に突き刺した。

 心臓を突抜かれた男は、床に縫い付けられる体勢でそのまま即死。

「小癪な!」

 軒先から大広間に駆けつけてきた五人は、出入り口に立ちふさがる。

 その更に背後には、軒先を固めるように数人が二重になって取り囲んでいる。

 イルカの動きが止まった。



(何とかしてあの中に潜り込んで外に出られれば……)



「……」

 野武士の一人が、宿場の主人だろうか、初老の男を後ろ手に捕まえていたのだ。

 人質だとでも言うのだろうか。

「……」

 野武士に腕を捕まれた男は、すがるようにイルカに視線を向けてくる。

 イルカは下唇を噛んだ。





イルカ先生

割り切ったほうが、楽ですよ……





「……っ!」

 突然脳裏に響いた声に、反射的に手が動いた。

 懐からくないを抜き、加減せずに人質を抱えた野武士に投げつける。

「が!」

 くないは人質の首筋を掠めて野武士の喉元に命中した。

「おのれ!」

「こいつ…っ!」

 崩れ落ちる男めがけてイルカは再び低い体勢で駆け出した。

イルカを狙った刃が襲い掛かる。それを誘い込むように、イルカは悲鳴も上げられずに竦む宿場主人の背後に回った。

「っ!」



 「ヒッ!!」



 鳥が首を絞められた様な断末魔と共に、宿主人は串刺しとなり絶命した。

 主人を盾に、その背後から落ちていた刀を拾い上げ、イルカは再び野武士に向かって身を躍らせる。

「ぐあっ!」

 老人に刃を突き立てた野武士の首を打ち落とす。

 大広間中から、また悲鳴が上がった。

 手と頬に返り血を浴びたイルカはその場に着地。

 間をとって当惑の表情を浮かべる野武士らに向き合って、ゆっくりと立ち上がった。

「っ…はぁ…はぁ…」

 僅かに、息が上がっている。

 イルカの見据えた目を受け、歯軋りと共に、野武士が吐き捨てた。

「人質を見殺しにするとはな……!」

「商人を装った武士かと思えば……貴様……」

 死体に突き立つくない。

 そして、明らかに武道、武家徳から逸脱した戦い方。

「忍びか……!」

 「任務」のみに忠実であり、その時請け負っている任務遂行のためならば、昨日までの友も、今日の敵とみなす機械人形。

 武人らの間では、「忍び」はそううたわれていた。

 弾かれるように顔を上げた野武士の一人が、背後から叫ぶ。

「偽装した忍びなら…ここのどこかに『主人』又は『依頼人』がいるはずだ!」

 その言葉に、イルカは野武士らに向けていた視線を、ちらりと大広間の左隅に一瞬、動かした。

「そいつらか!」

 イルカの視線に、二人の野武士が大広間の左隅に固まっていた旅人一向を振り替える。

 肩をびくつかせ、「ひっ」と声を上げる旅人達。

 そこに向けて刀を突き出そうとする野武士。

 だが、それより早く、

「っ!」

 イルカがくないを旅人に向けて投げつけた。

「が…っ!」

 旅人の一人が絶叫。

「何…」

 一瞬怯みをみせた野武士の動き。イルカはその隙に距離を縮め、野武士刀を叩き落とした。

 そして再び、首が落ちる。

「卑劣な…っ!」

 咄嗟に、野武士が小刀をイルカに投げつけた。

 イルカが首一つの動きでそれを避けると、流れ弾となったくないは、イルカのすぐ背後にいた旅人に突き刺さる。

 そのすぐ奥にいた依頼人達は、無傷。

 正に、「人間の盾」だった。





 割り切った方が楽ですよ





(五月蝿い)





 ねえ、イルカ先生…





「五月蝿い…っ!」









 額から鼻筋に伝わってくる生暖かい感触に、イルカは我に返った。



「………っは……」



 指先で鼻の頭をなぞる。

 血だった。

 血の筋をたどって額に触れてみる。

 傷は無い。

「返り血……」

 足元を見れば、野武士の首。

 そして目の前には、首の無い体。

「う…わっ!」

 イルカに向かって崩れかかる、大柄な体躯。

 咄嗟に後ろに飛びのこうとするが、脱力しきった両脚が言う事をきいてくれない。

 首の無い体を抱くようにして、イルカは床に崩れ倒れた。

「しまっ……」

 無我夢中で床に落ちているくないを手にとり、下敷きになったまま宙に向けて構える。

 だが、

 襲い掛かってくる気配はない。

「……?」

 床に倒れたまま辺りを見渡せば、イルカを取り囲むようにして倒れる幾つもの死体。

 野武士のものだけではなく、旅装束のものまで。

 畳は血を吸って変色しており、何やら焼け焦げた臭いまでしてくる。

「大丈夫ですか…っ」

 少女の声に首を返せば、

「……」

 駆け寄ってくる紅絹の足が視界に入った。

「…終わったんですか……もしかして」

 両手両足を畳に投げ出したまま、イルカは紅絹に向けて呟いた。

「…え?」

 水溜りを覗き込むように上からイルカを見下ろす紅絹の瞳。

 戸惑いを見せていたその表情に、笑みが浮かんだ。

「…終わりました……」

「…………」

 センダンらに助けられ、死体の下から起き上がると、イルカは床に腰を下ろしたまま、周囲を見渡した。



 部屋の隅では、生き残った旅人達が身を寄せ合って震えていた。

 顔を血でぬらすイルカに、戦慄と恐怖をたたえた瞳を向ける。

「よっ……と……」

 イルカが立ち上がると、一様に肩をびくつかせる。

「……」

 溜息を飲み込んで、イルカは彼らに背を向けた。

「大丈夫かい」

 と紅絹の後ろから駆け寄ってくるセンダン。

 「依頼人」は、いずれも無傷だった。ただ、いずれも浮かぬ複雑な面持ちであるのは仕方が無い事かもしれない。

 気を使ってか、紅絹が手拭をイルカに手渡そうとする。それを遮って、

「……一人足りませんね…………」

 とぼんやりとイルカが呟いた。

 視線は、紅に染まる大広間の床。

「え?」

「野武士の死体………」

「…逃げて行きましたけれど……」

 と紅絹が指差す方向は、軒先から街道に出た向かいの林。

 雨は上がっていた。

「………」

 イルカは己の迂闊さを内心で罵る。

 いつ逃がしてしまったのか、皆目覚えていない。

 戦いの途中、完全に意識が飛んでいた。

 見れば外の天気は回復している。あれほどの大降りがいつの間に…。

「…はぁ……」

 肩で大きく溜息をつく。

 だが、すぐに決心してイルカは顔を上げた。



「すぐに出ましょう」



「仲間を連れ戻って来る前に……彼らは腐っても「武士」です。殺られた仲間の仇は許す筈がない……」













 血で汚れた商人装束を宿場の竈に放り込んで焼き捨て、イルカはやむを得ず、黒の上下のみで残りの任務にあたる事にした。

 いわゆる、木の葉忍者の制服で、防弾上着を取った状態である。

 体を洗っている時間も惜しい。

 全身にさびの臭いを残したまま、イルカは荷車を裏から引っ張り出してくる。

 いそいそと身支度して旅立とうとするイルカ達の様子を、大広間の惨状にいまだ腰を抜かしたままの旅人達は、ただ眺めているだけ。

「イルカさん?」

 軒先から踵を返して再び大広間に入っていくイルカの後を、紅絹が追った。

 部屋の隅でかたまっている旅人達の前に歩み寄ると、イルカは肩膝を着く。

 獣か魔物か鬼を見るような怯えた目で、旅人は息を止める。

「もし、彼らが戻ってきたら……」

 伏せた視線の下から、イルカが静かに、ゆっくりと言う。

「この野武士を殺した輩は街道で東に向かった…と仰ってください」

 これで、もし野武士が仲間を連れ戻っても、残った人々が殺される可能性は減る。

 広い街道に出てしまえばまだ、戦い易いというところだ。

「う…ああ…」

 言葉にならない声で、旅人達は何度も頷き繰り返した。

 彼らを残し、イルカ、センダン達は荷車を引いて再び、晴れ始めた街道を歩き出した。



 交わす言葉は、極力少ない。

 いずれもが、焦燥の色を顔全体に浮かべ、これから死刑台にでも向かうような重苦しい空気を背負っていた。

 誰もイルカを否定、批判しない。雇っている忍びが命令どおりに事を進行させているのだ。依頼人側とすれば、何の文句がつけられようか。

 未ださびの臭いを撒き散らす黒髪の中忍を時折横目で一瞥し、センダンら未苑の商人らは、ただまっすぐにどこまでも伸びる街道の先と向かい合っていた。



 そして一刻も歩かない頃……、静かにイルカの足が止まった。



「やっぱり来ましたね……」



「……さっきの野武士ですか……?」

 紅絹が肩越しに後ろを振り返る。

 長い一本の街道。右側は林、そして左側は茶店や小さな宿場がぽつりと並んでいた。

 街道の向こうから、野武士の姿は見えない。

「林の方から、こちらを窺っています……人数は、先ほどより少ない様ですが…」

 靴の止め具を直すため、イルカはその場に足を止めた。そして静かに呟く。

「…腕は段違いの様ですね………」

「………」

 目を見開きつばを飲み込むセンダンら。

「…お、親方……」

 弟子だという若い商人が、焦燥した様子でセンダンを呼ぶ。

 振り返ると、林の陰から街道に降り立ち姿を現した、数人の野武士達。

 この距離。荷車を引いていては、逃げ切れるものではない。

「大丈夫ですよ」と微笑んで、イルカはその場から立ち上がる。

 足を完全に止めたイルカ一行に、野武士らも足を止めた。先頭に立つ体躯の良い男が、イルカに下卑た笑みを向ける。

 野武士とはいえ、身なりは旅武人に見えない事もない。街道を通り行く人々は、そこに生まれている殺気と緊張に気付かず、イルカらの傍を通り過ぎ、また、野武士らの脇も通り過ぎていく。

 その静けさが、逆に紅絹には突き刺さるように感じる。

 荷車に積んであった刀を手に、イルカは野武士に向かい合った。刀は鞘に収まったまま。

 並ぶ野武士の面々。

(居合が二人…両刀が一人……長刀が一人……そして大鉈…あとは打刀……)

「離れていて下さい。そうですね…そこの宿場に入っていて下さい」

 荷車を後ろ手で軽く押し、イルカはセンダンらにそう促す。

「わ、分かった…」と荷車をゴトゴトと押し、センダンと弟子達は宿場の軒先へと逃げていく。

「気をつけて下さいね!」と言い残す紅絹の袖を引っ張って。



「……」

 腰に差してあるくないの数を確かめる。

 生憎と火薬類は何も持参していなかったが、イルカは気にしなかった。

 このように開けた場所ならば、忍術も使い様があるだろうからだ。

(なるべく宿場から離れた方が良いな……)

 イルカは歩を進める。

 それと同時に、こちらに近寄ってくる野武士らの足が速まった。

「来る……」

 刀を小脇にはさみ、イルカは印を結んだ。

 火遁の一つも発動させ、運よくかかってくれれば良し、避けられても目潰し代わりになり、林に身を隠すなどして奇襲を狙える。

「…なんだ?」

「決闘…」

 と流石に異変に気がつき始めた街道の人々がざわめき初めて足を止める。

 それを気にとめず、イルカは呪言をつむぐ。

「火遁……っ!!」



 だが、その言葉が途切れる。



「駄目よっ!!」

 甲高い女の声と同時に、襲撃をかけてくる野武士達の前に鞠が転がる。

 それを追って、茶屋から幼い少女が駆け出してきた。

「!」

 印を解き、イルカは走り出す。

「邪魔だっ」と低く短い怒声とともに、野武士の刃が日の光を受けて輝く。

 ようやく鞠を捕まえた童女がふと顔を上げれば、すぐそこに死が肉薄していた。

「っ!イル……っ!!」

 宿場から、紅絹の切り裂かれるような短い叫びが聞こえた。







 割り切った方が



楽ですよ







童女に向かって手を伸ばすイルカの脳裏に、五月蝿くその言葉が早鐘の様に轟いていた。







「う…るさい…っ!」

 血を吐くような、喉から搾り出されたイルカの声。







 イルカ先生は、本当に子供が好きですね







「っ!!」





 網膜に残る、銀の記憶。



 野武士の刃が童女を切り裂く前に、イルカの両腕がその体を奪い取るように抱きしめた。



 

 銀色の記憶とかぶさって、そこに迸ったのは、





 赤。





「……――ッ!!!」



 紅絹の叫びが、その瞬間に聞こえた。












砕壊<さいかい> 後編





 びしゃん…



 と水分を含んだ音をたてて、鞠が少女の手から転がった。

 白い絹糸で綾られていた手まりは、芯まで紅色を含んでいた。

「う…ぁ・・…・?」

 泥にぬかった地面に突然押し倒された形になった童女。その上に覆い被さる男の体。

 顔を上げて、童女は悲鳴を凍らせた。

「ぁあ…ふ…ぁ……っ」

 童女の頬を掠めて地面に突き刺さる刃が、上に覆い被さる男の体を貫通していると気付いてしまった。

 白銀の刃を、血が伝って少女をも汚していく。

 童女はすがるように鞠に手を伸ばすが、その濡れた感触と生暖かさに「ヒッ」と悲鳴をこぼす。

 すぐ上にある黒髪の男の口から、ごぼっ…という音と共に血が溢れ出してくる。



 両手、両膝を地面につき、低く四つん這いになった体の下に童女を庇った姿勢のイルカ。

 その背中、左肩に近い部位には、雨上がりの日を受けて輝く白銀の刃が突き立っていた。その刃先は、地にも深く根を下ろすように突き刺さっている。



 イルカの背中の上で、嘲笑いが降って来た。

「おやおや…これはどうしたことだ?」

「人質の命などモノともしない冷酷無比な忍…ではなかったのか?」

 突きたてた刀の柄を握る、胸当を着けた男が肩の向こうで当惑の面持ちで立つ男を振り向く。

 恐らく、宿場から逃げ帰ってきた者だろう。

「いや…先程は確かに……」

「女子供には甘い…ってやつか?ふ…定石だな…」

 煩い笑い声が頭上から降り注ぐ。

 背中を貫通した刀は、柄を握る男の手で抑えられ、微塵も動かない。

身動きがとれない自分の体の下で震える童女。「大丈夫」という言葉も、最早口から出てこない。言ったところで説得力のかけらも無い。



イルカは、ただ必死に考えていた。



どうする…

どうすれば…この子を救い、こいつらを……



「さっきは宿場で、仲間を随分と殺ってくれた様だな」

「っう……!」

 体の中で刃が蠢く感覚に、イルカは噛んだ唇から噛み潰した悲鳴を漏らした。

 刃一本でその場の全てを支配する男が、柄を握りこんだまま天啓を下すかの言葉を放つ。

 その視線を、足元のイルカから、宿場の陰でこちらを窺う少女に向けて…-



「あれが、お前の依頼人か…?」



「!」



「っい…」

 泥に横たわる童女が、目を見開くイルカの厳しい面持ちに、肩を震わせた。

 そして、イルカの口から、

「っあああ!」

 短い咆哮。

「!」

 肩から生えるようにして地面に突き刺さる白刃を両手で握ると、イルカは片膝をたてて勢いに任せて上半身を起こした。

 男の手から、柄が離れる。

 地面から刃が抜けたと同時に、イルカは片手で童女を掴むと、空いた手で血に濡れそぼった手まりを掴み取り、男の顔面に投げつけた。

 血が飛び散って、辺りを一瞬、目くらます。

「何っ!」

 肩に刃を突き立てたまま、子供を抱えてその場から駆け出すイルカ。

 目を襲った血を袖で拭うと、野武士の一人がイルカの背中にむけて刀を一閃させた。

「やっ…!」

 紅絹の短い悲鳴。

 刃が描いた光の筋は、イルカの背中を両断。

「やったか!」

 子供を抱えたその背中が、緩慢な動きで地面に崩れ落ちていく。

 だが、地面に落ちる直前、その姿は一陣の煙と共に、刀を突き立てた木片に姿を変えていた。

「変わり身の術っ!!」

 初めて目の当たりにする忍術に、野武士らは息を殺した。足元、左右、前後をせわしなく見渡すが、

 宿場にも、童女の母親の方にも、元来た街道にも、林の方にも、背後にも…



 黒髪の忍の姿は無い。



「どこに行った!?」



 突然、童女の泣き声。

 そして血の雨。

「!?」

 それは、頭上から聞こえてきた。

 上だ、と叫ぶより早く反射的に空を仰ぐと、そこには太陽を背にして飛びかかってくる影。

 刀を逆さに構えた影。

「上…っ」

 野武士が口を叫ぶ形に開いた瞬間、そこに刀が突き立てられた。刀は喉を突き破り、まるで野武士は魚のごとく一本の長刀に貫かれていた。

 子供を片腕に抱いたまま、イルカはその場に手をつき着地した。

「っぐ……」

 左肩の痛みに眉目を歪め、息をつく。

 長刀に縦に貫かれた野武士は、何度も体を激しく痙攣させて体中から血を噴き出していた。

 その光景に刹那怯んだ野武士らを尻目に、イルカはその場から後方に飛び退くと、宿場に向かってセンダンの名を呼んだ。

「…え」

 私かい?と弾かれるように、センダンが宿場から恐る恐る歩を踏み出す。イルカは童女を地面に下ろすと、その傍らに腰を落として耳元に囁いた。

「さ、あのおじさんの所まで走るんだ」

 軽く背中を押してやると、童女はつんのめったような足取りでイルカから離れていく。そして、転げ落ちるようにしてセンダンの懐にその体が収まった。

 赤く濡れて汚れた童女の体を、まるで壊れ物を扱うように抱くと、センダンは一目散にその場から宿場に向かって駆け出した。

 それを背中で見送り、イルカは野武士らに向き合う。

 ようやく痙攣がおさまり、硬直した野武士の死体を囲むように、残った野武士らは半ば呆然とようやくイルカに向き直った。刀は野武士の死体にくれてやったままだ。くないを両手に握る。

「おのれ…忍びめ……」

 次々と武器を構える野武士ら。

 間をとって牽制した姿勢のまま、しばし竜虎の如くにらみ合う。

(痛ぇな…畜生………)

 精一杯の眼光を敵に向けるが、肩の痛みに気を飛ばしそうになるのを、イルカは何とか堪えていた。

 わざと強がりを口走って、気を紛らそうとする。



 ―やっぱり痛いですか?



「!?」

 突然、脳裏に蘇った、声。

 先程、戦いの最中にも胸底から湧きあがって来た、痛みのような、声。



 ―綺麗な血…ですね、先生



 ―俺とは違う……



「五月蝿い…っ!」

 声を断ち切ろうと、イルカはくないを握った右手を前方に突き出し、刃を野武士らに向けた。



 お前は誰だ……!



 壊れたからくりのように、脳裏を回りつづける、闇の声。そして胸を抉るような言葉。

「五月蝿い…」

 振り切るように、イルカは顔を振る。

 そして再び野武士を見据え、低く呟いた。





「…………殺す」























 いつ頃から記憶が途切れたか、それさえ記憶に残っていない。

 ふと我に返れば、泥にまみれて街道の真中で大の字になっていた。

 雲が晴れ、青空が視界を埋めていた。

「……っはぁ……は…っ」

 体がこのまま泥の中に沈んでいく様に、重く、硬い。

 体全体で荒い息をつく。口元で泥と血と唾液が混じりあい、それが実に胸くそ悪く吐き気がこみ上げる。

 わずかに左肩を動かしてみると、そこから稲妻が全身に走るように痛みが駆け抜けた。

「……っ」

 疲労を押しのけて上半身を起こすと、ようやく周囲の様子が視界に入ってきた。

 イルカと並んで横たわっていたのは、首や手足の無い野武士の遺骸。それらが、まるでガラクタのように泥と血の水溜りに浸かっていた。

 イルカの右手には、小刀が強く握られたまま、筋肉が硬直していた。同じく左手にはくない。

 息を切らしながらその場に立ち上がれば、遠目から眺めていた野次馬達が一斉に肩を震わせる。辺りに視線を巡らせば、誰もが顔を逸らす。

 そして背後の宿場からは、センダンが童女を腕に抱いたまま立ち尽くしていた。

 広範囲に飛び散った血や贓物。

 手に手ぬぐいを持った紅絹が、宿場の入り口でイルカの様子を窺っていた。

「…………苦…」

 口の中に溜まった血反吐を吐き出し、イルカは宿場に向かって足を一歩、進めた。

 両頬をぬらす血を袖で拭いつつ、遺骸を踏み分ける。

 宿場の前に屯っていた旅人ら野次馬達が、路をあけて逃げていく。

「…………」

 センダンの後ろに控えていた依頼人の商人達も、近づいてくるイルカの姿に顔色を悪くしている。

「大丈夫ですか…」

 手ぬぐいを手渡しながら、紅絹が下からイルカを見上げる形で問う。

 すみません、と苦笑してそれを受け取る。顔を拭きながら、今まで自らが戦ってきた戦場を見渡す。

(俺…どうやって戦ったんだろう…………)

 縦に串刺しになっている死体。

 林の入り口で体を両断されている死体。

 街路の真中で両手を失い心臓を貫かれた死体。

 自分が倒していった野武士を順に数え上げていく。

 数人までは数えられたが、残りの二、三人をどう殺したか覚えていない。

(またか……)

 いつもこうだ。

 生死が懸かった戦闘をすると、途中で記憶が途切れることが多々ある。

 最初にこの癖に気がついたのは割と早期で、下忍時代だった。

(毎度、よく生き残るもんだ……)

 幼稚な冗談に笑うようにイルカが口元を苦笑の形に歪めると、その傍で紅絹が目元に影を落とすのが分かった。

「……」

 苦笑を飲み込んで、イルカは小さく溜息をついた。

 顔を拭った布巾は、絞れそうなほどに赤く濡れそぼっている。

 それを紅絹に返すのも躊躇われ、手の中に握り隠し、イルカはセンダン達を振り返った。

 アカデミーの受付で見せるような、笑みをたたえて。



「…行きましょうか……」



 センダンの腕から、童女が逃げ出すように母親の元に駆け出していった。













 街道から更に丸一日かかってセンダンらを未苑の国に送り届け、そこでイルカの任務は終了した。

「休んでいってください」

 という紅絹の進言を丁寧に断り、イルカはその足で木の葉に向かって歩き出していた。

 この時点で既に、帰還期限が過ぎていた。

 事が事であった為に街道をはずれて森を通っている事、そして肩の傷が遅延の原因だった。

「っくしょー……痛ってぇな………」

 愚痴を噛み潰したイルカの声。つい、ナルトを叱る時に出る乱雑な言葉が出てくる。

 沈みかけた陽光が、枝葉の間からちらほらと漏れてくる。

大木に凭れ、イルカは腰を下ろした。その額から、汗が滴となって落ちて鼻筋を通っていった。

 戦いの後、忍用の特殊な鎮痛剤を打ったが、その効き目も薄れつつある。肩の傷から体中に水が染み込むように痛みが疼いて広がる。

 歩いては休み、歩いては休みを繰り返すうち、時間だけが刻々と過ぎていく。

「……まあいいか……授業再開は三日後だし…」

 それまでには戻れるだろう。伝言・伝書鳥を利用し、救援の要請、連絡などは容易だが、それをするまでも無い。

 そう決め込んで、イルカはしばしそこで腰を下ろしたまま息をついた。

 左肩を見れば、血止めの為に巻いていたさらしが解けかけている。まだ出血は止まっておらず、緩んださらしの下で、呼吸の度に脈を打って血が流れ出す。

「っく…」

片端を口でくわえ、左右に引いて結び直す。

結び目の下で、傷が疼いた。

「今日は野宿か……」

 火を起こす気力も起こらず、傷もそのままにイルカは大木に背を預けて体を沈めた。



 夏だというのに、寒い。

 イルカは肩を震わせた。

 それが多量の出血の所為である事は分かる。だが、だからどうしようという気が起こらない。

 傾きかけていた日は、あっという間に沈んでしまい、深い森はことさら闇が濃い。

 湿る夏の夜、夜霧が漂う。

「………」

 まどろみかけた意識が急浮上する。

「……?」

 遠耳で響き渡る梟の声に混ざり、夏虫の音。

 無事な右手で体を支え、上半身を起こす。

 何か気配を感じて暗闇に目を凝らす。

 賊か、獣か…それとも夜風独特の全身に纏わりつくような空気の所為か。分かりかねた。

 何も襲い掛かってくる気配も殺気もない。

(怪我のせいで弱気になってるんだな……)

 もはや痛みも麻痺して感じなくなった肩からは、未だに新しい血が滲んでいた。

 苦笑も夜風に流れていく。

 そのまま意識も、再び夜気に溶けて沈んでいった。



 せめて夜が明けるまで……

 このままどこまでも沈んでいきたい。











砕壊 <最終編>





「イルカ先生がいないんだってばよ!」

 と太陽が真上に昇った昼間に火影邸に駆け込んだのは、黄色い頭の少年。

「またか」という面持ちで火影は筆を片手に、振り返った。

「お前か。任務はどうしたんじゃ」

「昨日、今日と祝日で休みだってば。それでイルカ先生ん家に行ったんだけど…いないんだってば」

「……」

 イルカが任務に出ている事を聞き及んでいた火影は、煙管を噛んで口元で揺らした。

「イルカがそんなに暇人だと思ったら大間違いじゃぞ」

「だって…それでも二日も…」

 学校帰り、任務帰りにイルカに会いたいと思えば、いつでも扉の向こうから出迎えてくれた笑顔が、無いのだ。

 それが、著しい不安を誘う。

「あまり心配するでない。お前もイルカもどっこいどっこいじゃの」

 火影は呆れたと言う仕草で溜息をナルトに向ける。

 下忍なりたてのナルトを心配してわざわざ自分を食堂に呼び出したイルカを、思い出す。

「任務に出てんの?イルカ先生」

 書き物をする火影の机に身を乗り出して、ナルトは火影に詰め寄った。

 それを無視するように、書き物に視線を落としたまま火影は筆を動かす。

「…教師に任務が廻る事は稀でない。あやつも一応、忍びじゃからの」

「……で、任務から帰って来る予定の日は、今日?明日?」

「ワシが知るかい」

 即答。

 書き物をする手の動きにも、嘘を示す兆候は見られない。

「ちぇー」と頬を膨らませて唇を尖らせて、ナルトは火影邸を去っていった。

 静けさを取り戻した火影実務室。

 手を止め、硯に筆を置く。

「やれやれ」と独言と共に溜息をついた。



「帰還予定日から二日が過ぎているなどと…誰が言えるかの………」



 イルカからの音沙汰は、全く無い。













 森を抜け、山を越え、そして最後の渓谷を歩く。

 ここを抜ければ、里へと続く街道にぶつかる。



 上った朝陽は、すでに峰影に隠れて沈もうとしていた。一面の、夕暮れ空。

 そして訪れる逢魔ヶ刻。

「…明日の昼には帰れるな……」

 河岸に出くわし、手ごろな岩を見つけてイルカはそこに腰を下ろした。

 そこだけ、木々の群れが途切れ、切り取ったような空が仰ぐ事が出来る。ここならば、周囲が見渡せる。イルカはここを、最後の野宿場に決めた。

「………?」

 安堵の深呼吸もつかの間、木霊してくる獣の遠吠えに、イルカは宙を仰いだ。

(…遠いな………)

 薪を集め、火を起こす。

 炊事をする気は起こらない。携帯の保存乾し肉を齧って焚き火を夜灯りにして、大岩に体を預けた。

 昼は太陽の光で焼けていただろう岩も、次第に濃く立ち込めてくる夜霧に冷やされて今は硬く、冷たい。

 遠吠えと焚き火の弾ける音を子守唄に、イルカの意識は闇と共に深く、沈んでいった。





 ザワ………





「っ!!」



 突然の胸騒ぎに、

 イルカは急激な覚醒と共に体をはじけ起こした。

「つ…」

 その反動で肩が疼いた。



 辺りは闇。

 焚き火は、燻る音を立てていた。火は消えている。

 白煙が漆黒の空高く、どこまでも上って漂っていた。それを目で追う。

「…………」



 アオオオオオオオーーーーーーーーーーン



「!」

 遠吠え。



 近い。



「………」

 息を殺し、イルカは周囲の気配に全神経を向けた。

 枕元に置いてあったくないを、握り締める。

 

 グルウウウウルルルル… グルウウルル………

 

 低く、威嚇する獣の唸声が、始めは一つ。それを追うようにして二つ、三つ…と、次々と重なり合う。

「……何……っ!?」

 川を背に、背を低く構えるイルカ。

 それを中心にして円を描くように、光る幾つもの眼が現れた。

 イルカが目覚める前から既に、取り囲まれていたのだ。

「……ただの狼じゃねえな………」

 野生の獣の気配を読む事は、忍びにとっては容易い事だ。それに気付かず寝過ごすなど、ありえない。

 余程に訓練を受けた軍事用の獣でない限り……。

 幾何学的な隊列を崩さず標的を囲む狼ら。

 低い姿勢から、イルカは河岸の石を片手に握り取ると、弧を描くように腕を振る。

「ギャンッ!」

 石礫が二匹の顔面を襲った。両手を上げ、後ろに飛び退くようにして二匹が顔を背ける。両側の数匹が刹那、怯んで姿勢を乱す。

「崩れろ…っ!」

 そこにイルカがくないをかまえて飛び込んだ。

 僅かに反応が遅れた三匹を飛び込みざまに切りつけ、輪の中心から逃げ出すように飛び出した。

 すかさず振り返り、今度は川を背にして隊列を作るように並ぶ狼らの光る目と対峙する。隊列が崩れた狼たちは、水際でイルカを見据えてウロウロ。それでも、飛び掛る機会を伺っていた。

 だが、まるで号令が掛けられたかの様に、びくりと体を僅かに震わせたかと思うと獣たちは、再び隊列を成しはじめた。操られるように獣らの足が、規則正しい隊形を作っていく。

「……?」

 まさかと思い、イルカは耳元に神経を集めた。

「!」

 音は聞こえないが、鼓膜が空気の僅かな、微々たる振動を感じ取った。



 間違いなく、犬笛である。



「お前ら…軍用犬か……っ!?」

 獣たちに向けて噛み潰した声を吐き出す。そして、くないを構え直した。

(…どこから送り込まれた……?山賊や野武士と軍用犬なんて聞いたこと無いしな……)

 この狼らを操る者の気配と姿を懸命に探して、イルカは八方に神経を巡らせる。

 だがその正体を探し当てる前に、先陣を切った一匹が地を蹴って宙からイルカに襲い掛かった。

「っふ!」

 白毛の腹にくないを投げつける。

 短く甲高い叫びを残し、体を大きく反らせて狼は地に落ちた。それを合図にしたかのように、今度は一斉に動き出す獣たち。

 イルカは、一直線に向かってくる狼たちに向けて、素早く印を切った。

短い印で発動する、形は単純だが威力の強い火遁術である。

「火遁 烈火焦の術!」

 末広がりに燃え拡がる炎の帯が、獣たちの影を包み込む。

 幾匹かはその中で断末魔と共に身を焦がして地に落ちる。

だがその屍を超え、残った狼らは、一際体の大きい頭を中央に三角陣を描いて炎幕を突き破り、イルカに襲い掛かって来た。

「しぶとい…っ」

 拳を握った右手の手首に左手を添え、束の間に口の中で言霊を口走る。

 口を全開に牙を剥き出して飛び掛る中央の狼。

その口内に向け、イルカは左足を踏み込むと同時に拳を突き出した。

「ギャイッ!」

 形容し難い奇声を上げ、狼は息を詰まらせた。口内に押し込まれたイルカの手を噛み砕かんと顎を閉じる。

「ぐっ…」

 手首、掌に牙が食い込みイルカは苦痛の呻声を漏らした。だが、左手で右手首を掴んだまま、尚も手を狼の口内奥深くへと押し込む。

 中空に体を躍らせたまま、苦しさに狼は体を捩じらせ跳ねた。

 その両脇から、三角を描いていた狼らが一斉にイルカに噛み付こうと牙をむき出しに飛び上がった。

 瞬間、痛みに堅く閉じられていたイルカの両目が闇を捕らえた。怒鳴る形に口を開き、短い呪言を吐き出す。

「破っ!!」

 気合と同時に、狼の口内に突っ込んだ掌から赤い閃光が炸裂。

 それは灼熱の爆発となり、口内から獣の体を粉々に破裂させ、もろとも周囲の狼数匹を吹き飛ばした。

「ギャンッ…ゥゥン……」

 それを目の当たりに、残った僅かな数の狼は、耳を後方に欹てて悲しい声を漏らす。

 贓物と血で汚れた右腕を苦々しい面持ちで振り払って、イルカは再びくないを構えた。すると、

「キャンッ!」

 と一声残して狼たちは踵を返して去って行った。

 それを見送り、だがイルカはくないを構えたまま森の暗闇を見据える。



 犬笛の主が現るのを待つ。



「………?」

 だが、気配が動く様子は見られず、当然ながら犬笛による空気の振動も感じられなくなっていた。

 ただ森の風が、遠くで騒ぐ森の獣たちの声を運んでくるだけ。

 尚もくないを構えたまま体勢を崩さないイルカ。

 一向に現れない次なる敵。

「………………」

 持続の限界を迎えた緊張感の糸が緩む。

 それに伴い、腕の傷と体の疲労が徐々に全身に圧し掛かる。

 くないの重ささえも苦痛になる。

 一つ、大きく深い溜息を吐くと、イルカは火の消えた薪を振り返る。せめて明りを確保しようと、火をつけるためにそちらに一歩を踏み出した。



 風が止んだ。

「!!」



 背筋を襲った悪寒。

 

「………」

 闇から溶け出すように徐々に姿を現す気配があった。

 イルカは暗闇の中で、気配を頼りに振り返る。





 何故助けを呼ばなかったんですか?





「………っ……」

 まるで頭に直接話し掛けてくるかのような低く、鈍い響きを放つ声。

 否定を繰り返しても、胸中にこびりついて離れない、問いかけの声だ。

「誰だ……っ!」

 軽い嘲笑を含むその声に、イルカは鋭く問い返す。

 

 …………………



 返事は無い。

 その代わりに、



 すぐ背後に気配が現れた。

「なっ!」

 咄嗟にくないを握った腕を回してイルカが振り返る。

 目の前を黒い影が通り過ぎたかと思うと、肩に痛烈な痛みが走った。

「つっ…!」

 傷を負った肩を掴まれたのだと、痛みに悲鳴を上げる脳裏の隅で、理解する。

 暗闇の中、僅かな朧月明りの中で逆光になる影が、すぐ目の前にあった。

 影が伸ばしていた手が食い込むように肩を掴んでいる。

 殆ど無意識に、イルカは腰を落とすと人影の懐に身を沈め、掴まれた腕を左手で掴み返した。そして、

「離………せっ!」

 短い一喝と共に、投げるように背負った。

「!」

 手が肩から離れるのが分かった。

 だが、地面に叩きつけた感触は無く、黒い人影は軽く身をかわすとイルカから数歩ほど離れたところに着地した。



「危ない危ない……」



 砂利がぶつかり合う微かな音と共に、低い声が返った。

 再び出血した肩を手で抑え、イルカは後ろに足を一歩退いた。

「…………誰だ」

「まだそんな事を言うんですか」

「…………え…?」

 

 月にかかった雲が、僅かに晴れた。



 まず、光に反射して抽象的に浮かび上がったのは、

 銀色。



「まったく、人を不愉快にさせますね、アンタは………」

 くつくつと笑う、銀の影。

 遠くで気が違ったように鳴いていた獣の声も、今は静寂に飲み込まれてイルカの耳には届かない。

 そこにあるのは、

 「その」声だけ。

「そんなに……」

「え……?」



 そんなに俺が嫌ですか?



 雲が、晴れた。



 闇から浮かび上がってきたのは、限りなく黒に近い藍染の忍装束。

 そして、今度は鮮やかに白い月光を受けて輝く、銀髪。そして、白い生気の無い肌色。



「……………」

 イルカの黒曜の瞳が、

 月光の中で大きく見開かれた。



 砂利がざくりと重い音をたてる。

 近づく足音。気配。体温。

 これは、

 あまりにも危険な香り。

 イルカの全神経が警告を発する。

 肩の痛みが、そこでもう一つの心臓が脈打つように鼓動して痛む。



「………イルカ先生」

「………」

 頬に、

 冷たい感触。

 それが全身の皮膚に伝わり、イルカは再び全身に寒気を感じた。

 なぞるように、撫でられる頬、こめかみ、耳、首筋、そして、唇。

 

 限りなく優しいその指先が、

 だがイルカには限りない



 恐怖に感じた。





 どこまでも白い月光の中に、あるその顔は、

 真っ直ぐイルカの瞳を捕らえて離そうとはしない。



 遠くの無意識が、

 イルカの口のその男の名を呼ばせる。



「カ……カシ……先…生……」



 横っ面を殴るような風が通り過ぎ、

 そして ぬるま湯のような凪に変わる。



 月光の中で、

 男の口元が笑った。



「やっと、俺の名前を呼びましたね…イルカ先生」



 イルカの手の中に握られたままだったくない。

 カカシの手が肩から腕をゆっくり伝い、その手に到達する。

 イルカの指先が一本一本、くないから外されていく。

 音をたてて、くないが足元に落ちた。



「そんなに、」

「……え?」

 イルカの唇をなぞっていたカカシの指先が、再び首筋に降りる。

 その指先に

 力が込められた。

「……っ」

 空気の通り道をふさがれ、イルカが眉目を顰める。

 淡々とした空気の振動が、カカシの口からイルカの耳朶に届く。

「そんなに」



「そんなに、死んでも俺には助けを求めたく無かったんですね……アンタ」



 口元の笑みは、

 かげり始めた月影と共に消えていた。

「……っ何…」

 カカシの言葉が理解出来ず、イルカは喘ぎつつ声を搾り出す。



「まさか…あの狼……は」

 応える代わりに、カカシの口元が微かに歪んだ。空いた手を自らの胸元に差し入れ、

「この辺りの森にはね…出来そこないの忍犬が処分されて野生化してるんですよね………」

 紐で結わえられた銀色の小笛を取り出す。

 それを指先でくるりと振り回した。

 犬笛。

「でも奴らにも流石にそれなりの条件反射的記憶力はあるようで……」

 不適なカカシの声調に、イルカが目を見開く。

「……何故……っ!」

「『何故』?」

 突き飛ばされるように首から手が離された。

 喉元を抑えて咽るイルカ。

 それを見下ろすふてぶてしい面持ちで、カカシは僅かに声を張った。

「アンタ、前にもそんな事を言いましたね」



 何故



「『何故』って、俺に問いましたね。……泣きながら」

「……止めろ……っ!!」

 急激に下からこみ上げてくる寒気に、イルカは身を震わせた。

 こじ開けられた記憶の扉が、イルカの中で音をたてて軋む。

 血の気が引いた面持ちを前に何故だかカカシは満足げに笑んだ。

「思い出しましたかねぇ………やっと」

 との言葉と同時に、カカシの両腕がイルカの肩と腕を捕らえた。

「っあ…!」

 反射的に逃げる事もままならず、イルカは肩に食い込んだカカシの指に悲鳴をかみ殺す。

 凪風が、突然突風に変わった。

 頭上で枝葉が悲鳴を上げる。

 脳内に直接響く心臓の鼓動が、頭痛と共に吐き気をまねく。

 立っているのも苦痛で、イルカの足が力を失い折れる。

「ふん…」

 カカシが軽く足をかけただけで、イルカの体は簡単に重心を崩した。

 そのまま背中を砂利に叩き付けられる。

 上から圧し掛かる重みに、蘇る記憶が重なった。



「……っ」

 逃れようとも、上から負傷した肩を押さえつけられるだけでその痛みで動く事すら叶わない。

 腕一本捨てる覚悟が必要だった。

「俺がどんな思いでいたか……わからないでしょうね」

 寒いほど冷静に、カカシは無機質に言い放つ。

「ナルトに微笑むアンタの笑顔がすぐそこにあるのに、俺はあんたの無意識の中にも存在していなかった……」

「!」

「あれから一度だって…俺の名前を呼んでくれた事がありましたか?」

「……っ…やめ…」

 月光を隠してしまうカカシの肩の下。

 破れて血に汚れた上着の下に、冷たい感触が這う。

 それは鎖骨をなぞり、胸元をなぞり、わき腹を撫ぜる。

 自由な左手でカカシの胸を押しやるが、カカシは意にも介さず行為を続ける。

「そぐわない任務なんか気安く請け負って……

 民間人を見殺しにしてまで依頼人助けて、人殺しを重ねて」

「………っあ!」

 一際強く肩を抉られ、たまらなく噛み潰していた声を上げる。

 脇腹に添えられていたカカシの手が、下腹部に向かう。

「挙句、子供助けて串刺しになってりゃ世話ないですよねぇ……

むしろ滑稽ですよ」

「な……ん…そんな事………」

 肩を掴むカカシの指先の間を、生暖かい血が流れ落ちる。

 股を割って押し入ってくるカカシの体を拒もうと、イルカはひたすら無駄とも見える抵抗を示す。



「耐えられない苦痛に襲われても…

死にそうになってまでも……」



「………せ…」

「先生」と呼びかけて、イルカの口が止まった。

 カカシの胸を押す手に、寸時、力が抜けた。

 その黒い瞳は、驚愕をたたえてカカシを映していた。





「貴方は俺に助けを……名前を呼ぼうとも……しなかっ……………」





「…………」



 イルカから瞳を逸らしたカカシ。

 銀髪の長い前髪がその表情を隠してしまう。

 イルカの体を拘束するその両手が、

 

 震えていると感じるのは、自分も震えているからだろうか……



 それとも





「カ……」

 呼びかけた名前が、途切れる。

 苦しいほどに、胸が詰まる。

 

 イルカの双眸が、悲哀の色で潤んだ。



「………………」

 静止していたカカシの体が、手が、動く。

「っ…!先……止め……!!」

 



もう一度 名前を 呼んでくださいよ





「ぐっ…!」

 全神経を握りつぶされるような感覚に、イルカは息を押し堪えた。

 有無を許さない、突き上げる痛み。

 準備も無しにイルカの内部に抉じ入ったカカシの感情の塊が、こみ上げる吐き気となってイルカを襲う。

「ごほっ…」

 吐くものさえ無い。胸の中で逆流した空気に、ただ咽る。

 イルカの体に覆い被さり、カカシは更に最奥に自らを突き刺す。

「……っく…」

 イルカは自由な左手で地を弄る。

 河岸の小石と砂利が掌に当たる。体中を蹂躙する熱に浮かされながら、イルカはすぐ近くに転がっている筈のくないを探る。

「っは……っ」

 指先に、冷たい金属が当たる。

 重たい体の下懸命に伸ばす指先が、辛うじてくないの握り柄を捕らえた。

 体の上で息づく鼓動と熱のうねりに意識が遠のきそうになりながらも、

「っ……」

 引き寄せて、握り締める。

「………」

 カカシの肩の向こうに、

 月が見え隠れする。

 半ば意識を飛ばしたままのイルカの黒曜石の瞳に、白い光が露となって光る。

 荒くなり始める息遣いと、心臓の鼓動、そして情の迸り。



 封じ込めていた、

 熱に浮かされたあの夜……



 イルカは握ったくないを

 月に翳すように振り上げる。









 他に方法を知らないんです

 

 力ずくで手に入れる事しか…



 自分の命も こうやって手に納めて生きてきた



 これしか



 俺には術がない



 俺は





 貴方みたいに



 笑えない







    ―――――可哀相に





 ……………………







    ――――――可哀相な人











 じゃあ、慰めて下さいよ













 だが、

「………っう……」

 意識に反してその手が止まった。

「うっ……く……」

 代わりに、飲み込んだはずの嗚咽が漏れた。

 水面に映ったように見えた月が、ついには溢れた涙で見えなくなる。



 カカシの動きが、止まる。

「………殺らないんですか………?」

 体を起こしかけたカカシの腕を、縋りつくようにイルカが掴む。





 金属が砂利に当たる音。



「………イルカ…先生」

 イルカの顔のすぐ傍に、くないは落ちた。

 流れ落ちる涙が砂利を濡らした。

鈍い光を宿すくないは、無言で月の光を浴びている。





「出来ませんよ……カカシ先生………」



 イルカの口から漏れる、苦笑。







 カカシの腕を掴んだまま、イルカは静かに双眸を閉じた。



 月の光と、銀色が眩し過ぎる。



 

 あまりに原始的で美しすぎるから…



 この子供のように不器用な男が、





 あまりに儚いから………………









 原始の森を吹きぬける風が、

 そしてまた凪いだ。











 おわり
2005.10.25.Tue/14:30
  晴天と霹靂 
※青天の霹靂ではありません



晴天と霹靂
 

 「任務?」

 そこでサスケが顔を上げた。

  「カカシ先生の手伝いだってさ。昨日から、二人で遠出してるって」

 とナルト。

 下忍三人組、今日は、月一に新人下忍が義務付けられている課題に取り組んでいる。

 アカデミーの図書室の一角。机いっぱいに紙や本を広げている。

 「何で教師が任務に行くんだよ」

  レポートを書きながらふと何気なく及んだ話題。

  『イルカ先生に教えてもらおっかな~…』と溜息をつきながら机に突っ伏すサクラ。

  『無理だってばよ。先生今、任務に出てるし』と意味もなく本のページをぺらぺら捲りながらナルト。

  そこから、始まった。

 「イルカ先生、ああ見えても昔はどこか凄いトコに所属してたんだってばよ。カカシ先生が言ってた」

  「凄いところ?」

 やけにサスケの態度が陽動的だと気づいたものの、ナルトは別段気にせず、サスケの問いに答える。

  「特殊…何とかって所」

 「特殊…?特殊戦闘工作部隊か…」

 別名精鋭特工隊と呼ばれるその部隊。

 特に複雑とされる大規模な任務を請け負う、頭脳と技術と術力の集団であり、木の葉忍者部隊の中枢頭脳部と謡われている。

 「意外~。あの先生が?」 本を伏せて、サクラが身を乗り出してくる。

 「先生さ、トラップとか特殊武器とか使ったり作ったりするのが上手いらしいんだ」

 ほら、とナルトが手元の本を引き寄せてあるページを開く。

 「これ、先生が作ったんだってば」

  「……」

 上から、サクラとサスケが覗きこむ。 忍び武器辞典の「小型武器」の項目。『特殊くない其の一』とあった。

 通常のくないより、投げた時に狙いを定めやすい構造をしており、なおかつ標的に突き刺さった時、中深くまで抉り込む刃の構造をしているために、

 簡単には抜けないのだ。くないが刺さり、抜こうともがいている内に、それが致命傷となり標的は落命する…という。

 項目の隅に、イルカ先生の名前がある。

  「……」

 その本を取り上げ、サスケはページをぱらぱらと捲る。ところどころ目を止め、何やら真剣に読んでいる。

 くないの他に、大型武器、トラップに使われる武器など、幾つかの項目に並ぶイルカ先生の名前を、見ていたのだ。

  「その特工部隊員が何で教師なんか…」

 サスケの独り言を問いかけととらえ、ナルトが「さあ」と首をかしげる。

  「カカシ先生が言ってたけど、やっぱり性格に合わないから自分から辞めたって…」

 「やっぱりそうよね」

  サクラはそれに同意して頷くが、サスケは本を閉じて机に置くと、納得のいかない様子で眉目を顰める。

  「…なんでカカシのヤロウがそんな事知ってるんだ?」

  「同じ部隊に所属してた仲間だったんだってばよ」

 「同じ部隊…」 カカシ先生が暗部に所属していたのは聞かされていたが、特工にもいたとは…。

 それよりサスケが気に掛かるのは、イルカ先生と同じ部隊にいた、という事なのだが。

  「それがどうかしたの?」

 「…いや、なんでも」 サスケは再びペンを手に、もくもくとレポートを書き始めた。

  それに促されて、「締めきり締めきり…」とサクラ達も焦ったように本とにらめっこを再開した。

  「…」

 ふと、サスケはペンを走らせる手を止め、傍らの本に目を落とす。

 読む振りをして、頭にあるのは、先ほどのナルトの話。

 『同じ部隊に所属してた仲間だったんだってばよ』

 

 

  「その後、お元気ですか?」  

 数回目の任務で、カカシ先生と共に三人でイルカ先生がいる受付に行った時の事。  

 そう言って、懐かしがるカカシ先生と、それに笑顔で応えるイルカ先生のやりとりがあった。  

 「そちらも。でもまさか貴方がアカデミーに帰ってくるなんて」  

 「世も末でしょう?」

 「まったくです」

 「歓迎の言葉と受け取っておきましょう」

 書類に目を落とし、書き込みながらのイルカ先生。

 受付の机に置いた手に体重をかけてもたれかかり、でも視線は窓の外に向けられているカカシ先生。

 まともに視線を合わせないのに、そこに生まれている言葉の行き交いと、和やかな空気。

 「当分、アカデミーで?」

 「ええ、まあ。外での任務を兼ねながら」

 「ご無理はなさらないでくださいね」

 イルカ先生が、書き上げた書類を手渡そうと笑顔で顔を上げる。

 そこで初めて、カカシ先生もイルカ先生と視線を合わせ、目を細めてそれを受け取る。

 お互いに軽く会釈して、カカシは受付を離れ、イルカは次の忍に挨拶をし、書類を受け取る。

 ただ、それだけ。

 でもそこには、誰もが踏み入ることが出来ない、静かな空気があった。

 (…あれが、生死を共にした「仲間」に生まれる絆なのか……)  

 すごした時間の長さの違い。経験の量の違い。  大人と子供の違い。

 実践訓練で味わった、体力の違い、技の完成度の違い、術力の違い…。

 そんなものとは違う、また別の「次元」があった。

 「………どんな任務だって?」

 「え?」

 人気の無い図書室。

 それぞれレポートと本に集中し始め、まったく会話が聞こえてこない中に、 ぽつりとサスケの独言の様な言葉が流れてきた。

 「…イルカ先生の?」

 「参考までに聞きたい。元特工部隊二人が出向く任務ってのが、どんなものなのか」

 「あ、私も興味ある」

 サクラも本から顔を上げた。

 「詳しくは分からないけど…なんか、お届け物だって……」

 「ずいぶん簡単そうに聞こえるけど…」

 肩透かしを食らったように、サクラが言う。

 ナルトに心配をかけまいとするイルカの配慮が覗える。

 配達任務は、それこそ「何」を「どこ」に配達するかでレベルは上下様々だ。

 元特工部・暗部隊員の上忍が、中忍とはいえ同じく元特工部の忍を連れて行く程のものだ。

 「だから明日明後日には帰ってくるって言ってたよ。連休を利用しての任務だからって」

 「ふうん」

 こいつにムズカシイ話を期待したほうが間違いだったと、サスケは再びレポート用紙に顔を傾けた。

 また再び、紙を捲る音だけが図書室に聞こえるだけになった。

 

 アカデミーに入学したての頃は、あんな先生なんて大嫌いだった。

 いつも人の良さそうな笑顔をたたえて、 いつも子供達に囲まれて。

 いつも、生徒一人一人を気にかけて、心底心配そうな顔をしたり、本心から嬉しそうな顔で喜んだり…。

 ああいうのが、サスケは一番、嫌いだった。

 「甘え」という、サスケが一番嫌いな言葉がある。

 あの先生にまとわりつく、あの甘やかされたクラスメイト達も嫌いだ。

 甘やかしてる。  あんなんじゃ、忍なんて勤まらない。

 そう思うことにして、ずっとサスケはイルカ先生を避けてきた。

 だけど…あの先生が、元特工部隊の…。

 あそこに入る事が、上忍への一番の近道だと言うが…、その激務振りは辛苦の極みでもあるらしい。

 両親を亡くし、本人も幾多の任務と戦場を経験して、 今あるあの穏やかな人柄は、あの笑顔は、どこから来るのか。

 ああいう、生き方もある…ただそれだけか…?

 復讐者である事にこだわり続ける自分とは対照的だ。

 自分が間違っているとは思わない。復讐は、実行されるべき、自分の宿命である。 その決心は揺らぐものではない。

  だが、この羨望に近い感情は何だろう。

 痛い。

 

 

  連休が明けた。 レポートを書き上げると同時に、休みが終わり、また任務と訓練の日々がやってきた。

  レポート提出の為に、サスケはアカデミーに訪れていた。

  卒業したといっても、結局、月に数度はここにやってこなければならない。

  一人前と呼ばれるのは、まだまだ先という事だろう。 すれ違って駆けて行く、小さな子供達。

  まだ自分はこの子らと同じ線に置かれているのかと思うと、サスケは複雑な苛立ちを覚える。

  レポートを提出し終わり、玄関に向かう廊下を歩いている時だった。

  「イルカ先生、何で今日学校に来なかったんだろう」

  そんな、子供の声が飛び込んできた。

  「?」

  足を止め、振りかえる。

  二人組みの子供。

  「風邪でもひいたかな?独身の若い男は生活が不規則だからね~」

  きゃっきゃと笑いながら、二人組みは廊下を曲がりきって行った。

 嫌な予感。 サスケの足は、イルカの自宅に向かっていた。

  ドアの前に立つ。 ノックはせず、気配を探る。 帰ってきた様な痕跡はない。

 「………」

 さては…と思ったが、カカシの自宅を、サスケは知らない。

 

 そして次にサスケの足が向かったのは、

  「ドベ…」

  「な、サスケ…」

 「何でお前がここに」

  「…サスケこそ…」

 三代目の元だった。

 息を切らせて駆け込んできたサスケに驚いたナルトの姿もあった。

  ここにナルトがいるという事は…。

 部屋の奥に進むと、少し広い部屋に通った。火影の後姿が、まず目に入る。

 そして、少し大きめのベッドと、その傍らに椅子を置き、そこに腰掛けるカカシ先生の姿も。

 「……」

 白いベッドの中に、ほのかに赤いものが見える。

 イルカ先生だった。 赤く見えたものは、包帯からわずかににじむ、血。

  「……」

  「サクラちゃんも来てて、ちょっと薬を買いに行ってるんだ」

 背後からナルトの声。 おそらくサクラも、レポート提出の際に、偶然に聞き及んだのだろう。

 腕を前で組んでいるカカシの前を通りすぎて、サスケはベッドの前に立つ。

  「今、ようやく眠ったところじゃよ」

 そう言って三代目はついと踵を返し、机の前に移動する。ゆっくりと腰を下ろし、机の上に広げてあった白紙の巻き物に、書物を始めた。

 イルカ先生は、うつぶせに寝かされていた。

 かけ布団は腰のあたりまでかけられている。

 あらわになっている背中に巻かれた包帯。そこににじんでいる血。随分面積が広い。

 他にも、腕や顔に、手当ての跡。

 額が汗ばんでおり、怪我のせいで発熱しているのか、大きな息使いをしている。

 泥の汚れや、血の汚れが生々しい。

 今しがた、帰ってきたばかり…といった感じか。

 「……何が起こったんだ?」

 サスケが、背後に腰掛けるカカシに問い掛ける。

 「…………」

 カカシは無言だ。

 「俺にも、教えてくれないんだってばよ」

 更に背後から、ナルトの拗ねる声。

 「………」

 肩越しに振りかえると、足と手を組んで椅子に座るカカシの姿。

 まっすぐにこちらを見ているのではなく、少し俯いて、窓の縁でも眺めているのか、あらぬ方向に視線を向けてぼんやりとしていた。

 「…何やってんだよアンタは」

 体ごと振りかえり、サスケはカカシと向かい合った。

 「一介の教師を連れ出して…大怪我させて……上忍のする事なのかよ」

 声は静かだ。

 だが、その水面下に見え隠れする感情は、

 激しく、怒りに満ちていた。

 「……」  カカシは無言を保つ。腕を組んだ、ふてぶてしい体勢は変わらない。

 机の前で、三代目が巻物に書物をしながら、あえて口出しをせずにこちらの様子を覗っているのが分かる。

 「……甘えてるんじゃね―ぞ……ウスラトンカチ」

 「……」

 ゆらりとした動作で、やっとカカシが反応を見せた。

 ゆっくりと顔を上げる。

 覆面から唯一露出した、ぼんやりとした右目がサスケの視線をとらえる。

 その目は、笑ってもいない。泣いてもいない。

 「……」

 一度反応を見せたものの、カカシは再び俯き気味に視線をサスケから逸らした。

 そしてまたゆらりとした動作でカカシは立ちあがる。そして部屋から出ていってしまった。

 部屋の出口で、外から帰ってきたサクラとかち合う。

 「あれ、カカシ先生、お薬買ってきたよ?」

 紙袋を両手で大事そうに抱えたサクラの頭にぽんと手を置くと、そのまま無言で、去って行った。

 「…?どうしたの?あれ、サスケ君も来てたの」

 部屋に入るなり漂ってくる気まずい空気に、サクラは肩をすくめる。

 「……カカシを許してやってくれんかの?」

 無言のまま立ちつくす子供達三人に、三代目が言葉をかける。

 書物をしていた筆を筆置きに横たわらせ、椅子から立ちあがる。

 「飄々としている様に見えて、あれで中々堪えてるんじゃよ」

 「………」

 三代目は、ベッドの傍らまで来ると、イルカをそこから見下ろす。

 背中の傷を見て、サクラを呼ぶ。

 「包帯の替え、買って来てくれたかの?」

 「あ、はい。お薬の材料も…全部ありました」

 紙袋を受け取り、中身にざっと目を通し、三代目は「よし」と頷く。

  「薬を調合する。サクラと、ナルト、おぬしら、手伝いじゃ」  

 別の部屋へと続く扉から、二人を手招きする。

  「は、はい…」

 「サスケは…」  

 三代目は部屋に残るサスケに一言、こう言い残す。

 「カカシと仲直りでもしてきなさい」

 「………」

 三人が入っていった扉が、静かに閉められる。

 部屋は、急に静寂に包まれた。

 聞こえるのは、イルカ先生の、かすかな寝息だけ。

 カカシが去って行った方の出口を見やり、どうしたものかと、サスケは思案する。

 気配を追っていけば、カカシがどこに行ったかはすぐに掴めるだろう。

 あの様子じゃろくに気配も消さずにフラフラしているに違いない。

 「……こっちから探しにいくのも借だな………」

 溜息を漏らす。

 その息に混ざり、

  「う……ん」

 と、イルカの声。

 振りかえる。

 だが、イルカは眠ったまま。

 呼吸をするたびに、肩と背中が上下する。背中ににじむ血痕が痛々しい。

 サスケは、ベッドに歩み寄る。

 膝をつき、イルカ先生と視線の高さを合わせて、ベッドに寄りかかる。

 熱い吐息が掛かる位置。

 額や頬に珠となっている汗と、まだ落ちきれていない泥と血の匂い。

 その寝顔に誘われる様に、サスケはそっと、顔を近づけて

 その唇に、自分の唇を重ねる。

  一瞬交わしただけの、軽い口付け。

 それでも、熱がそこから伝わってきて、全身を駆け巡るほどの眩暈に…。

 そしてもう一度、軽く唇を、イルカ先生の唇に押し当てた。

 「……さて…」

 音を立てないように、サスケは立ちあがる。

 カカシが出ていった扉へと、足を進める。

 

 イルカ先生と三代目に免じて…仲直りをしてやろう

 

 「言いすぎた。すみませんでした」

 という謝罪の言葉を用意し、心の中で反芻する。

 今回は、生徒としておとなしく、折れてやろうと、思った。

 

 扉を開ける。

 午前中までの曇り空が、嘘のように晴れあがって、今は澄み切った青空。

 カカシ先生の気配を探る。

 「…あっちの方…かな?」

 だいたいの方向を検討づけると、サスケは屋根の上に飛びあがり、建物伝いに里を駆け出していった。

 

 だけど…  

 今度は多分、生徒としてではなく、

 一人の、個人として、

 男として、  

 

 譲ってやるものかと…

 

 そんな決心を胸に宿すのだった。

 

 

おわり
2005.10.25.Tue/14:31
  職権濫用のススメ 


職権乱用の薦め

 

 

 

ある平日の昼過ぎ。

イルカは自宅にいた。今日はアカデミー創立記念日のために、休みなのだ。

だが、イルカはどこに出かけるでもなく、朝から成績表の整理やテストの採点などの仕事で、時間を潰していた。

そう締め切りに切羽詰まっている訳でもないのだが・・・どうも一人身だと仕事以外に時間を潰す術がないらしい。

 

コンコン・・

 

「・・・・?。どちら様ですか?」

その家に持ちこんでいた仕事もほぼ片付けてしまい、イルカが手持ち無沙汰になったところで、唐突に、ドアをノックする音が響いた。

いぶかしげに、イルカは眉を潜めて玄関に向かう。

イルカの家には滅多に人が訪ねてくる事がなく、しかもこんな平日の昼間ならなおさらの事。

ナルトも下忍になってからは、イルカ宅に通う回数を減らしており、それはそれでイルカにとっては喜ばしい事なのだが。確か、明日からまた任務だとか言っていた。

「どちら様?」

もう一度、イルカはドアの向こうに声をかける。すると、聞き慣れた声が返ってきた。

「こんにちは、俺です」

低く、少し間伸びした男の声。その持ち主は、イルカには分かりきっていた。

「あ、はい」

ドアを開けると、予想通りの人物がそこにいる。

はたけカカシ。

現在、下忍となったナルトを受け持つ木の葉随一の上忍である。

 

「嬉しいですねぇ」

ドアを開けるなり、カカシは唯一露出した眼を細めて笑った。

「何がですか」

彼を玄関に招きいれ、ドアを閉めながらイルカは尋ねる。

「名乗らなくても俺だと分かってくれましたね」

先に居間に続く廊下を歩くカカシが、後ろからついてくるイルカに肩越しに振りかえり、また笑う。

「・・・他にいませんからね、こんなところに来る人は。ナルトとあなた以外に」

そっけなく答えたつもりなのだが、それでもカカシは眼を細めたまま。

後ろからイルカがカカシを居間に誘導する。

居間の中央に置かれたちゃぶ台には、数冊の本や巻物が置かれていた。

それらをカカシが、「ありがたいですね」とパラパラと捲りながら眼を通す。

すべて、トラップに関する書物だ。

「それにしても、トラップ解除の任務なんて珍しいですね。それもあの子達に割り当てられるなんて」

居間から続く台所で茶を煎れる為の湯を沸かしながら、イルカが言う。

本に眼を通しながら、カカシは「そうなんですよ。私も久しぶりでしてね」と肯き、茶を盆に乗せて戻ってきたイルカを見上げて、言葉を加える。

「だから、あなたに教えてもらおうと思って」

 

教職に就く以前のイルカを知る者は、アカデミーには少ない。

トラップのエキスパートとして、ほんの短期間だが、特殊部隊に所属していた頃。

「木の葉の罠師」または「技巧師」と呼称され、カカシもそれは聞き及んでいたものの、

まさかナルトの元担任がそうである事を火影から聞かされた時は耳を疑ったものだった。

「いやあ、さすがですねぇ・・。こんな貴重書までお持ちだなんて。これ、書物館にいっても持ちだし厳禁とされている代物じゃないですか」

ハードカバーの古めかしい本を捲りながら、カカシは覆面の下からため息。

古代から伝わる罠や武器の作成法や応用方を記した書物だ。

「ああ、それは火影さまから写しをいただいたんです。現役時代に」

茶をカカシに薦めて、「今じゃ宝の持ちぐされですね」とイルカは苦笑する。

「・・・・・」

茶菓子をとりに台所に戻っていくイルカの後ろ姿を見やる。

一忍の長が、里にとっての貴重書を写し渡せるほどに信頼を置かれている忍・・・。

改めて、カカシは忍として、イルカに複雑な感情を抱かざるを得ない。

難しい顔をして書物に視線を落とすカカシに、茶菓子を運んできたイルカが「始めましょうか」と微笑んだ。

 

 

「下調べをしてきた報告員の報告書によると、トラップの設置場所は国境にある街道へと続く林道の一つだそうです」

ちゃぶ台に隣り合って座布団を引き、肩が触れる程の距離に並んで二人は座る。

カカシから差しだされる資料に、イルカが厳しい視線を落とす。

それを隣から覗きこむように、カカシも資料を指差しながら、報告書を解説する。

「・・・特定人物を狙った物では、少なくともなさそうですね・・。あと、そう規模の大きなトラップでもないでしょう」

「だとすると・・・」とイルカは言葉をつなげて書物の一つを手にとると、ページを捲り始める。

「どうしてですか?」

カカシが疑問符を投げかける。

それにイルカは、一旦本から目を離して答える。

人の目に直接語りかける、アカデミーの授業でも見せる、イルカの癖だ。

「ここら一帯の林は、そう深いものではないですから、林道に沿って歩く人はそういないんです。

近道の為に逸れて歩く人が多い。だから、こんな林道の一つ、しかも真中に仕掛けても、特定の誰かを狙うのは非効率的なんです。

あと、仕掛けられた道の幅と、その周辺を取り囲む木の並び方を見ると・・・

あまり大掛かりな空中ものと、あと地中に仕掛ける物は出来ませんね・・・。

地面下を掘って何かをしかけるにも・・・この辺りの土質からして、土を掘ると色が変わるから、すぐにバレるんですよ。

あ、でも悪戯目的なら、わざと分かりやすいように仕掛けるかもしれませんね」

言い終えると、またイルカは本に視線を戻す。何かを探している。

「そちらを読みながら聞いてて下さい」と前置きして、カカシが報告書の続きを読む。

「おっしゃる通り、所々土が変色していたようですよ」

その写真をイルカの前に置くと、イルカがそれを手にとった。口元に手を当て、ぶつぶつと何かを呟く。

「土の変色が1・・・2・・・・5か所ですか・・・なら、五ぼう星陣か、五竜陣か・・・・」

イルカは写真とにらみ合う。しばしの無音が流れる。

「おそらく、五竜陣系統のトラップだと思います」

決断したように顔を上げ、イルカがカカシを振りかえる。手元の本を手繰り寄せ、頁を捲る。

「五竜陣」と書かれた項目を、カカシの前に広げる。

「いわゆる連動式のトラップで、1、2、3・・・4、5、と、

この順番でトグロを捲くようにしてトラップが発動していきます。

そして、5番目の発動と同時に、最後の大きな仕掛けが動く・・というタイプですね」

「ふんふん」

カカシはひたすら、始終、そう相槌を打ちながら肯く。

 

イルカの「講弁」は、静かに、淡々と続いた。

だが不思議と退屈しない。

それは、言葉の使い方や、説明の巧みさも一因だが・・・。

真剣な瞳、通った鼻筋の端正な横顔は、いつまで見つめていても飽きないのだ。

 

「でも・・・・妙だなぁ・・・」

「え、あ、はい、何がですか?」

説明を切り、眉間に皺を寄せるイルカの様子に、カカシは我に返る。

「五竜陣のトラップは、たいてい爆発物や火機を使うものなんですが・・・。この地面のふくらみ具合や、この地形から言って・・・確実に獲物をしとめるつもりなら」

「爆発物や火機は使っていないと・・?」

イルカが肯く。

「ガス系統・・・ただのいたずらなら、あるいはバクチクや小さな爆発物も使っているかもしれませんが・・・」

「わかりました。色々な可能性を考えて、十分用心すれば良いわけですよ」

目をほそめてうなずくカカシに、イルカが瞳に影を落とす。

「そんな気楽な事おっしゃいますけど・・・気をつけて下さいよ?」

カカシが飲み終えた湯のみと自分のゆのみを盆に並べなる。

急によそよそしくなったイルカに、横からカカシが顔を覗きこむ。

「ナルト達には、危害が及ばないようにしますから」

「まあ、・・・・・それもありますけど・・・」

本を重ね、書類をまとめながら、イルカは少し怒ったような表情。

カカシが何も言わずにその様子を眺めていると、イルカが本を抱えて立ち上がろうとする。

その手を、

カカシが引く。

「・・・わ・・」

中腰だったイルカは、バランスを崩して片膝をついた。

カカシは、イルカの肩を引き寄せる。

そして、戸惑いを浮かべるイルカの顔に、自分の顔を寄せ・・・

ようとしたところで、二人の顔の間に本が差しこまれた。

「ぶっ・・・」

正面からハードカバーの本に顔をぶつけてしまう。

とっさに、イルカが手に持っていた本で遮ったのだ。

「任務を控えている時に、何を考えてるんですか、あんたは」

「つれないですねぇ・・・」

鼻の頭をさすりながらカカシは、呆れ顔で盆を運んで台所へ消えていくイルカの背中を見送った。

また、上手くかわされてしまった・・。

「つれないも何も・・。そんなの任務が終ってから、意中の女性とでもなされば良いでしょうに」

「いませんよそんなの」

「だからって俺じゃあ代わりになりませんよ」

「代わり・・・・」

カカシはがっくりと肩を落とす。

どうも、本気にしてもらえない。

忍の世界で、男同士、女同士は特に珍しくもない。

だからなおさら、イルカの目には、カカシの行動が「気まぐれな遊び」に映ってしまうのだろう。

「そんな事より、覚える事は覚えてから、帰って下さいよ」

イルカが再び、台所から盆を持って帰って来る。

お茶と茶菓子のおかわりだった。

それに加え、軽い軽食までついていた。

まだ、ここにいても良いという事だろう。

「・・・・・・」

こういうところが、

この人の良いところでもあり、悪いところでもある。

 

 

 

 

 

 

翌日。

カカシは、イルカのアドバイス通りに、トラップの解除にかかった。

「ナルトはそっち、サクラはあっち。で、サスケはこれを持ってろ」

トラップの起爆装置として四方に張り巡らせれていた縄を、メモにしたがって一本ずつ切断していく。

そして、最後の一本。

「よし。じゃあ、せーので、火をつけるんだぞ」

最後の縄を切断すれば、最後の大仕掛けだけが起動する。

爆発と分かっていれば、遠くからくないでも投げて切断し、爆発をやり過ごせば良いのだが、

ガスの可能性もある、というイルカのアドバイスによると、やり過ごす訳にはいかない。

風向きからして、ガスは確実に里に届いてしまう。

五つ目が仕掛けてあると思われる土の盛り上がりの周辺に、筒を差して固定剤を流し込む。

そして、起爆ロープを切断すると同時に、そこに火を放てば、ガスは無効化して蒸発する。

子供達は手に松明を持っている。着火場所には、すでに油が撒かれていた。

「じゃあ、いくぞ」

「はい」

「せーの」

カカシがロープを切る。

ほぼ同時に、

「それ!」

火が放たれた。

そして同時に、四人はその場から飛びずさる。

ジュッ という音が地化から沸きあがるように聞こえてくる。

そして、白い煙が大量に、まっすぐに、空に昇っていった。

ガスが浄化されたのだ。

「イルカ先生の言った通りだったね」

サクラが、高く空を見上げる。

「任務、ま~た簡単に終っちゃったってばよ」

イルカ先生のおかげ、という点で嬉しい反面、また何も起こらずに任務が簡単に終了してしまう事に、ナルトは不満なようだった。

「簡単に、無事に終わるに越したことはないのよ」

と、説教をするようにサクラ。

やれやれ、とカカシは肩をすくめ、残りの四つの仕掛けの解除に取りかかろうと、トラップに近づく。

煙はすっかり引き、火を放った跡が、焦げてくすぶっていた。

起爆装置はすべて解除してあるので、残り四つの仕掛けを解くのは簡単だった。

変色した土をほれば、そこに、幾重にも和紙を重ねて固定された包みのようなものが出てくる。

掘りだした一つを、カカシが拾い上げる。土にまみれたそれは、以外に重い。

「これも、ガスが仕掛けられているのかしら」

「・・・だろうな。連動式っていってたから」

 

しかし、疑問が残る。

なぜ、「重い」のだろう・・・。

 

「・・・・・?」

どこからか、

嗅ぎなれない異臭が、鼻孔を通りすぎていった。

たったいま、浄化した煙の匂いに混じり、微かに漂うこれは・・・。

カカシが眉をしかめた。

子供達は、さすがにこの微かな匂いには気づいていないらしい。

「じゃあ、残りのも掘りだすわよ」

とサクラ、ナルト、サスケはくないを片手に立ちあがった。

「ちょっと待て」とカカシが言いかけた瞬間、

「!」

「先生!」

 

包みが、爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イルカ先生ーっ」

微かに遠くで、その声がしたとき、イルカは一瞬、空耳かと思った。

黒板にチョークで文字を書き綴る手を一瞬止めて、首をかしげて、また再び手を動かす。

背後では、生徒たちが真剣に黒板をノートに書き写している。

(あいつの声が聞こえる訳がないか・・・)

今この時間、あの黄色い頭の元教え子は、まさに任務に出向いている頃だ。あの上忍と。

「イルカ先生ーっ!」

「・・・・!?」

だが二回目、さらに声が近づいて聞こえた時には、さすがにイルカはチョークを置いて、教室の窓に向かい、外をうかがう。

生徒たちが何事かとざわめく。

「ナルト・・・」

窓の外、校門付近にみなれた黄色い頭、桃色の服、白黒の服、そして、銀髪・・。

見ると、ナルトとサスケが、カカシに肩を貸して歩いてくる姿があった。

「自習にします!」

教室の生徒たちに向けてそう言い残すとイルカは、窓を開けて二階の教室から校庭に飛び降りた。

その後を見送るように、生徒たちが一斉に窓に掛けより、そこから何事かと外をながめる。

「あ、イルカ先生!」

サクラがイルカにかけよる。イルカの袖を引っ張って導く。

ナルトとサスケに肩を借りて歩くカカシは、ぐったりとうなだれていた。

カカシの元に駆けよってイルカは、カカシの表情を確認しようと、顔を覗きこむ。

「どうしたんですか・・・・?」

そのとき、強い匂いがイルカの嗅覚を刺激した。

「・・・・・この匂いは・・・・」

有機質的な、薬品の匂い・・・。

「何があったんだ、ナルト、サスケ」

カカシをゆっくりと地面に座らせ、背中と肩をイルカが支える。

「トラップを解除してて・・・」

「失敗したのか・・・?それとも・・・俺のアドバイスに間違いが・・・・」

顔を青くしたイルカに、ナルトが首を振る。

「ううん、解除は成功してたし、イルカ先生のアドバイス通りだった」

「じゃあなぜ・・」

「それが・・・」

サクラが、布に幾重にも包まれたものを、イルカに手渡した。

片手でカカシの体を支えながら、イルカをそれを地面に置いて、片手で布を開けていく。

布を一枚、一枚あけていくごとに、強い薬品の匂いが・・・。

「・・・・これは・・・」

たまらずイルカは布を元に戻し、サスケに固く結ぶように指導する。

「まさか・・・・」

カカシの顔を覗きこみ、濡れた顔に触れる。

「先生はこの薬品を被ったのか?」

ナルトがうなずく。

「大仕掛けは、無事に解除して、最初の四つも、ちゃんと地面から掘り起こせたんだけど・・・

その一つをカカシ先生が手に持っている時に爆発して・・・中のこの液体がカカシ先生に全部掛かっちゃったんです・・・」

サクラの説明に、イルカはがっくりと肩を落とす。

「・・・俺の説明不足だった・・・・・・」

「イルカ・・・先生」

肩を支えるイルカの手を、カカシが握る。

「あ、先生大丈夫?」

上から覗きこんで、サクラが声を上げる。

「大丈夫に見えるか・・っての・・・きもちわりぃ・・・・・・」

まるで酷い二日酔の様に顔を青くするカカシに、イルカが眉をひそめる。

「申し訳ない・・・俺が・・・詰めが甘かったばかりに・・・・・・」

「先生、重体なんですか?」

低い声で、冷静にサスケが問う。

肩で息をして、真っ青な顔で、うつろな目つきのカカシ。

確かに、ただ事ではなさそうだ。

「・・・この薬品の匂いは多分・・・著しく自律神経を失調させて、吐き気、頭痛などの二日酔に似た症状を起こす、

まあ一種の麻薬を調合した劇薬だ。自白剤として使う場合もあるんだ」

「死にはしないんですね?」とサクラ。

「でもなるべく早く解毒しないと、あまりこの状態が続くと危ない・・・ナルト!」

イルカは保健室を指差し、ナルトに解毒剤となる薬品名を告げる。

アカデミー中の窓から生徒たちや教師が校庭の様子を眺めている。

その視線の中、ナルトが小瓶に入った薬品をもって走ってくる。その背後から、保健の女医先生もやってきた。

「チコの実で調合した万能薬ですよ。それで効くはずだわ」

小瓶を受け取ったイルカは、その言葉を確認すると、瓶の栓を外した。

そして覆面を下ろし、瓶をカカシの口元に持っていくが、

「・・・?」

その手首を、カカシが掴んで止めた。

先ほどより荒くなった息使いに肩を上下させながら、目許を細めて、途切れ途切れの言葉を告ぐ。

「い、イルカ先生が・・・飲ませて下さいよ」

「え、だから今こうして・・・・あ・・・」

カカシの口端に、怪しい笑みが浮かぶのを、イルカは見逃さなかった。

「何を言ってるんですか・・自分で飲んでくださいよ」

イルカは眉間に皺を寄せる。

カカシは首をゆっくり横に振ると、苦しそうな息使いをする。

「・・・呼吸困難で、自分では飲み込む事が出来ないのね・・・」

背後から女医が、心配そうな声で言う。それに驚いたか、サクラが「ええっ!大変」と騒ぐ。

「ええっ、どうすんだってばよ、イルカ先生!」

ナルトが、場を煽るように慌てた声を上げる。

苦しげに呼吸するカカシの様子に、女医がいよいよ声に真剣みを帯びさせる。

「末期症状が出てしまったら、大変な事になるわよ!早くしないと・・・」

それにつられるように、「イルカ先生!」とサクラ。

「~~~~っ・・・!」

両脇でイルカを急かす三人。そしてイルカがふと前方をみると、

「・・・・・・・・」

ほぼ校舎全部の窓から、こちらを眺める生徒や教師の、幾つもの目、目、目。

そしてまたカカシに視線を落とすと、

今度は目許に、イルカにしか分からない、「いつもの意地の悪い笑み」が。

(これは仕返しなのか・・・・?)

昨日のやりとりを思いだし、イルカは内心で歯軋りした。

「カカシ先生、死んじゃうよ」

「先生、早く」

そんな声が、通りところでガンガンと響く。

小瓶を握りしめ、イルカは唇を噛む。

瞳の中に映るカカシの顔は、苦しそうに汗をかきながらも、やはりあの「笑み」が・・・。

「お、覚えてろ・・・・」

聞こえないような小声で低く呟くと、

イルカは瓶の中の液体を口に含んだ。

そして、カカシの肩を引き寄せると、左手でカカシの頬に手を当てて少し上を向かせ、

自分の唇を、カカシの唇に重ねた。

(絶対にもう口をきいてやるものか・・・)

いくつもの視線が、首筋につき刺さってくるような感覚がした。

だが、こともあろうに薬を飲みきるまでの間、イルカはカカシから口を離すわけにはいかず・・。

冷たい液体が、イルカの口を通して、カカシの口内に流れていく。

ごくり と音がして、カカシの喉元が動く。

「やった、飲み込めたわ」

女医が、しきりに感激する。

幾分、飲み込み切れなかった薬が、カカシの口元から首筋にかけて流れていく。

すべて飲みきったのを確認し、イルカは唇を離して顔を上げた。

薄く目を開けたカカシが、満足げに、また怪しい笑いを口元に浮かべている。

「~~~~~・・・・・こ・・の・・・」

殴り飛ばしたくなる衝動を抑え、自分の口元を濡らす薬を手の甲で拭い、ふと前方を見る。

見知った幾つもの目が、

その時のイルカには、

「何やってんだお前」と言っているように、見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで晴れて、公認ですね」

「・・・・・・」

「嬉しいですねぇ」

「・・・・・・・・」

「里中が認めてくれたわけですよ」

「・・・・・・・・・」

「いやあ、イルカ先生があんなに深~いキスがお上手だとはねぇ」

「カカシ先生!」

「なんですか?」

アカデミーの廊下に、イルカの怒鳴り声が響いた。

通りすがる子供や教師が、ちらりと一瞥しては、くすくすと笑いながら去っていく。

「あれは、人命救助です。それ以上でもそれ以下でもありません!」

眉をつりあげて、口元を引きつらせて、イルカはカカシに詰め寄る。

「イルカ先生がなんと言い訳をしようと、状況は変わりませんよ」

襟元を掴まれたまま、カカシは右目を細めて笑う。

「・・・・・」

ふとイルカが周囲を見渡すと、

「きゃきゃきゃっ」

と、イルカの視線から逃げるように、女子生徒達が笑いながら駆けだしていくのが見えた。

「・・・・・」

教職経験上、

この年頃の女の子達には、何を言い訳しても通じない事を、イルカは分かっていた。

 

 

背後で、重たい扉が閉じられるような、

そんな感覚にイルカは陥った。

 

 

人の噂も七十五日。

あと二ヶ月弱。

イルカにとっては、

永遠に等しい時間である。

 

 

終わり
2005.10.25.Tue/14:33
  森の学舎 


森の学舎
 

 「うわーい!」

 「こらーーっ!」

 初めての屋外演習。子供達は演習場所の森にたどり着くなり、興奮気味にはしゃぎだした。

 教師育成所の教育実習生、イルカが整列の号令をかけても、誰一人として言うことをきかない。

 他の教育実習生が受け持つ班の子供達は、すでに規則正しく整列ができていた。

 放牧場の子羊のごとく、子供達はわらわらと、好き勝手に駆け回る。

 その後を、汗をかきながらイルカが追う。

 その様子を眺めながら、教官は溜息。そして同僚達は苦笑。

 「またナメられてるぜ・・・イルカの奴」

 「だらしねーなー・・・」

 はしゃぎ回る子供達の中には、ケンカを始める者まで現れる。

 イルカが担当する班の中で、特にやんちゃで仲が悪い、こだまとヒイラギだった。

 つかみ合い、とっくみあいのケンカを取り囲み、子供達はなおもはしゃぐ。

 ケンカする二人の首根っこを掴み、イルカが両脇にその他の子供達を抱えてようやく、整列させる事が出来た。

 「・・・・・十六分二十五秒。遅すぎるぞイルカ」

 眉間にしわを寄せて、教官がボードに記録する。

 「す、すみません・・・・」

 冷や汗をかくイルカの背後で、子供達はまだおしゃべりを止めない。

 「いい加減に静かにせんか!」

 教官が一喝。

 「・・・・・」

 一瞬で、子供達は静かになった。イルカは今日も、自分の力で子供達を鎮められなかった。

 また、教官の助勢を得たことになる。これは大きな減点対象だ。

 「はぁ・・・・」

 イルカは、大きく溜息をついた。

 

 「怒り方が足りないんだよ、君は」

 「甘やかしてる」

 森の中で、一通りの実戦訓練をした後、持参していた弁当を広げて一同は昼休みをとる。

 子供達は班ごとにまとまり、イルカを含む教育実習生達も、彼らだけで円を作って昼食をとっている。

 話題はたいてい、イルカの事だ。

 「そうだよ、家じゃさんざん甘やかされてるんだから、学校で厳しくしとかないと、忍の世界でやっていけなくなるぜ」

 「・・・・・」

 イルカは彼らの言葉にただ、苦笑して頷く。

 -家じゃさんざん甘やかされてるんだから

 だがイルカには、それが分からない。

 彼には、甘やかしてくれる親がいなかったから。

 「お~い!イルカセンセー!」

 背後で、子供が呼ぶ声がした。

 振り向くと、イルカが担当する班とは別のグループの子供達が、手を振っている。

 「こっちおいでよー!」

 きゃきゃきゃっ と女の子達が肩を揺らして笑う声。

 イルカは弁当をその場に置くと、立ち上がろうと腰を浮かせた。

 「ほら、そこですぐに言いなりになるから、ナメられるんだぜ?」

 同僚の一人が止める。だがイルカは「でも、せっかく呼んでくれてるんだし」と微笑むと、生徒達の元に歩いていった。

 それを見送りながら、同僚達は肩をすくめて溜息。

 そして、女の子達に手作りの卵焼きやらデザートをおすそわけして貰っているイルカの姿に、また、溜息。

 「オイシー?イルカせんせー」

 「ホントー!?」

 きゃきゃきゃっ と、また女の子達の笑い声が響いた。

 

 午後の演習。

 「かくれんぼと鬼ごっこだ」

 と真顔で言う教官の言葉に、子供達の間から笑い声が上がる。

 「ただのかくれんぼではないぞ」

 ぎろりと視線で子供達を一睨すると、教官は低い声で言う。子供達に緊張感を与える為だ。

 「気配を上手く消す練習だ。鬼は各班の先生達。気配を見つけ次第、捕まえに行く。

 だが、フツウのかくれんぼと違う所は、見つかっても捕まらなければ、また逃げて、気配を消して隠れる事が出来る、という所だ。

 最後まで残ったモノには、褒美を出そう」

 そこで歓声があがる。

 だが、あいかわらずこだまとヒイラギはお互いにガンを飛ばし合って牽制している。

 どちらが最後まで残るか、内心ライバル心を燃えたぎらせているに違いない。

 「ただし!」

 浮き足立つ子供達の声を、再び教官の厳しい声が一蹴する。

 「北の方向には行くでないぞ。森が険しくなって危険だからな」

 そう教官は念を押した。

 「じゃあ、始めよう。スタート!」

 かけ声と共に、生徒達は一斉に各々の方向に飛びずさっていった。

 十秒間、鬼である教育実習生達は待たなければならない。

 「九、十・・・」

 受け持ちの生徒を捜しに、イルカを含む実習生が、それぞれ動き出した。

 

 茂みに身を隠しながら、ヒイラギは思った。

 「・・・・あのイルカ先生とかいうボケ教育実習生なんかに見つかるかっての・・・」

 いつも顔に笑顔を絶やさず、その親しみやすさに女子生徒達には人気がある。

 だが、言い換えればそんなのはただの甘ちゃんだ。

 つかみ所のないふんわりとした物腰が、ヒイラギの様な陽動的性格を持ち合わせた子供にはいたく不評だった。

 ・・・・困らせてやるか・・・

 この実習には時間制限が設けられている。ある程度時間が過ぎたら、学校へ戻る為に先生は隠れた生徒達を全員見つけださなければならない。

 だけど・・・なかなか見つからない所に隠れてしまえば・・・

 イルカ先生の面目は潰れ、教育実習生として、良い点数は付かないだろう。

 そう考えると、ヒイラギはわき上がる好奇心と悪戯心が抑えられなくなった。

 「よ~し・・・・」

 ヒイラアギは、北に向けて移動を始めた。

 教官に、行ってはいけないと言われた場所へ・・・・。

 

 「後は・・・・ヒイラギ君とこだま君と、女の子が二名ほど・・・・・・」

 やっぱりな・・・

 イルカは溜息をついた。

 ほぼ全員の生徒が、制限時間が迫った時点で見つかり、集合させられていた。

 だが、

 イルカの受け持つ班の問題児、ヒイラギとこだま、そして女子若干名の姿が、無い。

 「なんだ。まだ見つからんのか?たかが生徒のかくれんぼに」

 教官がいい加減、呆れた様子でイルカの元にやってくると口元を歪めた。

 「またかよ・・・」と同僚達も同様に。

 「すみません・・・」と冷や汗混じりにイルカが何度も頭を下げる。

 教官達は腕組みをして言葉を吐く。

 「まさか、北の森の方へ行ったんじゃなかろうな・・・」

 「やりそうだな・・・特にあの二人だろ?」

 「北へ行って探してきます!」

 教官達の言葉を聞き終わらない内に、イルカは北に向かって走りだしていた。

 まさか・・と思いつつ、範疇に入れていなかった北の森。

 奥深くに進むにつれて、暗く、寒く、険しくなっていく森。

 気配を慎重に探りながら歩く。すると・・・

 「せんせー!」

 女の子の声。

 「!?」

 戻ってこない女子生徒の一人だった。

 森の奥から、服を泥で汚した女子生徒が、泣きながら姿を現した。

 イルカの姿を確認すると、駆け寄ってきてすがりつき、泣きじゃくった。

 「どうしたんだ、一体・・・他の子も一緒か?」

 中腰になってイルカが、女子生徒の肩を両手で包んで話しかける。

 「ひ・・・ヒイラギ君と、こだま君・・・」

 「やっぱり一緒か・・・どうしたんだ?」

 「は、早く、早くこっちに来て!」

 涙で顔をぐしゃぐしゃに汚しながらも、イルカの手を引っ張って懸命に走る女子生徒の様子に、イルカはただごとではない事を感じ取る。

 トンネルの様に枝が折り重なる小径を駆け抜けると、一旦森を抜けた。目の前に広がるのは、断崖。

 その縁に座り込むもう一人の女子生徒の姿があった。

 瞬間、悪寒がした。

 「まさか・・・・」

 その場でぺたんと尻餅をついてしまった女子生徒をその場に残し、イルカは断崖を上からのぞき込む。

 「!」

 「せ、先生!」

 3,4メートル下、断崖から生えている木の枝にまたがる、こだまの姿が・・・

 「こだま!ヒイラギ!」

 イルカが叫ぶ。木の枝にまたがるこだま。そしてその手にぶら下がり、半泣きのヒイラギの姿が見えたのだ。

 現れたイルカの姿に、こだまが思わず体を起こす。

 「ばか、動くな!」

 子供二人の体重にやっと耐えていた枝が、ミシリと音をたて、

 「わあああっ!」

 二人の叫び声と共に、折れた。

 「いやぁぁあああっ!」

 イルカのすぐ横で叫ぶ女子生徒。

 イルカの足は、無意識に地面を蹴っていた。

 「せんせー!」

 森の入り口に座り込む女子生徒の叫び。

 垂直に落ちていく子供二人のうち、イルカがこだまの腕をとらえた。こだまはヒイラギの手を握っている。

 空いているもう片方の手で、イルカは鈎縄を懐から取り出すと、断崖の縁にむかって投げた。

 ちょうど良い具合に鈎が縁に引っかかる。

 ビンッ・・・

 引っ張られる衝撃とともに、三人はなんとか断崖の途中で止まった。岩壁に足をつけ、イルカはまずこだまに縄を握らせた。

 そして、ヒイラギの腕を掴むと、自分の胸に引き寄せる。

 「せんせーっ!鈎がはずれるよぉ!」

 頭上で女子生徒の声。

 三人の体重に耐えられなくなった鈎が、岩肌を削って少しずつ、崩れ落ち始めた。三人体が、ガクンと揺れる。

 その度に、こだまとヒイラギは恐怖の声を上げる。

 「くっ!」

 イルカはすぐに決断した。縄を握って震えるこだまと、胸の中で同じく恐怖に震えるヒイラギに、優しく、声をかける。

 「・・・・先生を、信じてくれるか?」

 「・・・え?」

 恐怖と混乱と困惑で、二人はイルカの言葉を理解出来ないでいる。涙で濡れた顔で、イルカを見上げる。

 「絶対に、助けるから・・・・先生を、信じてくれるか?」

 教室で見せる、同じ笑顔。

 二人は、思わず頷かざるを得ない。

 「よし・・・」

 再び、三人の体が大きく傾いた。岩肌にかじり付いていた鈎が、限界を迎えたのだ。

 イルカはヒイラギに続き、こだまの体を自分に引き寄せると、

 縄を握っていた手を離し、

 渾身の力で岩壁を蹴った。

 「きゃああぁぁぁっ!」

 頭上で叫ぶ女子生徒二人の声が、一気に遠ざかる。

 生徒二人を抱きかかえたまま、遙か奈落の底に消えていく実習生の姿に、上に残された少女達が気を失わんばかりに叫んだ。

 自分の体を下にし、イルカは生徒二人をしっかり抱きしめる。

 耳元で風が凄まじい速さで通り過ぎ、耳鳴りがする。

 生徒二人は、イルカの胸に顔を押しつけ、しがみついたまま、叫び声も上げない。

 肩越しに振り向くイルカの目に、岩肌が露出した地面が近づいてくる。

 そろそろか・・・・

 イルカは、両手で顔の前に印を結んだ。目を瞑り、口の中で術の言霊を唱える。

 一文字、二文字、三文字切ったところで、目を見開く。

 ドウッ

 轟音と共に、イルカの背後に水柱が現れた。

 「わっ!」

 水遁の術の一種だ。

 凄まじい量の水が帯を成し、地面に背中を叩きつる寸前のイルカと、子供達を包み込んだ。

 そして、バシャッと弾ける音と共に水の帯は弾け散って消えた。

 イルカは子供を抱えたまま、岩肌に転がり落ちる。

 遙か頭上では、騒ぎをきいて駆けつけた教官や同僚達の姿が、微かに見える。

 助かった・・・・思わず安堵の笑みが口元にもれる。

 それも束の間、全身の痛みに、イルカは意識を放り出した。

 何かを叫ぶこだまとヒイラギの声が、遠ざかる。

 

 

 「先生、せんせー・・・」

 以前に学習した筈の応急処置の方法が、いざという時に思い浮かばない。

 水をクッションにして最悪の事態は免れたものの、子供二人を上にして背中から岩肌に直撃したイルカのダメージ量は、子供二人には判断しかねた。

 だが、両腕を広げ、両足を投げ出し、岩の上で微動だにしないその様子からは、子供達にでさえ危険な状態である事がわかる。

 多量の出血は見られないものの、耳元で名を呼んでも、頬をたたいても目を覚まさない場合は、楽観視できない状態である事が思い出される。

 だが肝心の、こういう時に何をしたらよいのか、まだアカデミーに入学したての彼らは学んでいなかったのである。

 助けを求めて上を見上げる。

 遥か上に先生たちの姿が見えるが、この高さではいくら忍とはいえ飛び降りられるものではない。

 道を迂回してくるしか、降りてくる手立てはないだろう。

 高等忍術の中には、瞬間移動をするものもあるが、そんな物を使えるのはごく一部の人間のみだ。

 「寒・・・っ」  ヒイラギが、両手で自分の肩を抱いてつぶやく。

 先ほどの水遁の術で、あたりはまるで嵐が去ったかの様にぬれていた。こだまも、そしてイルカも全身をずぶ濡れにしていた。

 「こういう時って・・・身体を冷やしちゃいけないんだよな・・・・?」

 イルカの傍に座り込み、上から様子を眺めていたこだまが、ヒイラギを振りかえる。

 「どうやって暖めるの・・・?」

 火をおこす道具もない。おこし方も知らない。火遁の術を使えるわけでもない。

 「あ・・・」

 ヒイラギが、小さく声をあげる。

 その声につられてこだまが視線を動かすと、

 「あ、血・・・」

 仰向けに倒れているイルカの背中、後頭部あたりから少しずつ流れていた血液が、いつのまにか面積を増しており、小さな水の溜まりを作っていた。

 出血量は少なくても、止血していないのだ。

 出血と水が体温をうばい、生還率を刻一刻と下げていく。

 それは、なんとなく分かってはいるのだが・・・  どうしてよいか、分からないのだ。

 イルカ以上に顔面を蒼白にし、こだまとヒイラギはガタガタと小さく震えながら、ただ呆然と流れる血液の行方を目で辿るしかなかった。

 悪ふざけをしようとした自分が悔やまれる。

 この先生を欺こうとした自分を恥じる。

 

 -先生を、信じてくれるか・・?

 -必ず助けるから

 

 先生は、自分たちを信じてくれていた。

 自分たちを信じて、命をかけて助けようとしてくれた。

 これほどまでに、  強い人だったなんて・・・。

 

 「ご、ごめんなさい・・・・先生・・・・」  

 涙があふれる。  頬を伝い、落ちる涙の粒が、血を混ざり合って消えていく。

 この人を助けなければならない。

 何かしなければならない事は分かる。

 だが、その考えへと自分の理性を冷静に切り替えようにも、彼らは幼すぎた。

 上からの助けがくる様子はない。

 冷たい渓谷風が通りすぎる。気のせいか、幾分日が落ち、陽光が弱まった。

 このまま日がくれたら・・・。

 周囲は森。

 血の匂いをかぎつけた獣が現れてもおかしくない。  

 

 ガサッ・・・

 「!!」

 背後で草が揺れた。

 

 

 

 

 「先生・・・先生」

 どうしたんだ・・・?

 「・・・イルカ先生・・・」

 そんなに、悲しそうな声を出さないで・・・

 

 「イルカ先生!」

 

 「っ・・・」

 光が飛びこむ。

 意識が急激に浮上する。目を見開くと、白い光が閃光のように網膜を刺激した。

 白濁とした視界の中から、少しずつ、複数の人影の輪郭が浮かび上がってくる。

 「・・・・・まぶしい・・・」

 イルカの呟きに、周囲がにわかに騒がしくなった。

 そこが病室だと分かるのに、そう時間はかからなかった。

 イルカが受け持つ子供たちがベッドを取り囲み、その背後から遠まきに実習生仲間と教官達。  

 「先生・・・」

 すぐ枕もとに、ヒイラギとこだまが、涙で顔をぐしゃぐしゃにしてイルカの手を握っていた。

 長い間そうしていたのか、握られた手が汗ばんでいるのが分かる。

 「二人とも・・・つ・・・」

 もっとも気に掛けていた二人の姿が目に入り、イルカは上半身を起こす。全身に走る痛みに顔をしかめ、乱れる息を整えながら、壁に背をつける。

 心配そうにその様子を見守る子供達。

 なんとか呼吸を落ち着かせると、イルカは改めてこだまとヒイラギに向かい合った。

 握られていた手を、強く握り返す。

 びくりと二人は肩を震わせて目をかたく瞑った。

 怒鳴られる・・・  そう覚悟を決めていた。

 

 だが、  

 病室が一瞬、ざわついた。

 

 「二人とも・・・・無事でよかった・・・・」

 「え?」

 やわらかい、優しい声に、二人は顔をあげて若い教育実習生の顔を見やる。

 

 顔に一文字に傷がある教育実習生は、こともあろうに二人の生徒の手を強く握り、唇を噛み、うつむき加減の瞳から涙をとめどなく流していた。

 子供達は困惑し、一緒に泣き出す子もでてきた。

 実習生仲間は唖然。教官は「やれやれ」と肩をすくめてため息。

 こだまとヒイラギはお互い顔を見合わせる。

 「へへ・・・」と奇妙な泣き笑いを漏らすと、

 「泣くなよセンセイ・・・」

 と二人同時にイルカの肩に抱きついた。

 肩に顔を埋めて、また、声をあげて泣き始めるのである。

 病室からの泣き声に、廊下を通りすぎる看護婦達が何事かと覗きに来る。

 

 窓から差し込む淡く白い光の中で、まるでそこだけ時間が止まってしまったようで・・・。

 

 

 

 

 

 「変な覆面の忍者が助けてくれたんだよ」

 「覆面?」

 

 三日後、学校に再び実習のためにアカデミーにやってきたイルカ。

 身体のいたるところに巻かれた包帯が痛々しいが、本人はすっかり回復していた。

 職員室で授業の準備をしていると、そこへ母親をともなって、ヒイラギとこだまがやってきた。

 しきりに頭をさげ、何度も礼を言う母親に、イルカはひたすら恐縮して何度も頭を下げたり、手を顔の前で振る。

 「こちらこそ、不甲斐なくて・・・。結局二人に助けられましたし・・・」

 と、テレながら言うイルカの言葉に、

 「違うよ、センセイ」とこだまが答えたのだ。そこで、覆面の忍者に話が及んだのである。

 

 「血止めとか、蘇生法とかしてくれて、あと火をおこしてくれたり・・・」

 「木の葉の忍だったのかい?」

 イルカが首をかしげる。

 「うん。センセイと同じ額当てしてた」

 「ねー」と二人は顔を見合わせる。もうすっかり仲よくなったようだった。

 その様子をほほえましく見守っていたイルカは、一方でその「覆面忍者」について考える。

 「アカデミーの中じゃあ、見たことないよなぁ・・・。その人にもお礼をいわなきゃいけないのに・・・」

 職員室から二組の親子を送り出すと、イルカは席に戻って再び、思案する。

 名前も、容貌も分からない忍。

 ましてや、自分が見たわけではない・・・。

 これは探すのが大変だ・・・。

 イルカはため息をつく。

 礼儀を損じるのが、彼には落ち着かない。 

 

 「そろそろ行こうか」  

 担当教官がイルカの名を呼ぶ。

 「はい、ただ今」

 でも、

 まあ、いいか。

 火影様にお尋ねしてみよう。

 そんな事を思いながら、イルカはプリントと名簿を小脇に抱え、立ち上がった。  

 

 授業開始の、五分前。

 

 「イルカセンセー!」  また、子供達の声が聞こえてきた。

 

 おわり
2005.10.25.Tue/14:34
  封印:サンプル 


封印

 




木の葉隠れ里の長、火影が提出した提案書に目を通した里の長一堂は、誰もが一様にまず、小首を傾げざるを得なかった。

 

「・・・・この新しい掟の提案じゃが・・・・本気かな?火影殿」

砂の国隠れ里の長が、提案書である巻物に指をあてて、火影を振り向く。

 

「いたって、真面目なつもりじゃ。狂ってなど、おらんよ」

 

毎年、秋口にひらかれる、隠れの里の長が集う大会議。

忍の世界共通の掟の改正、新法の提案などが行われる。

特にここ十数年間、つまり木の葉に狐が現れた年から、この会議は以前に増して、重要な意味を持つようになる。

 

例のナルトに関する「禁句」令が発布されたのも、この会議からだった。

 

そして今、また木の葉隠れ里の長、火影によって、新たな法案が提出されたのだ。

「まあ・・・別に反対する理由はないがの・・・・」

「逆に賛成する理由もないぞ」

そんな独り言が、会議の席にぽつりと漏れる。

「・・・・」

 

会議の書記たちが、手を顔の前で組み、何やら意味を含んだ笑みを口元に浮かべているのを、不思議そうな顔で、見ていた。

 

 

 

 

 

「そうか・・・色々あったな」

受け付け業務を終え、カカシ先生から第七班の報告書も受け取ったイルカは、ナルトと共に一楽にいた。

長い任務を終え、ようやく帰って来た元教え子は、どことなくたくましくなっていた。

箸を動かす手もおろそかに、溜めこんだ物をすべて吐きだす勢いで任務で経験した事をイルカに話すナルト。

イルカも、水の入ったコップを握ったまま、ナルトの話に耳を傾け、何度も相槌を打つばかり。

いつもなら、「ラーメンは熱い内に一気に食え」とうるさい一楽の主人も、気を利かせてか、麺がのび、スープが冷めても、何も口出しをしようとしない。

何も手をつけないまま伸びてしまったイルカのラーメンを、無言で取りかえる。

「あ、いいですよ・・そのままで」

と振りかえるイルカに、主人は「いいって」と一言。そして新しくラーメンを作り直し始めた。

ナルトの話は、それからまだ、続いたのである。

 

一楽で食事を終え、ナルトを自宅に送った後イルカは一人、繁華街の反対側にある自宅へと続く一本道を歩いていた。

自分の足が砂利を踏む音と、左側に広がる林から聞こえてくる虫の鳴き声だけがする。

もう夏も終ろうというこの初秋。この時間になると、さすがに空気が冷たい。

襟元に入り込んでくる風に身震いしながら、イルカはふと、空を見上げる。

 

宝石箱をひっくり返したような星空。

 

白い光が空を埋め尽くしている。

視線を上空に向けたまま歩く。

歩いても歩いても、どこまでも続く星空。

 

 

無限。

 

ふと、ナルトを始めとする子供達の顔が思い浮かんだ。

今まで受け持ってきた、多くの子供達。

口元が、つい緩む。

任務に出かける前と、後のナルト。

 

少し背がのびた。

少し声が低くなった。

少し手が大きくなった。

少し、いっちょまえの事を言うようになった。

 

カカシ先生という上忍とも、他の仲間達とも、ナルトは上手くやっているようだ。

紆余曲折、山や谷はこれから幾度もあろうが、きっとあの子なら、自分の手から離れても上手くやっていける。

 

 

こんな風にして、自分の元を巣立っていった子供達が、どんどん大きくなっていく。

無限の可能性を秘めて。

 

そんな風に考えるのは、

ちょっとおこがましいだろうか?

 

「・・・なんてな・・・・」

酒は一滴も入っていないにも関わらず、なんだか頬が熱い。

柄にも無く、哲学めいた事を考えて・・・、急に恥ずかしくなってくる。

 

まだまだ続く長い一本道。

涼しい夜風が、

イルカのほてった頬を、撫でていく。

 

 

 

 

 

 

 

「悪いが、ここしばらくは任務はお休みだ」

長い任務から里に帰ってきた翌々日、集まった第七班を前に、いつもの様に遅刻して現れたカカシ先生は、開口一声、こう言った。

「何でですかー?」

こういう時、いつもは嬉しそうな顔をするサクラは、なぜか暗く沈んだ表情だ。

カカシはそれに疑問を抱きつつも干渉はせず、淡白な口調で答える。

「上忍のお仕事って奴だ。任務再開の時がきたら、おって連絡するから、今日は解散な」

と言って、あっさりと帰ろうとするカカシを、ナルトが「ちょっと待てってばよ!」と引きとめた。

「何なに、その『上忍のお仕事』って奴!俺、手伝うってばよ!」

よほど何か冒険活劇的な想像をしたのか、ナルトは顔をほくほくさせて勢い良く立ちあがる。

傍らに腰を下ろしたままのサスケも、内心興味を抱いたのか、黙って様子を伺っている。

逆にサクラは、「また余計な事を・・」とでも言いたそうに、眉間に皺を寄せていた。

「んー」と顎に手を添え、カカシは視線を泳がせる。

「お前らに手伝えるような事は何にもない。ま、せいぜい会場整理かな・・?」

「会場整理ぃー?」

ナルトが心底嫌そうな顔をする。

「会場整理って・・・。ああ、森羅武会(しんらぶかい)か?もしかして」

サスケが呟く。その横で、ナルトが身を乗り出す。

「何だってばよ!ソレ」

「あんた・・一体アカデミーに何しに通ってたのよ」

眉間の皺を更に深くして、サクラがナルトを睨みつける。もはやキレかかっていた。

「毎年開かれる武術大会の事じゃないのよ」

 

いわゆる忍び五大国と呼ばれる、木の葉、霧、雲、砂、岩の隠れ里共催の、一大行事である。

中忍、上忍、国籍が入れ混じる広義的な大会であり、各階級、種目でどの里がどれだけの優勝者を出すか。

それが、各国の面子にかかってくるのである。

年に一度開かれるそれは、一年毎に各国を会場とする。そして今年、五年ぶりに木の葉隠れ里がその会場になったのだ。

 

「なーんだ、下忍は出られないじゃんかよー!」

サクラの説明を受けて、ナルトが頬を膨らます。

「図々しいにも程があるわよアンタ」とサクラは目を三角に吊り上げて怒る。

「・・・それに、アンタが出場するのか?」

口の前で手を組んだまま、サスケが呟く。

「ん、まだわからん」とカカシ。

「だけどどっちにしろ、下忍は会場整理や手伝いだ」

そうカカシが付け加えると、ナルトは「つまんねー」とその場に腰を下ろし、あぐらをかく。

 

ナルトは理解してはいないが、この大会は純粋に忍の技を競い合う神聖な大会とされており、

一般市民はもちろん、アカデミーの生徒も入場、観戦は許されていないのである。

周囲をかためるのは、各国の上層部の人間、忍の上層部の人間、そして中忍以上の忍び達。

厳しい評価と審査と判定に沿って厳粛に執り行われる。

この大会の結果次第では、昇格、降格が左右される場合も多々あるのだ。

 

であるから、会場整理ができるだけでも、本来ナルト達は喜ぶべきなのだ。

 

そう悟らせようにも、まあ、一度観戦してみれば体で思い知るだろうと、カカシはそれ以上何も言わなかった。

「で、カカシ先生は過去に出場した経験は?」

会話が途切れた合間をぬって、サクラが問う。

「あるぞ」

「え、で、どうなったんだってばよ!」

ナルトが興奮気味にはしゃぐ。その隣で冷静を保つサスケも、伏せていた視線を上げた。

 

「俺はこの大会で、上忍に昇格した」

 

 

 

 

 

 

「イルカ」

「?」

呼びとめられて、イルカは足を止めた。

アカデミーでの仕事を終え、受付業務を行うために管理事務所に訪れた時だった。

「三代目」

両手に巻物を抱えた三代目火影の姿があった。

「持ちますよ」とイルカはかけより、巻物の束を受け取る。

共に受付へと向かう道すがら、並んで歩く。

イルカは、昨晩ナルトと交わした会話について、火影に報告する。

いつまで経っても子離れできない親みたいで・・・と照れ笑いしながらも、嬉しそうに話すイルカに、火影はいつもの調子で「うむ」と相槌を打つだけ。

 

目を細めて、いかにも平和そうな笑顔で話を続けるイルカの横顔を一瞥して、火影は口に加えていた煙管の煙をくゆらせた。

「イルカよ・・・」

「・・・はい?」

イルカの会話が一段落途切れたところで、火影は独言のような言葉をはさんだ。

 

少し高いところから、イルカの視線が火影と向き合う。

火影は正面を向いたまま。

廊下に、他に人影はない。

 

アカデミーと隣接しているとはいえ、とうに下校時間を過ぎたこの時間、外から子供の喧騒も聞こえてこない。

赤く染まり始めた太陽が、窓から差しこんでイルカと火影の姿を染めていた。

時間が止まったような、妙な空間の中に、一瞬の静寂。

 

「一週間後に、森羅武会が木の葉で開催される事となった」

「そうですか」

再び、イルカは目を細める。

「もうそんな季節なんですね」

「忙しくなるなぁ・・」と言葉を続けて、イルカは笑った。

五年前、まだ新米の中忍だったイルカは、大会の準備、運営の手伝いに走り回って働いた事を思いだした。

「今年はナルトも卒業した事ですし、多少手も空いたので、また精一杯お手伝いしますよ」

「子離れできていない」と自分で言った事を棚に上げている事にイルカは気づいていないが、

 

「・・・」

 

「・・・・三代目?」

黙りこんで小さくため息をつく火影の様子に、不安を感じたような目で言葉を止める。

 

「今年は・・・」

火影が低く言葉をつむぐ。

煙管の煙がたゆたう。

イルカの目に映る火影の横顔。

笠に隠れて、その表情はよく確認できない。

 

「・・・・?」

 

火影の足が止まる。

 

不思議に思いながらも、イルカはそれに倣って足を止める。

廊下の真中に長く伸びる、二人の影。

再び訪れる静寂。

改まった様子の火影に、イルカの心臓が一つ、大きく鼓動した。

 

そんな中に低く響く、

 

「今年は、」

 

 

絶対的な火影の言葉。

 

 

「お前にも出場してもらう」

 

 

 

 

 

「・・・・・」

事態を完全に飲み込めていないイルカが、目を見開いて立ち尽くす。

 

その返事を待たず、火影は再び歩き出した。

「あ、ちょっ・・・三代目・・・」

あわててイルカはその後を追う。

「ちょっと待って下さい三代目・・。仮にも里の威信をかけた大会ですよ?」

「それがどうした」

両手に抱えた巻物を落としそうになりながら後をついてくるイルカにかまわず、火影は相変わらず正面を見据えたまま、淡々とした口調。

「厳粛な里内での選抜を経る必要があるんじゃないですか?それをその・・・一介の中忍教師にそう簡単に・・・・」

「なんじゃ。ワシの決定が厳粛ではないと言いたいのか?」

「え、あ、いや、そういう事ではなくて・・・すみません・・・でも・・・これは上忍昇格試験も兼ねている大会なわけですから、私の代わりにもっと他に有望な方を・・・」

再び、火影の足が止まる。

不意をつかれてイルカも足を止めるが、巻物が一本、腕から落ちて転がった。

だが、イルカはそれを拾おうとせず、ただ、こちらを笠の下から凝視する火影の視線に射ぬかれて身動きできずにいた。

 

「・・・・・・もう、良いのだぞ・・・」

 

「・・・え?」

 

低く、単調な火影の口調。

 

「先月をもって、『アレ』の解禁令が発布された」

「アレって・・・・」

いぶかしげにイルカが首を少し傾げる。

 

「もう、誰に遠慮をする必要はないんじゃぞ・・・イルカよ」

「え?」

火影の言葉を何度も頭の中で反芻する。

だが、言葉の真意が読み取れない。

 

戸惑ったまま立ち尽くすイルカの腕に、火影が拾い上げた巻物を乗せた。

 

そして、

 

「お前もそろそろ、好きなように、やってみるが良い・・・・。自分自身の全てを出してな・・・・」

「三代目・・・・・」

 

 

説明を求めるまもなく、火影はイルカからきびすを返す。

イルカに背を向け、窓から差しこむ光を全身に受けて、火影は、最後の言葉を残す。

 

 

「お前は十分、我慢してきた・・・・・」

 

 

「・・・・・・・・・・・さ、三代目・・・っ・・・」

イルカが呼びとめる声も無視して、火影は、廊下の先へと消えていった。

 

赤い陽光で染まりかけた、時間のとまった廊下の真中に取り残されたイルカは、火影がいなくなった廊下の先をみつめていた。

視線を窓の外に向け・・・

 

「・・・・・」

ふと足元を見つめて・・・

 

「・・・・・」

そして再び、廊下の先を眺める。

 

「・・・・あ・・・・・」

 

思わず口から漏れた声。

 

脳裏の片隅に、ろうそくに火が灯されたように甦った、ある記憶。

「・・・・まさか・・・・」

巻物を抱える腕が、微かに震えた。

 

「まさか『アレの解禁』って・・・・・・」

それは、

体の芯から伝わる、

自分自身の、臓腑の躍動だった・・・・・。

 

 

「自分自身の全てを出して」

 

 

 

 

そのとき、

イルカの脳裏には、

また、

ナルトの笑顔が、思い出された。

 










封印2






「あのマークは、砂の国。で、あっちが岩の国。で、あそこの人は・・・ってナルト、アカデミーで国の紋章も勉強したじゃないの」

サクラの拳骨が、ナルトの頭上に落ちた。



日を追うごとに、木の葉隠れ里の中で、他国の紋章が刻まれた額当てをしている忍の姿を見るようになった。

ナルト達と年格好の変わらない忍びから、いかにも強そうな雰囲気を発する忍び達まで、様々な顔ぶれが揃っていた。


「どの人も、各国の里から選ばれた強者ばかりってわけね・・・」


今日の第七班は、パンフレットの仕分けをさせられていた。

頁を束ねて綴じる、単純な作業の繰り返し。

黙々と働いているとはいえ、サスケは眉間に皺をよせ、なんとも面白くなさそうな顔をしている。


一方のナルトも、作業開始から十分もしないうちに飽き始め、隣のサクラに何かと話しかけては煙たがられている。


「木の葉からは誰が代表になるのかな」

「どう思う?」とサクラは何気なくサスケに話しをふる。

「・・・・さあな」

だがサスケはあくまでもそっけなく、黙々と下を向いてパンフレットの頁を揃える。


ナルトは、そのパンフレットの中身を確認するが、出場選手一覧は載っていなかった。

なんでも、トーナメント組み合わせや、勝負に公平さをもたせるために、出場選手の正体は当日まで明かされないのだという。


「カカシ先生、出るのかなぁ」

黙ったままのサスケに代わり、ナルトが振り向く。

「上忍だったら、他に例えばスイレン先生、カンナ先生なんかも、強いんじゃないかしら?」

「何だか燃えてきたってばよ!」

興奮して声をはりあげるナルト。そして、それに呆れて苦笑しつついるサクラ。

「中忍は誰が出るのかな。イルカ先生とか出たら、面白いのにね~」

「あ、それは無理だってばよ」


「え?」


思わぬナルトの即答に、サクラが首を傾げる。

あまりに断然と否定されたので、逆にムッとした様子だ。

 

サスケも、ついと顔を上げる。

 

ナルトは、パンフレットを綴じながら肩を一度すくめて笑った。

「イルカ先生、他人の血を見るのが苦手なんだってば」

 

「何よそれ~」

思わず、サクラがふき出す。

アカデミー時代は、笑っているか怒っているかのどちらかのイルカ先生だが、そんな一面があったとは。

サスケは鼻で軽く笑うと、また下を向いてパンフレットを手にする。

 

「自分の血は平気らしいんだけどね」

オレは両方嫌だけどね~と、ナルトはにししと笑いながら、パンフレットを綴じるためのホッチキスを手にした。

 

「・・・・・」

「・・・・・」

 

サクラとサスケが、ほぼ同時に顔を上げ、複雑な表情を瞳に写していた。

 

下をむいてパンフレットを綴じながら、ナルトが続ける。

 

 

「だからオレ、イルカ先生には万年中忍でいて欲しいんだってばよ」

 

 

サクラが気まずそうに下を向く。

サスケは、変わらぬ表情のまま、また作業を再開する。



イルカ先生大怪我事件に関して知るのは、第七班だけだ。

任務の間に、ふと思い出話を語るようなナルトの口からきいた、痛い出来事。

詳しくは聞かされていないが、何やらミズキ先生と争い、背中を始め全身に酷い怪我を負ったという。

ナルトが言うには、それに少なからずともナルトも関係していたとも・・・。



 

「じょ、冗談よ・・・冗談。だって、上忍にしたって、中忍にしたって、選びぬかれた忍か出場できないんだから・・・。

 

木の葉に一体何人中忍がいると思ってるのよ」

 

焦笑を浮かべて、サクラはナルトの背を掌で叩く。

 

「分かってるってばよ~」

叩かれた勢いで前のめりになりながら、ナルトがまた、「にしし」と歯を見せて笑った。



サスケは相変わらず、黙々と作業の手を動かしていた。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忍び関係者に配布された月報の臨時紙には、武会の詳細と、先月行われた大会議の詳細が記されていた。

 

一覧になって並べられている改定法案、新法案の中に、先ほど火影の口から聞き及んだ「解禁令」があった。

さもあれば、見落とすほどの・・・。

 

 

「・・・・・本当だ・・・・・・解禁になってる・・・・」

紙面を握る手に、力がこもる。

 

 

 

「イルカ先生」

「あ、は、はい!」

 

突然背後から声をかけられ、イルカは背筋を思わず伸ばした。

振りかえるとそこには、逆に驚いた、イルカに声をかけた同僚教師が、きょとんとした目で立っていた。

「す、すみません・・・ちょっとボーっとしていて・・・」

複雑な照れ笑いをするイルカに、同僚は「いいって」と笑顔で応える。

「ああ、例の大会の詳細ですか」

イルカが読んでいたのがそれだと知ると同僚は、「ま、我々専任教師にはあまり関係の無い事ですがね」と肩をすくめて笑う。

脇を通りかかった教師が、ふと足をとめて会話に入ってくる。

「剣術指導のカワラ先生が、上からの推薦をとれるかという噂がありますよ」

「ああ、あの人は確か傭兵部出身なんですよね」

「へぇ・・・」

少しずつ人が集まり、話しが膨らむ真中で、イルカはただ関心したように肯く。

 

様々な部隊の出身者が、実は中忍教師陣には少なくない事が、飛び交う会話の中で分かった。

おそらくそうした中忍の中でも実力者達が、火影を始め上層部の推薦を受け、大会に出場するのだろう。

里の威信と、上忍への昇格を賭けて。
 

(その中に・・・なぜ俺がいるのだろう・・・・・)

 

戦闘員として部隊に所属した経験は無くは無いが、特にこれといって武勲をたてた事などないのに・・・。

 

活劇的な会話に花を咲かせる教師達の輪から離れて、イルカは月報を握りしめたまま、職員室を出ようと扉に手をかけた。

 

直前、扉が勝手に開き、イルカは大柄な体と正面からぶつかった。

「うわっ」

「おっと」

 

 

中肉中背よりは背丈のあるイルカより更に頭一つ分強、体躯のある教師、カワラだった。

豪快な外見に似合う明朗で、竹を割ったような性格が、生徒達にも受けが良い、熱血漢の剣術講師だ。

思わずよろけたイルカの肩を掴み、カワラ先生は白い歯を見せて笑う。

「すみませんな、イルカ先生」

「こちらこそ」

イルカは月報を持った手で鼻の頭をかく。

「おや、それは?」

「え?ああ、臨時の月報ですよ。先生の机の上にも配られてます」

「ちょっといいですか?」

とイルカの手から皺になった月報を拝借すると、大会の記事を目にして「やっぱり、そろそろだと思ってたんですよね」と目を細めた。

「あ、カワラ先生」

教師達の輪が、入り口イルカと並ぶカワラの姿を見つけると、手招きをする。

「先ほどまで先生の話しをしてたんですよ」

「ええ?ロクでもない噂じゃないでしょうな」と照れ笑いしながら、カワラは月報をイルカの手に返すと、その教師達の輪の中へと入っていった。



 

 

 

「・・・・・・」

大会の話で盛り上がる職員室を出て、イルカはどうしたものかと一人、廊下を歩く。

そろそろ放課の時間も過ぎる。

校庭に残って遊んでいる子供達や、居残りをしている子供達も、帰る頃。

 

イルカは、今日は職員室に残って生徒の課題を採点するつもりだったのだが、あの様子では当分、教師達の興奮は収まりそうにない。

 

 

思案に暮れていると、廊下の向こう側から、複数の気配が近づいてきた。

突き当たりの廊下を曲がってこちらへやってくる、数人の忍び達。

その中に、見知った顔があった。

 

「・・・・」

 

受け付けで先日言葉を交わした、ナルト達第七班の担当上忍、はたけカカシ。

他の上忍教師達と共に、談笑しながら職員室に向かってくる。

 

「・・・・あ」

 

イルカが声をかけようとした前に、カカシの方がイルカに気づき、手を上げて微笑む。

 

「先日はどうも、先生」

「こちらこそ・・・」

 

軽く会釈して微笑み返す。続けて、カカシと並んで歩いてきた上忍達にも軽く頭を傾ける。

一人は、長いくせっ毛の黒髪が特徴的な、くの一。

そしてもう一人は、あごひげをたくわえ力強い印象をうける、イルカやカカシより大柄な忍。

 

「お知りあいなの?」

 

低く落ち着いた声のくの一。

その、冷たい印象を受けるが美しい瞳が、イルカとカカシを交互に見やった。「珍しいこと」と言葉が付け加えられる。

 

「?」

 

その言葉に奇異な印象を抱きつつも、イルカは恐縮したようにくの一に向き直る。

 

「申し遅れまして・・・アカデミーでクラス担任をしてます、イルカと申します」

「イルカ先生・・・?」

 

くの一が、胸の前で組んでいた右手を口の前にもっていく。

その隣で、大柄な忍も、「ああ、あんたが」とイルカに向き直る。

 

「私の担当する下忍に、あなたの元教え子がいるわ。こだまと、ヒイラギって男の子よ」

「俺のところにもいますぜ。ツバキってませガキが」

 

「ああ、そうでしたか・・。元気でやってますか?三人とも。・・・懐かしいです・・・。ツバキは、ちょっとキツい子でしたが、やっぱり相変わらずなんですか?こだまとヒイラギなんて、ケンカばかりして大変でしょう?」

 

思いもかけないところで懐かしい名前をきいて、イルカはつい嬉しさに力が抜けて満面の笑みを浮かべる。

 

 

「・・・・」

 

 

ふと気づくと、カカシが少し驚いたようにとろんとした右目を見開いてイルカを眺めているのに気づく。一様にくの一も、大柄な忍も、ぽかんとした様子だ。

 

 

 

「くくくくっ・・・」

 

 

 

 

顎下に添えていた右手を再び胸の前で組んで、くの一は肩を小刻みに震わせて笑う。

それにつられるように、今度は大柄な忍の方が口のくわえタバコを揺らして口元で笑う。

そしてしまいには、カカシまでもが、覆面の口元に手をあてて、笑いを堪えるしまつ。

 

 

 

「あ、あの・・・」

すっかり困惑したイルカは、いぶかしげに三人の様子を見やる。

 

 

「ご、ごめんなさい・・・だって・・・」

目の端に涙さえうかべて、くの一は必死に笑いを抑えて応える。

「あまりにあの子達の言う通りだから」

「まったくだ」

大柄な忍も同様。

「こだまとヒイラギ、あのこ達、とてもあなたを慕っているわ。アカデミーでの思い出話といったら、あなたのことよ」

「たしかにキツくてませガキだが、内心ツバキだって、あんたの事を慕ってたみたいだぜ。もしかしたら惚れてたかもな」

ガハハと大柄な体を反りかえらせて、くわえタバコの忍が大声で笑う。

 

 

恥ずかしいやら嬉しいやらで顔を赤くしたり青くしたりするイルカ。

 

 

「・・・・・・」

イルカは、ふと視線を外してカカシを見た。

傍らで三人のやりとりを眺めていたカカシは、右目を細くして始終、笑っている。



 

 

 

「カカシ先生って、大会がきっかけで上忍に昇格したんだって」



 

 

 

 

ナルトから聞いたそんな話。

大会の事を、火影様の事を、何か聞けるかもしれない・・。

今度会ったら、相談してみようか。



そう、内心思っていたのだが・・・・

「・・・・・」



どうやらそのタイミングを逃したようだ。








封印3







 大会の会場は、普段は固く閉じられている、里の第二西門から一本に続く道を歩いた先にある。

 一本道の両脇には、立て行灯が一定間隔に設置されており、おそらく大会当日は、鬼火のようなこの明かりが、来客や戦士達を会場まで誘うのだろう。


 カカシにつれられて、第七班は、会場へと続くその道を歩く。

 周りには、同じく上忍に付き添われた新人下忍達の姿があった。

 みな、初めて目にする全ての光景に、目を輝かせて落ち着き無くキョロキョロと辺りに視線を動かしていた。

 その中で特に、ナルトは落ち着き無く飛びはねたり走り回ったり。


 「ちょっとは落ち着きなさいよ~」

 まるですっかり保護者が板についたサクラに、カカシはあえて口出ししない。

というより、いちいち何かをやらかすナルトに小言を言っていては、それだけで一日が終ってしまうのだ。

 ここは、サクラに任せてしまおう、というわけだ。



 

 「・・・・・だとしたら、大変だったろうなぁ・・・」


 ふと、

 カカシの脳裏に先日初めてまともに言葉をかわした、ナルトの元担任、イルカの姿が甦った。


 恐らく火影から命を受けていたらしい、クラス担任の範囲を超えた世話の仕様。

 だが、それ以上に、命の範囲をこえた心の入れよう・・・。

 過去に受け持った生徒達の名前を聞いただけで、あの表情の変わり方・・・。それが強烈にカカシの記憶に焼きついた。

 


 「何が大変だったの?先生」

 と、カカシの隣を歩いていたサクラ。

 「へ?」

 ふと目を声のするほうにやれば、下から見上げるように自分を見ているサクラ。

 「何か言ったか?俺」

 「・・・覚えてないならいいや」

 にこりと一度微笑むと、サクラはカカシの元から、ナルトの方に駆け出して行った。

 サスケと小突きあって歩くナルトの所に。







 「・・・・・」

 知らぬ内に独り言を洩らしていた自分に驚く。



 

 「珍しいこと」




 そう、口元に笑みを浮かべて言った、くの一、紅の顔を思いだす。


 

 「・・・確かに、なぁ」

 

 

 数年前に、唯一と呼べる親友を亡くしてから、こうして誰か特定の「知りあい」と呼べる他人を作った事など、無かったように思えたから。

 

 表面上は、常に瓢々と人受けしやすい態度ではあるが、その心は常に、どこか遠いところに向かっているような、そんな空虚感がある・・・と、

 以前誰かに指摘された事があった。

 そうだ。

 それも、彼女ではなかったか。

 

 

 「あんた、人の話し聞いてる?」




 上忍同士で、何気ない談笑をしている中、笑顔でふと、彼女がカカシに言った言葉だった。

 その時は、「どうしたんだよ」とその場の笑い話で済んだが、カカシには、彼女の勘の鋭さが恐ろしくさえ思った。

 たいていの人間とは、これで上手くやり過ごしてきたんだがな・・・。

 

 

 サクラといい、彼女といい・・・。

 「くの一の勘って奴かねぇ・・・」

 カカシは苦笑して、肩をすくめた。













 一本道の先、開け放たれた巨大な石門が、彼らを向かいいれた。

 門欄には『森羅万象』と書かれた金属板が張りつけられてある。

 

 門をくぐると、

 

 「すっげー!」

 

 

 ナルトが思わず感嘆の声をあげた。

 森を切り開いた広い平地に、いくつもの武舞台が、石段の観客席によって区切られて並んでいた。

 会場では、すでに運営委員の忍達が忙しそうに走り回っては準備に追われていた。

 

 「こんな場所が里にあったなんて、知らなかった」

 

 さすがのサクラも、会場中を見渡してため息をつく。

 

 黙りこんだままのサスケも、わずかに目を見開いて、彼にしては珍しく、四方を吟味するように見渡している。

 「各武舞台の傍に、特別席が設けられてるだろ?あれが、里の長クラスの人間が試合を審査する席だ」

 「ほれ」と指先で示しながら、カカシは子供達をつれて会場内を歩く。
 武舞台に近づいてみれば、ナルトの背丈ほどもありそうな石段。

 階段のようにそびえる観客席に昇って武舞台を見下ろしてみれば、その光景は圧巻だった。

 

 

 準備前の会場は、すでに一種独特の厳粛色をかもし出しており、子供達にも十分、刺激的だったようだ。

 

 「武舞台に昇ってみるか?」

 「うんうん!」

 「いいの?」

 と四人が会場の真中にある武舞台の傍にやってきた。




 その武舞台の向こう側に、ナルトが火影の姿をみつけた。

 「あ、じっちゃんだ」

 「あらホント」

 

 「・・・一緒にいるのはイルカ先生じゃないか?」

 

 目を凝らしてサスケがぼそりと呟く。

 

 

 「あ、ホントだ!」

 とたんにナルトが口元を緩めて表情を明るくする。

 

 「イルカせんせ・・・」と呼びかけようと手を振ったところで、

 「・・ちょっと待て」とカカシに止められた。

 

 「?」

 

 不思議におもいながらも、ナルトは素直に手を下ろして、何やら言いあいをしている火影とイルカを遠くから眺める。



 武舞台の向こう側、ちょうど審査席が設けられているすぐ傍で、火影と一中忍が並んでなにやら言いあっている光景。

 何気なくカカシもそれを眺めていたが、それがきわめて奇異な光景である事に、少し遅れて気がついた。

 少し遠いが、カカシは気を聴覚に集中させ、二人の会話を聞き取ろうとする。





 『解禁って・・・・ぜ・・・・ろ』

 『いずれ・・・・なければな・・・・・じゃ』

 

 

 

 『でも何故・・・・は俺を・・・・』

 『・・・・・不満か?』

 『・・・・・それは・・・』





 せわしなくざわつく会場の中、二人の会話は途切れ途切れにしか聞こえてこない。

 盗み聞きを諦めて、カカシは溜息をつく。

 

 

 

 最後には、諦めたように肩を落として、イルカが軽く頭を下げて、火影の元から去っていった。

 そのまま、イルカは会場反対側の出入り口から姿を消してしまった。


















 大会が、もう三日後にせまっていた。

 

 

 

 

 

 明後日、前日には出場者名簿が印刷されてしまう。

 

 今日、他の教員達と会場準備の手伝いに訪れてみれば、やはり大会が迫っている事を如実に実感してしまう。

 

 下忍時代、新人中忍時代に、木の葉で大会が開催された際にイルカは現場で審判の手伝いなど、間近であの厳粛な雰囲気を体験していた。

 命の賭けた前線、任務と違わない、殺気と血がたぎる戦い。

 事実、イルカの目の前で血を吐いて倒れ、瀕死の重傷を追って担ぎこまれていった忍を見た。

 刃物の仕様は禁じられているとはいえ、体術に優れる忍の腕は、鉄斧並の威力を発揮し、人の首さえも打ち落とす場合もあるのだ。







 「・・・・・はあ・・・・」

 日も沈んだ頃、イルカはようやく自宅に戻ってくる。

 

 

 静かな一人きりの部屋に入ると、一日の疲労が一気に全身にのしかかってきた。

 ベッドに身を沈める。

 

 まさか同僚達に自分が出場する身である事を明かせず、結局連日、他の教員や下忍達との準備活動に追われていたのだ。

 

 両脇に椅子を抱えて会場内を歩き回っている所に、



 「何をやってるんじゃお前は」

 「え、あ・・・」



 と呆れられたような声で火影に呼びとめられた。

 

 

 

 

 

 「まあ、言う言わないは本人の勝手じゃからワシは何も言わんが。だからといって、出場者としての立場を弁えいよ、イルカよ」

 「はあ・・・・」

 

 気の無い返事をするイルカに、火影はぎろりと一瞥する。

 

 向かい合って話しをする火影と中忍の姿に奇異な視線を送りつつ、すぐ傍を通りすぎていく忍達。

 中には見知った顔もある。

 気まずそうに肩をすぼめて、イルカは落ち着き無く目線を泳がせる。

 

 

 

 「お前と同じ中忍教師の・・・カワラとかいう忍びがいたのう」

 「え、あ、はい」

 「今回の中忍出場者一覧に、その名前があったぞ。アカデミー教師の中では、出場者はお前と、カワラだけじゃ」

 「はあ、そうなんですか」

 

 そういえば今日はカワラの姿を見ていなかったな、とイルカは思いだす。

 きっと明日には、カワラ先生の栄誉がアカデミー中に広がっている事だろう。

 よそに思案を巡らせているイルカに、火影はだがそれに言及せず、煙管の煙をくゆらせて言葉を続けた。

 

 「まあ、いまさら訓練でもしろとは言わんが・・・それでもそれなりの心構えをするべく、おこすべき行動というものがあるだろう。こんな所で椅子運びなぞしとらんで、身辺準備ぐらいしておけ」

 「三代目・・・おききしてよろしいでしょうか?」

 「なんじゃ」

 

 急に神妙な顔つきをして火影に視線を向けたイルカ。

 

 

 「あの解禁令の事ですが、なぜ今ごろ?今発布したって、あまり意味のある事では・・・」

 「いずれしなければ埒のあかない事じゃ。ならばいつだって良かろう」

 

 火影はイルカの悪あがきと言える疑問に、即答して跳ねつける。

 絶対的な意味を持つ火影の言葉に、だがイルカは、よほど納得がいかないのか、それでもまだ、すがるように言葉をぶつけてくる。

 

 「でも何故三代目は私を推薦なさったんですか?もともと、教師職を私に薦めて下さったのは、三代目ではないですか・・・。まあ、本気になったところで昇格する自信など塩一つまみ分だってありはしませんが」

 「ばか者。大会の意義を何と心得ておる!それに、ワシの決定に不満があるのか?」

 

 わざと、火影は権力の刃を振りかざしてみる。

 

 「・・・そういう事では・・・でも」

 イルカは眉間に一瞬影を落としたが、それでもまだ食らいついてくる。

 

 

 

 

 こういうところが、こやつの一筋縄ではいかん頑固なところじゃ・・・。



 

 

 

 

 火影の言葉に肯くだけの忍達とは違う。

 自分の意思、意見を堅固に守り、それを通すべく立ち向かう。

 イルカ本来の性格が、こういう時に垣間見れる。



 

 

 

 まったくもって、両親譲りだ。

 

 

 

 

 それなのに

 なぜお前は





 「何故いまだに己を殺そうとする」

 

 煙管を右手に持ち、白い煙を長い息と共に吐きだして、火影はイルカの視線に直に向き直った。

 

 「・・・おっしゃる意味が・・分かりません」

 

 「とにかく、著しく里や木の葉忍びの威厳を損ねるような事があれば、それなりの処置が待っていると思うが良い」

 

 

 「・・・・・」

 

 

 

 火影にしては珍しく、少々強い語気。

 

 「っ・・・・・・」

 

 何かを言い返そうと息を吸ったところで、イルカは言葉を止める。

 すぐ傍を通りすぎる忍び達が、いぶかしげな視線を送ってくる。

 

 

 

 「・・・・申し訳ありませんでした。失礼します・・・・・」

 軽く頭を下げると、イルカは火影に背をむけて、すぐ傍の出口から姿を消した。

 イルカの背中を最後までは見送らず、火影もきびすを返す。

 「・・・どうかなさったんですか?」と恐る恐る声をかけてくる忍びに

 「・・・つまらん喧嘩じゃ」

 と一言だけ返すと、さっさとどこかへと姿を消してしまった。










 『木の葉の威厳を著しく損ねる場合は・・・・』

 

 

 

 

 

 

 決定的な打撃を頭上から受けたようで、イルカは枕に顔を押し付けて固く両目を閉じる。

 里の殉ずる忍びとして、それだけは決して犯してはならない。

 律を重んじる世界において、律の遜色は死にさえつながる場合がある。



 

 「・・・・・・今更例えば俺が上忍になったところで・・・・・何があるっていうんですか・・・・」

 ぽつりと呟く独り言が、むなしく部屋に響く。

 

 静寂が、耳に痛い。

 

 

 顔を横に向けると、ちょうど棚の上に飾ってある写真立てが見えた。

 

 茶色い枠で飾ってある、一枚の古ぼけて色あせた写真。

 

 一組の、幸せな家族を写した写真。

 

 左端に、顔に大きな傷を持つ父親、右端に、柔らかく微笑む長い黒髪の印象的な母親、そして真中に、何も痛みなど知らなかった頃の、子供の頃の自分・・・。

 

 

 

 

 「・・・・解禁・・・・・・・・」

 いまさら・・・・・・

 

 

 

 

 急に、胸の奥からこみあげるものがあった。

 熱く、重い。

 

 写真が、ぼやけて見える。

 

 「・・・・」

 涙は、伝って来なかった。

 

 流す涙など、とうに枯れ果てたか。

 

 悲しみ、絶望という感情も擦りきれた。

 

 代わりに今胸によぎったのは、

 

 

 

 怒り。

 

 

 

 

 「・・・・今更・・・・」

 

 

 

 

 

 弾かれた様に、イルカがベッドから身を起こした。

 そして写真が飾ってある棚の引き出しの一つに手をかける。

 予備の額当てや昔使っていたハチマキ、体術実習などの時に使う手袋などがしまってある小さな引き出し。

 その一番奥を、まさぐる。

 目当ての物に触れた感触。

 それを、ゆっくりと引っ張り出す。





 

 黒い、甲当てのついた手袋だ。

 

 はたけカカシも日常に装着しているものと似ている。

 

 

 

 

 

 以前、両親が任務に出向くたびに使っていたものだ。

 

 

 

 懐かしい温もりと匂いがする。

 

 黒い布のそれは、よく目をこらすと、所々に洗いきれなかった血痕がみられる。

 両親が死んでから、もう汚すまいと思ってずっとしまってあった甲当て。








 

 「・・・・・使わなければならないのかな・・・・・・・・」

 

 

 

 

 固くそれを握る。







 

 

 

 

 暗く、静かな部屋の中で、

 静寂が耳に痛い。





 時計を見れば、日付が変わっていた。

 大会まで



 

 

 

 

 あと二日。

 







封印4






 日付が変わったその日も、結局イルカは会場で他の教師達に混じって荷物運搬やら書類整理やらに駆けずりまわった。



 その朝は、通勤したら既に職員室内は賑わっていた。

 カワラ先生を中心に教師達がとりかこみ、肩を叩きあったり笑ったり。

 イルカが入ってくるやいなや、一人がイルカを呼び寄せて「カワラ先生が大会出場権利を得たのだそうですよ」と親指で人の輪を指す。

 あまり好ましく思っていないのか、口元と目じりにやっかみの色がうかがえる。

 なるほど。

 輪に参加せず机に向かっている何人かの教師達は、いずれも卑屈な表情を浮かべている。

 

 ますます、憂鬱さが増した。

 

 輪の中心で照れ笑いしているカワラ先生は、頬を紅潮させて興奮気味に、まるで武勇伝を語るかのように、昨日三代目に呼びだされ、出場の指名をうけた時の様子を語っている。

 

 廊下の真中で何気なく切りだされたイルカとは違い、ずいぶんと厳粛な雰囲気のなか、通達をうけたようだった。



 忍として最高の栄誉の一つ。

 特に前線を離れている忍びにとっては、これとない自己顕示の機会だ。

 ましてや、昇格がかかっているとなれば・・・。



 

 でも、そうは思わない忍びだっている。

 現に、自分がそうだ。

 

 イルカは自問する。



 教職は、我ながら天職だと思っている。

 久々に実感する、生き甲斐だ。

 確かに、上忍になろうと教職資格は維持できる。カカシ先生のように。

 だが、前線経験から遠ざかっていた場合、まずは恐らくしばらくの間はどこかの部隊に配属されるのだろう。そうして戦闘経験、現場経験をつんだ上で、「上忍」として、教職に戻る事が出来る。

 前線送りが恐い訳ではない。

 忍として木の葉の額当てを受け継いだ時から、里に殉ずる忍びとしての覚悟はついていた。

 今省みてみれば、両親を亡くしたときから、妙に大人ぶってひねくれていた自分が思いだされる。



 死など、恐くない。



 『父ちゃん、母ちゃん!!』



 あんな風に、もろく、あまりにはかなく、人の命とは握り潰されてしまうもので、

 ならば、それならば、



 最初から固執しなければ良い。

 特に、

 自分の命など。





 「・・・・・・」

 腕を立てて、ベッドにもたれかかる体を起こした。

 立ちあがり、机の前に立つ。

 その上に、綺麗にたたまれている、黒い甲当て。



 イルカはそのまま、しばし立ち尽くしていた。

 もう、月が雲間から顔を出して、暗闇の里をこうこうと照らし始めている。















 カカシが火影宅を出たときには、月がちょうど、雲間から姿を現した時だった。

 朧月夜だった夜が、まるで昼間かと思うくらいの明るい夜となった。

 光の加減で、わずかに紅掛かった月光。

 赤い月よは天変地異の前触れ。

 

 「または・・・血に濡れる武会の行く末を嘆いてか・・・・」



 その赤い光を浴びて、カカシは覆面の下で小さく呟く。

 虫がけたたましく、秋の訪れを前に最後の命を燃やして鳴いていた。



 一番星を探してカカシはふと、東を向いた。

 その時、



 「?」



 アカデミーの裏山の頂から、一瞬だが、強い光が発せられたように見えた。

 刹那に輝いた光が消えうせ、残ったそこには柔らかい光を発する二等星。



 あれは、星の輝きか?

 流星だったのか・・・。



 「・・・違うな・・・」

 その光から、なぜか感じる違和感。

 今までに感じたことのない、「気」。



 自然と、カカシの足は光がした方向に向かっていた。











 アカデミーの裏山は、アカデミー生徒の戸外演習によく使われる場所で、普段は危険性が少ない。

 とはいえ、やはりこの夜闇。

 湿った夜霧が肌にまとわりつき、不快な汗をかく。

 

 頂をめざし、カカシの足は草を踏み分ける。

 気を集中させ、気配を探りながら。

 あの光は、人によるものか、物の怪によるものか。はたまた、天災の予兆か。



 演習に使われる広場を通りすぎ、さらに奥へと入り込む。

 これ以上は、いくら裏山とはいえ、立ち入り禁止になっている。

 伸び放題の草。

 好きな方向に生え放題の木々。

 ぶつりと人の手が加えられた様子が消え、とたんに森が深くなる・・・のだが・・・。



 「・・・・?」

 頂まであとわずか。

 カカシは足を止めた。

 

 ぽっかりと、木々や草がえぐられたように消えている一帯に出くわした。

 

 まるで野焼でもしたかのような。

 しかも、たった今。

 草の切り口が、まだ新しい。

 手袋を外して、素手で地面に触れてみる。

 熱を帯びた様子はない。

 

 「巨大な鎌鼬(かまいたち)でも出たか・・・?」



 

 ガサッ・・・・



 「!?」

 前方、頂きの反対側で草木が揺れ、カカシは前方に目を剥いた。

 とっさに、くないを構える。

 突然現れた、人の気配。

 「誰だ!」

 厳しい口調で呼びかけると、



 「・・・・?その声は、カカシ先生ですか?」



 「え?」



 名前を呼ばれ、一瞬体がこわばったが、カカシの方も、その聞きなれた声に構えていたくないを下ろす。

 

 「・・・・イルカ・・・先生ですか?」



 同時に、木々の間から二日前にも会った中忍の姿が現れた。

 黒い上着だったために闇に隠れてよく見えなかったのだ。

 「カカシ先生、どうしてこんなところに?」

 一歩一歩近づいてくるイルカが、戸惑ったように微笑む。

 「イルカ先生こそ」とカカシは溜息をつきながら、自分に近づいてくるイルカを待つ。

 「いやね、山のてっぺんで強い光が見えたから、何かなと思って」

 とカカシはくないをしまい、両手を腰にあてて、草木が削り取られた周辺地面を見渡す。

 「ああ、私もです。窓から見えて、気になって」

 イルカも、辺りを見まわす。

 その横顔は、どこか疲労がたまっているようで。



 先生・・・とカカシが言葉を続ける。

 「あ、はい?」

 イルカは顔をあげる。

 「とりあえず今日は帰りましょうか」

 この暗闇では、探索のしようもないと、カカシは肩をすくめる。

 

 肩を並べて裏山から降りてくる、二人の教師達の姿。

 こうして並んで歩くのは初めてだなと、カカシは前方に広がる星の少ない空を眺めながら思う。

 

 この人とは、割と、話す事は多いと思う。

 ナルトの事になれば、おそらく尽きることはないだろう。

 

 だが、今は不思議と、何も言葉が出てこない。

 一日の疲労のせいでもあろうが、隣を歩く中忍の少しうつむいて歩く様子に、カカシの詮索を拒むかのような堅固さがあるように思えたからだ。

 

 「カカシ先生は・・・」



 イルカの口が、先に開いた。



 「なんですか?」

 少し意外に思いつつ、カカシは前方を向いたまま応える。

 「ナルトから聞いたんですが」と前置きをして、イルカは少し顔をカカシの方に向けてしゃべりはじめた。

 

 「カカシ先生は以前、森羅武会に出場なさった経験があると・・・」

 

 なるほど。時期がら、ちょうど良い話題かもしれない。

 礼儀正しいこの中忍らしい会話の切りだし方だと、カカシは思った。



 「ええ。十年近く前だったんじゃないかな・・。岩の国だか砂の国で行われた大会でした」

 「優勝、なさったんですか?」

 「ええまあ。中忍の部でね。その後、割とすぐに上忍に昇格しました」

 「・・・・それは凄いですね。上忍の部でお出になった経験は?」

 「一度あります」

 「でも、」と、カカシはそこで一旦、会話を切った。

 「・・・?」

 イルカがカカシを振り向いて、首を軽く傾げる。

 

 「対戦者を死なせちゃって、しばらく出場資格を剥奪されてました」



 右目を細めて、昔の笑い話を語るようにカカシはイルカに視線を合わせた。

 「・・・・・・」

 

 イルカは、表情を変えずにカカシの視線にまっすぐ応える。

 視線を外そうとしない。



 嫌悪でも示されるかと思えば、またまた意外な反応である。

 この人のよさそうな中忍ならば、人殺しの経験を笑顔で語るこの態度を諌めるなどの姿勢に出ると思えば。

 返って来た言葉といえば、

 

 「・・・・・そうですか」

 

 の一言。

 肝が座っているのか、鈍いのか、よく分からない。



 「あ、でも今年はもしかしたら上忍審査定委員の一人として参加するかも、しれません」

 「審査定員?」

 逆にこの言葉に驚いたようで、イルカは初めてカカシの予測にそった反応を示した。



 上忍審査定員とは、試合の結果、進行に判断を下す審判とは異なる。

 主に、昇格がかかった忍が大会である一定基準以上の成績を修めた場合、カカシら上忍審査定員が最後の対戦相手となり、その戦いの過程と結果が、昇格の合否を決定する重要な審査基準に盛り込まれるのである。

 当然、この審査定員に選ばれる上忍も各里の長から推薦を受けて選ばれた人材である。



 「さっき、三代目宅でその辞令をうけましてね。その帰りだったんですよ。あの光を見かけたのは」



 「・・・・・そうでしたか」



 「イルカ先生は?」

 と突然問い返され、イルカは「え、あの・・・」とどもった。

 「もっぱら裏方で・・・」

 鼻の頭を掻きながら笑う。



 その応えにカカシは、きょとんと右目を開いた。だがすぐに再びそれを細めると、

 「え、いや、どこであの光に気づいたのか・・・という事ですよ。アカデミーで残業でもなさってました?」

 と軽く笑った。



 「あ、そ、そうですよね、すみません・・・えっと、私は・・そう、アカデミーで残業してて、ちょうど帰るところだったんですよ・・・・」

 今度は後頭部を掻きながら、なぜか顔に汗をうかべて照れ笑いをするイルカ。



 その割になぜ、イルカは手ぶらなのか。



 カカシはあえて、それに言及しなかった。

  

 





 







 驚いた・・・。

 「まさかあんな所でカカシ先生に会うとは・・・・」

 再び部屋に戻って来たイルカは、まず洗面所に直行した。

 不自然なまでに汗をかいている顔に、両手で水を浴びせる。

 

 タオルで水をふき取り、再び鏡に向き直る。

 まだ、

 心臓が痛いほどに飛び跳ねている。

 

 「怪しまれただろうなぁ・・・・あんな・・・・・」

 

 もう少し上手な良いわけや嘘がつけないものか。

 こんな所で正直者でも、損をするだけだ。





 「それにしても・・・・・あの先生が審査定員・・・・・」

 鏡の中、髪を濡らす自分と向かい合い独り言を吐く。

 

 あの子達も、

 確実に大会に見学に来るであろうし・・・・。



 「最悪だ・・・・・」







 洗面所から寝室にもどって、壁の時計を見る。



 あと、数時間で明日。



 そして、あともう一回夜を迎えれば、

 大会だ。






封印 5

 





 大会前日。

 アカデミーから大会会場まで、ナルト達は綴じ上がった大会要項冊子をかかえて歩く。

 「なんかさ~・・・」

 サクラが、ふと呟く。

 大会を前日に控えた、里の様子を眺める。

 「大会場は厳粛かつ盛大な雰囲気で、アカデミーの中ではすごい盛り上がりようなのに、なんか、里全体ではイマイチ盛り上がらないのね」

 里に会場役が回ってくるのは五年に一度。

 「出店とかやるかと思ったら・・・」

 他国からやってきた忍び達も何らかの歓迎をうけるでもなく。

 里をあげての一大行催として祭るでもなく。

 だが、五年前にも木の葉で大会が開かれたわけだが、特に子供達の記憶に残った出来事はなかったところを考えると、

 「本当に厳密に、忍びの間でのみ・・・なのね」

 当然なのだが。

 それだけ忍び同士の真剣勝負である事を示唆している。

 「でさ、結局カカシ先生は出場するのかな」

 とナルト。

 「でも写輪眼使ったら試合にならないんじゃない?なんでもコピーしちゃうんだったらさ」

 試合の画的に面白くないよね~と、サクラが笑う。

 「確かに対戦相手は打つ手無しだな」

 積み上げたパンフレットを抱えた向こうから、サスケの声。

 今サクラ達が運んでいる冊子の試合規範項目には、『写輪眼など特殊技能禁止』とは記述されていない。

 「何にしろ楽しみだってばよ!」

 ナルトは歯をくいしばって笑う。

 気持ち、肩が小刻みに震えているように見える。

 「・・・・・・」

 傍らのサクラにも、それが見て取れた。

 任務中、幾度となくサクラはナルトのこの独特の「武者震い」を見ている。

 緊張と興奮が全身を駆け巡るこの時、ナルトの目つきが変わる。



 『この世界には、お前達より年下で、俺より強いガキもいる』



 そうカカシ先生から聞かされた衝撃的な言葉。

 

 大会に集まる面子にも、

 そうした、カカシが「俺より強い」と認めるような忍が出てくるかもしれない。



 現時点で、第七班の間では「木の葉のはたけカカシ」という上忍が、忍の頂の全てだった。

 遠出の任務を通して多くの経験、世界、人々を見てきたが、



 カカシを始めとする上忍教師達いわく、



 「いやあもうまだまだ甘えた事ばっかり言って、大変なもんだよ実際」

 「この大会に接する事で、もう少し、眼が覚めればいいんだけど」

 「まあな。任務ではどうしたって、D級だからなぁ・・・。血をみる機会も少ないしよ・・・」

 荒療治を時として望んでいる。

 だが、どうしたって里の上部の意向から、新人下忍に与えられる任務といえば、戦闘を含まない雑用が多々。

 時に死者さえ出るこの大会が、

 教師達にとっても絶好の教材となるのだ。



 今大会で審査定員に選ばれた上忍教師仲間達と話しを囲みながら、カカシも同様の事を考えていた。



 「私も同感だわ」

 武舞台に腰かけている紅が、髪をかきあげる。

 その下、武舞台に背を預けていたカカシが顔を上げる。

 「スリーマンセルの弱点は、慣れと甘えが生じてしまう所よ。チームワークは学べても、やっぱり個人能力が忍の運命を左右するもの・・・」

 それに同調して一堂は肯く。

 「世の中には、暗部や特攻部隊の様に、高度の個人プレーが求められる所もあるんだって事を、感じてもらわないと・・」

 まだ子供達の多くが、それら闇の世界を冒険活劇的フィクションとしか認識できていないと、紅は指摘する。 

 隣の朋友が、明日の敵となりえる。



 寝首をかくかかれる。

 首を取る取られる。

 臓腑を引きずり出す出される。









 『子供達をそんな闇に引きずりこむような真似を・・・』









 あの人だったら、そんな風にして怒るのだろうな・・・・







 と、

 カカシは覆面のしたで無意識に吐息と共に笑いを洩らした。







 「何か嬉しい事でもあったの?カカシ」



 高いところから、紅の声が頭上に降った。

 両腕を胸も前でくみ、長い足を組んでカカシを見下ろしている。

 

 「え?別に」



 とぼけた振りをして見上げる。

 その視線の先が、ちょうど紅の長い足が生える裾際であったため、

 「どこ見てるのよ」と軽くかかとで頭を叩かれた。



 叩かれた側頭部をさすりながら、

 相変わらず勘のするどい女だ・・・とカカシは溜息をつく。



 「まあ、どっちにしろ、明日はせいぜい、暴れてやるわよ私は」

 審査、という名目を隅に押しやり、紅は納得したように肯く。

 ははは と、上忍の輪の中で、軽い笑いが起こった。



 会場の一角。

 武舞台に腰かけ、またはそこにもたれて何やら談笑する上忍達の姿。

 その反対側では、中忍や運営委員達が最後の仕上げにと、せわしなく動き回っていた。

 

 「そういえば、イルカ先生は?」

 予定表を捲り、次に行う作業を確認しながら中忍教師がつぶやいた。

 「休むと、届け出がでてましたよ」

 「は?」と顔をあげて、中忍教師は頬の筋肉を引きつらせた。

 何を考えてるんだ、こんな忙しい前日に。

 と、ぶつぶつ愚痴をもらす。

 イルカと同期にあたる若い中忍教師はそれにむやみに同調しない。

 人一倍、こつこつと真面目に働くイルカの性格を、同僚の中忍教師は長いつきあいで把握していた。こんな時に彼が休む理由として思い浮かぶのは、働きすぎで体調を崩したか、または、またナルトに関係したトラブルに巻きこまれているか・・・・。

 そんな事を思案するが、その暇も束の間、次々と片付けなければならない仕事を言い渡されてしまう。

 

 重苦しい、厳粛な空気が漂う会場の上を、



 ぴーひょろろろろろ・・・・・



 とんびが飛んでいった。















 ぴーひょろろろろろ・・・



 遠くで、とんびの声がした。

 すぐ頭上を飛んでいくとんび。



 意識の遠くで、奥深くで、とんびの声。



 風が、頬を撫でて通りすぎていく。

 頭の後ろで束ねた髪が、揺れる。



 イルカは、ゆっくりと閉じていた瞳を開いた。



 目の前には慰霊碑。

 両親の名が刻まれた、記憶の具象。





 もう、どれくらい時が過ぎたか。

 太陽は、真上を通りすぎ、傾きかけていた。



 

 早朝からイルカは、こうして慰霊碑の前に座り込み、水一滴さえとらずにいた。



 大きな任務の前には、

 こうして長時間にわたって精神統一のために瞑想していた父の姿が、数少ない幼い頃の記憶に残っていた。

 

 固く瞳を閉じ、岩の様に身じろぎ一つしなかった父。

 その端正で厳粛な横顔が、色あせた写真のように脳裏に焼きついていた。



 「・・・・・・・」



 ぼやけていた視界が、しだいに鮮明になる。

 慰霊碑の細かい傷まで、眼に入ってくる。

 

 昨晩までの焦燥感が、嘘のように消えうせていた。

 空腹感もなくなり、時間感覚も失せ、五感が麻痺を通りすぎて研ぎ済まされる。



 

 不思議だ・・・・

 

 迷っている事はまだたくさんある。

 戸惑っている事が、消えうせたわけではない。

 

 まだ、

 煮えきらない自分がある。



 なのに、

 どうしてこんなに

 落ち着いている自分がいるのだろう。



 開いた瞳を、再びゆっくり、閉じる。



 

 とんびは、

 もう谷の向こうへと消えていった。



サンプルはここまでです。
本では多分、5~6倍ぐらいの長さでした。
2005.10.25.Tue/14:36
  秘熱 


秘熱
 

 「ちょっとナルト!くっつくんじゃないわよ!」

 「仕方ないじゃんさ・・狭いんだってばよ!それだったらサスケだって・・・」

 「サスケ君はいいの。あんたがジャマ!」

 「そんなぁ・・・・」

 「・・・・・うぜえなお前ら」

 人気の無い職員室。

 大作りな戸棚の下段から、何やら子供三人の話声がする。 

 

 事の始まりはこうだ。

 名付けて「カカシ先生・生態調査」作戦。

 これまで、ナルト、サクラ、サスケの三人は、何度かこの上忍と任務時間を共にしてきた。

 だがこのはたけカカシという担当教官は、

 任務中は相変わらず片手に「イチャイチャパラダイス」を離さず、任務終了後は挨拶も無しにとっとと帰ってしまう。

 そこで、担当教官をより理解し、相互理解と親睦を深めよう・・・という建前の元に、三人は、興味本位と恐い物見たさで、この調査を始めたのである。

 「弱みを見つけてやるんだってばよ!」

 「サスケ君とこの先離れない為にも、まずカカシ先生に勝たないと!」

 「・・・化けの皮を剥がす」

 と、三人三様、胸の内に秘める野望やたくらみは異なるが、調査行動をとる事で目的が一致するため、

 今現在、こうして狭い戸棚の中、仲むつまじく(?)身を寄せ合って獲物の到着を待っているという次第である。

 

 ちなみに、今日は土曜日。アカデミーは休みだ。

 当然、職員室を始め、校内に人影はない。

 だが調査の結果、掴んだ情報によると、カカシ先生は確かに今日、ここに現れるという。

 提出期限をとうに過ぎたまま溜まりに溜まる、下忍三人の活動報告書の整理の為に、職員室で週末を過ごす羽目になった・・・・・と、

 カカシ先生がぼやいているのを確かに、サクラが聞きつけてきたのである。

 「でかしたってば、サクラちゃん!」

 「ふん。諜報業務も立派な忍の仕事なんだから」

 「しっ!誰か来る!」

 サスケが鋭く言葉を差す。

 サクラは両手で口元を押さえ、ナルトも口をつむぐ。気配を消し、戸棚の隙間から三人は職員室の様子を眺めた。

 ガラッ・・・・

 だが、

 「まったく・・・」

 と呟きながら職員室に姿を現したのは、何故かイルカ先生だった。両手に書類の束を抱えている。

 それを乱暴に机に置くと、どっかと椅子に腰を降ろした。ペンを取り、書類と向かい合う。

 当のカカシ先生は、姿を見せない。

 戸棚の中で、サスケが目でサクラに訴える。

 (おい、話が違うじゃねーか?)

 (えー、だってぇ・・・・確かに・・・・)

 サクラが眉をひそめる。

 出るに出られず、三人は戸棚の中でなおも身を寄せ合ったまま、気配を殺していた。

 カカシ先生ならともかく、生真面目で厳しいイルカ先生に、この状態はどうにもいいわけがつかない。

 (ここでイルカ先生を怒らせたら・・・サスケ君と離ればなれになっちゃうかも・・・)

 (ここでイルカ先生を怒らせたら・・・サクラちゃんと離ればなれになっちゃうかも・・・)

 (ここで奴を怒らせてこいつらとおさらばってのも悪くないな・・・だが面倒くさい事になりそうだからやめるか・・・・)

 またも三人三様、それぞれの思惑を胸に、ただひたすら息を殺して耐えるしかなかった。

 そのままどれだけ時間が経ったか。

 戸棚の隙間から見えるのは、机に向かって黙々とペンを走らせるイルカ先生の姿だけ。

 退屈が三人に眠気をもよおす。だが、ここでカックンといこうものなら、即イルカ先生に見つかって大目玉だ。

 必死に耐える。

 だが先に動いたのは、戸棚の隙間から見える、イルカ先生の方だった。

 一度大きく伸びをする。

 「何か・・・・だるいなぁ・・・・寝不足だったからな・・・・」

 そう呟きながら、とろんとした目つきでイルカ先生は、椅子から立ち上がると、戸棚近くのソファに身を沈めた。

 「!!」

 余計に動きがとれなくなった三人。

 ソファからは、よほど疲れていたのか、イルカ先生の静かな寝息が聞こえてきた。

 ・・・・チャンスか?

 (い、今のウチに出よう!)

 (そうだな・・・)

 (しずか~に・・・・ね)

 と、ナルトが戸棚に手を掛けた瞬間、

 ガラッ

 と再び職員室の戸が開く音。

 (ひっ!)

 (バカッ!)

 戸棚に手を掛けたまま、ナルトが固まる。

 サクラがとっさにその手を掴んで引っ込ませた。

 そして三人とも、再び息を殺し、気配を隠す。

 「イル・・・あれ」

 と間延びした言葉を吐きながら職員室に入ってきたのは、今度こそ三人のターゲット、カカシ先生だった。

 ソファに転がり、平和な寝息をたてるイルカ先生を見つけ、後頭部をぽりぽりとかきながらソファに近づく。

 それはつまり、三人が隠れている戸棚に近づいているという事で・・・・

 (来るな来るな来るなってばよ・・・・)

 (・・・・・もうバレたとか・・・?)

 (・・・・・・)

 三人は肩をすぼめて息を止める。

 だが、カカシ先生はソファの前で足を止めた。上からイルカ先生を見下ろし、そっと声をかける。

 「イルカ・・・おい、・・・・・何だ・・・熟睡かよ・・・」

 イルカ先生を呼び捨てるカカシ先生に、三人は顔を見合わせた。

 この二人が知り合いだとは、知らなかった。

 忍びの階級には明確なボーダーがあって、特に上忍は畏敬からか、下の者達からは敬遠されるふちがある。

 いかにもなれ合った者同士の様にイルカ先生に声をかけたカカシに、三人が驚くのも無理はなかった。

 特に、イルカ先生は、真面目で堅物で、言い換えれば「地味」の一言を具現化したような人だから。

 「ま、手伝わせた俺もわるいんだけどよ・・・・・」

 覆面の下から大きな溜息をつき、カカシ先生はイルカ先生の机から処理済みの書類を数枚とると、床に腰を下ろした。

 ソファにもたれかかり、イルカ先生が記入済みの書類にざっと目を通す。

 紙がこすれる音と、イルカ先生の寝息だけが、職員室の中で聞こえる。

 もっとも、戸棚の中の三人には、それに加え自らの心臓音もうるさいほどに鼓膜に響いてくる。

 しばらくするとカカシ先生は、書類を傍らの床に置いた。もう飽きたらしい。

 ふと、背後でまだ気持ちよさそうな寝息をたてるイルカ先生を振り返る。

 腰を上げ、床に膝をつき、ソファで眠るイルカ先生をのぞき込む。

 「?」

 戸棚の中で半分寝かかったナルトの袖を、サクラがひいた。

 (何・・・?)

 (ちょ・・・ちょっと・・・・)

 サクラが血相を変えて戸棚の隙間を指さす。サスケも、ナルトも、それに促されてのぞき込む。

 「・・・・?」

 ソファの傍らに膝をつき、イルカ先生の寝顔をのぞき込んでいるカカシ先生の横顔があった。

 窓から差し込む光が逆光になり、表情までは読みとれない。

 光に包まれて影になるソファと先生二人の姿が、現実感の無い、夢の中の幻の様に三人の目に映る。

 おもむろに、カカシ先生は覆面に指を当て、ゆっくりそれを顎下までおろす。

 そして、自らの唇を、ゆっくり、上からイルカ先生の唇に重ねた。

 「・・・・・・っ・・・・!」

 (しーっ!)

 思わず口を半開きにして目を丸くするナルトの口を、サクラが押さえる。だがサクラの目も、戸棚の隙間から見える光景に釘付けになっていた。

 サスケの方は、眉間に一層深い皺を作り、怒りとも、困惑ともとれない表情を作ってその光景を微動だにせず眺めている。

 一度唇を離し、カカシ先生は再びイルカ先生の上に覆い被さるように体勢を変え、唇を重ねた。

 右手でイルカ先生の額を包み込むようにして、やさしく前髪を指先でもてあそびながら・・・・。

 濡れた音が微かに響く。

 重ねた唇を、何度も咬むように動かしながら、更に深く、カカシ先生はイルカ先生の口内に舌を這わせる。

 「・・・・・ん・・・」

 くぐもった声が、カカシ先生の唇に覆われたイルカ先生の口元から洩れる。

 まどろみから醒めたイルカ先生は、しばし現状理解が出来ないのか、ぼんやりとした様子だ。

 だがすぐに、その口から拒否の言葉が出る。

 「カ、カカシ・・・・・・な・・・」

 イルカ先生の方も、カカシ先生を呼び捨てる。

 この二人が昔ながらの知り合いだという事が、これで明確になった。

 だが、今はそれどころではない。

 ナルトは目と口を開いたまま。

 サクラは顔を赤らめながらも、その光景から目が離せない。

 サスケは、表情を変えずに同じく、微動だにしない。

 雲が太陽を遮ったのか、窓から差す光が突然途切れた。

 悪い事に、逆光だったソファの様子が三人の目にもはっきりと確認出来るようになった。

 「離れろ・・・っ!」

 片膝をイルカ先生の足の間に滑り込ませ、カカシ先生は全身でイルカ先生に覆い被さる。

 イルカ先生は腕をつっぱって、体を重ねようとするカカシ先生を拒んだ。

 「・・・・いいから・・・」

 生徒達の前では決して聞かせない、ハスキー掛かった、そして綿毛に向かって話しかけるような甘い、囁きの様なカカシ先生の口調。

 「よくなっ・・・い・・・っ」

 授業で子供達に見せるような口調で抵抗を見せていたイルカ先生。

 だが、カカシ先生は、つっぱっていたその手を軽く片手でひねり、イルカ先生の頭上に押さえつける。

 (何が始まるの何が始まるの何が始まるの何が始まるの何が始まるの何が始まるの・・・以下延々と続く)

 ぽっぽと上気する頬を抑え、サクラは目が回るような感覚に襲われていた。

 イルカ先生の両手の自由を奪ったカカシ先生は、今度は頬、首筋、鎖骨に舌を滑らせる。

 そのたびに、イルカ先生は呻き声を押し殺す。

 「っ・・・う」

 アカデミーでは勿論、生徒達の中では最もイルカ先生と付き合いの多いナルトでさえ聞いたことのない、胸をくすぐるようなイルカ先生の声。

 それに触発されるように、カカシ先生は口元に意地悪な笑みを浮かべると、イルカ先生の耳元で囁いた。

 

 「今の内に力を抜いておけ・・・後で辛いぞ・・・・・」

 「こ、こんな所で変な気を起こすな!」

 教師二人の間で交わされる言葉の一つ一つに、サクラは胸を高鳴らせ、

 ナルトは何だか分からないがイルカが嫌な目にあっているんだという事で歯ぎしりし、

 サスケは相変わらずの表情で微動だにしない。

 イルカが上半身を起こす。上手い具合にカカシが押さえ込む手から逃れるが、カカシもそれを逃さまいと手を伸ばす。

 バランスを崩した二人は、その拍子にソファから滑り落ちた。

 これがイルカには運の悪い事に、ソファを背に、カカシと向かい合ってその膝の上にまたがる格好になってしまった。

 「・・・・この体勢が良いのか?」

 「バカ野郎!」

 戸棚からも、イルカ先生が顔を赤らめているのが分かる。カカシの腕をふりほどき、イルカは立ち上がろうと腰を浮かせた。

 そこを強引に腕を引き、足を払い、カカシはイルカをソファにうつぶせに倒すと、後ろから抱きついた。

 「俺はこっちが楽だな」

 「いっぺん死ねお前!」

 ソファに頬を押しつけられ、苦しい体勢からイルカは精一杯の罵声を飛ばす。

 だがカカシにそれさえも楽しそうにかわす。

 「・・・・餓鬼どもの子守から久々に解放されたかと思えば今度は書類の山だ・・・・

 俺は、お前と過ごす少ない貴重な時間を、クソ真面目に書類書きに使う気は、さらさらないんだよ」

 イルカの顔を振り向かせ、吐息がかかる距離からカカシは囁く。

 空いたもう片方の手は、イルカのシャツの下に潜り込んでいる。

 「だから・・・俺はお前のそういう所が嫌・・・・・」

 「それで結構」

 一言、それでイルカの言葉を遮ると、カカシはイルカの腿を縛る包帯を解き始めた。

 「いい加減に・・・っ・・・・ん」

 「ちょいと、静かにね」

 カカシは、くないを取り出すとそれをイルカの口元に押し当てた。

 そして、イルカの腰紐を解く。

 「ん・・・っ・・・」

 雲がひき、再び職員室内を陽光が照らした。オレンジ色の逆光がベールとなる。

 一呼吸の間隔の後、ギシッとソファが軋んだ。

 「っ・・・・!」

 くないを咬まされたイルカの口元から、一際苦しそうな吐息が吐き出された。

 そしてまた、ソファが軋む。

 イルカに抱きついたまま、カカシが一端、動きを止めた。

 はぁ・・・っ と荒い息が洩れる。どちらのものとも察しがつかない、切ない溜息のようで・・・

 「・・・力を抜け・・・・動くぞ」

 「や・・・やめっ・・・つっ・・・」

 唇を切ったか、イルカの言葉が途切れた。

 それとほぼ同時に、オレンジ色の光の中で重なる二つの影が、再びソファの軋む音と共にゆっくり、動き始めた。

 どくんっ

 一際、大きく心臓が高鳴った。

 「・・・・・・・・・・」

 胸元においた手に、心臓の鼓動が伝わってくる。

 冷や汗と脂汗とが混ざった汗が、顔全体を濡らす。

 狭い戸棚の中で、微かな溜息。

 もはや隙間から見える光景を直視できず、サクラは俯いて早くなる鼓動と呼吸を必死に殺していた。

 ナルトは、顔を真っ赤にしてもはや放心状態でサクラに抱えられたままだ。

 サスケは・・・・膝の上の握り拳をあらん限りの力で握る。その手が微かに震えていた。

 

 「っは・・・・あ・・・・っく・・・」

 途切れ途切れに、イルカの声が荒い息と共に聞こえてくる。

 体内に押し入る圧迫感が、胸にまでこみ上げる。

 「・・・・いっ・・・・・・・・・」

 拍を無視したカカシの動きに、イルカは呼吸を乱される。

 全身を駆けめぐるしびれと熱が、イルカの意識を翻弄し、揺さぶる。

 ソファに頬を押しつけたまま、ただひたすら・・・流されていく自分をくい止めるために、耐える。

 「イルカ・・・・・・・・」

 それに重ねて、カカシの吐息混じりの囁き。

 「・・・・・イルカ・・・・・」

 何度も、名を呼ぶ。

 羽で包むように優しく。

 「・・・・ずっと、俺は考えていた・・・・・・・」

 「・・・え・・・・・?何・・・・・・・?」

 半ば放心状態でカカシの攻めを全身で受け止めるイルカは、聞き取れなかった言葉を訊き返す。

 「俺が・・・戦う意味・・・・生き残る意味・・・・・それをずっと・・・・考えていた・・・・・・」

 「・・・・・・・・・意味・・・・・」

 「昔・・・・お前が・・・・俺に笑いかけたあの日まで・・・・・俺はずっと・・・・考えていたんだ・・・・・・」

 霞がかった声が、荒くなっていく息と共に、切なく、吐息となってイルカの耳もとに流れる。

 「・・・・・・・」

 イルカは、ソファにうつぶせになったまま、苦しそうに細めていた目を見開いた。

 

 サクラは胸元に置いた手をぎゅっと握る。

 (カカシセンセイ・・・・・)

 さくら色の服に、手のひらを濡らしていた汗が染み込む。

 サクラは、鼻の頭に熱い痛みを感じた。

 あの、いつも飄々とした、何を考えているのか分からない、サスケ君いわくウスラトンカチの・・・・あのセンセイが・・センセイの口から紡ぎ出される、

 あれは、

 愛の言葉・・・?

 切ない。

 何故か苦しくて。

 「・・・・・・・」

 傍らで、サスケは目元を辛そうに歪ませながら、うつむき気味に隙間から職員室の光景を眺めていた。

 唇を噛んで。

 サクラが両手で抱えているナルトの表情は、サクラからは確認できない。

 

 「っ・・・・」

 一層、吐息が荒くなる。

 イルカが固く目を瞑り、ソファのカバーを掴み、全身をこわばらせて耐えている。

 その上から、カカシは言葉を紡ぐ。

 「俺が・・・今を生きる意味は・・・・一つしかない・・・・」

 「・・・・・」

 「みなまで言わせるなよ・・・・・」

 そして、一際強い光が窓から射し込んだ。

 

 

 

 

 「ナルト・・・いつだったか、あんた言ってたわよねぇ・・・・」

 日が沈みかけた一本道。

 三人並んだ影が長く伸びている。

 右から、ナルト、サクラ、そしてサスケ。

 「何を」

 あれから結局、二人が職員室を去っていくまで、三人とも戸棚で気配を殺し通したのだ。

 本当に誰もいなくなった事を確認し、生徒達だけが知っている抜け道を通り、アカデミーを脱出した。

 その、今は三人並んでの帰り道。

 「好きな物は、イルカセンセイに奢って貰うラーメンだって・・・・」

 「・・・・うん」

 サスケは一人始終無言で、なんだか幻に包まれたような表情のサクラを横目で見やる。

 「あれさ、カカシセンセイも同じだったって、ことよね・・・」

 「・・・・・うん」

 ナルトの語尾がしおれる。

 三人の間にしばし沈黙が流れた。

 「しかも・・・ずっと昔からな」

 そこに、独り言の様なサスケの言葉。サクラとナルトがほぼ同時に顔を上げてサスケを振り向く。

 「サスケ君・・・・」

 「・・・・・・俺らが生まれる前からかもしれねーぞ」

 眉間に苦しそうな皺を寄せて、サスケは一本道の向こうへと沈んでいく夕日を睨みつける。

 夕日を浴びたその横顔が、今日はとても幼く見えた。

 これは・・・

 嫉妬・・・・?

 サスケから目をそらし、サクラも夕日に向かい合う。

 三人の足取りは、ゆっくり、ゆっくりと、一本道の向こうへ消えゆく夕日へと向かう。

 

 胸の中に籠もって消えない、秘密の熱を抱いて。

 

 

おわり
2005.10.25.Tue/14:37
  逆拘-ぎゃっこう- 


     
  逆拘<ぎゃっこう> 改 第一話

 

 

はたけカカシの首をとれ。

片岡五十万石に所属する暗部の忍達に辞令が下った。

理由はただ一つ。

かつてはたけカカシと一戦を交えた片岡の忍が、こともあろうに片岡に代代伝わる秘術を使った際、はたけカカシに覚えられ、しかも習得されてしまったからだ。

いわゆる、「コピー忍者」と音に高い、はたけカカシの能力故の禁事態だった。

「生かしておくわけにはいかん・・・あの秘術を奴に使われては・・・いずれ片岡は破滅だ」

失態を犯した忍の処分を決めた後、片岡領主十二代目は、ただちに暗部精鋭部隊にはたけカカシ暗殺の令を下した。

褒章は、思うがまま。

それが、忍らの勢威を増幅させる。

無論それだけではなく、あのコピー忍者をし止めたとあれば、忍の世界においても自らの名を知らしめる事が出来るのだ。

狙うはただ一つ。

はたけカカシの首なり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イルカ先生ー」

アカデミーの廊下で、イルカは聞き慣れた声に呼びとめられた。

「ナルト」とその名を呼ぶと、黄色い頭の少年は、表情を輝かせてイルカの足元に飛びついた。

「どうしたんだ、今日は任務は?」

この時間、通常ならば新人下忍達は担当のカカシ先生と任務に出ているはずなのだが。

「カカシ先生、急に入った任務で、今日は自習なんだってばよ」

「そうか。大変だな、あの先生も」

一度肩をすくめて、他人事の様に笑うイルカ先生に、ナルトはひじをトントンとあてて「にしし」と笑う。

「イルカ先生だって、昔は任務でいろいろ活躍したり、大変だったんだろ?」

「昔?」

「先生になる前だってば」

「ああ・・・昔ね・・・」

どこからそんな情報を仕入れてくるのか、最近ナルトはやけにイルカの過去にこだわり、色々と探ってくる。

昔、特工隊に所属していた事、どんな任務を請け負って来たか・・・など。

まあ、だいたい、情報源は予想がつく。

「誰に何を吹き込まれたんだ?お前は」

イルカのつっこみに、ナルトが頬を膨らます。

「だってばよ0、もったいないじゃんイルカ先生さー」

「何が」とイルカが返すと、ナルトはすかさずイルカにつっかかる。

「ミズキ先生事件の事カカシ先生に話したら、オレが怒られたってばよ。」

「カカシ先生が?何で」

「イルカ先生が逃げろって言った時にオレが逃げないから、イルカ先生が怪我する事になるんだって・・・」

「・・・・・」

 先日、任務報告の受付所で知り合ったばかりの彼が何故・・・・・・。もっとも、イルカはカカシを聞き知っていたのは言うまでもない。里でも音に聞こえる、写輪眼の上忍。

 イルカが一瞬見せた戸惑いの表情を、ナルトは見逃さなかった。

「イルカ先生、本当は何だかすごい特技があるんだろ?だってカカシ先生が知ってるんだから。だけど、学校の人間には誰にも知られないようにしてるって。でも何だって死にそうになってまで隠そうとするんだってばよ・・・」

 苦笑を漏らして、イルカはその場に中腰になる。ナルトと目線が合った。

「隠そうも何も、本当に弱いんだからしょうがないだろう」

 ごまかし笑いを浮かべるイルカに、ナルトはますます頬を膨らませてスネるように言う。

「オレってばわかんないよ。何でせっかくある力を隠すのかさ。

オレだったら、里の奴らにオレを認めさせる為にがんばるのによ」

 下唇を突きだしてすねるナルトの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「・・・ゴメンな、ナルト・・・」

 返って来たのは、切ないその一言だけだった。

 

 

 

「人には向き不向き、それに事情ってものがあるんだ。大人ともなればなおさらだ。この世間知らず」

 相変わらず一言多いサスケにムッと眉をしかめたものの、

 納得せざるをえなく、ナルトは振り上げようとした拳を握って抑え込んだ。

「お、殴ってこないのか。ちょっとは成長したようだな、ドべ」

 顔をひん曲げて歯軋りするナルトを横目に、サクラは隣で枝毛探しをしている。

 やっと休講が明けて久々の任務かと思えば、やはりカカシ先生は遅刻。

 下忍三人は、待ち合わせ場所である訓練場で待ちくたびれていた。

 他にも、アカデミーの屋外実習に来ている子供達や先生の姿がちらほら、遠目に見える。

 ナルトとサスケは、組み手なんだか喧嘩なんだか分からない取っ組み合いや口げんか。

 当然、サスケの味方であるサクラはそれを横目でヤジを飛ばしつつ、サスケを応援したり、枝毛を探したり。

 そんな下忍三人組の前に、のこのこと上忍が現れる。

「やあ諸君、おはよう。今日は青春の迷い道にはまってな」

「もうその嘘飽きた」

サクラが速攻で言い返すものの、カカシは右目を細めて笑った表情を崩さない。

「今日は何の任務だ?」

 毎回の下らないやりとりに辟易していたサスケがぼそりと切り出す。すると、「任務任務」とナルトの表情が明るくなった。

「久々に、里外での仕事だ」

「うぉっ!やったってば!」

飛び跳ねて喜ぶナルト。サスケもまんざらでもなさそうに口元に微かな笑みを浮かべていた。

「で、どんな任務だってば!」







「こんな事じゃないかと思ってたのよねぇ・・・・・・」

「国外のCランク任務っていうから・・・」

「・・・・・・・・・」

里を出て一時間後、森の草むらで子供三人の愚痴が飛び交う。

草むしりのような薬草探しをさせられているのだ。

木の葉では手に入らない、希少価値の高い薬草だという。

土と砂と草にまみれながら、薄暗い森の中で三人は、はいずり回るようにして薬草を探しては摘んでいた。

「何を言うか。里を一歩出れば、いつ敵が襲ってくるかわからないんだぞ。ましてやこんな森の中。立派な高度任務じゃないか」

と、当の上忍は愛読書片手に木の上でご休憩。

「里外へ逃げた犬を探しに行った時も、同じ事言ってたじゃないの」

細かい所まで記憶力の良いサクラが、ぶつくさと突っ込む。

「とにかく、指定された薬草を、指定されただけ集めるんだぞ。それまで帰れんからな」

「うへっ・・・」



 ちょうどそのころ、

「防腐薬を手渡すのを忘れていました・・・」

任務管理事務所で、そんな会話がされていた。

「何?」

第七班が摘んでくる筈の薬草の指定が、抜けていたのだ。それだけなら、伝書鳥を用いて通達すれば良いのだが、今回は不運な事に、任務に用いる特殊薬品を、手渡し忘れたのである。

この特殊薬品とは防腐薬の一種で、摘むと短時間で枯れてしまうという貴重で特殊な薬草を保存するためのものだ。

単純な、手続き不備である。

「場所は、火の国と甍の里との国境付近の森か・・・ここからだと一刻近くかかる・・・」

「薬は依頼人から手渡された特殊なものですから、宅配鳥に託すわけにもいきませんしね」

「この薬草摘みだけ、別件の任務として別の班に回しますか?」

「それこそ面倒だ・・・それに時間が無い」

多くの任務を各国から請け負う都合上、こうした不備は稀ではない。

こういう時に、損なくじを引いてしまうのが、いわゆる「お人好し」である。

「いいですよ」

と、二つ返事で頷いたのは、中忍のイルカ。

試験期間中の今、時間に余裕が生まれる教師が多い。

常日頃、空いた時間を利用して受付業務に出ているイルカも、今日は午前中から事務所にて仕事を請け負っていたのである。そこに舞い込んできたのが、書類不備から来た、ちょっとした「任務」。

火の国と甍の里との国境付近の森、「不知火の森」で薬草摘みをしている第七班に、訂正済みの任務書類と、特殊薬品を届ける事。里外とはいえ、日帰りが可能な距離だ。



 薬を受け取ったイルカは、軽い身支度の後すぐに、里を出立した。

 

 

 

書類と薬の入った封筒を小脇に、イルカは木漏れ日が揺れる森の中を歩く。

ちょっとした、散歩だ。

たまにこんな風に森に出向く機会があると、新鮮な気持ちになる。

緑の若葉を透かして届く柔らかい光の中を、青い香りを楽しみなが歩く。

足場の悪い森も、こんな時にはまったく苦にならない。

 

以前は・・昔は・・暗く、湿った、足場の悪い森は最悪の戦場でしかなかったのだが。

 

降りしきる雨

鼓膜をつんざくような雷鳴

全身を包む冷気

そして湯気

三日三晩・・

寝ずに銀髪の同僚と敵を待ち伏せていた時を思い出す。

身じろぎもできず、

音を立てる事も許されず、

仕掛けたトラップのそばで、ただひたすら気配を消して、

忍ぶ。

 

そんな時期もあった。

「昔」の話だ。

まあしかし、こんなに穏やかな森での任務なら、身体を冷やして震えている事もなかろう。

イルカは、半ば遠足気分で、この先で仕事をしているであろう、元教え子と上忍の元に向かう。

ここを抜ければ、「不知火」の森に入る。

軍事体制国家である「火の国」と隣接する森。

いささか、下忍が任務を行うには物々しい場所であるが、現在は戦も行われていない。

 

不知火の森は、緑が濃い。

火の国で起こった大規模な戦により、この森で多くの戦死者が出たという。

戦後は、大規模な残党狩りも行われ、この森は処刑場でもあったとも聞く。

森の葉が濃いのは、無念を残して死んだ者達の血を吸ったからだ・・・という逸話がある。

一方、その独特な自然環境ゆえに、希少価値の高い植物類が多く生息している事でも、有名だ。

不天候時には霧が濃く立ちこめる。戦時には、多くの松明が鬼火のように浮かび上がる。森の名は、そこからとられた通称だ。





「・・・?」

 微かな気配に気づき、森に入る寸前で足を止めた。

 埃のような、ごく、ごく微量な気配。

 今しがた通り抜けてきた森から流れてくる風が、運んできた気配だ。

 善なのか、悪なのか、その嗅ぎ分けもできぬほどの・・・微量な。

「・・・ナルトか?」

ぼそっと小声で、どこへとなく、イルカは声をかけてみる。

返事はない。

イルカの声はそよぐ風にかきけされてしまう。

それに重なり、小鳥のさえずり。

 

「・・・っ!」

 

甘い香り。

 

イルカはとっさに手で口と鼻を覆った。

これは・・・

遠い記憶を探りだす。

いつだったか・・・

嗅いだことのある匂い。

 

甘い、

甘い・・・

 

イルカの手から、封筒が落ちた。

続いて、それに折り重なるように、

 

「しまっ・・・・・」

イルカの身体が、崩れるように、地に伏した。

 

 

 

 

「・・・?」

 微かな風の変化を感じ、カカシは顔をあげた。

 カカシは獣道をせわしなく走るアリをずっと目で追いかけていた。

そのアリも、急に方向を変えて土の中に潜っていってしまう。

カカシのすぐ側では、薬草摘みを終えて、子供達が少し遅い昼食を食べている。

風を探って、カカシは立ち上がった。

「どうしたの?」

ご飯粒を頬につけたまま、サクラが顔を上げた。

「すぐ戻る」

カカシはそう言い残すと、里方向へと歩き出した。

濃い緑の枝木をくぐり、背を若干丸めて低くしながら、気配を探って歩く。

風が吹くたび、砂利を踏むたびに、微少な気配はかき消えてしまう。

善悪の区別も付かない、「違和感」という名の気配。

「・・・・・・」

カカシはふと、足を止める。

何だろう・・

また、「違和感」。

進行方向を、やや西に向ける。

 気配をそこから感じたわけではない。

 ただ、ただなんとなく・・・

 何かを感じたのだ。

 背丈ほどある草木をかきわけ、やっとの思いで別の獣道と交差する明原に出た。



そこは、不知火の森に続く、炎の森の入り口。



「・・・?」

 そこに見えるのは、

 無人の森の中にはふさわしくない光景。

 草に見え隠れするその何かは、地面に倒れた人影らしかった。

 色からすると、カカシが身につけている木の葉の忍びが着用する制服と同じだ。

「・・・・?」

 一歩一歩近づくにつれ、カカシの表情が変わっていく。

 まず黒髪が見える。

そして、それが後頭部で束ねられているのが分かり・・

「い、イルカ先生!?」

 草むらに俯せに倒れる人影に、カカシはつい声をあげた。

 肩を抱き起こすと、確かにそれは見知った顔。

同じ生徒を担当しているという共通点を持つ教師仲間。

もとい、カカシはその前にもその存在を聞き知っていた・・・

イルカだった。

 抱き起こした体を引き寄せる。

 外傷は無いようだ。

 病気・・というわけでもなさそうだった。

 だが完全に気を失ったイルカの首は、力無く垂れる。

 糸の切れた人形のように、カカシの両腕の中でぐったりと横たわるその様子は、

 まるで死んでいるようで、ただ事とは思えなかった。



gyakkou1-2.jpg


 

 

「・・・・?」

 

 すぐ側に、茶色い封筒が落ちているのに気がつく。

 拾い上げて中身を確認すると、

「書類と・・・薬・・・?」

 ざっと斜めに書類に眼を通す。

「まさかこれを届けようと思って・・・」

 何かが起こったというのだろうか?

「・・・・・・」

 指笛を吹いて子供達を呼び寄せようとして、カカシは手をとめた。

息を止める。

耳元をかすめていく風を聞く。

気配を探った。

先ほどまで微量に感じていた気配が、消えていた。

ここで大音をたてるのは、危険と判断し、カカシはいったん子供達の元に戻ることにした。

 封筒を懐に仕舞い、カカシはイルカを背中に背負う。

 意外に重い。

 そりゃそうだ。

 相手は大の男だ。生徒を抱えるのとは違う。

 イルカを背負ったまま、カカシはなるべく足場の良い獣道を選び歩く。

 背中のイルカは、全体中をカカシの背中に預けたまま動く気配がない。

 首筋に、息は感じられる。背中に、心臓の鼓動は響いてくる。

 生きているのは確かだが。

 

「戻ったぞ」

 その声に、その場にいた三人の子供達が振り返る。

「あ、おかえ・・・・・・」

 奥からサクラ、サスケ、そしてナルト。

「おい、その背中に背負ってるのは?」

 すぐに、サスケがカカシの背中を指さす。

「イルカ先生!」

 手にしていた水筒を放り出して、ナルトが立ち上がる。「ええ?」とサクラも驚動の声を上げた。

「ど、どどどうしたんだってばよ!なんでイルカ先生・・え?」

 混乱するナルトをよそに、カカシは背中からイルカを下ろすと、岩に背を預けて地面に座らせた。

「先生、イルカ先生、どうしたの?」

 サクラが背後から心配そうにのぞき込んできた。

「俺にもよくわからん」

 カカシは大きくため息をつき、イルカの傍らに膝をついた。

 下から顔をのぞき込んで顔色を伺い、手をとって脈を診る。

「どこも異状はないんだがねぇ・・・」

「いくらなんでもイルカ先生、変な場所で突然寝ちゃうような癖はないってばよ」

ナルトも同じくしゃがみこんで、ぴくりとも動かないイルカの顔を伺う。

「何でこんな所にイルカ先生が?」

「俺達への届け物の途中だったらしい」

サクラの問いに、懐から書類を取り出して手渡す。

書類に目を通したサクラは「貧乏くじをひいたわけね」と呟く。

ご名答。

おそらくそうだろうな、とカカシも呟く。

「薬草摘みを続けるわけにはいかんな・・・。いったん里に戻るか・・・」

 カカシは立ち上がり、ぐっと一つ伸びをする。

「任務の続きは、明日にしよう」

「休日出勤だけど・・・仕方無いわね。先生が心配だし」

本当ならいつもここで「え0?」と眉を顰めて抗議するのがサクラなのだが、さすがに大の男が意識をなくして倒れるという事態を重く見ているようだ。

「じゃあ、帰り支度を・・・」



じゃりっ・・

「?」

 

 砂を踏む音がして、四人がほぼ同時に音のした方を振り返った。

「あ、先生・・・」

 岩を背にして眠っていたイルカが、片膝をたてて、立ち上がろうとしている姿が目に映る。

 ナルトが駆け寄る。

「先生ってば、どうしてたんだよー」

 だがイルカは、無言で俯いたまま、足取りがあまりおぼつかない様子だ。

 両手を岩につき、なんとか体重を支えている、という感じだ。

「無理しないほうがいいなじゃないですか?原因不明ですから」

 と、ナルトの背後からカカシが歩み寄り、イルカの腕をとろうと手を伸ばした。

 

 だがそれより一瞬早く、

「!」

 イルカがカカシの手をとった。

 ふらつく体をさせるように、カカシの両腕を掴む。

 そして、徐々に上体を起こしていく。

「・・・イルカ先生・・・・?」

 依然様子がおかしいイルカに、カカシが訝しがり、名前を呼ぶ。

 その直後、

 イルカの手がカカシの首の後ろに回った。

 

 そして引き寄せて・・

「!」

 

 唇を寄せた。

 

 

「!?」

 

 

 カカシの背後に立っていたサクラとサスケは、何が起こったのか理解できずにいたが、

 二人の様子を真横から見ていたナルトの表情に、何かをくみ取ったらしく、口を「え」の字に開けた。

 軽い口づけのあと、いったん唇が離れた。

 

「い、イルカ・・・先・・・」

 

 だがまた、イルカの唇がカカシの言葉を塞ぐ。

 吐息がかかる。

 カカシの首に回されたイルカの手に、力が入る。

 

 口づけられたイルカの唇の端が、

 

 

 わずかに笑みの形を作った。

 

gyakkou1.jpg


 

「!」

 

 

 腕をつっぱり、カカシはイルカの体を突き放した。

 イルカの体が、二、三歩よろけて後退する。

 背中を丸め、うつむき加減のため、ナルト達からも表情が分からない。

 

「イルカせ・・・んせい・・・?」

 

 そして、ゆっくりと背中を起こし、顔を上げたイルカの表情は、

 

 

「う・・・寒・・・・」

 背筋に悪寒を感じて、サクラは身震いした。

 うなじの毛が、わずかに静電気で逆立つ感覚を、サスケは覚えた。

 ナルトは、服の中で、首筋から腹部にかけて汗が流れ落ちるのを感じた。

 

 

「・・・イルカ先生・・・・」

 下忍三人を背後にかばうようにして、カカシは身構えた。

 顔を上げたイルカの表情は

 



 

ただそれだけだった。

 

いつもの照れ笑い、

いつもの困惑した顔、

いつもの怒鳴る顔、

そのどれでもない、「無」の顔。

 

 

その目は、まるで敵、または獣が獲物を見据える眼。

ただ一点。

 

カカシの瞳を、突き刺すように見据えていた。

ゆらりと揺れる、陽炎のように、イルカは体を起こすと、

顔の前で腕を構える。

戦闘態勢の構えだ。

 

「・・・・下がってろ」

 背後の下忍三人にカカシは指示を出す。

 

 口を出す問題ではないと判断したサスケは、それにすぐ頷いた。

「え、でも、何、だって、イルカ先生・・・え、ちょっ・・」

 混乱気味のナルトの首根っこを、サスケが掴んで引きずる。

 サクラは、ただサスケの後についていく。

 イルカの眼は、だが変わらずただカカシの眼一点を見据えていた。

 下忍三人は全く視野に入っていないようだ。

「どうしたんだってばよー!先生ーっ!」

「黙ってろ!」

 カカシが覆面の下から、厳しい声を出す。

 今まで聞いた事のないカカシの厳しい口調に、さすがのナルトも一瞬、言葉を詰まらせた。

 

「ぬかったな・・・」

 カカシも、形ばかりに構える。

 イルカから、殺気は感じられない。

 邪気も感じられない。

「気」を何も感じない。

 これは・・・

 

術を掛けられている。



記憶操作、洗脳、意識操作系の術である事が明かだ。



気がつかなかった・・。

 

しかし、何者に・・・?

 

 

 

 



と思案する間もなく、

 

「っ!」

 

 目の前からイルカが飛びかかってきた。

 一瞬、思案に気を取られていたカカシは顔の前で交差させ、防御をとった。

 だがその防御をうち砕く勢いで、イルカの一打が打ち込まれた。

「ぐっ・・」

 骨が髄まで痺れる感覚。

 力で押され、カカシは思わず一歩、後退する。

 だがイルカはそのまま体を翻すと、素早くカカシの背後に身を移した。

(早い!)

 サスケが眼を細める。

 カカシが眼を見開く。

 ほぼ同時に、イルカの肘が、カカシの脇腹を掠った。

「・・・!」

 戦闘服が、裂けた。

 まさか懐に飛び込まれるとは・・・。

 寸手でかわし、カカシはイルカから距離をとって地面に着地する。

 だが次の瞬間には、頭上から踵が落ちてきた。

「冗談・・・っ!」

 それを何とか両手の平で受け止めると、イルカの足首を掴む。

 だがそれは実体ではなく・・

「くっ!」

 一瞬にふたたび懐に潜り込んできた影に、カカシはとっさに印を切った。

 風の幕がカカシを守るように引かれ、

「ぅあっ!」

 イルカの体がバウンドするように弾かれた。

 だが、イルカは巧みに体を回転させて着地する。そして、すぐに立ち上がり、構えた。

 

 お互い、再び距離をとる。

 

「・・・・す、すげぇ・・・・」

 

 ナルトが口走る。

 いつだったか、初任務の日に見たカカシの戦い。

 その日以来、

 ある意味、その日以上の衝撃が、

 下忍三人の間に走った。

「そういう問題じゃない気がするんだけど・・・」

 サクラが呟く。

「色々な問題がありすぎるわよ・・・」

 サスケが、ちらりとサクラを振り向いた。

 だがすぐに視線を、向かい合う二人の戦士に戻す。

 

(あの野郎が不利だな・・・)

 複雑な表情を眉間にしわに現すカカシの様子に、サスケは気がつく。

 そして一方の、不気味なほどに「無」であるイルカを見やる。

 カカシは、イルカにかかる呪縛を解く術を模索している。また、同僚教師相手に本気を出せるわけがない。

 そして一方のイルカは、殺気を発しもせず、何のためらいも見せず、カカシを殺そうと向かってくる。

だが・・

 

 

(本気を出さなきゃ俺が殺られるな・・・)

 鋭い視線をぶつけてくるイルカと視線を合わせながら、カカシは思案していた。

 

何も迷いが無い分・・・

 

今まで以上に手強い。

 

しかも・・・・

 

「何奴か!!」

 カカシが、空(くう)に向かって怒声を上げる。

 返ってくるのは、木霊だけだ。

「?」

 下忍三人はただもう黙って様子を見守るしかなかった。

「卑劣なり!さほどに俺に勝つ自信がないのか!」

 アカデミーでは決して聞かない、厳しく、強い声。

 それは紛れもなく、上忍としてのはたけカカシだった。

 

 

『そういう事は、この戦いに勝ってから言うんだな・・・』

 

 

「・・・!?」

 

 聞き慣れた声が、カカシに向かって敵意に満ちた言葉を吐いた。

 だがその口調、喋り方は、明らかにいつもの「あの人の声」ではなく・・。

 

 下忍達も、思わず視線をその方向に向ける。

 黒髪、顔の傷。忍び装束。

 見慣れた中忍の、聞き慣れた声。

 

 その声が、

 

『貴様を殺す・・それが叶えば道理など二の次だ・・・』

 

 殺気に満ちた雑言を発する。

 

 いつもは優しく微笑む為の唇が、

 今は残酷な、冷酷な笑みを浮かべている。

 

 

『殺す』

 

その言葉が、

 

 

カカシの脳裏を何度もめぐっていた。

 

 

 

 続




2005.10.25.Tue/14:38
  肴酒の種 


酒肴の種

 何か重い物が盛大に割れる音に続き、何か大きな物が盛大に倒れる音がした。そしてお互いを罵り合う二人分の怒鳴り声が騒音となって騎士舎に響き渡る。
 長い執務館の廊下。高い天井を伝って階下から聞こえてきたその音に、青騎士団部隊長のヒューズと同じく赤騎士団部隊長のアグインは顔を見合わせた。

「お二人とも…っ」
「お止めください!」

 若い騎士の哀れな当惑声も混ざって、騒音は鳴り止む様子は無い。音の響く方向をしばらく眺めていた両部隊長は、そういえば今日、両副長は城を外している事を思い出し、つまりは止める役目は自分らにあると知り全速力でその場から音の方向へ駆け出した。

「お前はそれでも一騎士団を束ねる団長か!」
「何を言う!一殺多生という言葉を知らないのか!?」
「それだ!そこが俺が十年以上かかっても好きになれないお前の最悪な短所だ!」
「その言葉そっくりお返しして差し上げようか。イノシシ団長殿!」

 階上の手すりから下を覗き込むと、廊下へとつながる階段の踊り場で取っ組み合う二人の影と、それを止めようにもオロオロと当惑するしかない若い見習い騎士や従騎士らの姿が見えた。
 床には哀れに割られた花瓶と生花が散乱し、廊下に飾られていた筈の胸像らしきものの残骸が散っていた。
 取っ組み合う二人の人影は、鮮やかな赤と青の騎士団長装束を纏っている。マチルダ騎士団の誉を具現化した象徴であるはずのその二つの騎士服は、お互いに掴みあったせいで着崩され、皺をよせていた。
「なんだとこの尻軽!」
「今時お前みたいな朴念仁は流行らないんだよ!」
 口論の次元がみるみる低レベル化していく様に、両部隊長は階段上から深い深いため息を落とした。
 それに気がついた青従騎士の一人がまるで救世主をみつけたかのように目を輝かせて声を上げる。
「ヒューズ部隊長!アグイン部隊長!」
 連鎖反応を起こして次々と二人に視線が向く。
 「しまった」と顔を顰めるも既に遅く、二人はとりあえず駆け足で階下に下りた。途端、青い団長服の腕に突き飛ばされた赤い団長服が両部隊長の元に背中からぶつかる。咄嗟に受け止めると負けじと赤い団長服が今度は体ごと青い団長服に突進して二人もろとも廊下側に転げ落ちた。
「カミュー様!」
「マイクロトフ様!」
 両部隊長の怒号が同時に飛んだ。
「ん…?」
 赤団長服が青団長服の上に馬乗りになった状態で、両者が同時に振り向く。両者とも頬や口元、目元に傷やあざを拵えた酷い面構えだ。
 幼い花売りから有閑貴婦人にまで数多の婦女子が頬を赤く染める優美な赤騎士団長も、今はその琥珀色の美しい髪は取っ組み合いの結果か乱雑に乱れている。百年の恋も醒めるというものだ。
 夢多き少年から偏屈な老人までが老若男女が英雄だ息子のようだと慕う精悍な青騎士団長も、今はきっちり着込む襟元がだらしなく乱れている。多くの人々の夢を破ってしまうというものだ。
 そんな夢の残骸に向けて両部隊長の言葉は続く。
「騎士団内での私闘はご法度ですぞ!」
 廊下の奥では騎士団付のメイドや執事らが遠巻きに喧騒を眺めている。彼らの手にはすでに塵取りと箒が握られ、いつでも片付けを始められるようになっていた。
 つまり今この場で起こっている出来事は、そう稀事でもないという事であろう。
「何か誤解しているようですね、部隊長」
 カミューが乱れた髪形をかき上げながら、マイクロトフから離れて立ち上がる。
 喧嘩が収まったかと周囲が安堵した次の瞬間、
「これは制裁だ。物分りの悪いイノシシには体で覚えさせないといけないのでね」
 というカミューの言葉に立ち上がって服装を整えていたマイクロトフが両眼を光らせた。つかつかと大股で自団の部隊長の前に歩み寄ると、
「もう春ですからね。ここがオカシイ奴のいう事など間に受け無い方が賢明というもの」
 と某赤騎士団長を仄めかす。
「…………………」
「…………………」
 静寂が走る。
 若い見習い騎士の顔が更に青ざめると同じ速度で空気が冷えていくのが実感できるほどだ。
「「どうして分からないんだ!!!」」
 赤青両者の怒号が互いに同時に向けられる。
「俺は!!部下を一人たりとも失うつもりの作戦なんかとらん!!!」
「その甘い考えが逆に死傷者を増やすのが分からんのか!俺は一人でも多くを救うために動く!!一殺多生がやむを得ない場合だってあろうが!」
「始めから諦めているその姿勢こそが根本的に腐っているというんだ!!」
「戦なんだぞ。お前だって嫌というほど分かっているはずじゃないか!」
 そのやりとりで、周りの部下達はこの両団長による喧嘩の原因を何かと悟る。痛ましいほどに、ことに若い見習騎士の表情に悲痛な影を落とさせた。
 部隊長の前で再びお互いの襟をつかみ合う。両者とも拳を振り上げた瞬間、

「「いい加減にしろ!!!」」

「………」
「………」
 見事にユニゾンした怒声が響いた。聞き慣れたそれに、カミュー、マイクロトフ両者の手が止まる。周りを囲んでいた従騎士らさえも肩を一度びくつかせて息を止めた。
 ヒューズがマイクロトフを、アグインがカミューのそれぞれ腕をとって二人を引き剥がし、

 パァ…ン

 頬を同時に引っ叩いた。
 高い天井に音が響く。
「あっ…」
「っ!!」
 若い見習い騎士や、奥で眺めていたメイドらの口から漏れた驚声と共に。
 叩かれた両団長は頬に手を当てて、
「団長がそんな風では部下に示しがつかないだろう!!」
 と怒鳴る両部隊長を呆然と眺めている。
「申…し訳あり…ませんでした」
「す……みませんでした…」
 マイクロトフとカミューの語尾が敬語になっている事に騎士見習いが意外そうに見ているが、従騎士らの反応は違っていた。
 白赤青の上位騎士らは、現赤騎士団長と青騎士団長の元上司、先輩が殆どを占めている。この両部隊長もかつては、若い従騎士だった二人に激を飛ばしていた時期があったのだ。ある年代以上の騎士たちは、みなその事実を知っている。
「あっ…」
 先に我に帰ったのはヒューズ。
 頬に手を当てたまま呆然とするマイクロトフを目の前に、そして自らの手の平に残る叩いた後の痛みに、弾かれるように瞠目した。
「とんだご無礼を!」
「申し訳ありません」
 若干遅れてアグインも我を取り戻し、臣下の礼をとる。
「いいんだ。やめてくれ」
「私達が大人気なかった」
 慌ててそれを止めさせて、両騎士団長は再び顔を見合わせた。ひどい有様のお互いの顔をしばし眺めて、最後に大きくため息をつきあった。
 そして辺りを見渡し、己らが与えた器物損壊の結果に対しても、また小さくため息をつく。そこから視線をたどれば更に、周囲を囲むようにして当惑顔のまま経ち尽くす若い騎士見習や従騎士たちの姿も。目が合った一人が目にわかるほどにびくつく。
 すっかり怖がられているようだ。
「驚かせて悪かった」
「すまない」
 騎士見習にまで軽く頭を下げる両団長の行動は逆に彼らを更に恐縮させてしまう。
 カミューが苦笑と共に若干自分より上背のあるマイクロトフを見上げた。
「片付けようか」
「あ、ああ…。そうだな。当然だ」
 足の下でパリンと音をたてる陶磁の破片。その場に片膝をついて手袋をしたまま欠片を拾い始める両団長。メイドと執事らが慌てて駆け寄るが、カミューが柔らかい笑みで拒否する。
「いいんだよ。こうしながら頭でも冷やしているさ」
 そしてマイクロトフは従騎士らを見上げる形で
「いいから、もう持ち場に戻れ」
 と促す。部隊長らと両騎士団長の顔色を交互に見眺めながら若い騎士達はその場から去っていった。メイド達も、箒とゴミ袋をその場に置いて遠慮気味に姿を消した。
 残されたのは、陶磁の欠片を拾うかすかな音の中にいる両騎士団長。そして両部隊長の四人。アグインとヒューズは無言で砕けた胸像の欠片を拾い始めた。マイクロトフはあえて止めない。
「………」
「団長とはいえ、規則違反ですからね」
 暫くの沈黙の後に、アグインの短く事務的な響きを帯びた言葉が空気を破った。
「ああ」
「大人しくするとしようか」
 騎士団規律第五十二条第五項目によれば、騎士団内で私闘を行った者は事情を問わず最低三日間の謹慎処分を受ける事となる。損害と相互の傷害状態によっては減俸、降格と、重い罰も科せられる。それは身分を問わずに適用されるというのが原則なのだが、両団長にそろって三日も仕事を空けられては副長も城を外している今、両部隊長、副官以下に多大な負担となるのは明らかだ。
 処分袋に陶磁の欠片を放り込みながらヒューズが顰め面で静かに補足する。
「今お二人に三日も休まれては困る人間が多いので、謹慎は今日一日で結構です」
「残念」
「子供ではないのですから」
「…………」
 両部隊長とカミューのやりとりを、マイクロトフは手を動かしながら無言で聞いている。先ほどから誰とも目を合わせようとしない。思案に暮れているのだろう。黙々とする青い背中にふと、カミューの視線が泳ぐ。何か彼にかけるべき言葉と、そのタイミングを伺っている。一方のマイクロトフとて、自己表現が下手なこの男は、背中や目が実に雄弁だ。鮮やかな青の背中がカミューと同じように賢明に言葉を模索している彼の心情を実に良く語っていた。
 ヒューズもアグインは、今日何度目になるだろうか、また顔を見合わせ苦笑する。
 そしてヒューズが代弁して両騎士団長へと言葉を手向ける。

「子供ではないのですから、答えの無い問いについて喧嘩などするものではありません」

 一瞬、両騎士団長の指先が止まったが、またすぐに陶磁が触れ合う音が続く。一通りの破片を拾い終えるまで、四人はそれから始終、無言だった。



「少しばかり留守にしていた間に、随分と派手な青春劇場を繰り広げていたそうだじゃないか」
 その日の宵。
 外部査察任務から戻った赤騎士団副長ユベルは、帰城するなり赤騎士部隊長アグインから手渡された薬と包帯一式、そして彼独特の慇懃無礼な皮肉と共に赤騎士団長の執務室へと姿を現した。
「あははははは。色男が台無しだ。いい気味だ」
 同い年の元同級生とあって、執務時間外におけるユベルの言葉に遠慮は無い。顔にまだ痣や擦り傷を放置したままのカミューも「まったくだ」とぞんざいな、だが気の知れた声調で応える。
「階下ではどんな風に噂が広がっているんだ?」
 自分でできる、とユベルの手から薬の瓶を引っ手繰る。さぞや面白可笑しい茶番劇として若い見習にまで広まっているだろうと思うと、やはり気分は悪かった。
「さぞや滑稽な有様に映ったのだろうな。特に若い者には聞かせるべきでなかった事を、私は口にしてしまった気がする……」
 恥じも外聞もなく人前で怒りまかせに怒鳴り散らす姿など、少なくとも騎士団長になるまでは無かったはずだ。
 なのに…。
「………いいや?」
「ん?」
 ユベルの予想外の反応。
 悪言毒舌を予測していたカミューは表情を和らげたユベルの面持ちに対して逆に訝しがる。
 
 結局この晩、カミューはユベルからその真相を聞き出す事はできなかった。



「また大人気ない事をなさいましたね」
 マイクロトフに対して何事にも単刀直入、単純明快に問いと答えを求める青騎士団副長セタ。執務中のマイクロトフが好むその口調も、今はやけに刺々しく胸中に突き刺さる。
「喧嘩をした行いに対しての反省は、している」
「…」
 こちらは素直に副長の手当てを受けている団長の姿が見られる。頬に出来た比較的大きな擦り傷に薬を塗りこまれ、マイクロトフは目を細める。
「余計な事を口走って若い騎士達を徒に不快にさせた」
 団長失格だ、と溜息と共に弱音を漏らす。
 その間もセタの手が手際よくマイクロトフの頬にガーゼを当て、絆創膏を貼って行く。
「やはり俺は人の上に立つ器ではないな……痛っ!」
 最後の弱音の直後、セタの手が乱暴にマイクロトフの頬をはたく。傷に響いて思わず声を上げてしまった。
「何を馬鹿な事を」
 呆れながらも、だがいつもの調子でセタは薬箱に薬をしまい始める。
「私は貴方以外の団長に仕える気は、今のところありません。私を無職にする気ですか」
「………」
 「今のところ」という言葉が気になるが、彼にしては誉め言葉の部類に入る。マイクロトフは素直にありがたがることにした。
「それに、若い騎士達も……」
 突如、セタの言葉が途切れる。
「?」
「いや、やめておきましょう」
 セタは薬箱に蓋をしてその場から立ちあがり、部屋を出ていこうと扉に向かう。
「気持ちが悪いぞ。何を言いかけた?」
 若い騎士達について気になっていた身としてはその背中を呼びとめるのは当然だ。だがセタは「さあ」と右手を振りながら部屋を後にしてしまった。
「………………」
 呆然と取り残された青騎士団長の姿。
 結局セタは、この日は戻ってこなかった。



 セタがマイクロトフの執務室から出ると、廊下に背をあずけたユベルが待っていた。
「どうだった。マイクロトフ様のご様子は」
「甚く反省されて落ち込まれているようだった。そっちこそ、カミュー様は?」
「同じく。お珍しいことに」
「マイクロトフ様とカミュー様の喧嘩はいつも同じ顛末だからな。いいかげん、学習して戴きたいものだ」
 互いが仕える団長について軽く皮肉った後、二人は薬箱を返却すべく医務室へと向かう。
 しばし長い廊下を歩き、
「なあ」
 とユベル。
「あの話、したか?」
「いいや」
「俺も。あまりに珍しくしおれていらっしゃったので、つい面白くてな」
「同じく。しばらく大人しくなってもらうためにも、黙っておいた方がいいだろう」
「すぐに元気になられても困るし」
 両副長による意地の悪い会話は、夜を照らす薄明かりの中へと、遠ざかる影と共に消えていった。


 時をさかのぼる事、つい半刻前。
 城外視察に出ていた両副長が帰城するやいなや、両部隊長が浮かない顔色で呼びとめてきた。なんでも両団長が「また」殴り合いの喧嘩をしたという。しかも今回は、まだ見習の若い騎士達にまでその様子を目撃されたとか。その場にいた若者達の顔色から察するに随分と心象を悪くしたのではないかというのだ。これは下手すれば軍全体の士気低下に結びつきかねない。
「やれやれだ」
 どう情報操作をしてこの事態を揉み消すか、そんな事を模索しながら両副長が騎士舎区域内に足を踏み入れる。
 好タイミングというか、間が悪いというか、渡り廊下を抜けた辺りの憩広場の方から、若い騎士らの声が響いてきた。
「カミュー様とマイクロトフ様が…」
 そのような言葉が聞こえてくる。
 随分と興奮した声調だった。
「あれではないか?」
「………」
 その場に足を止め広場の方に目を向ける。
 拭きぬけた天井を丸く囲った広場の中央には戦いの女神をあしらった簡易な噴水が立っている。その周囲に腰掛けて雑談に興じる若い見習達の姿が目に入った。
「あのお二人が取っ組み合いの喧嘩となると、ものすごい迫力だったぞ」
「さながら竜虎絵図って感じだな!」
 身振り手振りで解説するのは、二人の見習い騎士。いずれも喧嘩していた団長の側で顔を青くしていた少年達だった。
 子供の喧嘩をまるで英雄譚のように語る少年の目は輝いており、また、それを聞く数人の少年達の目も同様だった。
「欲目のフィルターだとああ見えるのか」
「余計な事を言って夢を壊さない方が騎士団の将来のためかもしれないな」
 いささか冷めた意見で同意しつつも、両者が少年達を眺める視線には柔和な光がたゆたっている。
「それだけじゃないんだ」
 少年の熱弁は続く。
「あのお二人の喧嘩の理由が、お互いの戦いに対する思想や理想の相違というか…、お二人とも本当に真剣に騎士団や皆の事を考えていらっしゃったんだ。あんな傷を作って殴り合うまで!」
「そうそう!俺、感動したよ!確かにあの現場は怖かったけど…」
 頬を朱に染めてタイトルロールの英雄のごとく熱く語る少年達の言葉に耳を傾ける少年達も、次第に興奮を覚える。
「カッコイイ!」
「さすが両騎士団長様だ!」
「あ…」
 盛り上がる少年達の一人が、渡り廊下からこちらを眺めている両副長の姿を見とめた。
「せ、セタ副長にユベル副長!!」
「え!?」
 興に乗っていた少年達が一斉に我に返りセタとユベルを振り向く。その勢いは逆に両副長が驚くばかりだ。
「あ、おかえりなさいませ!」
「城外視察、ご苦労様でした!!」
 見事に声をそろえて一同が頭を下げてくる。ちゃんと教育がなされているようだ。これが「馬鹿」がつくほど生真面目な団長が率いる青騎士団に入団した暁には更に磨きがかかろう。
「ご苦労」
「夜更かしするなよ」
 軽く手を上げて両者はその場から早々に立ち去ることにした。その足で、それぞれが仕える現在は謹慎中だという団長執務室へと向かうのだった。


 彼らが先ほど見た光景は、
 数ヶ月後になって酒の肴としてようやく両団長に語られたという。



END
2005.10.25.Tue/14:40
  第五書庫の刺客 


 

第五書庫の刺客



 マチルダ騎士団の騎士舎には、五つの書庫が存在する。
 第一書庫が最も大きく、これは主に軍事、戦略などに関する書籍、閲覧可能書類などがファイルされている。
 第二書庫から第四書庫は、歴史書、実学書、文学など、その他様々なジャンルの世界中の本があるかと思われるほどに所蔵されている。
 そして第五書庫。
 別名、団長書庫。
 この書庫は、歴代団長が私的に使用する特別書庫だ。
 現在は、赤騎士団長カミューと青騎士団長マイクロトフが、主にこの書庫を利用しているが、歴代団長が好意で残していった書籍も大量に残っており、各代団長の趣味が垣間見れる騎士らにとっては好奇心が刺激される「秘密の部屋」なのだ。
 だが残念なことに、この部屋に入室が許されているのは団長から直々に発行された入室証を所持する者だけなのだ。
 よって、その第五書庫は騎士達の間で「秘密の部屋」との異名もつけられているのである。

 城内巡回で時々その部屋の前を通る見習騎士、アレウスは、秘密の部屋の扉の前を通りすぎる度に、深緑の扉の向こうの景色を想像していた。
 扉は片開きの、簡素な作りだ。騎士舎の構造からもこの区域は北の城壁側の「隅」であり、騎士舎の中で最も人口比率が低い一帯だ。それでもやはり団長が利用する私的書庫という事もあり、簡素な扉の上には「第五書庫」とゴシック調で彫られた装飾プレートが飾られており、ドアノブも金をあしらった彫り物が施されている。
 質素ながらも、どことなく上品だ。
 アレウスは一度だけ、この部屋へと入っていく赤騎士団長と出くわした事がある。その時に部屋の中がちらりと見えたが、薄暗い部屋を遠くから眺めたのみで様子を伺う事ができなかった。それでも、部屋にドミノのように並ぶ天井に届くかという高さの書架と、壁も同じように書棚に埋められている様子は分かった。森林地方出身のアレウスは、夜目が利くことが自慢だった。
(あれで、どんな本があるのかが分かれば面白いのにな…)
 と思いつつ、今日もアレウスは城内巡回のために廊下を歩いていた。

 ちょうどその頃、
「『有酸素運動の有効性』『サバイバル術』『東方軍事異聞録』見事に軍事バカが現れているね。おや、珍しい。サイロス・クーパーのベストセラーじゃないか。好きなのかい?」
 東口から帰城したマイクロトフとカミューの姿があった。
「…まあな。悪いか。それにしても、『健康維持に役立つ薬草辞典』『花言葉』『世界の民族舞踊』『花火職人への道』『童謡歌集』……。見事に好奇心が支離滅裂に拡散しているな。お前らしい」
 両者とも両手一杯に本を抱えている。団長執務室の本棚から溢れてしまった本を第五書庫に移動すべく。ちなみに、前者のセリフはカミューのもので、後者のセリフはマイクロトフのものだ。お互いが持つ本の背表紙を読み上げてそれを揶揄しあって笑う。
「そう言うなよ。雑学を集めるのが生きがいの一つなんでね。サイロス・クーパー、今度貸してもらおうかな。推奨はあるかい」
 マイクロトフの本棚にその名前が連なっているのを見たことがあると、カミューは思い出す。サイロス・クーパーとはロックアックスでは有名な古典文学の大家の一角である。人間の本質を詩的表現を用いて直接語りかけるように描くのが特徴だ。軍事関係の物々しいマイクロトフの本棚の一角を占めるそれが、異質に映ったのを覚えている。だが、ある意味彼らしいとも言えた。
 一方でカミューの本棚は、全く持ってテーマを見出す事ができないジャンルの広さで、しかも部屋を訪れる度に並ぶタイトルの顔ぶれが変わっているのでマイクロトフはいまだにカミューの「趣味」が分からないでいる。余談だが、「世界の肉料理百選」という本が妙に気になったのは言うまでも無い。
「推奨か。幾つか選んで今度持っていこう」
「頼むよ。俺も推奨本を献上しようか。「肉料理百選」がいいかな?写真が豊富で見ているだけで満腹になるよ」
「馬鹿言え」
 そんな両団長が通りすぎていくのを、若い騎士達は微笑ましく見眺めていった。

「ご歓談のところ、申し訳ありません」
 背後から早足に向かってくる足音が、本を抱えた両団長を呼びとめた。赤い騎士服の若者だ。
「カミュー様、東門付近の城壁路近辺にて、城下の者が不審な人影を複数目撃したとの証言をしておりまして、現在赤騎士が数名急遽その付近の偵察に出ております」
「何だと?」
 城内、城付近の警備は赤騎士団の役目だ。
「本は俺が仕舞っておこう。行って来い。剣も部屋に置いたままだろう」
 カミューの手から本をとり自分のに重ねてマイクロトフが廊下の先を目で示した。
「悪い。頼むよ」
「騒ぎが大きいようなら、後で俺も行こう」
「そうならないことを願うよ」
 本をマイクロトフに渡しカミューは赤騎士と共に廊下を駆け出していった。
「さて」
 大量の本を抱えたまま、廊下の真中に取り残されたマイクロトフ。
「このままでは崩れるな…」
 バランス悪く腕の中に積み上げられた本は、一歩でも動けば総崩れを起こしそうだ。持ち方を変えるべく、マイクロトフは慎重に一度それらを床に置いた。

 ちょうどそこへ、見習い騎士アレウスが丁字路を曲がってやってきた。廊下の真中、つみあがった大量の本と、青騎士団長がそこにいる。滅多に目撃する事の出来ない団長の姿を間近に、アレウスは緊張した面持ちながらも何やら困った様子のその背中に声をかけた。
「マイクロトフ様」
「?」
 振り向いたそこにいた赤の見習い騎士にマイクロトフは笑みと労いを向ける。
「巡回ご苦労」
「いいえ。あの、それ」
 背筋を伸ばしはにかむ若い騎士の視線が本に向いている。
「どこかへ運ぶ途中だったのですか?お手伝い致します」
「悪いな、頼む」
「いいえ」
 床に置かれた本のうちの七割をマイクロトフが持ち上げ、残り三割をアレウスが手に取った。歩き始めたマイクロトフのやや後方、アレウスが遠慮がちに距離を置いて歩く。青を纏った長身を見上げる。颯爽と歩く背中がそれだけで精悍だ。
「君、名前は?」
「は、はい!赤騎士団少年部隊に所属しています。アレウス・クラウディンと申します!」
 背中に一瞬見惚れていたアレウスは弾けるように背筋を伸ばして団長の質問に答えた。過敏で初心な反応を肩越しに一視して、マイクロトフは小さく笑った。
「頼みついでに悪いのだが…、もう一つ頼まれてくれるか?」
「はい!何なりと!」
 外の天気の雲行きは愚図り気味だが、今日は何て良い日だろう。アレウスは心からそう思った。


 どこへ行くのだろうと着いて行ってみれば、辿りついたところは「第五書庫」の前だった。マイクロトフは胸の内ポケットから取り出した鍵で扉を開け、戸惑うアレウスを余所に部屋の中へと入っていった。
 廊下側でたち尽くしたままのアレウスに、マイクロトフは手招きをする。
「?どうした?入っていいんだぞ」
「で、でもここは……私などが…」
「構わんよ。どうせ娯楽書庫みたいなものだ。大して貴重なものがあるわけでもなし」
 と青騎士団長は苦笑して肩を竦める。
 これは千載一遇のチャンス。
「し、失礼します…」声を振るわせつつアレウスは、抱えた本と共に「秘密の部屋」へと足を踏み入れた。
「………」
 ひんやりと、冷たい空気にまず驚く。
 北側の部屋の上、ここには恐らく暖房器具などは備えられていないのだろう。「いつもより寒いな…」とマイクロトフの独言。日の当たらない部屋は暗く、背の高い書架の落とす陰もあいまって夜のような闇に包まれていた。廊下の明かりも、部屋の中へ二歩進んでしまえば届かない。
「灯りは……どこだったか…」
 暗闇の中、手探りで本を棚に置いてマイクロトフが灯りを探る。その後ろからアレウスが歩み出る。
「左手の棚の、ちょうど上にあります」と言いながら自ら天井から吊るされたランプの灯りを灯した。
「この暗がりでよく見えたな」
 仄かに灯りが点った室内に、まず感心した面持ちのマイクロトフがアレウスの瞳に映し出された。
「夜目には自信があります。森林山岳地方出身なものですから」
「月読みの目か。いいな」
 長身のマイクロトフがわずかに腰をかがめてアレウスの瞳を覗き込む。
「月読み…ですか?」
「梟のことだ。夜目が効き頭が良く、かつ勇敢な狩人だ。闇の森で敵う者はいまい」
(カッコイイ……)
 まるで霞の中に浮かび上がった自然現象であるかのように、少ない灯りに照らされたマイクロトフの面持ちが、その語り口と相俟って若いアレウスにはこの上なく凛々しく感動的だった。
「アレウスも、そのような将を目指せ」
「はい!お言葉、ありがとうございます!」
 薄闇でも分かるほどに顔を紅潮させたアレウスに、マイクロトフはまた柔らかく笑みを向けた。
「…さて…」
 ようやく暗闇に目が慣れて来た。この部屋には三つの吊りランプが備え付けてある。マイクロトフが二つ目に手を伸ばしかけた。

 次の瞬間、

 ガシャッ!!

「!」
「!?」

 頭上でガラスが激しく割れる音がした。
 仄かに点っていた明かりが消える。
 再び書庫内は暗闇に包まれた。
 突如の暗闇に、またマイクロトフは瞬時盲目となる。
 目が慣れる間もなくすぐ隣の書棚を始め、次々と棚が倒れ始めた。
「こちらへ!」
「っ!」
 アレウスに袖を引かれ、そのすぐ脇を重い書棚が掠めて倒れていった。あれに押しつぶされては只では済まない。舞いあがる埃と鼓膜を刺激する轟音の中、アレウスの夜目は嫌な物を見てしまった。
「扉が…!」
「何!?」
 倒れた書棚が折り重なるようにして入り口の扉を塞いでしまったのだ。
 つまりは、閉じ込められた。
 
 しかも、今まさに、この部屋にいる何者かの手により。

「誰かいるのか!何者だ!」
 目が見えないながらも、マイクロトフはアレウスを背中に庇い壁際に寄せる。そして見えない闇に向かい声を張る。

「…………」

 暗闇からの返答は無い。
 書庫内は折り重なった書棚と散らばった本で埋め尽くされ、その物陰に隠れているのか、他の人影は夜目の効くアレウスからも見ることが出来なかった。

「青騎士団長マイクロトフか」

 どこからか、声がかかる。
「………」
 無意識に自分の腰の辺りを手で探ってマイクロトフは内心で舌打ちする。
 本を運ぶのに邪魔になるからと、帯剣していなかった。
(なんたる油断……)
 帯剣を怠っていた自分と、北側の人員手薄を突かれて侵入者を許した事に対しての憤り。
 恐らくは屋根裏の空白構造の中を破って侵入したのだろう。外の冷たい空気が侵入しているのだ。入室した時に感じた常より冷たく感じた空気を、もっと疑うべきだった。
「…………」
 アレウスは懸命にマイクロトフの背後から目を凝らし、侵入者の姿を探す。
 背後の壁越しに、廊下の向こうから数人が駆け寄ってくる気配がする。
「何事ですか!?」
「今の音は!」
「団長!?」
 ちょうど第五書庫の前付近で立ち止まった人の気配がドアノブを回す。開かない。次にドアが叩かれる。

 次の瞬間、
 アレウスの夜目は折り重なった書棚の影から現れた人影を捕らえていた。
 その手の刃の輝きも。








 

第五書庫の刺客2




02

「マイクロトフ様!」
「!」
 本能的に殺気を感じ取ったのだろう。
 マイクロトフがアレウスの腕を掴み横に倒し、自らも襲い来る刃を避けようと動く。
「つ…ぅっ」
「マイクロトフ様!」
 だが人影が薙ぎった刃の先がマイクロトフの腕を掠る。アレウスの夜目は、それをも捕らえていた。マイクロトフは変わらず見えていないようで、怪我した腕をそのままに手がアレウスを探していた。
 自分の身よりも若い騎士の安否を気にしている。アレウスは自分からマイクロトフの腕を取って壁際に引き寄せた。
「ああ、そこか」
 手探りでアレウスの肩に手を添えて再びマイクロトフは自分の背後に庇う。だがその直前、闇の中から打ち出されてくる刃の閃きにアレウスが反応する。
「あぶな…っ!」
 言いきる前にアレウスは強引にマイクロトフの腕を引いた。マイクロトフの頬を掠めるほどの距離に、刺客が投げた小刀が金属音をたてて石造りの壁に当たった。
「!」
 瞬間、火花が飛んだ。
 マイクロトフの視界に一瞬、青白い光が点り、本棚の影に再び隠れる人影が映った。
「……これだ……」
「?」
 短い独り言の後、マイクロトフは背後の少年騎士に
「今のナイフを拾ってくれ!」
 と『命令』した。
「は、はい!」
 暗がりの中、アレウスがナイフを拾いマイクロトフに手渡す。すばやくその感触を確かめ、空いた方の手で壁を触り、
「…?」
 何をするつもりだろうと不思議がるアレウスに「少し離れていろ」と指示を出した。
 
「………」

 静寂が訪れ、部屋の中に充満する埃だけが漂う。
「!」
 本棚の影から再び、何かが動いた。
「っ!」
 危ない、とアレウスが声をかけようとする前に、マイクロトフが動いた。
 右手に持っていたナイフを壁に突き立て、腕を振り切って横に引いたのだ。
 金切音をたてて盛大に火花が上がった。
 室内が青白く点り、マイクロトフの目には鮮明に、本棚の影から身を躍りだそうとしていた刺客の姿が映し出された。
「そこか!!」
 距離感と感覚だけを頼りに、マイクロトフは人影を狙いその動きからナイフを投げ撃った。
「ぐあぁ!」
 再び訪れた暗闇の中で、刺客の叫びがくぐもる。
(すごい!)とアレウスがマイクロトフの咄嗟の知己に目を輝かせたのも束の間、隣でマイクロトフの舌打ちが聞こえる。
「急所を外したか…」
 投げた感覚と相手の反応だけで分かるのか。
 まさかとアレウスは疑ったが、しかしマイクロトフの言葉が示すとおり、人影は肩を抑えてよろめきながらも、再び体を起こした。
「やれ!」
 壁際から声が上がる。と同時に、部屋の奥の壁が轟音を上げた。どうやら廊下側から騎士達が壁を破壊しようとしているらしい。
 古い作りの部屋全体が、みしりと軋んで埃がまた舞いあがった。
「手間取らせやがって…」
 独言と共に刺客の影がまた動く。
 闇の中、アレウスの夜目は、剣を構えた刺客の姿をとらえた。壁からの轟音に、聴覚だけを頼りにしていたマイクロトフにはその微かな抜刀音を聞き取る事ができなかった。
「おのれ……っ!」
 刺客の動きを目でとらえていたアレウスが抜刀する。見習が全員持たされている簡易な短剣だったが、無いよりマシだ。
「!?やめろアレウス!」
 すぐ近くの抜刀音を聞いてマイクロトフがそれを制する。
 体制を立て直した人影が再びマイクロトフを狙う。
 アレウスの体は衝動的に、青騎士団長とそれを狙う刺客の間に躍り出ていた。

「アレウス!」

 青騎士団長の声は、廊下にいる騎士達の耳にも轟いた。


 刃と刃がぶつかり、一瞬そこに火花が生まれた。
 マイクロトフの目に刹那、自分の目の前に飛び出し刺客に刃を向ける少年騎士の姿が映る。次の瞬間には再びあたりは闇となるが、それを切欠にマイクロトフの眼球が闇の中で視力を取り戻し始めた。
 輪郭だけが微かに浮かび上がる光景の中、
 それでも小さな体が自分の足元に倒れ付す様子は鮮明に理解できた。
「貴…様っ!!!」
 一気に沸騰点に達した怒りが、
 青騎士団長を鬼にした。
「なんてことを!!!」
 前後省みずに目の前の人影に体当たりを食らわした。
「ぐぁ!」
 寸詰まりな声を上げて刺客は倒れた本や書棚の中に吹っ飛んだ。すかさずその上に飛び乗り、手当たり次第に顔や体に拳を叩き込んだ。どこが顔で体で急所かなど、この目の効かぬ状態で構ってはいられない。とにかくこの刺客を倒す事だけ。マイクロトフの体はそのためだけに動いていた。
「っが……」
 まともに鼻っ柱を殴りつけられ男は血を吹いて気を失った。それと同時に、
「団長!!」
 壁の一部が破壊され、そこから大量の光が差し込んだ。
 廊下側から騒ぎを聞き駆けつけた騎士達が壁を崩したのだ。
「……だ……」
 彼らが見た光景。
 それは瓦礫のように積み重なる書棚の上で、血で汚れた姿で気を失った刺客の襟を掴み上げている団長の姿。
 そして、腹部の辺りから血溜まりを作り倒れる幼い騎士。
「アレウス!」
 刺客をその場に投げ捨て、マイクロトフは踵を返し床に倒れたアレウスに駆け寄る。刺客の物と思われる剣を腹に抱え込むような形で体を丸めていた。そこから、血が流れて水溜りを作っていた。
「すぐに医者を!!!それからあの男を捕らえろ!」
 マイクロトフの怒号が、
 響き渡る。


 
 カミューが報告を受けて医務室に駆けつけると、寝台に横たわり眠る若い見習い騎士と、その側に立ち無言で見下ろすマイクロトフの姿があった。
 ドアの向こうから姿を現したカミューに、その場にいた数人の騎士達も視線を向ける。
「………カミュー…………」
 ゆるりと、マイクロトフの首がカミューを向いた。
 彼自信も、左腕に傷を被い三角巾をあてがわれている。
「……マイクロトフ……」
「すまないカミュー………お前の部下を俺は……」
 歩み寄るカミューから瞳を伏せる。
「彼の様態は」
 出来るだけ優しく、カミューは問う。
「出血量が多く、傷は浅いものではありませんでしたが、急所からはずれていました。心配はいりません」
 代わりに軍医が答えた。洗浄を終えた手を清潔な布で拭きながら、まるで貧血でも起こしたように顔色を悪くする青騎士団長を見やる。
 その視線の意味を知り、カミューが「お前も休め」と声をかけようとしたところに、

「失礼します」
 とノックの音が妨げた。

「何だ」
「アレウス・クラウディンの母君がお越しです」
「……」
 カミューが目端を細めて「どうする」という視線をマイクロトフに向ける。
「お通ししろ」
 答えたのは、マイクロトフ自身だった。
 即答。
「失礼致します」
 控えめな声に導かれて扉が開かれ、急いで駆けつけたのだろう、まだ肩で呼吸をする中年に差しかかった女性がそこに立っていた。上流家系の出身だと感じさせる質素なだが上品な黒い召物に、頭髪を頭部の高い位置で纏めている。
 母親は視界の中に横たわる息子の姿を見とめると、居並ぶ両騎士団長に深々と頭を垂れながら寝台に駆け寄った。
「アレウス…」
 麻酔薬で眠っている息子を何度も呼びかけて、額や頬を撫でる。
「…………」
 その背中に向けて、マイクロトフは片膝を折った。
「マイクロトフ様…!?」
「団長…」
「……」
 驚く騎士達の声に母親が振り向くと、そこには自分に向かい片膝と右手をつき、深く俯く青騎士団長の姿。彼女も酷く驚いて、温和そうな瞳を見開いた。
「マイクロトフ様……」
「……」
 誰もが驚く中で、カミューは静かに、ただ静かに情景を見つめていた。
 低く、静かなマイクロトフの言葉が流れる。
「己の愚かな油断と慢心、そして未熟さから、子息殿をこのような目に合わせてしまった事…、どのように詫びたら良いのか分かりません」
「…………」
 母親はしばし驚きに包まれていたが、やがてその面持ちを緩和させると、マイクロトフの腕を被う包帯と三角巾に視をやり、そこにやんわりと手を添えた。
「お顔をお上げ下さい。マイクロトフ様」
「…………」
 顔を上げようとしないマイクロトフに、アレウスの母親は柔らかい笑みを湛え、俯く騎士団長を覗き込んだ。
「部下一人の事で、騎士団長様がこのようでどう致しますか」
「……………」
「…………」
 マイクロトフが黒い両眼を驚きに見開いて顔を上げる。
 周囲の騎士達も、彼女の言葉に息を飲んだようだ。
 ただ一人、表情を変えなかったのはカミュー。
「……」
 どう応えて良いから分からずただ彼女を見つめるしかないマイクロトフ。
 しばし、その柔らかい笑みだけがそこにあった。
「アレウスは、勇敢でしたか?」
「え…」
「アレウスは、マイクロトフ様をお守りする事ができましたでしょうか?」
「…………」
 彼女は、「騎士」の母親なのだ。
 なんと気高く、力強いことか。
 ならばそれに、騎士団長として応えなければならない。
「……騎士の鑑たる働きでした」
 マイクロトフの口から出た言葉は、
 彼女を満足させたようだ。
 その答えを受けてアレウスの母親は、また寝台に横たわり眠る息子に向き直り、今度はそのまま幾ばくかの間動く様子を見せなかった。


「………」
「………」
 医務室から廊下に出た両騎士団長は、始終無言だった。
 その後ろを追随する数名の部下達も、静かな背中をみつめて同じく無言。
「マイクロトフ」
「………」
 カミューの呼びかけに、誰ともなく足を止めた。
 丁字路の前。
 右に曲がれば青騎士団長の執務室。
 左に曲がれば赤騎士団長の執務室。
 ここは丁度、分かれ道だ。
「こう言ってはお前に殴られるかと思って言わなかったが」
「……?」
「でもやはり言ってやらないと気が済まないので、言わせてもらおうと思う」
 赤騎士団長の声は低く、そして冷ややかだった。
 喧嘩でも始まるのかと背後の部下達はなるべく目を合わせぬよう口をつぐんで両団長の様子を見守る。
 マイクロトフは無言でカミューの言葉を待った。
 ただまっすぐ、その琥珀色の瞳を見つめ。
 何を罵られてもかまわない。それ相応の覚悟はしている。
 だがカミューの言葉は、
「お前が無事で良かった」
 どこまでも冷たい声調で、
「…………」
「お前を一番最初に心配すると怒るだろうと思って、黙っていた。でも私はお前が、「お前が」無事で良かったと、思っているんだ」
 だがどこまでも優しい。
「…カミューそれは…」
「それだけだ。じゃあな」
 青騎士団長の批判交じりの声をきっぱり拒否してカミューは左方向へと進んでいった。そのまま背中を向けたまま振り向かず、カミューは足早に赤騎士団長執務室へと姿を消した。
 マイクロトフも、声をかけることがなかった。
「……」
 丁字路の真中に、青騎士団長の長身が迷い子のように取り残される。
 


 青騎士団長を襲った刺客は、同日に目撃された怪しい人影の正体であると判明。厳しい取り調べを現在も受けている。
 アレウスが怪我から復帰したのは、刺客襲撃事件から二週間後だった。見習騎士達の寄宿舎に戻り、訓練などにも徐々に加わるようになった。
 復帰してみると、彼は見習い騎士の間でちょっとした英雄になっていた。第一に、アレウスは青騎士団長の命を守ったのだ。それも勿論の事だが、同級の見習達にとっての多大な好奇心は、アレウスが青騎士団長の見舞いを数度受けた人物であり、そして、見習騎士の中で恐らく唯一、あの部屋へと足を踏み入れた人物でもある所にも向けられているのだ。
 周囲からの質問攻めの日々が続く。
「『花言葉』とかいうタイトルの本があったような」
「本当か?カミュー様の本かな」
「似合い過ぎるよ」
 本を運んだ際に見た背表紙のタイトル一つで、見習騎士達の会話が盛り上がる。見習達の訓練場の片隅で、休憩時間はその話で持ちきりだった。
 噂をすれば何とやら。
 その集団に向けて声をかける人物がいた。
「月読みの英将、アレウス・クラウディンはここかな?」
 この独特に軽快な語り口は、この騎士団でこの人物くらいしか思いつかない。
「か、カミュー様!」
 赤騎士団長、カミューだ。
 楽な姿勢で段差に腰掛けていた騎士達は一斉に姿勢を正して立ちあがる。
「あ、いいよ。傷に響くだろう」
 少し遅れて立ちあがるアレウスを、カミューが制した。
「すみません…」
「若い時に作った傷は、完全に治しておいた方が良い。体が弱った時などに、後になって辛い時がある。どこかの馬鹿者みたいにね」
「馬鹿者…?」
「決まっているだろう。青騎士団長のことさ」
「マ…」
 若い見習達はカミューの言葉に唖然とする。怒らせると手がつけられないというあの直情騎士団長を制御出来るのは赤騎士団長だけだという話は本当だったのだ。無論、彼でさえ抑える事の出来ない事態というのもあるらしいのだが、できればそんな状況には出くわしたくない。
 見習達の心情を完全に無視してカミューはマイペースに話を進める。
「アレウス・クラウディン」
「はい」
 改めて名前を呼ばれ、アレウスは背筋を伸ばした。
 アレウスが段差に腰を下ろしているため、その下に立つカミューとちょうど、視線位置が合う形となる。カミューの目が、真っ直ぐ鋭く、アレウスの両眼を捕らえていた。
 それだけで何かの術に陥ったような気圧がある。
「月読みの英将」
「え…?」
「青騎士団長が君につけた称だ。これに恥じぬよう今後、精進に励んでくれる事を願う」
「月読みの……。マイクロトフ様が……?」
 夢の中に漂う感覚がアレウスを包む。
 赤騎士団長が真摯な瞳を向けてくる。それが整った顔立ちもありまるで絵画のごとき神々しささえあるように思えた。
 あまりの荘厳さにアレウスは息を呑む。
「そうだ。私も、君の武勲を高く評価したい。君はこのマチルダで最も美しい宝を守ったのだからね……」
「…………」
「マイクロトフの友として、私は君にこれ以上ない程に感謝している。私の命も救ってくれたと同じだ」
 惚然と見開かれるアレウスの目を、カミューも腰を屈めて覗き込む。美しい琥珀色の直接的な視線が、痛いほど熱く感じる。
「その瞳を大事にしたまえ。いつか再び、マチルダを救う時が来よう」
 アレウスに向けられた赤騎士団長の賛辞。周囲の友人達が羨望にも嫉妬にも呆惹とも言える視線で様子を見守っていた。
「後者は、赤騎士団長としての感謝の言葉だよ」
 一歩下がり顔を離して、カミューは笑んだ。
「では、失礼する。憩を邪魔して悪かったな」
 また二歩ほど後ろに下がり踵を返してマントを翻し、
 カミューは去っていった。
「あ、あのカミュー様!」
 高い天井に響く長靴の音にようやく我に返ったアレウスが咄嗟にカミューを呼び止める。首だけで肩越しに振り返るカミュー。アレウスはぎこちない仕草で段差から立ち上がった。
 頬が、更に紅潮する。
「ありがとうございます!!」
 よく通る若い声。
 最後にまた一つ笑みを溢して、カミューはまた歩き出した。
 


 アレウス・クラウディン。
 両騎士団長が西方へと旅立つために退団した後の数年後、赤騎士団特殊武器隊第一部隊隊長に就任。
 森林、山岳地帯、夜間など不利条件での戦いにおいて圧倒的強さを誇る「月読みの英将」として、名を馳せる事となる。

 

 

END
2005.10.25.Tue/14:42
  武道家の弟子 


 

武道家の弟子

 青騎士団は、三色あるマチルダ騎士団の中で最も武力派である。城外警備や辺境警備などを担う機会の多い青騎士団は、戦場では前線を張る役目も多い。
 代々この青騎士団の団長は、堅実、真面目、そして訓練、精進に熱心な者が揃い、己以下、部下達の鍛錬にも手抜きは無い。

 当然、現青騎士団長マイクロトフも、他例に漏れないのだ。

「騎士は剣さえ使えれば良いものではない。戦場に限らずいつなんどき、武器を失う事があるか分からない。そんな時、素手、丸腰でいかに戦うかが生き残るための大きな鍵となる」
 青騎士団の定例訓練。いつものようにマイクロトフの朗々とした声が稽古場に響く。だが、今日は多少様子が違うようだ。騎士達はいずれも重い鎧と剣を身から外し、青い制服の上着を腕まくりした軽装となっている。
 マイクロトフも、今日は重い肩当と首当てをはずしている。

 本日は、体術の稽古なのである。

 東部の国は、体術が盛んだ。相手の動きの流れや力を利用して、無駄な力を使う事なく自らの倍以上もある敵を倒すといった、非常に理にかなった武術もある。それを取り入れる事が出きれば、騎士達は今まで以上の戦力となろう。

「今日は、特別講師を招き…」
「団長」
 マイクロトフの言葉を遮って副長のセタが訓練場にかけ込んできた。講師の到着が遅れている。
「いらっしゃったか?」
「それが本来の特別講師、ガンホー殿の都合がつかなくなり、急遽……」
「たーのもーーーーっ!」
 セタの声を掻き消す奇声が入り口から轟く。
 騎士達が一斉にそちらを振り向くと、
「おお!ここがマチルダ騎士団の訓練場か!さすがに広くて設備が良いなぁ!!」
 奇妙な髪型に奇妙な武闘装束を身に纏った男が、訓練場の入り口からマイクロトフの方に向かって大股に歩み寄ってくるところだった。
 その後ろから、「ししょー、それじゃあ道場破りですぅー」と荷物持ちの少女が駆け足でついてくる。
 男は妖しいちょび髭を口元に生やした顔で満面の笑みを作り、マイクロトフの前に立ち止まると右手を差し出した。
「どーも、団長様。武道家ガンホーに代わり、このロンチャンチャンが急遽、本日の特別講師としてお招き預かる事になり申した!宜しく頼む」
 どうにも妖しい男の言動と姿に副長はじめ騎士達は訝しげに目端を細める。一方マイクロトフは、奇抜な登場の仕方に驚いていたものの、
「青騎士団長、マイクロトフと申します。宜しくお願いします」
 すぐに嘘偽りない控えめな笑みをたたえてそれを招き入れる。差し出された手を握り返して握手を交わした。
 騎士達はある意味での団長の偉大さを再認識するのであった。
「さて、早速始めようか!」
 熱血漢なロンチャンチャンの声が高い天井に響き渡る。
 並ぶ青騎士達を見眺めてロンチャンチャンは「よし」と右手拳で左手を叩いた。
「まずは身体慣らしと実力観察も兼ねて、乱どり稽古から行くとしましょう」
「いきなりですか?」
 とセタ。
 武道術にも剣と同じく基本の「型」が存在すると聞いていたのだが。
「私の流派はちと変わってましてな。決まった型などないのです。状況、自分の体格や癖などに合わせ臨機応変自由自在!それこそ最も実用的かつ最強の武術なのです!」
「そうなのです!」
 自信満々のロンチャンチャンに続き、若葉の声も高く天井に響き渡る。
「………」
 「なるほど」と頷きたいのは山々なのだが、ロンチャンチャンの熱弁は、どう贔屓しても青騎士達の耳には白々しく聞こえてしまうらしく、とくに若い騎士達のロンチャンチャンを見る眼は猜疑そのものと言えよう。
 全く気にしていない様子でロンチャンチャンは視線をある方向に向けた。
「ちょうどあそこに、武舞台があるようですな」
 訓練場の角に設置されているのは、演舞や模擬戦や模範戦が行われる為の武部隊。張り替えが自由にきくよう、細長いタイル状の建材が敷き詰められたものだ。
「団長殿」
「はい?」
「まずアナタの部下の中から、体術にこれと見込みがありそうな者を一人、選んで戴けないかな」
「一人?何故…」
「いいからいいから」
 促されてマイクロトフは、前に居並ぶ部下達を見眺める。団長の視線に、部下達は背筋を伸ばす。一通り部下達を見定めた後、マイクロトフが選んだのは、
「…………ラルソン」
「は、はい!!」
 第三部隊に所属する若者、ラルソン・マクガレンだ。
 感激の声と共に更に背筋を伸ばしたラルソンはマイクロトフに手招きされて前方に歩み出る。団長に選ばれた誉れとあって、その足取りは力強い。
 ラルソンを傍らに呼び寄せたマイクロトフがロンチャンチャンに彼の名を紹介する。
「攻め、守りともにバランスの取れた優れた武人だ」と付け加えると、ラルソンの顔面がバラ色に輝くのがセタには見えた。
「な~るほど。では、彼を武舞台へ」
「?……ラルソン」
「はい!」
 不思議に思いながらもマイクロトフはラルソンを武舞台に上がるよう促す。有頂天になっているラルソンは快い返事と共に武舞台へと上がっていった。
「では、こちらは…若葉!」
 不敵な笑みを浮かべてロー・チャンチャンは荷物持ちの少女を呼んだ。
「はい!ししょー!」
 元気一杯な返事と共に若葉と呼ばれた荷物持ちの少女が武舞台に飛び乗った。
「さーて。まずは小手調べにこの二人で乱取対戦してもらいましょう」
「えぇ?」
「ラルソンと…、あの少女がですか?」
 ロンチャンチャンの提案にセタに続きマイクロトフも驚きの声を漏らした。その場に並ぶ騎士達の間からざわめきが起こる。
「ただの荷物持ちと思っておりましたかな?ああ見えても私の一番弟子ですぞ」
 唯一の物好きな、という事は伏せられているが。
「しかし…」
 渋るマイクロトフにロンチャンチャンは「安心しなさい」とマイクロトフの肩を叩く。
「人は見かけによりませんぞ。山椒小粒もピリリと辛い。大は小を兼ねる、柔をもって剛を制すともいうではありませんか」
「……」
 一部間違っているような気もするが、誰もそれをあえて指摘しない。何を言っても止められないだろうからだ。
 結局、ロンチャンチャンの「大丈夫大丈夫」で押しきられ、若葉対ラルソンの乱取り対戦試合が行われる事となった。
「ルールは簡単。武器を使わなければ何でもありです。審判無用。蹴ろうが殴ろうが投げようが、勝てばいーんです」
「はぁ…」
「負けの条件は「まいった」と言うか「舞台から外に出る」か「戦闘不能」となった場合。よろしいかな?」
「はぁ…」
 規則説明はいたって単純明快だが、ロンチャンチャンと若葉以外の人間は誰も皆、喉に異物を引っ掛けたような顔色だ。
「マイクロトフ様……」
 舞台上でやる気満々に軽いステップを踏む若葉を前に、ラルソンはマイクロトフに助けを求める視線を送る。
 気の乗らない表情を浮かべていたマイクロトフだが、渋りつづけるのも失礼に値するとの結論に達する。
「ロンチャンチャン殿がこう仰るのだ。若葉殿が小柄な少女とはいえ気を抜くな。ただし、顔を狙うなよ」
「は、はい…」
 しぶしぶ、ラルソンは頷いて若葉に向き直った。
「さすが、ご理解がお早い」
「ししょー、さすが騎士さん達はジェントルマンですね~!」
 満足そうな師弟のやりとりが耳に痛い。そんな騎士達の気苦労を余所にロンチャンチャンはラルソンに最後のアドバイスを送る。
「型も何もお考えにならず、とにかく若葉をどのように負かすかだけを考えて動くと良いでしょう。闘いに格好などありませんからな」
「…はい」
「よろしくお願いしまーす!」
「よ、宜しくお願いします」
 両者の挨拶が終わり、乱取り対戦がロンチャンチャンの掛け声と共に始められた。


「たーーっ!」
 合図と同時に地を蹴ったのは若葉。
 軽い身のこなしで地を蹴ると、ラルソンの頭上に踵を落とした。
「げ!!」
 突如頭上から落ちてきたそれに、咄嗟にラルソンは横に飛び退いた。
「ほう、あれをよくかわされた」
 二人の様子を見守るマイクロトフの隣でロンチャンチャンがしきりに感心して頷いていた。だがそれから更に続く若葉の連続技にマイクロトフは只管、厳しい実直な視線で武舞台を凝視していた。
「てやぁ!!」
「っわ…!く!」
 防戦一方のラルソン。四方八方からランダムに繰り出される若葉の手足の攻撃を、体全体を使って懸命に直撃を避けているものの、攻撃の糸口が掴めなければ埒があかない。
「どうした!ラルソン!!」
 友人や仲間から声がかかる。
「攻めろ!ラルソン!」
「くっ…!」
 それが分かっているから尚、ラルソンは歯がゆさに苛立ちと焦りを感じた。武舞台の袖では、敬愛する騎士団長がこの戦いを静かに見守っている。その隣では、弟子の若葉の優勢状況に、満足そうに腕を組んでいるロンチャンチャン。

 このままでは…
(俺を推薦してくれた団長に…恥を……っ!!)
 かかせてしまう。

 忠誠心に掻き立てられた騎士の底力が、その時に発揮される。
「スキあり!!」
 若葉の強烈な回し蹴りが飛ぶ。
「危ない若葉!」
「え……」
 空気を抉る若葉の足先を無理な体勢で避けたラルソンが、思いがけぬ角度から反撃の一打を放ってきたのだ。
「ひょあっ!!」
 ロンチャンチャンの声に咄嗟に反応を見せた若葉は半ば尻餅をつきながらラルソンが放った蹴りをかわす。すぐ頭上をラルソンの足が掠っていった。
「ちっ…」
「……っ」
 両者ともに一歩後退し、間を取った。

 わぁぁっ

 場が沸いた。
「いいぞ!ラルソン!」
 騎士達の中から声が上がる。
「若葉、気を抜ける相手ではないぞ!」
 ロンチャンチャンの声も混ざる。
「ししょー!やっぱり騎士さんは凄いです!」
 ラルソンを前に間をあけて構える若葉が、明るい声を発する。
「そうだろうとも!あの角度から反撃するとは見上げた反射神経!!」
 天晴れ、と両手を派手な仕草で叩いてロンチャンチャンは熱血漢に朗々たる声を張る。
 そしてじっと先ほどから無表情で武舞台を見つめているマイクロトフに不敵な笑みを向けて、
「さすがに騎士団長殿がご推薦なさった部下ですな」
 と頷いた。
 武舞台上からラルソンが横目でマイクロトフを見やる。
「その調子だ」
 ようやく力を発揮しだした部下の健闘を誉める言葉を一言かけ、マイクロトフもロンチャンチャンを振り向いた。
 両者は顔をあわせてお互いに、静かに、不敵に、笑いあう。

 中々面白い戦いになりそうだ。


おわり
2005.10.25.Tue/14:43
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> 昔は、ゲームやマンガの二次創作をしておりました。現在は主にオリジナルネット小説を執筆しています。 得意は「シリアス」「アクション」「サスペンス」です。

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